第28話(幕間 最初の戦いの後)14歳

「いい面構えになったな」

 ヴィルマがわたしを見て微笑んだ。


 馬車で野盗に遭遇した直後のことだ。


 わたしは顔の右側が腫れ上がっていた。野盗に投げられて馬車に激突した時に打ったのだ。片目が開かない。おまけに蹴り上げられた腹も痛くて、表情が歪んでいた。


「笑いごとじゃないよ」

 わたしは声を絞り出した。

「すまない。からかうつもりはなかった」

 ヴィルマが釈明する。「最近は政情が不安定なせいか、郊外でタチの悪い連中が増えているんだ。命があってよかった」とも。


 幸いヴィルマに回復魔法をかけてもらったので、傷と痛みはすぐに治った。今回の一件は「ソフィアとヨナスには内緒にしよう」と心に決めた。あの二人が知ったら、レイン領からの外出禁止令を言い渡されそうだ。


 わたしは最近、一年の三分の一くらいを帝都で過ごすようになっていた。


 帝都にはレイン家が保有する屋敷がある。そこを拠点に、自分なりに魔法について学んだり、調べたりした。サーリネン邸にも頻繁に顔を出したし、自分で回復薬ポーションなどを精製することもあった。


 レイン領でアルマに教わるのとはまた違った刺激がある。わたしは帝都で滞在する時間の大半を魔法の鍛錬にあてた。たまに街を散策することもあったが、ほぼ魔法一色の生活だった。


 時間魔法について言えば、時間停止を使いこなすことが喫緊の課題だった。瞬時に発動できるようにしないと実戦で役に立たない。「息をとめている間だけ」という制限も克服しないとダメだ。野盗との戦いで痛感した。


 手数を増やすことも考えなくてはならない。時間魔法にも様々なバリエーションがあるのだが、難易度が高いため、習得するのは至難の業だった。


「いっそ時間魔法以外の魔法を身につけてもいいんじゃないか」

 四苦八苦しているわたしを見て、ヴィルマがそう言った。


 わたしは四大属性持ちでありながら、それを生かしきれていない。確かに、火属性や水属性の魔法がもっと使えるようになれば、手数は格段に増えるだろう。


 だが、考えた末に、それは見合わせた。「二兎を追う者は一兎をも得ず」だ。わたしはやはり時間魔法に集中することにした。


 気がつくと、朝から晩まで魔法のことを考えている。


 このころからだ。

 魔法が自分のものになってきたのは。


 アルマからは、時間操作を応用した回復などの技も学んだ。鍛錬の合間には、アルマやヴィルマと議論し、実戦を想定した段取りを考えた。


 しかし、成果が出始めているはずなのに、達成感がまるでなかった。いくら学んでも、いくら身につけても、心が落ち着くことがないのだ。


 わたしは魔法という底無し沼のような世界に、いつしか取り憑かれていた。


「アイカは、変わったな」

 そう言ったのは、アルマだ。

 わたしは最初、褒め言葉だと思っていたが、そうではなかった。アルマは「自分を見失うなよ」と釘をさしたのだった。


 はっきりと思い知ったのは、ソフィアの一言だ。

「アイカ、さいきん、別人になったみたい」

 わたしはソフィアの目に、わたしという魔法使いへの恐れを読みとった。

「そんなことないよ」

 わたしは何でもない風を装ったが、内心では動揺していた。


 わたしは不器用なのだ。

 あれもこれもできる性質ではない。


 子供のころは魔法になぞ見向きもしなかった。今はその逆だ。魔法しか見えない。魔法以外のことが、だんだんおろそかになってきている。


 心には常に焦りがある。

 何かに追い立てられているようで、気が休まることがない。


 わたしはある日、またも帝都に出てきた。ヨナスから借り受けた護衛つきの馬車で。

 帝都に来れば、糸口が見つかるかもしれない。そんな根拠のない期待にすがっていた。


 屋敷に荷物を置くと、旅装のまま、まっすぐにヴィルマを訪ねた。


 彼女は不在だった。帰ってくるまで待とうと思ったが、すっかり顔見知りになったヴィルマの侍女が「数日は戻ってこない」と申し訳なさそうに話した。

 仕方がない。出直そうとしたところで、「アイカ」と声をかけられた。


 レオだった。


「ヴィルマに用事か。隣国に出かけているから、当分は戻ってこないぞ」

「うん。いま聞いたよ」

「何か困ったことがあるなら、俺が聞こうか」

 レオには独特の気さくな人懐っこさがある。


 もっとも、これまでの付き合いで分かっているのだが、ヴィルマが論理的なのに対して、レオは感覚的だ。彼の話はこれまであまり参考になったことがない。「気合いで乗り切る」といった要素が多く、わたしとは価値観が違う。


 それでも、この日はレオに勧められるまま、円卓を囲んだ。わたしは藁にもすがりたい気持ちになっていた。


「レオ、ちょっと聞きたいんだけど」

「いいぞ、どうした?」

「わたしに足りないものって、何かな」

「そうだなぁ。もうちょっと身なりに気を使った方がいいんじゃないか」

「いや、それはそうかもしれないけど。魔法の話だよ」


 ちなみにレオはガサツなように見えて、けっこうお洒落だ。いまも髪飾りや耳飾りをつけて、香油まで塗っている。エキゾチックな容姿も相まって、帝都のご婦人方には大層な人気だそうだ。


「魔法の話か。そうだな、そりゃ攻撃力だろ」

 レオは即答した。

 それはわたしも自覚があった。

「やっぱり攻撃力だよね。じゃあ、どうすればいいと思う?」

「魔法よりも剣を鍛錬しろ」

 これも即答だ。

 予想された答えだが、一理なくはない。


 レオから剣を教わったことがある。

 とにかく繰り返し素振りをさせられて閉口した。手の豆が潰れて、皮膚がカチカチになるまで。それはそれで意味があると思うのだが、わたしには続けられなかった。


「あえて魔法についていえば、どうかな」

「ふうむ」


 レオの視線が鋭くなる。

 周囲の空気が一瞬で変わり、わたしは寒気がした。

「アイカ、いま俺が斬りかかったらどうする?」

「逃げる」

「ダメだ。俺の方が速い」

「うっ」


「アイカはとにかく距離をとるしかない。そして斬られる前に魔法を使うしかない。逆に俺は、お前に時間停止を発動されたらお終いだ」

「どうやって、距離をとればいいんだろう」

 わたしは考える。即座に逃げるにはどうすればいいか。身体強化の魔法が使えたら、反応速度を高められそうだ。いや、そもそも時間停止を瞬時に発動したい——。


 考え込んだわたしを見て、レオが吹き出した。

「笑うことないでしょ」

「ははは、あまりにも真剣に悩んでいるから。あぁ、もしも俺がお前なら、取るべき方法はひとつしかない」

「え、それは何?」

「誰かに手伝ってもらう」


 わたしは唖然としてレオを見つめた。

 レオは大真面目だ。

「アイカ、どうした。聞こえなかったのか」


「誰かに、手伝ってもらう?」

「そうだ。自分に出来ないことは代わりにやってもらえばいい。誰かに攻撃をとめてもらうんだ。例えば、接近戦が得意なパートナーがいたら、それだけで時間が稼げるだろう?」

 レオは何のてらいもなく、そう言った。


 わたしは立ち上がった。


「帰るのか?」

「うん、帰る」

「またいつでも来い」

「うん、レオ、あの」

「何だ?」

「ありがとう」

 レオは黙って手を振った。


 あぁ、わたしは未熟だな。

 つくづくそう思った。


 わたしには柔軟な思考が欠けている。

 それから誰かの手を借りる発想も。

 何もかも一人で抱え込めるほど、わたしは大した人間ではないのに。

 大切なことは、自分の弱さを受け入れ、そのうえで最善の選択をすることだ。


 学ぶことはたくさんある。わたしは身震いしながら、気持ちの高ぶりも感じていた。





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