第8話 夜のお役目
自身の歓迎会が行われた日から、平穏が続く。
盗み聞いてしまった内容に、華火はさらに送り狐達との距離を感じた。
そして契約をしたのにまだ何も感じる事なく、自分が何の為にここに存在しているのか、わからなくなってしまった。
そんな中迎えた、初の夜のお役目。時刻は既に
障りを宿すものは真夜中から活発に動く為、探りやすいそうだ。そして、なるべく丑三つ時を迎える前にあの世へ送るらしい。
華火は同行する際の注意として、山吹のそばを離れない事と、玄を起こすなという事だけを告げられた。
どこに向かうのかと思えば、人間が使用する駅。ここは違う土地からの障りを呼び入れる場所でもある為、見付けやすいそうだ。
「では、始めましょうか」
ぼんやりと黄色く光る結界を張った山吹の言葉を合図に、眠っている玄を除く皆が、それぞれの得物を構える。
「送り火」
柘榴は結い上げた白髪を揺らし、深紅の炎を反りの深い太刀にまとわせる。刃文は直刃で、刃長は通常より長めに見える。
「いざ」
小さな声で呟く白藍が、低い位置でまとめた銀髪をなびかせ駆ける。彼の刀は藍色の炎を宿し、刃文の乱刀のように波立つ。
柘榴様と白藍様の共闘か。
とは言え、小さな障りだ。すぐに方がつくだろう。
改札機というものの奥にうごめく小さな黒い毛玉達に向け、男狐達が軽やかに跳ぶ。
おや?
華火が違和感を覚えれば、柘榴と白藍は同時に同じ障りへ打ち込む。
「邪魔だ!」
「それはこちらの台詞だ」
「あーあ。始まったわ」
騒ぎ始めた男狐達に、障りがまとわりつく。それを、刀の腹で払いながらも言い合いを続ける彼らを見て、紫檀が肩をすくめる。
「始まったとは?」
「なんかねぇ、少しでも大きな方を送りたいそうなのよ。馬鹿よねぇ」
そう言いながら、紫檀は藤色の炎で光る巻物を広げ、それに同じ色で輝く筆を走らせる。霊力で巻物を固定しているのか、手の上でぴんと張っている。
「相手が小さいからって、お役目に集中しなきゃだめよね」
顔を上げた紫檀から、微かな薔薇の香りがする。左側に垂らす白い髪と共に編み込まれた藤色の紐に、香を染み込ませてあるからだろう。
「さぁ、送ってあげて」
華火が様子を見守っていれば、ここにいる皆が背に乗れそうな程の巨大な狐が紫檀の巻物から飛び出す。そして藤色の狐は大きく息を吸い込み、自身と同じ色に輝く紫の炎を吐き出した。
「あっ! 紫檀、お前……!」
「自分だけで十分だったのだが?」
「あんた達がごちゃごちゃやってるからでしょうに」
紫檀が描いた狐の炎があっという間に黒い毛玉を包み込めば、白い毛玉が姿を現す。小さいものならば、こうして障りの部分だけ祓い送れば戻る事もあるそうだ。
「逝き先はこちらですよ」
改札機の向こう側から戻ってきた柘榴と白藍が、紫檀に文句を言いながら詰め寄る。
そんな騒がしい男狐達をものともせず、山吹は剣鈴で黄に輝く炎の円を描き、天へ誘導する。白い毛玉が炎をくぐる瞬間、それは烏へと変わった。
春だからだろうが、穏やかな送り方だな。
緊張の糸が解けた華火の耳に、この場をさらに緩ますような音が届く。
「すぅすぅ……」
玄様、熟睡だな。
あ、ぬいぐるみが。
玄の場合、冬にその力が必要とされる分、疲れてゲームが滞るらしい。だから春は遊び呆けているので、何かない限り、こうして眠らせているそうだ。
しかし、座り込んでいる玄の体が傾き、共に金色の狐が地を目指している。
取りあえず、押し込んでおくか。
大切なものだからこそ汚すのは嫌だろうと思い、華火はそっと近付き、手を伸ばす。
「いけない!」
山吹の大声にびくりと肩を揺らし、ぬいぐるみを掴む。
その瞬間、手首を思い切り掴まれた。
「触るな」
玄らしくないはっきりとした声を聞き、華火は彼を怒らせてしまった事に気付く。でも、玄のまぶたはうっすらとしか開いていない。
すると、誰かにもの凄い力で引き剥がされた。
「送り火」
「
玄が呟くと同時に、耳元で柘榴の声が響く。そこへ、他の男狐達の声も重なる。
「いったい……」
「玄を起こしてはいけないんです。起こすのも、なるべく山吹に頼むのがいいでしょう。そしてあの金狐に触れるのは緊急時のみ。覚えておいて下さい」
華火を抱き寄せる柘榴の結界に守られながら、常闇のような黒い炎が地面に広がるのだけを眺めた。
***
初めての夜のお役目で足を引っ張る事になるとは、情けない。
説明不足を詫びられたが、山吹のそばを離れ余計な事をしたのは事実だ。
迷惑をかけた事を思い出し、眠れぬ華火は縁側に腰掛け、夜明け前の空を眺める。
玄様の送り火は消滅、か。
元々山吹は駅に存在していた障りを逃さぬよう、結界を張っていた。そのお陰で黒い炎はそこまで広がる事はなかったが、自分達に触れても影響があるからと、追って教えられた。
もし他に、送れる者がいたとしたら、私がしでかした事は、それらを送るどころか消し去っていたのか……。
皆の命、そして送り対象までもを危険に晒し、華火は唇を噛む。
私はいつになれば父様や母様、姉様や兄様達のように、立派な統率者になれるのだろうか。
まだ降りたばかりでこんな事を考えても意味はない。けれど、考えずにはいられなかった。
すると、大楠の葉がかさかさと音を立てた。
『眠れぬか? 華火殿』
「起こしてしまわれたか」
『いいや。じじいの朝は早いだけですぞ』
「……そうか」
するすると木から滑り降り、白蛇は華火の横に来た。
『初めて夜の送りに同行されたのだから、気が立つのも当然。その場合、わしらが得意なお天気占いにて、発散されるべし』
「え?」
『何を驚かれている? 天候を操る者は感情豊かな者。表に感情が出せないのであれば、お天気にて表せばよい』
私は感情豊か、なのか?
自分に対して意外な言葉を吐く白蛇を見つめ、華火は愕然とする。
『騙されたと思って……、いや、狐なら化かされたと思って、今の感情のままにやってみるがよろし』
「ははっ。蛇に化かされる狐か。悪くない」
白蛇の心遣いを受け取り、華火は縁側に立つ。
今の気持ちを表すならば……。
確かに、父にも母にも、自分の気持ちのままにお天気を選べと言われていた。
しかし、感情の発散の為にお天気占いをした事はない。
それでも華火は白蛇からの言葉を考えながら印を結び、身を任せるように声を出す。
「天候、
庭先からざぁっと音がして、雨の匂いが立ち込める。
『ほぉ。範囲もこの社を包むほど立派なもの。これだけ出来れば上等ですぞ』
「お褒めの言葉、有り難く頂戴します」
『して、華火様は心で泣かれるのか?』
雨粒が華火達にも打ち付ける。
その中で、気遣うような優しさを含む声を出す白蛇の言葉に、華火は苦笑する。
「……私はどこへ行っても、足を引っ張るばかり。先程も、男狐達に迷惑をかけた。そんな私を、この急な雨で流し消し去れば、少しはましな白狐になれるのかと、そう思ったまでです」
つい、白蛇の優しさに甘える。
すると、彼はゆるゆると頭を振った。
『ご自分を隠す必要はないですぞ。殊に、このじじいの前では』
「いや、本心――」
『では、この雨から伝わり続ける深い悲しみはどう説明される?』
「えっ?」
何を言ってるのかと思った瞬間、お天気占いを継続する限界を知らせるいつもの痛みが胸に広がり、静かな夜が戻る。
『雨粒から感情が伝わるとは、よっぽどの事。その原因を、華火殿は気付かれていない。ならば、特訓する他ありますまい』
「特訓?」
『このじじい、最後に良き弟子と巡り逢えたようで。感謝しますぞ』
白蛇がからからと笑うが、華火は何が何だかわからず、戸惑うしかなかった。
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