第32話(尖塔の住人④)16歳
「アイカの専攻って何だっけ」
わたしがあれこれ質問した後で、アレクシスが逆に聞いた。
「魔法書誌学にするつもり」
「あぁ、魔法に関する文献を扱う学問か」
それはいろいろ考えた末の結論だ。わたしにはふさわしいテーマだと思っている。もともと本が好きということもあるが、それだけじゃない。わたしの仇敵である「終幕の魔法使い」の謎を解く鍵が、古い文献のどこかにあるんじゃないか。そんな思いもあった。
さて、帝都の魔法学校において、研究生は学生と違って必修や単位がない。どの授業に出てもいいし、出なくてもいい。希望すればゼミも受講できる。
ずいぶん気楽な立場だが、その代わり、決まった数の論文を提出する必要がある。研究生の中には教授の助手となり、やがて教授の研究を受け継ぐケースもあるようだ。
「それで、アイカのゼミは決まったの?」
「うん。神話論っていうゼミを選んだわ」
神話論は魔法書誌学とも関係が深い。わたしは女神ノルンがこの世を一度滅ぼしたとされる創世神話についてゼミで学びたいと思っていた。ウルスラに願書の不備を指摘されたので、認めてもらえないかと心配していたが、希望はあっさりと通った。
わたしのその答えに、アレクシスとキーラが顔を見合わせる。
「どうしたの?」
アレクシスが頭をかく。
「うーん、学生と研究生とでは、勝手が違うかもしれないけどなぁ。研究生には単位は関係ないし」
「どういうこと?」
「あのね、そのゼミは、学生の間では『入ってはいけない』と言われている、いわゆるハズレのゼミなのさ」
「ふうん、何がハズレなの?」
「うん、まず教授が偏屈な人でね。研究室に四六時中閉じこもっていて。まともに話をしないんだ。そのくせ課題がやたら難解で、古代語の文献を延々と解読させられるんだよ。何より問題なのは、評価が厳しいから、いくら頑張っても単位がもらえないらしいんだ」
「へぇ、すっごく、面白そう」
「あれ」
「いまの話を聞いて、がぜん興味がわいてきたわ。古代語の解読もやってみたかったし」
「あぁ、なるほど。アイカには合っているかもしれないな」
「わたしもそう思う。アイカのことが分かってきた気がする」
そう言ってキーラも笑った。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
ひとしきりカフェテリアで話した後、わたしたちは尖塔に戻ることにした。アレクシスとキーラも一緒だ。二人とも今日やることは新年度の履修準備くらいで、時間に余裕があるらしい。そこで、研究室の片付けを手伝ってもらうことにした。これで何とか来週に間に合いそうだ。
歩きながらキーラと話す。
「ねぇ、アイカって、妹でしょう。上にお兄さんかお姉さんがいるんじゃない?」
「うん、まぁ、そうなるかな」
「やっぱりね。アイカって、何だか妹みたいな気がするもの。不思議とお世話を焼きたくなっちゃうんだよね」
わたしは自分のことは何でも一人でできるつもりでいた。だが、他人から見ると、そうではないらしい。
「言われてみたら、わたし、まわりに助けられてばかりかも」
「ふっふっふ。アイカ、わたしのことはキーラ姉さんと呼んでくれてもいいわよ」
「キーラ姉さん、僕の履修届を書くのを手伝ってくれないかな」
「アレクシス、あなたには言ってないから」
尖塔まで戻り、玄関からロビーに入る。
そのとき、空気が震える音がした。
強烈な魔力の波動だ。上方から急速に接近してくる。
わたしは時間をとめる。それからアレクシスとキーラの首元を両手でつかみ、二人を引き倒して壁際まで引っ張ると、腰に差していた杖を抜いた。
時間を戻す。
「うわ、何だ?」
「痛っ」
アレクシスとキーラが悲鳴を上げた。
「二人ともごめんね! 何がが来るわ」
尖塔の中央の吹き抜けだ。
次の瞬間、吹き抜けの上から物体が降りてきて、ロビーに着地した。いや、着地なんていう穏やかなものじゃない。墜落という表現が近い。
地響きで尖塔が揺れた。土煙とほこりで前が見えない。
わたしたち三人は唖然としてロビーの中央を見つめる。やがて土煙の中から、人間のかたちをしたものが現れた。
何だあれは。
身長は三メートル位もあり、兜と甲冑を被っている。
しかも肩には人間が腰かけていた。小柄な少女だ。
わたしは予想外の相手を前に、どうしたものか判断しかねた。
そのとき、アレクシスが「あーあ」と声を上げた。「勘弁してよ、オルガ。心臓がとまるかと思ったよ」
少女が甲冑の肩からロビーに飛び降りた。
「すまないな。こいつはさっき創ったばかりで、まだうまく制御できてないんだ」
絶句しているわたしを見て、キーラがそっと耳打ちした。
「あれは研究生のオルガ・ヤニスだよ。『人形遣い』って呼ばれている問題児でね。アイカと同じフロアにいるはず」
そうか。ウルスラが言っていた個性的な魔法使いは、おそらくこの少女だ。
「あれは魔法で動いているの?」
思わず疑問を口にしたわたしに、オルガが答えた。
「そうだ。これは魔法で自律駆動する人形だ」
オルガが人形に手招きをする。人形がゆっくりと動いて、彼女の前にひざまずいた。
後になってキーラは、そのときのわたしの対応について「あんなキラキラした目で見たらダメだよ。オルガが調子にのってしまうから」と評した。
実際、わたしはその人形に衝撃を受けていたのだ。ほぼフルアーマーの甲冑をまとっていたが、その下はどういう構造をしているのだろう。
オルガはわたしやキーラよりも小柄で、一見すると中等科の学生のようにも見える。サラサラの銀髪にくっきりした目鼻立ちで、むしろ本人が人形のようだ。
「人間を魔法で複製することは、魔法使いが目指す真理の高みのひとつだ。この人形はその為の足がかりなんだ」
「オルガ、それはいいけど、実験で尖塔を壊さないでね」
アレクシスがそう言ったとき、上方から新たな魔法の波動を感じた。
見上げると、今度は男が降りてきた。飛行魔法だ。見事な魔力制御でゆっくりとロビーに降りる。わたしには真似できない技だ。そして降りるなり、「オルガ!」と声を荒げた。
「てめえ、またやりやがったな! 俺の安らぎの時間を騒音でかき乱しやがって。尖塔でゴーレムを動かすなって、何度言えばわかるんだ」
男の言葉は口汚いが、その外見は天使のように美しい。ブロンドの巻毛に、灰色の瞳が目をひく。
「うわ、またややこしい先輩が来たよ」
キーラがつぶやいた。
「あれも、研究生なの?」
「うん、名前はマルコ・コッコ。かなり特殊な魔法使いだよ。あれもアイカと同じフロアの住人だね」
オルガがマルコに反論した。
「失礼な。ゴーレムじゃない。
マルコが嘲笑する。
「どうせ泥人形だろ?」
魔力がロビーに充溢した。
マルコが人形に向かって手を突き出す。その途端、人形が甲冑ごと床に崩れ落ちた。金属が見る間に錆びてボロボロになる。
「腐食魔法? あんなの見たことがない」
感心するわたしの横で、オルガが怒りの声を発した。
「マルコ、よくもわたしの人形に手をかけたな!」
オルガが呪文を唱えると、一度は崩れた人形が再び起き上がり、人間の形になる。
「ほら見ろ、やっぱり泥人形じゃねえか」
悪態をつくマルコに、オルガの人形が殴りかかった。マルコが身を翻して避け、人形の腕が空を切る。
キーラがわたしの腕をつかんだ。
「ほら、いまのうちにはやく立ち去ろう」
アレクシスが昇降機で呼んでいる。
「アイカ、こっちだ!」
「え、でも、戦いの行方を見たいのに」
「さぁ、早く。あんなのに巻き込まれたら大怪我するから!」
キーラとアレクシスがわたしを昇降機に引っ張り込んだ。
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