第9話 夜明けと共に

 白蛇の特訓とは、思い出の中に眠る感情を呼び起こし、天候を操るものだった。

 これが中々に難しく、天気が安定せず、続かない。

 理由は、その時の感情をきちんと捉えていないからというもの。

 そんはなはずはないと躍起になれば、華火は力を使い果たし、縁側で泥のように眠った。


 ***


『ほれ、中に連れて行け』

「頑張ったわねぇ」


 後方に控えていた男狐達に声をかければ、紫檀がすぐに動いた。


「華火様は何も悪くないんだが……」

「足を引っ張られたつもりもない」

『そういった事は直接華火殿に言うものだ』


 しょげ返る柘榴と白藍へ、白蛇はきつめに声をかける。


「白蛇さん、天気に感情が乗るとは?」

『自らが感じる心を天気として表すが、そこから術者の感情が伝わるのは、感情を押し殺し、停滞させているからだと思うが……。だが、はっきりとした事はわしにもわからん』


 白蛇の言葉に山吹の顔が曇る。


「華火様……」


 本来なら眠りこけているはずの玄まで起きて、華火の様子を見守っていた。その顔は珍しく心配そうに、紫檀の腕の中で眠る華火へ向けられている。


 ここにいる狐殿は皆、不器用。

 だからこそ、わかり合えようぞ。


 長らく共に暮らした分、彼らの苦い経験も聞く機会があった。それを思い出したからこそ、華火に対してどうすればいいのかわからずに困り果てた男狐達を見て、白蛇は幼子を見守る気持ちを抱いた。


 ***


「栃さんのとこはいつも繁盛してますなぁ」

「いえいえ。うちもまだまだで」


 商店街に住む妖達と万屋の前で飲み交わしながらも、栃はよそ行きの顔を崩さない。


 うちにはお金を落としてくれる狐がおりますからなぁ。


 お猪口になみなみと注がれた酒をあおり、栃はいつもひいきにしてくれる送り狐達を思い浮かべる。


 この前もまたわかりやすく、口止め料もいただきましたし。万屋に狐のお偉いさんが来るはずもないやろに、念入りなことで。ま、山吹さんの場合はしっかり内容を聞かな、やっすい値のまま押し切られる事もありましたし、抜け目ないというか。

 それにしても、逐一上へ相談してから動かないけんて、お役目のあるもんは狐に関わらず、ほんま生きにくそうやなぁ。


 栃が珍しく同情の念を抱けば、送り狐が着る浄衣に身を包む、見知らぬ狐がじっとこちらを見ていた事に気付く。

 顔の上半分を隠す白い狐の面からは、銀の目だけが見える。そこから値踏みするような視線が注がれ、これまた伸ばし切ったであろう白髪は下ろし、さらさらと流れる。


「はて。お兄さん、いつからそこに? ここいらでは見かけた事ありませんなぁ」

「たった今だ。自分は余所者。見た事がないのは当然だろう。で、万屋はお前か?」

「顔を合わせたばかりでお前呼ばわりとは、いけ好かんなぁ」

「だが、依頼主ならばその膨れた尾っぽを振るんだろう?」

「ええ加減にせぇよ、狐」


 なんやこいつ、馬鹿にしよって。


 こんな客はこちらから願い下げだとばかりに、栃は語気を強めた。それを合図に喧嘩が始まると思われたようで、飲み交わしていた妖達が散る。

 その様子を見ていた白狐が口の端を僅かに上げ、栃の足元に大きな布袋を投げた。


「前金だ」

「前金ってなんや――」


 突き返そうと拾えば、想像以上の重みに栃は目を見開く。


「ここの送り狐は知っているな?」

「……それが、どうされましたのん?」


 こんなんに目ぇつけられるとは、何してんのや。


 まさか馴染みの狐の事を問われるとは思わず、栃は内心で舌打ちする。

 だが男狐の真意を探る為、話を合わせる振りをする。


「そこに最近、新しく白狐の統率者は来たか?」

「統率者ぁ? あんた、残念やなぁ。ここの送り狐は統率者なんぞいらんのや」


 してやったりと言い切る栃は、はたと思い出す。


 白狐……。

 でもあのお嬢さんは、送り狐よな?


 その一瞬の考えを読み取られたように、男狐がずいと近寄ってきた。


「隠し事は身を滅ぼすぞ」

「何をおっしゃいますのん? この狸めが、嘘を申すとでも?」

「……まぁいい。依頼はな、白狐の統率者探しだ。お前が送り狐と懇意にしているのはここの妖から聞き出した。今はいなくとも、もし姿を見せたら一報をくれ」

「はぁ? 何を勝手な――」


 まだ依頼を受けるとも言っていないのに、男狐が背を向けようとする。


「情報はその中にいる管狐へ話せ。それだけで、その中身の倍をくれてやる」

「ちょお、待ちぃや!!」


 声を荒げる栃を嘲笑うかのように、男は銀の炎に包まれ、忽然と姿を消した。


「なんやあいつ!!」


 怒り任せに布袋を蹴れば、きゅうんと声がする。


 しもた。管狐おったんや。


 慌てて紐を解き、中を覗く。こんな事で竹筒は壊れはしないが、それでも怖がらせた事を詫びれば、姿は見せずとも大丈夫だと告げられる。

 それに安堵しつつも、竹筒と共に入れられた札束の数を見て、栃の肝が冷えた。


「栃さん、大丈夫かぁ?」

「なんだろね、今の狐。でもここの送り狐にゃあ統率者なんて永遠に来んだろうから、それ、どうするん?」

「なんや訳がわからんから、今は取りあえず預かっとくしかないなぁ。管狐もおるし、後で断り入れますわ。てな訳で、狸は撤退しますわ。ほな」


 心配した素振りの中に好奇心を覗かせる妖達に手を振り、ゆっくりと硝子戸をくぐる。

 そして改めて、中を確認した。


「ひい、ふう、みい………………。あかん。なんやこれ」


 ただの狐探しに一千万円とは化かされているのかと思い、札束を調べる。けれど変化はなく、本物だという事だけがわかった。


 あの様子じゃあ、いろんなとこに顔出してるんか。

 なら、他んとこの万屋にも声かけて……。

 いんや、もし知らんかったら、大事になる。

 こんなん知れ渡った日にゃあ、躍起になる馬鹿狸も出てくるやろし。

 時間の問題やろけど、どないしたら……。


 紐をきつく締め、布袋を袖の中にしまう。


「面倒事は堪忍やでなぁ」


 頭をがしがし掻き、栃は水を飲みに動く。


 今すぐ送り狐んとこ行けば、ここの妖達に怪しまれる。

 寝静まる昼頃にでも、邪魔させてもらおか。


 はぁとため息をつけば、酔いは覚めたのに酒臭い。


「なんや送り狐と関わると、睡眠を妨げられますなぁ」


 そういや、名前聞くん忘れたわ。

 それに、余所とはいっても同じお役目の狐なら、あちらさんの方が詳しいんとちゃいますのん?


 送り狐同士のいざこざに巻き込まないでほしいと、栃は切に願った。

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