第12話 神に愛されし白狐

 華火が腰掛ける大楠の太枝の葉を、風が揺らす。春の暖かな陽射しの中で、心はまるで寒空に放り出されたように冷えてゆく。


「私は自分でも気付かぬ内に、感情を閉じ込めていたのでしょうか……?」

『これを尋ねるのは如何なものかと思うが、華火殿は何故、ご自分の存在が誰かの足を引っ張り、迷惑をかけるものだとお思いなのか?』

「それは……」


 自分で放った言葉を白蛇の口から聞かされれば、華火の胸がずきりと痛む。だから、続く言葉を失った。


『誰しも、生きている限りはそうなってしまう事もある。しかし、その考えを引きずるのはよろしくない。ましてやその愛らしい華火殿の一面を消し去ってしまうなど、そんな悲しい事は二度と申されるな』

「どこが愛らしいのですか?」


 迷惑をかけるという意味を捉え違えている白蛇に対し、華火は困り果てた。


『おや? 華火殿にはわからぬか。成長するという事は、失敗を繰り返す事。その過程を見守る者にとって、どんなにその姿が愛らしい事か』

「……でもその事で、私が周りから馬鹿にされるのは、そばで見守る者までもを馬鹿にされているのと同じ。その原因が、私の体の弱さなら、なおさら……」


 いつの間にか大楠の太枝へ爪を立てていた手が、わなないている。それ程までに、華火は自分の中に怒りが眠っていた事に気付いた。

 そこへ、白蛇の穏やかな声が届く。


『なるほど。華火殿はご家族を愛されておられる。それ故、ご自身に対して厳しすぎるのでしょう』

「違う。私は自分に対して厳しくなどない。体の弱さを理由に鍛錬もまともに積めず、得意な事ですら僅かな時間しかできない。そんな、そんな……、役立たずを……、愛してくれる家族にだけは、迷惑をかけたくないんだ」


 悔しさで目が潤むが、急いで拭い去る。

 そんな華火を、白蛇が覗き込んできた。


『はて? それがどうして役立たずと思われるのか』

「……皆が、役立たずだと……」

『皆とは、ご家族か?』

「違う。家族は誰もそんな事を言わない」

『ならば、そうであろうとされるな』

「何を……」


 言っている?


 白蛇の言葉を受け入れられず、華火は口をつぐむ。


『ご自分を下卑されるのも程々に。それは華火殿を愛する者達の想いを否定する事になる。まずは愛されている事を自覚されるがよろし』

「それは、言われなくともわかっています」

『わかっておるなら、愛されているご自身を役立たずなどと言ってくれるな。この白蛇、次にその言葉を聞いたら怒りますぞ』


 白蛇は本当に怒っているようで、わざとらしくシューと音を立てた。


「何故白蛇様が怒られるのですか?」

『わしはまだ出会ったばかりだが、華火殿は大切な存在。それを愚弄するのは華火殿自身とて許せん。それにな、華火殿は気付かれておらぬ。そばにいる者がどんなにあなたを愛しているのか』

「私なりに、受け止めていたつもりなのですが……」

『今一度、ご自分の胸にお聞き下され。天候が安定せず、続かない理由はそこにありましょう。それともう一つ。目に見えぬ存在にも、華火殿は愛されておる』

「目に見えぬ存在?」


 いったい何を言い出したのかと思えば、下から声がする。ようやく話が終わったようで、栃を見送る紫檀の姿が見えた。


『華火殿の方が近くに住まわれておったはずだが?』

「近く?」

『その見えない御方が愛さない者はおらぬだろうが、華火殿はよっぽど愛されておるようだ』

「誰でしょうか?」


 白蛇が楽しそうに話し続けるので、華火は目線を戻す。


『神以外、誰がおられますか』

「……何を、馬鹿げた事を……」


 あまりにも酷い冗談に、怒りが込み上げる。

 けれども、白蛇はぱちくりと瞬きをして、華火を見続けた。


『神に愛されない者などおりませぬが、殊にその愛を一身に受ける者もおる。それが華火殿だと思われますが?』

「なら、何故私はこんなにも自分の思い通りに身体が動かせない!?」


 思わず声を荒げれば、白蛇が笑う。


『それこそが、愛されている証拠。神の愛とは想像し難いものもある。それ程までに、華火殿をそばへ置いておきたかったのでしょう。だからこそ、ご自身を愛しんでほしいと、願いを込められているように思えますが?』

「そんな馬鹿な。神が愛する者は秀でた者。そうだとは思われないか?」


 あまりにも信じ難い言葉ばかり吐き出され、華火はその全てを否定したくなった。


『ですから、神の愛は平等だとも言えますぞ』

「さっきから訳のわからない事ばかり――」

『秀でたものがない者などおりませぬ。ですから華火殿の秀でしものを、神は殊に愛されておる』

「……私の?」


 何も持ち得ない自分に何があるのか。

 わかるならそれを教えてほしい。


 つい口からもれそうになる言葉を呑み込む。それを聞き知ったところで自分で気付かなければ意味がないと、華火は首を振った。


「私には、白蛇様の言葉がわかりません」

『今はわからずとも、いずれ理解する日が来ましょう。それまではご自身とよく向き合われて下され』


 そう白蛇が優しい声を出せば、するすると大楠を降り始める。それを見て、華火もすとんと着地する。


『実に軽やか。羨ましいですぞ』

「妖狐ですから、これくらいの事、造作もありません」


 ゆっくりと降りてきた白蛇へ笑みを向ければ、まだ大広間のふすまは開かない。


「大変貴重なお話、ありがとうございました」

『なんのなんの。華火殿にとって何か得られるものであればいいと願うばかり。して、話は終わったようだが、おなごをほっぽり出してまだ声をかけぬか』


 急に怒り出した白蛇に続き縁側へ近付けば、華火の耳が紫檀の声を拾う。


「華火様は当分、外出禁止ね」


 えっ?


 知らない間に何かを仕出かしたとしか思えず、華火は立ち尽くす。

 すると、今は開いてほしくなかったふすまが動く。


「華火様、お待たせ! 春だからか、頭のおかしい奴がうろついてるみたいなの。だからね、華火様には悪いんだけど、しばらくの間ここから出ないでほしいのよ」


 あぁ、そういう事か。


 理由がわかり、ほぉっと息を吐く。


「それなら皆は? お役目もどうされる?」

「あたし達は大丈夫よぉ! お役目も今まで通りあたし達だけで続けるわ」

「そうか……」


 納得せねばならないはずなのに、心は沈む。

 すると、白藍が声をかけてきた。


「あの、華火様」

「ん?」

「変な意味ではないのですが、その、毛を、ほんの少し下さいませんか?」

「え……」


 気心の知れた仲ならいざ知らず、しかも異性からの求めに、華火は戸惑う。


 体毛には自身の霊力が宿っている。それを渡す行為は、いかに相手を大切に思っているか伝えるものである。同性ならば、固い絆を結ぶ儀式のようなもの。

 しかし異性となれば話は別。お互いの毛を交換し合うのはつがいとなる為の儀式。だから易々と求めはしない。

 今の白藍の話では少し違うが、それ以外の用途がわからず、華火は言葉を失った。


「あんた、馬鹿でしょ」

「何っ!?」

「ちゃんと理由を言いなさいよ、理由を」


 そわそわと落ち着きのない白藍へ、呆れ顔の紫檀が絡む。そんな事お構いなしに、玄が話しかけてきた。


「華火様、作ってもらえ。白藍は凄い」

「作る?」

「これ、白藍作」

「なんと!!」


 玄に摘まれゆらゆらと揺れるのは、金色の狐のぬいぐるみ。まさかその作り手が白藍だとは思わず、尊敬の念を込めて彼を見つめる。


「まぁ、そういう事です。その、御守りにでもしてほしいのですが……」

「私自身の毛で私の御守りにするのか?」

「違うんですよ! あのですね、みん――ぐふっ!」

「特別な御守りを作ってくれますから、どうぞ楽しみにしていて下さいね」


 おどおどしていた白藍が華火の問いに答える柘榴へ殺気を放てば、彼の腹を殴りつけていた。

 けれど、そんな事など無かったかのように、山吹が笑顔をこちらへ向けた。

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