第17話(時の魔女④)11歳

「魔力は属性によって性質が違うんだ。水と火では、体内での魔力の流れ方も、熱量も、大きく異なる」


 アルマはそう言うが、わたしにはそこまで分からない。気を緩めると暴走しそうになる四つの魔力の流れをひたすら抑えつけるので精一杯だ。


「アイカ、魔力を絶えず循環させる感覚を忘れるな」


 わたしの両手の甲と掌に、四つの紋章が浮かぶ。紋章はそのまま宙に広がり、わたしの周囲に四つの魔法陣が展開した。


「魔法陣は魔力を魔法に昇華する増幅器であり、自分と外界とを結ぶ窓でもある。魔力を通じて、世界とつながるんだ」


 魔法陣の展開とともに、わたしの中の魔力がさらに高まる。

 周囲に放電が発生し、火花が散った。

 わたしは暴れ馬のような魔力を抑えきれなくなる。


「ふむ、魔力の制御は、今はこれくらいが限度か。いきなりできる技ではないからな」


 アルマがパチンと指を鳴らすと、わたしの体内で魔力の循環がおさまった。

 わたしは力が抜けてその場に座り込む。


「アイカ、本来なら、さっきの状態から時間魔法を起動するんだ。こんな風に」


 アルマは四つの魔法陣を展開したまま、両手を胸の前に構えた。そこに新たに砂時計の形の小さな魔法陣が浮かび上がる。


「では見せてやろう。最も基本の技である時間停止を」


 時間停止が基本と言われても、わたしの理解の範囲を超えていて、ピンと来ない。


 アルマが砂時計に手を突っ込む。

「この砂時計はイメージを高めるための指標のようなものだ。ここから世界のことわりの底にある時の歯車に干渉する」


 突然、周囲が暗闇になった。


 なんだろう、この不思議な感覚は。

 世界から見放されて独りぼっちになったような、そんな寂寥感がわきあがる。


「これが、時間停止だ」

 暗闇の中でアルマの声が響く。

「あぁ、そうか。こっちの部屋の方が分かりやすいかな?」

 アルマが、再びパチンと指を鳴らした。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 わたしは、図書室の塔の上の、あの部屋に戻っていた。魔女の部屋だ。


 見渡すと、サイドボードの前にソフィアがいる。

「ソフィア!」

 わたしはソフィアに駆け寄る。彼女は魔導書グリモワールを見た姿勢のまま停止していた。


 それは不思議な光景だった。

 ソフィアは身動きどころか瞬きもしていない。生きたまま凍りついた人形のようだ。ふわふわとした亜麻色の髪の毛が今にも風に揺らぎそうなのに。


「アイカ、うかつに触るなよ。停止した時間の中では、人は倒れやすくて傷つきやすい。抵抗がないからな」


 わたしはソフィアからそっと離れた。


「すごい」


 こんなこと、魔法でできるのか。

 わたしがこれまでに知っている魔法とは、次元が違う。


 辺りは静かだ。音が全くしない。

 室内の見え方も違う。うっすらと曇ったようで、何だかチカチカする。


「ここではあらゆる物質が停止している。空気も光も」


 わたしは棚の引き出しを開けてみる。引き出しはちゃんと動いた。中にあった銀製品を手に取った。

「物は動かせるんだね」

「運動のエネルギーも、ちゃんと物に伝わる。こんな風にな」

 アルマが紙を一枚手に取って離すと、紙はひらひらと舞い落ちた。


「いま、世界中の時間が止まっているの?」

「わたしたち以外はな。だが、厳密に言うと、これは時間をとめる魔法というよりも、時の流れから自分だけが逸脱する魔法だ」

「逸脱?」

「そうだ。時の歯車は動きをとめることがない。それはただの人間である魔法使いにはとめようがないものだ」


「でも、実際にとまっているわ」

「わたしたちだけが、時の呪縛から一時的に離れたのだ。歯車から降りたことで、結果的に時間が停止してみえる。停止した時間のなかで自由に動き回れるようにもなる」


 ところで、魔女の部屋では、アルマは身体が透けてみえた。

「ひいおばあさま、何だか消えそう」

「こちらの世界では、うまく現界できないんだ。何しろすでに死んでいるのでな」

「幽霊」という表現もあながち間違っていないようだ。


「アイカ。半年前に戻ることがなぜ難しいのかを説明しよう」


 アルマはコホンと咳払いをした。

 わたしは背筋を伸ばした。


「あぁ、その前に言っておくと、時間移動は全くできない訳ではないぞ。身近な過去ならば、それほど難しくない」

「可能なの?」

「使いどころに制約はあるがな」

「身近な過去って?」

「人間が認識できる、ごく短期間の過去だ。通常は数秒から数分、わたしなら数時間くらいか」


 アルマが再び胸の前に手を構える。


「論より証拠だ。やってみせよう」


 気がつくと、わたしは屋外にいた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 世界が動いている。

 風がそよぎ、草の匂いがした。日差しが心地よい。

 ここは、どこだろう。

 あたりを見回したとき、聞き覚えのある声がした。


「ソフィア、はやくはやく」

「待って、アイカ。図書室は逃げないわよ」


 ここは内庭だ。

 そして向こうから駆けてくるのは、わたしだ!

 ソフィアもいる。

 わたしたちが図書室の塔に上る、直前の時間に戻っていた。


 わたしは慌てて近くの茂みに隠れた。

 胸の鼓動が激しくなる。

 わたしは自分がもう一人いる状況が信じられなかった。


 ソフィアが鍵を開けるのに手間取っている。過去のわたしが内庭に出てきた。そして、今のわたしが隠れている茂みを見て、こちらに歩いてきた。


 どうしよう。見つかってしまう。

 ふと、さっきから手に銀製品を握りしめていたことに気付き、とっさに投げた。

 魔女の部屋の引き出しにあったティースプーンだ。


 ティースプーンは過去のわたしの足もとに転がった。

 過去のわたしがティースプーンを不審そうに眺めている。今のわたしは茂みで首をすくめた。


「アイカ、開いたわよ」

 まもなくソフィアの声がして、過去のわたしが図書室に入っていった。


 わたしは茂みから這い出し、ホッと息をついた。


「どうだ? 使いこなすのが難しい魔法だろう」

 気がつくと、かたわらにアルマがいた。


 さっきから未知の出来事に相次いで遭遇し、わたしは目がまわりそうだった。だが、まだここでは終わらなかった。


 わたしはこのあと、時間魔法と時の流れの、さらなる深淵をのぞくことになる。

 


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