第19話(幕間 ドレスと石弓)19歳

 その日、わたしは珍しく、貴族の令嬢のようなドレスを着ていた。上半身がぴったりとして、スカートはふわりと足首まで長い、ブルーグレーのフォーマルなデザインだ。


 いや、実際に貴族の令嬢なのだけど。最近はそういう世界から遠ざかっていて、ドレスを着るのは久しぶりだった。


 わたしの向かいでは、ヘルミがこれまた珍しくドレスを着ている。ペパーミントグリーンの生地が華やかだ。彼女とこうして円卓を囲んでいると、殺伐とした日常との違いに、何だか妙な気持ちになる。


 ここは帝都でも指折りの高級レストランだ。客層は貴族のみ。最近人気の店で、昼だというのに、夜会のように賑わっている。


「アイカさま、ドレス、とってもきれいです。その色にして正解でした。わたしの見立て通り、黒髪に映えますね」


「ありがとう。でも、髪が短くて貴族らしくないし。やたらと視線を感じるんだけど。似合わなくて浮いているのかも」


「そういう不粋な視線は無視していいです。アイカさまに声をかけてくる男がいたら、わたしが応対しますから。むしろ誰とも話さないでくださいね」


「ヘルミが一緒で助かるわ。やっぱりいつものマントを着てくるべきだったかな」


「駄目に決まっているじゃないですか。マントを着て食事している山賊みたいな人、ここには居ませんから」


 ヘルミに、日ごろお世話になっている御礼として、ご馳走しようとしたのだ。それがなぜかこんなことになっている。


 わたしはドレスは着たくないと言い張ったのだが、ヘルミが強引にコーディネートした。「お金はわたしが出します」と言われ、コートや馬車まで準備された。本末転倒だが、彼女が喜んでいるなら、まぁ、よかったのだろうか。


 食事はクラシックなノール料理で、とても美味しかった。特にサーモンのパイが気に入った。サービスも素晴らしい。


 帝都では決して貴族だけが幅をきかせているわけではない。商人や聖職者も多い。だが、こういうところに来ると、やはり貴族は特別なのだと思わざるを得ない。


 デザートにベリーのケーキを食べたあと、ヘルミがナプキンで口元を拭きながら言った。


「アイカさま、お気づきかと思いますけど」

「ええ、ホールに三人、妙なのが居るわね」


「やはり、アイカさま位になると、どこかで知らず知らずに恨みを買っているのでしょうかね」

「あら、わたしとは限らないんじゃない? ヘルミに恨みがある連中かもよ」


「いえいえ、最近のわたしは、そんなに、おいたはしていませんから」

「通りがかりの人さらいかもね。ヘルミ、あなたは可愛いから、狙われているのかも」


「えっと、もう一回、言ってくれますか」

「通りがかりの人さらいかもね」

「いえ、その後です」

「あなたは可愛いから、狙われているのかも」

「えっと、どこがどう可愛いのか、詳しく言ってもらえますか。できればわたしの目を見ながら」


 ヘルミがわたしの方に身を乗り出してきたとき、ホールに風を切る音が響いた。


 石弓だ。


 わたしはとっさに時間の進み方を遅くし、矢の軌道を目で追う。誰かに刺さりそうなら止めるつもりだったが、壁を狙ったものだった。問題はないと判断し、時間を元に戻す。


「室内で何て馬鹿なことを」

「アイカさま、射手を拘束しますか?」

 ヘルミの顔つきが戦闘態勢に変わる。


 彼女、ヘルミ・ヴィルタネンの本職は、こう見えて魔法使いだ。それも17歳の若さで宮廷魔法師団のエースに上りつめた天才で、高位魔法使ハイランダーいの称号を持つ。


 わたしの世話係をさせるのはもったいないのだが、本人が是が非でもというので、身の回りのことを任せている。


「ちょっと様子をみよう」

 もしも広間の貴族らに何かあれば、時間魔法で何とか(なかったことに)しようとわたしは決意する。


 再び矢が放たれ、壁に突き刺さる。その頃には店内にざわめきが広がっていた。


 客の中から三人が立ちあがる。そのうち一人が声を張り上げた。

「ごきげんよう、特権階級の皆さん。戦争準備で国民が窮迫しているのに、マダムらは昼から贅沢三昧、いい御身分ですなぁ」


 あちこちで悲鳴が上がる。

 帝都では石弓を持ち歩くのは禁止だ。それだけで処罰の対象になるのに、あろうことか矢を放った。


 店内は女性客が大半だ。皇族や高官はいない。それは入店時に確認済みだ。ホールや厨房にも怪しいところはなかった。


「さぁ、テーブルの上に金目のものを出すんだ。そうだ。宝石も外すんだ。我々にも施しをしてもらおう」


 三人の男らが呼びかけ、金品を巻き上げようとしている。あまりに短絡的で粗暴な犯行で、わたしは唖然とした。


 とはいえ、街中の高級店というのは、盲点だったかもしれない。貴族らは無粋な護衛も連れていないし、短時間で金品を奪って逃げおおせれば、効率よく稼げる気もする。貴族にも強烈な打撃を与えられる。


「アイカさま、魔力を感じますね」

「あの真ん中のやつね。注意しないと」


 わたしとヘルミはひそひそ話を続ける。

 彼らは言動から察するに反貴族の活動家で、貴族に変装して紛れたらしい。そして、彼らからは魔力を感じないが、彼らの石弓のひとつから魔力を感じた。


 だんだんざわめきが大きくなる。

 女性客のひとりがパニックになり、悲鳴を上げた。

 潮時だ。


「ヘルミ、鎮圧しよう。名乗りを」

 ヘルミが円卓にひらりと立ち上がった。さっきまでのドレスが魔法使いのローブに変わっている。

「宮廷魔法師団だ。武器を捨てて投降しろ」


 おそらく、これで客は落ち着きを取り戻すだろう。

 ヘルミのローブは正装で、銀色の特徴的なデザインだ。帝都で宮廷魔法師団ローブ・オブ・ローブスを知らぬ者はいない。


「ちっ、魔法使いか! しかも宮廷の犬かよ」

 男らは投降する気はないようだ。ヘルミに向けて石弓を構え、発射した。


「そうこなくっちゃ」

 ヘルミが両手に短剣を構えた。スカートの下に仕込んでいたらしい。彼女は風属性の魔法使いだが、風の刃の魔力を剣に付与させて戦う、超近接型の戦闘スタイルだ。


 ヘルミは石弓から放たれた矢をたやすく剣で打ち落とすと、一瞬で射手に肉薄し、両手両足のけんを正確に断ち切った。

 次の瞬間にはホールの反対側にいた別の男に迫り、同じように両手両足を切った。この間、2秒もかかっていない。風の魔力を移動にも使っている。相変わらずの技の切れ味だ。


 最後の一人は、例の石弓を持っていた。


「こっちだ」

 わたしもローブ姿になって、円卓に立ち上がった。最後の男がわたしに石弓を向けて発射した。


「ああっ、ちょっと!」

 ヘルミがホールの端から悲鳴をあげる。獲物を取られたせいかと思ったが、違った。

「何でローブに着替えたんですか。せっかくきれいだったのに!」


 ヘルミの声をよそに、わたしは時間操作の効果でゆっくりと飛んでくる矢を観察する。やはり、この石弓の矢だけは特別だ。おそらく、標的に当たると魔力で爆散し、広範な被害が出るだろう。


 ふと、かつて乗合馬車で野盗に襲われたことを思い出す。あのときは息をとめている間しか時間停止が出来なかった。いまは長時間でも平気だ。そして、あのときは出来なかったが、時間魔法をかけている状態から別の魔法を発動する、「魔法の二重がけ」も可能だ。


 わたしは矢を時間と空間のはざまに転移させることにした。左手の平で転移魔法のゲートを開き、矢を空中で握りこんだ。


 時間を動かす。


 矢の威力を確認するために爆破と紙一重で転移させたのだが、左手が傷ついてしまった。だが問題ない。左手だけ時間を巻き戻して、ケガをする前の状態にした。


 ヘルミが最後の一人を拘束し、激しく打ちのめしている。


「ヘルミ、もういいから」

「アイカさまを傷つけた愚挙は許せません。こいつは肉片になっても手がかりには十分でしょう」

「いやいや、やめて。わたしは傷ついていないし、命のある状態で当局の調べに回そう」


 どのみち、厳罰は免れまい。


 その後の調べで分かったのだが、男たちは活動家としては大物ではなく、とるにたらないならず者だった。

 石弓のひとつは、かなり強力で精緻な魔道具であることがわかった。なぜそんな魔道具を、こんな連中が持っていたのか。腑に落ちない謎が残った。


 そしてわたしはヘルミから、もう一度ドレスで一緒に出かけることを求められている。


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