第29話(尖塔の住人①)16歳

 さて、どうしたものか。

 わたしは室内の惨状にお手上げの状態だった。扉から窓際まで、足の踏み場もないほど物が散乱している。大半は持ち込んだ本だ。


 決して狭い部屋ではない。高い天井と大きなガラス窓からの採光が心地良い。重厚な机とソファ、窓辺には寝椅子もある。


 ここはわたしの研究室だ。先週に引っ越してきたのだが、荷物がいっこうに片付かない。来週からカリキュラムが始まるのに、それまでに片付くとは到底思えなかった。


「アイカには無理だと思う。身の回りのこととか、人付き合いとか」

 ソフィアはわたしの門出を泣きながら見送った際に、そう指摘した。その言葉が早くも的中している。


 わたしは先日、魔法学校に入学した。


 帝都にある国立魔法学校の教育課程は、中等科が五年間、高等科が六年間だ。高等科の基準年齢は13歳から18歳だから、本当はそこに編入したかった。


 だが、ヴィルマからは「辞めた方がいい」と反対された。いわく「アイカは魔法の基礎が身に付いていない。帝都の魔法学校は水準が高いから、授業について行けない。そもそも編入試験に受からないだろう」。


 そこまではっきり言われると、わたしもさすがに落ち込んだ。でも諦めきれない。


 わたしは魔法学校で同世代の学生らと切磋琢磨したかったのだ。かつてイーダがそうしたように。そして、できれば魔法使いの友人がほしいと思っていた。


 そんなわたしにヴィルマが窮余の一策を思いついた。魔法学校には高等科の上に専科がある。研究生が学ぶ専門課程だ。「専科なら推薦で入れるかもしれない。専門に特化していて、あれもこれも学ぶ必要がないから、アイカに向いている」。それは魅力的な提案だった。


 しかもヴィルマはルーカスの推薦をもらってきた。ルーカスに借りはつくりたくないが、今回は有難く頂くことにした。


「前代未聞だわ」

 入学前、魔法学校の事務室で、わたしの願書を見た庶務担当の女性が天を仰いだ。

 彼女はウルスラという名で、まだ若い。「ルーカス殿下の推薦は珍しくありません。あの方は、ちょっと変わった魔法使いを好んで登用する傾向がありますからね。でも、こんな願書は見たことがありませんよ」


「そうでしょうか」

「そうですとも」

 ウルスラの声が興奮で上ずっている。眼鏡を直す仕草が少しヨナスに似ている。


「だって、アイカさん。あなたの願書、ほぼ白紙じゃないですか。学歴がないのは仕方がないとしても。魔法の属性も、師匠も、これまでに習得した魔法も、全て『秘密』って、あり得ないでしょう!」

 その指摘はもっともだと思うが、ここは押し通すことにした。

「それは推薦者の意向もありまして。わたしの魔法は、学内では公にしないことになっているんです」


 ウルスラは不満そうだったが、最終的には渋々納得した。

「仕方ないですね。アイカさんは希望するゼミがあるようですが、願書が不十分だと教授が認めてくれないかもしれませんよ。後で文句を言わないで下さいね」

「承知しました」

「あなたは栄誉ある『尖塔せんとうの住人』になるのですから。自覚を持ってください」

「尖塔の住人、ですか?」


 不思議そうに聞き返すわたしに、ウルスラが窓の外を示した。広大な敷地に校舎が並んでいる。多くは中世から使われている、石造りの建物だ。その一番奥に、高い尖塔があった。


「魔法学校は教育機関であると同時に研究機関でもあるのです。帝国全土から優秀な魔法使いが集い、真理の追究を続けています。研究棟でもある尖塔はその象徴で、学生は『尖塔の住人』と呼ばれているんです」


 尖塔の住人か。何だか不思議な響きだ。

 これからここで過ごすのだ。かつてイーダやヴィルマらも学んだ、この学舎で。


 それからウルスラはいくつか注意事項を並べた。「学内は自主自律が基本で、トラブルは自分で解決する」「必要があれば助手や侍女を雇っても構わない」などだ。


 さて、わたしはこの日、朝から部屋の整理をしていたが、昼前には疲れてしまい寝椅子で本を読んでいた。

 本はレイン家の図書室から持ち込んだものだ。研究の役に立ちそうな文献もあれば、役に立ちそうもない物語の類もある。


 そろそろお腹もすいてきた。気分転換に昼食にでも出かけよう。

 そう思ったとき、人の気配に気づいた。扉の隙間から何者かがのぞいている。


 わたしは即座に時間を停止した。


 短剣は常に携帯している。

 それに、服の下には特殊な蜘蛛糸で編んだ下着を身につけていた。魔法と物理攻撃の双方に耐性がある、とても高価なアイテムだ。

 わたしはさらにメイスを手にすると、扉を開けた。


 若い男だ。室内をのぞきこんだ姿勢のまま停止していた。縮れたブラウンヘアーにメガネをかけ、武器は持っていない。念のためメガネを外して調べたが、魔道具ではない。ただのメガネだ。ヘーゼルの瞳が美しい、少年のような風貌だ。


 わたしは彼を部屋の中に蹴り倒し、その後でメガネを顔にかけてやった。


 時の流れを戻す。


 最初のうち、彼は自分がなぜ室内に倒れているか分からなかったようだ。ボンヤリとあたりを見回している。


「わたしの部屋で何をしているのですか」

 声をかけると慌てて立ち上がった。

「うわ、すみません! ごめんなさい!」

「なぜ部屋をのぞいていたのですか。理由を言いなさい」

「えっと、それは……」

 彼は顔を真っ赤にして口ごもる。


 わたしは杖を突きつけた。

「これは相手に自白させる魔法の杖です。ただし自白した人はショックで頭がおかしくなってしまいます。使ってもいいですか」

 もちろん、口から出まかせだ。

 彼は本気にして焦った。

「ひっ、それは困る。言います言います! 最近、専科にすごくきれいな子が入ってきたって、クラスで噂になっていたので。ちょっと見に来ただけなんです」


「それって、わたしのこと?」

「そうですそうです」

 首を縦に何度も振る。

「噂になっていたなんて。確かに、わたしはすごくきれいだけど」

「あ、自分で言うんだ」

「もっと目立たないようにしなきゃ。あなた、名前と学年と年齢は?」

「アレクシス・ラウリです。高等科4年生。16歳です」


「ふうん、わたしが入れなかった高等科か。まぁ、全然気にしてないけど」

「なんのこと?」

「いや、こっちの話。わたしと同い歳なのね。それにしても、のぞきが趣味って、あまり人には誇れない嗜好だよね」

「いやいや、違うから! 趣味じゃないから! っていうか、君って16歳の若さで専科の研究生なんだ。すごいね」

「えっと、年齢はあまり関係ないと思うわ」

「それもそうか。うちのクラスにも飛び級で上がって来ている子がいるから」


 ひとまず敵ではなさそうだ。

「よし、アレク。同い歳なら丁度いい。いまから校内を案内しなよ」

「え、いきなり愛称で呼ぶんだ?」

「それから昼食でもご馳走になりながら、もう少しアレクのことを事情聴取しよう」

「別に構わないけどさ。君って、何だか不思議な距離感の人だね」


 このときは想像もしていなかったが、アレクシスは後にルーカスの側近となる。奇縁というか、彼とはこの先、長い付き合いになる。


 わたしの初めての学生生活は、こんな風に始まった。





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