第2話 お迎え

 結界の外へ出れば、現在では日本国という名称の人間の世界が広がる。

 春の朝日が降り注ぐその場所で、これからを共にする浄衣じょうえに身を包む男狐達が待っていた。

 人の世に紛れて暮らす狐は、現代の人間の神主も着用している狩衣かりぎぬを着ている事が多い。しかし、障りを祓う送り狐は、白袴と同色の浄衣という決まりがある。


「お待ちしていました」

「どうして中へ入ってこられなかったのですか?」


 落ち合う場所は第一鳥居を抜けた先。下界と上界の間に位置する、人間が踏み込む事のできない山頂の大社の外。つまり、子を成した者や、神を楽しませ、神に仕える狐達が住まう社の結界の外側を意味する。けれど、外でのお役目がある狐も出入り可能だ。

 なので、わざわざここを指定してきた意味がわからず、華火は問う。


「それはその……」


 最初に声をかけてくれた、高い位置に結い上げた白く長い髪に、つり目気味の真紅の瞳を持つ白狐が視線を外す。そして、安定感のある低い声をくぐもらせ、戸惑っている。


柘榴ざくろ、はっきり言えばいいだろう? 中は居心地が悪いと」

白藍しらあい! お前は余計な口を挟むな!」


 怒鳴る柘榴を、白藍と呼ばれた低くも爽やかな声の銀狐が鼻で笑い、無視する。


「良いぶるな。ただ、問題児と呼ばれるのを雅様と咲耶様に聞かれたくなかっただけだろうに」


 つんと澄ました顔は、やはり狐だけあってしっくりくる。

 彼が冷たく見えるのはその顔立ちだけでなく、切れ長の薄い藍色の瞳のせいでもあるように思えた。そして流れるような白銀の長い髪を、柘榴とは対照的に低い位置で一纏めにしている。


「こらこら! まだ挨拶も済んでないのに喧嘩しないのよー!」


 険悪な空気の柘榴と白藍よりも背丈が高い、色気を感じさせる声の白狐が割って入る。


「ごめんなさいねぇ。この達、中身がずっと子供のままだから」

「子供だぁ!?」

「子供は柘榴だけだ」


 顔が朱に染まる柘榴とため息をついた白藍を放って、女狐のような白狐が華火へ笑みを向ける。

 普通の狐よりも大きめな藤色の瞳が輝き、柔らかそうな白く長い髪には瞳と同じ色の紐を編み込み、左前へと垂らしている。


「あたしは紫檀したん。これから女狐同士、仲良くしましょうね」

「……え?」


 全員男狐だと聞いていたが、違うのか?


 戸惑いを隠しきれない華火へ、紫檀は笑いながら手招きをするように手を動かす。


「あらぁ? 中身が乙女なら女よね。それとも、あたしが美しすぎて見惚れた?」

「えっ。あ、はい」

「まっ! とっても良いじゃない!」


 紫檀に逆らってはいけないような気がして、華火は感情のこもらない返事をする。けれどそれが正解だったと思える程、紫檀は舞い上がっていた。


「えっと、僕も自己紹介するね。僕の名前は山吹やまぶきです。どうぞよろしくお願いします」


 耳に優しく届く声で話すのは、他の男狐よりも若干背丈の低い金狐。

 穏やかそうな雰囲気を伝えてくる赤みを帯びた黄色の瞳を細め、柔らかく微笑む。淡い金の髪は首筋で切り揃えられ、左右だけ長い。その胸元にまで届く髪を、緑の筒状の髪留めでまとめている。


 この中で唯一まともそうな男狐だが、彼の背中にはすやすやと寝息を立てる、山吹と同じ髪型をした黒狐が背負われている。


「よろしくお願い致します。あの、お背中の方はどうされたのですか?」

「あ。ちょっと、任務に没頭しすぎて疲れたようで。起こさないであげて下さい。名前はげんといいます」

「昨晩は激務だったのですね。あの、金狐と黒狐ですが、ご兄弟ですか?」


 ただ思った事を伝えただけなのに、場が静まる。

 そして、柘榴が笑い出した。


「確かに激務の後も寝てるな! まぁ、今回は大目に見てやって下さい、華火様。あとそいつら、兄弟じゃないですから」

「はぁ……、そうですか」


 よくわからない返答に、華火は考える事をやめた。

 そして気になった事を告げるべく、言葉を紡ぐ。


「あの、様はいりません。華火と呼んで下さい」

「そんな! それはできないです!」

「何故?」


 大の男狐が真紅の瞳を潤ませ、懇願するような顔を向けてくる姿が不気味で、華火は若干引く。


「いやー、だって、雅様と咲耶様にそっくりですし。立派なお耳にっぽ、それに真っ白で長い髪……は、白狐はまぁ、だいたいが一緒ですが。でもほら、金の大きな目や小さな口は咲耶様ですし……って、目の色は違いますが。でもでも! すっと通った鼻筋は雅様と似ていますね! だからこそ、華火様と呼ばせていただきたい!」

「はぁ……。そういう理由なら、まぁ……」


 伝説の統率者と謳われる父様と母様の娘だから、このように丁寧な扱いなのだろうな。

 だがおかしい。

 私の能力を知っていたら、こんな態度でいられるのだろうか?


 どうにも引っかかり、華火は試すように確認する。


「柘榴様が私の両親を崇めているのはわかりましたが、私は末の娘です。この意味はわかりますか?」

「はい! お噂はかねがね――あいてっ!」


 迷いなく答えた柘榴の頭を、紫檀がはたく。


「噂は噂よ。ね、華火様?」

「噂通りだと言ったら、どうされますか?」


 しんと静まり返ったが、華火は慣れた反応なので話し続ける。


「私は体が弱く、武芸はおろか、楽も得意ではありません。すぐにふらつき、息切れを起こします。そして得意なものと言えば、天候を知り、天候を変化させるだけ。それも僅かな時間です。なので、父様と母様の娘ですが、過度な期待はしないでいただきたい」


 言葉を切った華火を、何とも言えない顔で男狐達が見つめてくる。

 だから、笑ってやった。


「それでも、あなた達の統率者となれるよう、努力します。改めて、よろしくお願い致します」


 頭を下げれば、紫檀の声が降ってくる。


「どうりで、あたし達のところへ白羽の矢が立ったわけだ」


 先程とは違う冷たさを含む声色に、華火は顔を上げる。


「あのね、あたし達、統率者と契約しなくてもやっていけるのよ。だからね、このまま大社へお戻りなさいな」

「なっ!?」

「自分の上限を決める奴に、命、預けたくないのよ」

「紫檀! 口を慎め!」


 笑みを消した紫檀に見下されながら、華火は言葉の意味に愕然とする。そこへ柘榴が割り込んできた。


「柘榴様、いいのです。紫檀様、上限とは?」

「華火様、ご自分で言われたわよね。『過度な期待はしないでいただきたい』って。それは、今から変わる気がないと言っているのと同じ事」


 すっと息を吸う紫檀の視線が射るように刺さり、思わず身構える。


「そんな心構えの甘やかされた女狐はいらねーんだよ」


 急にドスの効いた声を出す紫檀に唖然とするが、華火もすぐに言い返す。


「そうか。ならばご教授願いたい。私は強くなりたい。私を誇る父様、母様、姉様と兄様達へ顔向けできる統率者となりたい。もう、噂通りの役立たずは終いだ」


 胸の内を明かせば、紫檀が噴き出した。


「あらやだ。あたし、美しくなかったわね。でも、それが素? いいじゃないの。それぐらいじゃなきゃ、問題児と呼ばれるあたし達の統率者になれないでしょうから。それじゃ、詳しい話はおうちに帰ってからね!」


 そう紫檀が言えば空気が緩み、皆が自身の管狐を召喚した。

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