まどかのこまど

ルルビイ

コマドドラゴン


 カコカコカコ。タン、タン、タン。

 カチャ、カタ。コト。カコカコカコ……。


 食器の重なる音に混ざって、無機質な音が響き渡る。

 それは春だか風だかをモチーフにしたらしいご機嫌なクラシック音楽の和をかき乱す、一心不乱にキーボードを叩いている音だ。


 ここは、とある街の片隅にあるカフェ、『メチャエー・ハインセス』。オリジナルブレンドのコーヒーと手作りのパンが自慢であり、地元の奥様達や遠方のマダム達にも愛される、隠れ家的名店だ。

 そんな中、すっかり冷めつつあるコーヒーを傍らに、ノートパソコンを叩いている彼女もまた、このカフェの常連さんの一人。名前をマドカ。

 彼女はオフィスでなく在宅やカフェで仕事をこなすWEBデザイナー、いわゆるノマドワーカーというヤツである。

 朝食はバナナとスムージーとグラノーラ。昼休みに皇居前でランニングをし、夜の風呂上がりには二十分以上のプランクとストレッチを欠かさず行い、就寝前にはたっぷりの水を飲んでから加湿器を炊く……、そんな意識高い系インフルエンサーである彼女は、珍しく焦っていた。

「……………フゥ」

 残りわずかのコーヒーを飲み干して、ため息交ざりに一息つく。


 ……ようやくメドがついた。まったく、急な依頼を取ってくるのは結構だとして、もう少し納期や予算というものを考えてほしいものだ。なんとかするのはコッチなんだから。

 冷たくて苦いコーヒーを口に含んだまま、残りわずかの仕上げ作業に取り掛かる。ここまでくれば、後はさほど考えることなどない。強いて挙げるならば、今日の晩御飯はどうしようか、いっそココで済ましてしまおうか、とか。そのくらいのものである。


 すっかり頭が油断しきっていたところで、突然ポケットに入れていたiPhoneが震え出した。

 何かクライアントからの追加の連絡指示か、それとも芸能界に衝撃が走る速報か、或いはソーシャルゲームのスタミナ全回復通知だろうか。いずれのどれにせよ、愛する我が端末が知らせてくれた情報ある以上、その通達は確認するが道理である。

 パパッと仕上げも終えて上書き保存、メールや連絡の内容がどうであれ、今日の業務はこれにて終了。そう決めた。もう決めたのだから揺るがない。これがノマドワーカーの良いところだ。

 そして取り出したiPhoneの画面を見る。そこには、意外な相手の名前があった。

「うわ……、サイアク……」

 すぐに席を立ち上がり、小窓のカーテンを開け、外を見つめるなりイヤな顔をした。

 連絡をしてきた相手の名は、気象庁。その用件は、おおよそ数年ぶりとなる大雪注意警報だった。

 マドカが棲むサイタマ県は、地平線が見えるほどの平地である。古くから辺りを囲う山々が気流を変えるのだとか、そもそも海に面していないということもあり、雪が降ること自体が非常に稀なのだ。故に、少しチラつくだけでも交通などは大きく乱れ、北国育ちには笑われる程度の雪量でも、あっという間に生活のほとんどが壊れてしまう。人も土地も雪に慣れていないのである。

 せっかく大変な仕事が終わったのに、まさか帰宅の面にまで苦が続くことになろうとは。今朝は軽快に転がしてきた二輪の相棒も、この雪道ではグズり駄々をこねたデカブツに他ならない。

 みるみる気が重くなって俯いて、かといってここで留まっていても帰宅が遅れるだけ。外に出たくない心と早く家に帰りたい気持ちをまぜまぜブレンドしながら、イヤがる体をゆっくり持ち上げた。


 その時である。


 隣の小窓に、何かが居た。


「おや。今、目が合いましたね。もしや私が見えるのですか? それはよかった。少しご助力を願いたい」


 その『何か』は、こちらの視線に気づいたのか、淡々とした落ち着いた声で語りかけてきた。

 真っ先に己の目と耳を疑い、すぐに目を瞑ってしばらく待ってから、もう一度そちらに向き直る。しかしそこにはやはり、『何か』がこちらの顔色を伺いながら言葉を待っていた。


「失礼、レディ。突然話しかけた無礼は詫びましょう。ですが、せめてお返事だけでも聞かせて頂けると嬉しいのですが」


「コモドドラゴンが喋っている」


 小窓に居たのは、コモドドラゴンだった。


「おや。お詳しいですね。妖怪クソデカトカゲではなくその名を口にするとは。ですが今の私はご覧の通り、カフェの小窓に半身を投げ出した状態の爬虫類。言うなればコマドドラゴンといったところでしょうか」

「コマドドラゴン」

 ノマドワーカーのマドカは小窓から覗くコモドドラゴンの言葉に戸惑った。三回言ってみよう。


「……待って、待ちなさい。インドネシアに生息するワニやカバにも似た大型爬虫類が、なぜサイタマ県のカフェの小窓に、それも人間の言葉を駆使しているのかしら」

 マドカの疑問ももっともである。というより、常人であれば卒倒するであろう胡乱な情報に殴られている。こんなもの、それこそコモドドラゴンの持つ毒のように、意識が朦朧と混濁を繰り返しやがて死に至るだろうが、しかし彼女の意識は高い。高かったのだ。故に、状況を理解すべく小窓のコモドドラゴンに説明を求めた。

「はは。それが生憎と私にもこの状況は理解し難いものでして。水牛を追う途中、足を滑らせたかと思えば、いつの間にやらこうしてココに投げ出されていたのです」

 コモドドラゴンは舌をチロチロと出しながら、マドカの質問に快く答える。こうやって舌を出すことで周囲の温度を探る生態らしい。

「………そう。では五千兆歩譲って、アナタがココに居る理由はそれで良しとしましょう。アナタにもよくわからない、という状況だというのはわかりました。……では、もう一つの方の質問です。どうして当たり前のように会話が出来ているのかしら」

「それはまた異な事をおっしゃる。こうして私が言葉を発し、貴女もまたそれを聞いて答える。会話とはそれの繰り返し、それが全てです。それとも何か、貴女はコモドドラゴンと過去に一度でも遭遇したことがあると?」

「そう問われると……、無いわね」

「でしたら、それが答えです。この世は未知と嘘と欺瞞に溢れています。都合の悪い情報は隠匿され、いつだって真実は闇に葬られる。……見たところ貴女は聡明なお方だ。目の前の薬剤師の言葉よりも、インターネットの誰かの情報を信じたりなどは致しますまい?」

「それは、……そうね」

「はい。ですので、貴女が参照すべきコモドドラゴンの情報というのも、本やネットやテレビで見て得た知識より、実際に今その五感で捉えた目の前の私であるべきなのでは無いでしょうか。むしろサイタマに雪が降っているのだって私の存在と同じかソレを上回るくらい異常事態です。つまりこれはある種のスノウマジックファンタジー? もしかしたら私も雪の精なのかもしれませんね」

 オマエのようにデカくてゴツくて不衛生な臭い精霊が居てたまるか。ブチのめすぞ。

 内心で悪態をつきながら、しかし口バトルで敗北してしまった為、マドカは色々腑に落ちないままコモドドラゴンの主張を受け入れた。

「さて。親睦も深めたところで、私のお願いを聞き受けてはもらえないでしょうか」

「そこまで深まったつもりは無いのだけれど。……なにかしら」

 コマドドラゴンは舌を伸ばし、目をくりくりと動かしながらこちらに語りかけてくる。まじまじと見てみると、名に恥じぬくらいにはドラゴンや恐竜みたいだ。どっちも見たことないけど。

「はい。端的に申し上げますと、どうにか助けて頂きたいのです。私とて田舎の喫茶店におジャマするのは本意ではありません。コモド島に帰りたいのが本音です」

「サイタマは田舎では無いわよ」

「……シティ派のイケイケ美女の貴女様が初めてなのです。私の存在に気付いてくださったのは。かれこれ二日目に突入し途方に暮れておりました。どうか無茶と承知で、その輝かしき美しい手を差し伸べては頂けないでしょうか」

「…………そこまで言われたら、まあ、仕方ないわね」

 マドカの意識は高い。故に孤高である。

 彼女は周囲から信頼や信用を受けて何かと任されることはあれど、同時に近寄りがたい高圧的なアトモスフィアを放っており、そのせいかあまり褒められ慣れていない。褒められて嬉しい、という感情自体にも若干の嫌悪があるくらいだ。

 しかし、それは所詮ただの羨望と嫉妬。実際に向けられてみるとなんてことない。実に心地の良いものである。世界はもっとお互いを褒めて高め合うべきなのだろう。コモドドラゴンのように。タダなんやし。

「ちなみに今夜中に向こうへ戻って何か食べないと、おそらく私は餓死します」

「事を急く事態のようね。私を食べたりしないでしょうね」

「友人と呼ぶにはまだおこがましいといえ、互いに言葉を交わせる関係の者をその場で食べれますか? さすがに後味が悪いでしょう。私とて地球に生きる野生動物。妖怪やモンスターじゃないんですから」

「……それも、そうね」

 何故だろう、このオオトカゲにはどうしたって言い負かされる。毒性の唾液と長い舌から繰り出される言葉が、思いのほか火力が高い。


「それで、具体的にどうしたらいいのかしら」

「そこは人間の叡智を活用すべきでしょう。ふだんから地球の支配者ヅラしてるんですから、爬虫類に指示を煽っている場合ではありません。とりあえず、『コモドドラゴン 小窓 どうしたらいい』でグーグル検索です」

「何もヒットしないと思うのだけれど」

 言われるがままキーボードを叩いて検索してみたものの、マジで何も出ない。ナショナルジオグラフィックが提供するコモドドラゴンの写真くらいのものである。なんなら『窓』や『どうしたらいい』といったワードは除外されている。流石は人間の叡智、実に他人に対して手厳しい。真冬の雪のように冷たい。

「失礼、レディ。もしやそのノートパソコンはクソザコなのでは?」

「それは失礼ではなく無礼と言うのよ。なんならスマホの検索結果も見せてあげましょうか」

 そう言ってポケットに忍ばせていたiPhoneを取り出す。すると、それを見た途端コモドドラゴンは目を見開き、舌をチロチロさせて大口を開けた。

「なんと……! その端末は人類の手にも渡っていたのですか……!」

「え、なに。コモドドラゴンもiPhoneを使うの?」

「あいふおん。そちらではそのように呼ばれているのですね。コモンドロイドのことは」

「iPhoneだっつってんだろ」

 デカくて重くて意識の低いカタマリを彷彿とさせる単語を聞いて、ノマドワーカーは大型肉食珍獣に強めの口調で毒を吐く。

 さすがのコモドドラゴンとて女の地雷は恐ろしい。これ以上余計なことを言おうものなら即座に皮を剥がされ、ベルトか財布に加工されてしまうと気圧されて、咳払いを一つしたあとに話を戻した。

「とにかく、そちらの端末があれば事態の好転は可能です。あのアプリケーションを活用すれば」

「こんな珍事態を解決できるとしたら、それこそ世界のバグだと思うのだけれど」

「そう、森羅万象解決アプリがあれば……!」

「そんなアプリあるのね」

 タチの悪い冗談だと思っていたら、マジであった。しかも無料アプリ。

 さっそく入手して開いてみると、「どのような問題ですか?」というアナウンスの下にワード入力ボックスがあったので、『コモドドラゴン 小窓 どうしたらいい』と入力して、アプリの応答を待った。長いローディングが始まった。きっと混乱しているのだろう。

「フウ、お手数をお掛けしましたレディ、感謝します。これで私もどうにかなりそうです。早くコモド島に帰って鹿肉など食べたいですね」

「あ」

「如何しました、レディ」

「バッテリーが切れそうだわ」

 一人と一匹が画面の右上を見ると、既に赤色二パーセント。お互いに顔を見合わせると、コモドドラゴンは粘性の唾液を滴らせながら溜息を吐いた。

「レディ……。これの機種は?」

「iPhone7……、s?」

「ハァーーー……、何年前の骨董品ですか。そんなものティラノサウルスだって忘れてますよ。どうせバッテリー膨れ上がって半日で二十パーセントとかになるでしょう? 寿命なんですよそれ」

「う……、し、仕方ないでしょう。だってproは高いし、カメラ機能なんてそもそもあんまり使わないし、何より今のケースがお気に入りなの。あとホームボタンも欲しいし……」

「それ、全部SEで大丈夫ですよ……。ケースのサイズも同じですしホームボタンもあります」

「え……、知らなかった」

 意識高い系女はコモドドラゴンにガジェット知識ですら敗北し項垂れた。こうしている間にも手元の端末は悲鳴を上げながら珍事態への対処方法を演算している。

「とにかく祈りましょう。画面が切り替わるまで保ってくれることを」

「そうね。意外と一パーセントから長いのよ。根性あるのよ、この子」

 一人と一匹は薄暗くなった画面をじっと見つめ、固唾を飲んで見守る。灰色のバーがちびちびと伸び、小さなサークルはぐるぐる回る。

 そして一瞬のホワイトアウト。その後すぐに解決策がずらっと書き連ねられた。

「来た!」

「けどながい!」

 アプリが示し、そこに書かれていたその手順、工程にしておよそ八項目。中には右回転を三回、左回転を四回などややこしい部分も多々見受けられる。

「あっ」

「あっ」

 そしてお決まりのブラックアウト。電源ボタンを押してみても、おなじみの空っぽ電池の図形が表示されるのみ。

「これは、詰みですね……。レディ、お付き合い頂きありがとうございました。この魂が冥府へ下ったとしても、貴女との思い出は輝かしいモノになるでしょう……」

 コモドドラゴンは目を瞑り、首をもたげてぐったりと項垂れる。これまでは見栄を張って我慢をしていたのだろう。或いは、希望に縋って力を振り絞っていたのかもしれない。それらが失われた今、緊張も解けて諦めモードに入ってしまっているようだ。トカゲというのはいっつもそう。イヌネコに比べて「はいはいもう自分死ぬんでいいです、ほっといてください」くらい愛想がない。


「……フ。生への執着心が薄いわね爬虫類。そんなだから、アナタ達は地球の支配者足り得ないのです」


 マドカはコモドドラゴンの小窓の周囲を指でなぞりながら、不敵に笑みを浮かべて呟いた。

 彼女は意識が高い。故に、速読やナナメ読みといった特殊技能の習得とて事欠かない。およそ八項目など、数十秒目を通せば全容を把握するくらい造作もないコトである。

「どうやら、概要を把握するに、この小窓が特殊な魔力を受けた影響で、異界を繋ぐゲートとしての役割を持ってしまったようね。そしてその魔力とは……、おそらくこの雪」

「レディ……、貴女はいったい……?」

 戸惑うコモドドラゴンの背に手を置き、そのまま滑らせるように窓の外へ突っ込む。大雪の降る外とは思えない、“ぐにゃり”とした生温かい質感が手に伝わり、思わず身をよじらせる。

「……っ、これが、その源流というヤツかしら。この乱れたソースコードを正せば、正常に動作するということね。なんだ、いつもの仕事と同じじゃない」

 右に四回転、左に三回転。儀式的な施術も既に済ませ、外の大雪が自分に足りない魔力を補ってくれる。コモド島の沼地とサイタマのカフェの小窓、二つの間に挟まれたこのオオトカゲをうっかり切断しないように、外的要因を除去しながらバグの修復を続けていく。

 そのままどのくらいの時間が経っただろう、数十分かもしれないし、数時間だったかもわからない。癒しを求めて来たはずの現場で、集中しながら作業を続けていた。

「……よし。できた。おまたせ、たぶん出来たわよ爬虫類。あとは実行キーを入力するだけ」

 そして、準備は完了した。マニュアル通りに行えば問題ないと言う事態なら、ノマドワーカーの右に出るものは居ない。彼女は口角を上げて、自信に満ちた顔で言い放った。

「……おどろきました。滂沱の限りでございます。本当にありがとうございます、レディ」

「ええ。どういたしましてトカゲ紳士。そっちで美味しい腐肉でもたんと食べなさい」

 一人と一匹は、お互いに穏やかな表情で見つめ合って笑う。そこには寒い雪なんて忘れてしまうほど、ほっこりとした暖かい空気が満ちていた。

「……ちょっとの間だったけど、楽しかったわ。きっとアナタのことは一生忘れない」

「こちらこそ。貴女と出逢えた奇跡に感謝と喜びを。いつかお返しが出来れば良いですね」

「ええ。その時を楽しみにしているわ」

 言いながら、マドカは最後の実行キーを入力して動作を開始する。小窓の淵は光を放ち、微かに振動を始めた。ゲートとしての役割を放棄し、ただの小窓に戻ろうとしているのだろう。

「それじゃあ、さよなら。コモドドラゴン」

「はい。また会う日まで。……最後に、一ついいですか?」

「何かしら?」

「……最初にしたコマンド入力の回転数、逆じゃありませんでした?」

「え?」

 小窓は震えてますます輝きを増し、その次の瞬間、一際強い光の後に、コモドドラゴンの下半身がずるりと投げ出された。

「…………」

「…………」

 

 二匹と一匹はまたも見つめ合い、気まずい空気を呑み込んだまま、しばらく沈黙した。


「とりあえず、鹿肉の食べられるお店でも行きましょうか……」

「…………いえ、レディ。まずはケータイショップです」

「…………それも、そうね」


 この日の晩を境に、マドカの持つ端末はiPhone Xになった。仮想ホームボタンが気に入ったのだ。

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