第10話 僅かな変化
「……ん?」
目を擦り、周りを見る。
暖かな光が満すのは、大広間。
そして横には、玄が寝そべっている。
「華火様、おはよ」
「あ、あぁ、おはよう」
眠っていたかと思えば仮眠だったようで、玄はすぐ目を開けた。それに驚き、華火は起き上がる。すると、いつの間にか布団に寝ていた事にも気付いた。
「よく眠れた?」
「……そういえば、すっきりしているな」
「それならいいや」
お天気占いを頑張りすぎて、余計な事を考えずにいつの間にか眠れた。それを思い出し、華火は心の中で白蛇に感謝する。
「私は縁側で寝ていたはずなんだが、運んでくれたのか?」
「紫檀が運んだ。布団は俺の」
「そうか。また迷惑を――」
「違う」
しっかりとした声色で言い切った玄が、飛び跳ねるように体を起こす。そして胡座をかくと、じっと華火を見つめた。
「迷惑かけたのは俺」
「いや、私が」
「違うって言ってんじゃん」
玄の不機嫌そうな顔がどんどん近付いてくる。それと同時に、華火の中にも何かが触れそうな気配がした。
これは?
よくわからない感覚の正体を掴もうと思えば、目の前の玄がぼそぼそと話し出す。
「詳しくは……、まだ、話せないけど、俺、寝てる時に触られると、勝手に送り火出しちゃうんだよね。山吹なら平気。ここにいる他の狐も、まぁ平気。柘榴はちょっと勘弁。あいつ、起こし方痛いんだよ」
確かに、玄の変化は劇的だった。
それには込み入った理由があるはず。それなのに、こうして華火にそれとなく伝えようとしてくれる姿勢に、胸が温かくなる。
けれど、先程まで感じていた気配が遠のいた。
「あと、山吹のぬいぐるみは触んないで」
「……申し訳ない。浄衣の隙間から出ていて、汚れてしまいそうで……」
「え。出てた?」
「あぁ。玄様の体が傾いて、その拍子に衿から抜け出したんだろう。それで地面に着く前に押し込もうとした。勝手な事をして、本当に申し訳ない」
いったい、何だったのだ?
華火は掴み損ねた気配について考える。嫌な感じはしなかったが、それ以上の事はわからない。
そう思った時、玄が目に見えて狼狽した。
「ごめん、華火様。俺の不注意じゃん。もっと怒ってよ」
「怒るとは? 約束を守らなかった私が悪い」
「何言ってんの!? 華火様って馬鹿なの?」
「馬鹿っ!?」
途中から何を話し合っているのかわからなくなった時、紫檀の明るい声が響いた。
「おっはよー! 何を騒いでんのかしら? 朝から元気ねぇ」
「おはよう。うるさくしてすまない。それと、ここまで運んでくれた事、感謝する」
「いいのよぉ! でもね、限界が来る前に自分のお部屋に戻るのよ? 男に添い寝してもらってる姿なんて見られたら、あたし達、無事じゃ済まないから」
兄様達の事だな……。
にっこり笑う紫檀が「これ見られてたらあたし達、住む場所もなくなるんじゃないかしら」なんて言い出して、華火は申し訳なさで消えてしまいたくなった。
「さて、玄はもういいわね」
「うん。もういい。じゃ、寝るわ。華火様、布団返して」
「あっ! 悪い」
「悪くない。すぐ謝るな。おやすみ」
紫檀に頷く玄が、華火の言葉で不機嫌になる。そして布団を抱え、こちらを見る事なく大広間を後にした。
「ごめんなさいねぇ。女の扱いがわかんないのよ。で、次」
紫檀がふすまの向こうへ声をかければ、柘榴と白藍が耳を伏せ、申し訳なさそうに入ってきた。
「あのですね、夜の事なんですけど、華火様は何も悪くないんですよ。ちょっとですね、良い所を見せたくて、馬鹿した俺らが悪いんです」
「良い所を見せようとしたわけではない。ただ、自分が送った方が早いと思ったまでだ。それなのに邪魔した柘榴のせいで時間がかかりました。すみません」
「邪魔したのはお前だろうが!」
「黙れ、木偶の坊」
「あんた達、何しに来たのよ!」
華火に向かって何故か謝る柘榴と白藍が喧嘩を始めれば、紫檀の顔が般若になる。
「えっとですね、つまり、華火様は気にしないで下さい」
「そうです。華火様は何も気にせず、また同行して下さい」
「は、はぁ……。なんだが気を遣わせたようだな。申し訳――」
「謝るのはいけません! 玄も言ってましたが、簡単に謝るのはよくないです」
「謝るのは自分達だけです。それでは」
まるで、華火の言葉を聞かないように耳を押さえる柘榴の後ろ衿を白藍が掴む。彼はそのまま、柘榴を引きずるように大広間から出て行った。
「謝る順番まで決めたのに、あれじゃよくわからないわよね」
「謝る順番?」
「そうなんですよ。みんな、華火様が起きたらちゃんと謝ろうと思って、寝ずに待っていたんですよ」
紫檀が困ったように笑えば、今度は山吹がふすまの向こうからひょっこり顔を出した。
「寝ずにって……」
「玄の事、理由まで説明しなくてごめんなさいね」
「あまり触れてほしい事ではないので、説明を省きました。申し訳ありません」
「いや。触れてほしくない事は誰にでもある。だからそれを謝ってほしくはない。私も誰かに声をかければよかったんだ。だからもう、謝らないでくれ」
少しばかり気まずい沈黙が訪れたが、紫檀の笑い声がそれを破る。
「ありがとうね、華火様」
「何がだ?」
「玄の事、根掘り葉掘り聞かないでくれて、僕も嬉しいです」
「玄様が言いたくない事まで知ろうとしたくない。ただ、それだけだ」
私にも、聞かれたくない事はあるからな。
少し前までの生活を思い出し、胸が痛んだ。けれど、それを隠すように微笑む。
「さて、それじゃあたしも寝るわ」
「僕も朝の見回りは終わらせてあるので寝ますね。華火様もまたひと眠りしますか?」
「いや、目は冴えている。だからもうひと頑張りするかな」
「無茶しないようにね」
ひらひらと手を振る紫檀と一礼した山吹がいなくなり、大広間がしんと静まる。
夜のお役目があった日は、皆こうして朝から眠りにつく。だから今起きているのは華火と、外にいる白蛇だけだろう。
家族以外にこんな風に接してもらえる日が来るとは……。
あまりに慣れないこそばゆい感覚に、口元が不自然に歪む。
まだ統率者らしい事は何一つできていないが、皆の元に来れてよかった。
喜びを噛み締め、華火は禊場へ向かった。
***
朝の禊をし、簡単に朝餉を済ませ、華火は白蛇と共に庭でお天気占いに勤しんでいる。
『休み休みとはいえ、もう昼。華火殿はあまり眠られていない。今日はもう終いにして、しっかり休まれよ』
「いえ。疲れ切ったからこそ、少ない睡眠でも事足りました。白蛇様の提案のお陰です。ありがとうございました」
『何かいらぬ考えに耽ってしまう時には、またお試し下され』
華火に付き合ってくれたはずなのに、白蛇の方はまだまだ元気なように見え、思わず尋ねた。
「どうすれば白蛇様のように疲れを見せず、天候を持続させる事ができますか?」
『うーん。慣れとしか言えんものですが、このように落ち着いてお天気占いができるようになったのはつい最近の事。とは言っても、何百、いや、何十年前からだったか……』
「何かきっかけがあったのでしょうか?」
『それは――』
白蛇が話し出した時、聞き覚えのある声が響き渡った。
「御免下さい。万屋の栃です。ちぃっとばかしお邪魔したいんやけど、他の狐さん、いてはりますか?」
ぼさぼさ頭で愛嬌のある笑みを浮かべる化け狸に頷き、華火は皆を起こすべく、縁側から中へと戻った。
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