第15話 白狐の統率者を狙う者

 何故、私は逃げているんだろうか。


 雨で足元をすくわれそうになりながら、華火は民家の屋根を駆ける。


 私にも、迎え撃つ力があれば……。


 自分の家族の姿を思い出せば、息苦しさに胸が痛む。


「あっ!」


 別の事に気を取られたせいで滑り落ち、道路に溜まり始めた泥水の中へ倒れる。


 しっかりしろ。

 今は、皆と早く合流せねば。


 腕は痛むが白蛇を助ける為、華火は起き上がろうとした、はずだった。


「ありゃ。はずれっぽいな」


 後方からいきなり男の声がしたと思えば、華火は持ち上げられるように立たされた。


「無事か?」

「は、はい……。ありが――」


 驚きでうまく話せないが、急いで振り向く。

 そこには、顔の上半分を隠す、黒い狐の面をつけた白狐がいた。

 白く短い髪は耳元で切り揃えられ、墨を混ぜたような暗い青緑色の瞳が華火を見下ろす。着ているものは浄衣。

 そしてこの男狐の首にも、赤い紐が交差するように縫い付けられている。


 だから、華火は身構えた。


「ここまでよく頑張って逃げたな。あいつ、気持ち悪いもんな。それにしたって丸腰相手に逃げられるなんて、遊んでんのかね。それか、離れて様子を見てた俺が追いかけるの知ってて、逃したか」


 やはり、先程の白狐の仲間!


 けれどそれならば、どうして華火を気遣うのかわからず、僅かに戸惑う。


「だからこれ、貸してやるよ」

「……どういう事だ?」


 笑う男狐が刀を手渡そうする意味がわからず、後ずさる。


「確認しなきゃなんねーんだよ」


 無理やり華火の手に刀を握らせれば、わざと男狐の首を落とすように刃を動かした。


「あんたの強さを」


 そう呟き、男狐は華火から離れる。


「術が得意なら術でもいい。ま、その様子じゃ確認するまでもないけどな」

「なんだと?」

「刀、使い慣れてねーよな? それに、戦い慣れてもいない」


 雨に打たれる華火の前髪から雫が滴り落ちる瞬間、男狐が低い声で続きを紡ぐ。


「お前、何なんだ?」


 それはこちらの台詞だと言葉を放つ前に、華火と対峙する男狐の後方に先程の白い面をつける白狐の姿が見え、言葉を失う。


「ん? あぁ、来たか」


 黒い面をつけた男狐が後ろを振り返った瞬間、華火は大きく跳んだ。

 そしてその勢いのままに、白い面の白狐へ刀を振り下ろす。


「わっ! 積極的ー!」

「白蛇様はどうした!?」


 難なく受け止められた刀はそのまま受け流され、華火は姿勢を崩す。


「無事だけど? 無益な殺生は障りを生むだけだし。ちょっと遊んだだけ」


 へらへらとしながら話す白狐の言葉が信じられず、華火は憤る。


「何が目的だ!!」

「何がって、君だけど?」

「もういい。こいつ、はずれだ」


 背後から刀を奪われれば、その手を捻りながら地面へ肩を押さえつけられた。


「何をする!」

「ここからは俺らの私用だ」


 背を思い切り踏みつけられれば、ようやく手が自由になる。


「うぐぅっ!」

「ここまでされてんのに、何も仕返さねーのな」


 抜け出そうにも上手くいかず、痛みは増すばかり。そこへさらに体重をかけられ、背中が軋む。


 こいつ……!


 思わず悲鳴を上げそうになるが、これらの前でそんな醜態を晒すのはだけは許せず、歯を食いしばる。


「へぇ。根性はあるんだな」

「やめてあげなよ。こんなに弱い女狐なんだから、もっと優しくしてあげたら?」

「何言ってんだよ。お役目に就いてんなら男も女も関係ねーだろ。にしても、本当に統率者か?」

「でもさ、送り狐でもないよねぇ」


 統率者の言葉が、苦しさと痛みに呑まれかけた華火の耳に残る。


 統率者を、探しているのか?

 まさか……。


 脳裏をかすめるのは、予言。

 それならば自分が相手になろうと、華火は動く。


「界」


 天候を操ったところで、自分の力が尽きれば意識を失う。

 だから華火は結界を張り、自身ごと男狐達を閉じ込める。


「何してんだ?」

「あれあれ? 何を見せてくれるの?」

「とう、そつしゃ、は、わたし、だ」


 踏みつけられる圧は変わらないが、華火はなんとか言葉を絞り出す。

 

『お逃げ下され、華火殿!』


『華火様は当分、外出禁止ね』


 頭に浮かぶのは、白蛇と紫檀の言葉。


 私は、皆に守られていたのか。

 ならば、こいつらを逃すわけにはいかない。


 山吹の結界よりも脆いものだが、それでも華火は張り続ける。

 ここで逃してしまえば、他の白狐の統率者が犠牲になると危惧した結果の行動。戦う術がなくとも、こうして時間を稼ぐ事はできる。

 だから、皆が来るまでどんな仕打ちも耐え抜いてみせると、華火は覚悟した。


「嘘だろ。本物?」

「ついでに確かめる予定だったけど、これは違うよね」


 ついで?


 他に何があるのか問おうとする前に、華火を踏みつける男狐の声がした。


「迷惑な予言だよな、まったく。だけどな、はずれは生かしてやる」


 はずれ……。


「代わりに消すのは耳と尾、どっちがいい?」


 消す……。

 消す、だと?


 瞬間、痛みを忘れる程の恐怖から、体が勝手に暴れ出す。


「早く選べよ」

「そんなに動くと手元狂っちゃうよぉ?」


 耳、特に尾の切断は、自身の霊力を根こそぎ削られる行為。最悪、人化すら保てず、命尽きるまでただの狐のまま。


「あ、そうか。両方か」

「そりゃあ思い切ったねぇ。でもそれぐらいしなきゃ、山吹の怒った顔見られないしね」

「お前よぉ、いい加減山吹から離れろよ」

「でも君だって待ってるよねぇ? 玄ちゃんを」


 何故、お二方の名を……?


 それにより冷静さを取り戻した華火の背中が、先程よりも強く踏み込まれた。


「ああっ!!」

「お前が悪いわけじゃねーんだよ。でもな、こっちも後がない。だからな、好きにやらせてもらう」

「ごめんねぇ。でもね、ここまで弱いが統率者なんてやめた方がいいよ?」


 思わず声を上げたが、続く言葉に、華火はぎりりと歯を噛む。


 悔しい。


「そうだよなぁ。お前みたいなのなら、上で舞でも舞ってたらよかったんじゃねーか?」

「だね。しかもよりによって、ここの送り狐のなんて」


 私に、もっと力があれば……。


「ま、あいつらと関わっちまった事が運の尽きだな。そうじゃなきゃ、ここまでしねーし」

「やっぱり運命だよねぇ。だからね、弱い者いじめしてるみたいになってるけど、許してね」


『本当に雅様と咲耶様の御子おこなのかしら?』

『牡丹様もかむろ様も柳様も、それはそれは素晴らしいご成長を遂げられました。けれど華火様は、ねぇ?』


 やめろ。喋るな。


 男狐達とは別に、華火の頭の中に女狐達の声が響く。


「ここまで弱いなら良心も痛まねぇよ。寧ろ、感謝しろよ。これで危ないお役目を放棄できんだから」

「そうだねぇ。大した力もないのなら、統率者にならなければよかったのに」


『よくもまぁ、ここまで泥を塗るような真似をして、平気な顔をしていられるわよね』

『雅様と咲耶様の御息女でなければ、ここにすらいられないでしょうに』


 やめろ。やめてくれ。


『もし自分があんな役立たずなら、生きているのすら恥ずかしい』


 そんな事、お前達に言われずともわかっているんだ!!


 心で怒鳴れば、自分の尾が持ち上げられたのがわかった。


「一太刀で落としてやるからな」

「や、めろ!」

「じゃあ、どうにかしてみたら?」


 結界の外側に降る雨音が聞こえなくなる程の怒りで、自身の手の平に爪が食い込む。


『華火は本当に素晴らしいな!』

『えぇ。本当に強い子です』


 父様、母様。


『華火は今出来る事をきちんとやってるじゃないか。それが出来る者は、強い者しかいないんだよ』

『僕も華火を見習わなきゃね。華火の心はね、とても尊いんだ』

『そうだね。自分も華火のようにどこまでも前を向き続ける強さがほしいよ』


 牡丹姉様、冠兄様、柳兄様。


『だから、胸を張れ』


 皆、いつも口を揃える。

 だから私は、自分を役立たずなどと、思ってはいけない。


 けれど一番、私が私を役立たずだと罵っている。

 

 それがどんなに酷い事か、わかっているんだ。


 体重をかけられた身体は動かせず、けれど思考だけは働く。


『ご自分を下卑されるのも程々に。それは華火殿を愛する者達の想いを否定する事になる。まずは愛されている事を自覚されるがよろし』


 わかっている。

 だが、こんな私のどこを誇ればいい?


 白蛇の言葉を思い出せば、この状況下でも、何もできないただの白狐だと思い知らされる。


 その時、自分の尾を持つ手が力を入れた。


「来たな」

「やっと来た! でもまだこっち終わってないけど。ま、これは直接見せた方がいいよね。取りあえず向こうにも結果知らせとこ」


 白い面の男狐が離れ、何やら小声で話し出す。

 そして少しの間を置いて、華火の結界に誰かが触れた。


「華火様、結界邪魔」

「げ、ん、さま?」


 顔を上げれば、いつもの眠たそうな目を見開き、怒りの色を宿す玄がそこにいた。

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