第52話(上)悪の由来、正義の資格

 ベルサ製大型砲弾が、エルの竜巻内部で炸裂し、炎を吹き散らして空を明るく染める。

 戦いの情勢が変化しつつあったその時、リヴァイアサンはで空へと上がっていた。

 ベルサ達の陽動が上手く嵌り、今のところエルが気付いた様子は無い。

 気取られないよう息を潜め、最小限の動きで移動する。

 雲に紛れて潜んでいると、やがてすぐ近くまで、エルが降りてきた。

 聞き及んでいた作戦が、上手く運んだことをリヴァイアサンは悟った。


(上手く事が運ぶか、半信半疑だったガ。我が演算能力もまだまだだっタ。データバンクの更新と、行動予測の精度向上が必要だナ)


 自律する水鏡ウォーター・アバターとして生を受けたリヴァイアサンは、そうやって認識を改めていく。

 音も無く移動を始める。気付かれないように、煙のように、あくまでゆっくりと。

 方やエルが、雲の中を降りていく。

 その傍まで静かに忍び寄っていき、筋骨隆々な太い腕をがっしりと掴んだ。


「捕らえた、ゾ」


 空中でいきなり腕を掴まれたことに、エルが驚きを得る。触られるまで気付かなかった。そう表情に書いていた。

 それもそのはず、リヴァイアサンはそれまで雲を形成する水蒸気として、姿を暗ませていた。実体を構築したのは、エルの腕を掴むその瞬間だった。

 今は空中に氷の足場を形成し、足裏との接地面を凍らせて姿勢を固定させている。


「アルノー、いや水鏡ウォーター・アバターか! 気体に化けていたか、だがどうやってここに」


 言葉は途中で止まる。

 空を飛ぶ力を持ち合わせないリヴァイアサンが、ジズの末裔に気付かれず、どうやって雲の中にまで侵入したのか。早くもエルは悟ったようだった。


「砲弾の中に潜んでいたな。星剣せいけんの一撃も爆発もブラフ、いや俺を雲の中に誘い込む罠か」


 人の枠にリヴァイアサンを収めて考えたのが、そもそもの間違いである。

 リヴァイアサンが流体のまま活動し、破壊されても再生する様を見ていたからか、エルの理解は早かった。

 

「忘れたカ。人の形態を取っているが、我ガ正体は紛うことなくただの水ダ」


 水術においては、水蒸気は密度が小さく、操作しきる前に拡散してしまうため操りにくい。

 だが今は、水蒸気そのものが元よりリヴァイアサンの組成要素だ。始めから操作環境にある分、その支配下に置いておきやすい。

 撃ち出される衝撃を耐えて、地上から上空まで一気に上昇した挙げ句、炎に巻かれながら雲に身を潜めるのは、流石に難儀ではあったが。

 それでも上空は空気が薄いから、上昇気流から外れれば、爆発時の火からは逃れられる。

 流体の性質上、力を加えられることには滅法強いのが、今のリヴァイアサンの特徴だ。

 一方で、最初こそ驚きを得ていたエルだが、今は落ち着きを取り戻している。


「ふん、見事な手並みではあるが。ここがどこか忘れているようだ。空はジズの領域、網にかかったのはお前だ」


 リヴァイアサンに、強力な突風が激突する。一撃で手足をもぎ取る威力のそれを、リヴァイアサンは水鏡ウォーター・アバターの組成を強固にして必死に耐える。

 その隙にエルは拘束を逃れ、距離を取る。


「いかに空気中の水を操れるとはいえ、雲に漂うだけでは、俺には勝てんぞ」


 連続した強風がリヴァイアサンを襲う。地上であれば、木造一軒家程度ならバラバラにできそうな衝撃だ。

 周囲の水蒸気が吹き飛ばされていくが、リヴァイアサンはそれを水術で掴み直し、足場としていく。

 その間にも強烈な突風が襲い、手足を形成する水分が吹き飛ばされる。


「足場の確保を優先したな。気体になって受け流さないあたり、気化も万能では無いようだ。さっきも触れる瞬間は、流体に戻っていたな。……ああ、気体のままでは物理的接触ができないのか?」


 的確な状況分析だった。最初のやり取りで、もう手の内を見透かされた。その戦術眼は流石としか言いようがない。アルノーの兄弟分なだけはある。


「不意を打てば、捕らえられるとでも思ったか。接近すれば、何とかなるとでも」


 どこにでも有り、どこにでも行ける。

 それこそが空気を操る風術の真価である。

 周囲全てがエルの有効射程内、苦手なフィールドなど存在しない。

 リヴァイアサンが近付こうとすれば、突風で体勢を崩される。隙をみて投射した水弾は、軌道を曲げられあらぬ方向へ飛んでいく。

 空中戦が厳しいものになるとは予想していたが、その力量差は想像以上だ。

 だが、リヴァイアサンにも勝機はあった。そのことに気付いたのか、攻め続けるエルが周囲を探るような目をする。


「……ふん。目論見もなく、空に上がったわけではないということか。虹剣こうけんを封じに来たな」


 虹剣こうけんによる遠隔操作で、真空生成や突発性の気圧変化を行い、風刃に似た割断を生む。それがエルの必勝法だ。

 だがここに来てエルは、それら虹剣こうけんの通常駆動を活用できていない。リヴァイアサンが虹剣こうけんの初動を完全に掴み、発動前に移動してエルに的を絞らせない位置どりを取っていた。

 仕組みとしては、大したものではない。

 虹剣こうけん使用の前段階で気流変化が起こるため、雲の中では水蒸気の流れでリヴァイアサンが察知できてしまう。空の上ならではの、エル対策だ。


「……嵐を呼び、強力な風圧で押し潰ス。貴殿の風術は凄まじイ。人の身で受ければ、紙切れのように吹き飛ばス。だがそれだけダ」


 四大の魔石による風撃は、肉を潰し骨を砕き、場合によっては内臓にまでダメージを及ぼすだろう。

 だが、水の肉体を持つリヴァイアサンならば、衝撃系のダメージは効果が薄れる。

 地上における第一戦でこそ、リヴァイアサンはエルの風術で、瞬時に追い込まれたが。周囲に水がある状況ならば、一発二発受けたところで戦闘不能には至らない。

 後は、虹剣こうけんの通常駆動を発動させないよう、周囲の気流変化に気を配って位置を変え続ければいい。


「雲中で真空を形成しようとすれば、漂う水気が予兆となり我に教えてくれル」


 真空が生まれる場所が分かれば、逃げるのは難しくない。雲の中は、風使いのフィールドだが、同時に水使いのフィールドでもあるのだ。

 だが弱点を指摘されたエルの表情には、焦りの感情は見当たらなかった。


「人形風情でも変わらんな。お前達水使いは、いつもそうやって風使いを見下す。その思い込みが、死地に追いやるとも知らずに」


 周囲の風の圧力が高まる。押し潰すように、前後左右上下から、烈風が襲いかかった。

 躱し切れないと判断したリヴァイアサンは急ぎ、水壁を囲いのように形成するが、それでも間に合わない。防ぎ切れない風撃が、右腕を吹き飛ばした。

 更に空気弾のようなものがエルから射出され、水の壁に穴を開けていく。

 躱した先から風が吹き荒び、リヴァイアサンの行動を制限する。

 それらの攻撃全てが、虹剣こうけんを介さない、初歩的な風術に過ぎなかった。

 さっきまでと同様の手管だが、明らかに風術の回転が上がっている。一撃一撃も、より重い。その上で、コンビネーションで水の防御を掻い潜ってくる。


虹剣こうけんだけが俺の武器だと思ったか。ここは空の只中、我が領域。一小節の間に起動できる風術の全てが、必殺の一撃だ」


 水辺ならともかく、水分量に制限のある空中ではとても防ぎ切れない。

 リヴァイアサンは別の場所に足場を作り、跳躍しながら回避する。

 

「ぐっ! 気化も防壁も、間に合わないとハ!」

「たかが風と侮ったな。己を愚かさを悔いながら、擦り潰されろ」


 連続して吹き荒れる風で、腕を再形成する暇が無い。周囲の雲を確保できても、ジリ貧だった。前後上下左右全てが、敵の有効射程距離だ。

 焦りを浮かべながら、ギリギリで直撃を回避するリヴァイアサンを、エルは冷めた目で見つめていた。


「だが何より気に入らんのは、その顔だ。なるほど、アルノーの水人形は、全て奴自身を模して作られる。お前が人の形態かたちを取れば、その姿になるのは必然なのだろう。自分が見殺した相手の顔に、よくもまあ化けられるものだ。所詮は人外の異形か」


 エルの怒りを帯びたその一言が、リヴァイアサンの胸を鋭く抉る。

 揶揄やゆされるのは覚悟していたし、あるじと親しかった者からすれば当然の感情だ。

 そう覚悟していたのに、リヴァイアサンは水術の制御を、危うく失いかけてしまう。体の内側を走るその痛みが、どこから由来するものなのか、生まれたばかりのリヴァイアサンには判断がつかない。

 破壊の烈風が二度三度と叩き付けられる。リヴァイアサンは仮初の肉体がひしゃげつつも、水術で回復を図りながら逃げ回った。


「人間では無い故、形状回復が早いな。だが遊んでいる暇も無い。竜巻も静まりかけている。一から作り直すのも面倒だ。終わらせて貰うぞ」


 より強力な突風がリヴァイアサンに激突する。最早、衝撃波と称するのが相応しいレベルだ。誤魔化し誤魔化し耐えているが、これ以上は持ち堪えられない。

 そんな焦燥の中で、リヴァイアサンが待望していた術式が完成する。

 逃げるのを止めて、リヴァイアサンは対峙すべき敵を見据えた。

 分厚い積乱雲の中で、光が生まれる。

 放電が、エルの真横を掠めていく。


「……何だ、今の光は」


 周囲を見ると、パチパチと何かが弾ける音が断続的に聞こえてくる。同時に、雲間を貫く鋭い光が、そこかしこで何本も奔っている。

 エルの顔が急激に引き締まる。ようやく彼は、気付いたようだった。狩場に追い詰められたのが、本当はどちらなのかを。


「わざわざ空に上がった、真の理由はこれか!」


 風使いの厄介な点が、その機動力だ。

 術の出が早く持続性に富む特性は、特に移動に向いている。折角追い詰めても、その都度逃してしまうのであれば堪らない。

 安易に退かれないようするためには、懐に飛び込む必要があった。


「我が主が、ロベールから受けた策ダ。……空の上ならば勝てル。そう、思っていたナ」


 驕りに付け込み、確実に勝負をつけるのが今回の作戦の胆だ。

 従来であれば、空の上は風使いの領域だ。

 天候によっては水気が満ちるだろうが、絶対的なアドバンテージが覆るほどではない。

 だがここにいる水人形は、通常の水使いではない。数々の独自技を開発したアルノーの中に在って、四鏡クアドラプル・アバターをはじめとする、その技術を継承した存在なのだ。

 例えば宰相ロベール戦で使った、雷雲生成からの発雷がそうだ。そして雷とは、空と地上の間のみに発生するものではない。

 つまりは単純なことだった。

 エルは、目前の水人形がアルノーの姿のみならず、その技全てを受け継いでいることを知らなかった。

 知っていれば、雲を吹き飛ばすなり速攻を仕掛けるなり、対応はできたのだろうが。

 逃げる間も無く、雷の檻がエルを取り囲む。


「ぐっ、うおおおお!」


 数多の豪雷が、雲内で飛び交う。

 激しい光と、つんざくような騒音が、その場に居合わせた敵を打ちつける。

 砲弾の爆発の際、雲中に飛び込んでから、ずっとこの準備をしていた。

 アルノーのように、複雑な指令を組み込んだ水人形を作成することは叶わなかったが。

 竜巻を発生しやすくする積乱雲は、そもそもが発雷しやすい環境である。大鏡ブーステッド・アバターで雷雲を作らずとも、手動で雷の発生を促すことは、今のリヴァイアサンには可能だ。


「気に入らん、それは、大鏡ブーステッド・アバターはお前の技ではあるまい! 姿形だけではなく、アルノーが成し得たものまで奪うつもりか!」


 猛るエルのすぐ傍で、スパークが生まれる。

 負けじと、突風と風弾がリヴァイアサンの体を切り裂き、押し潰す。

 だがリヴァイアサンは一歩も引かず、雲を動かし掻き混ぜ、周囲で発雷を促す。


「ぬうううううぅ! はあああああぁ!」

「オオオオオオオオ、オオオオオォ!」


 エルが雲を吹き飛ばし稲妻を遠ざければ、リヴァイアサンがすかさず雲を掴み直し、その場から離さない。

 最早それは、技比べではなく力比べだった。

 四大の魔石を持つ者同士が、虹色と青色に輝きながら、周囲の空気や雲に干渉する。

 迂闊に動けば、相手に術の主導権を握られるため、本人達は一歩も動けない一方で。

 少しでも支配下に置く力が弱まれば、相手に奪われ力へと変えられてしまう。そんな陣取り合戦を続けながら、強風と稲妻が周囲を行き来する。


「違う、お前では無い! 俺が望んだ相手は、実態も歴史も無い、伽藍洞がらんどうの亡霊などでは断じて無い!」


 まるで何かを掴もうとするが如く、エルが腕を前に伸ばし、力強く握る。それに合わせて周囲の空気が暴風となり、リヴァイアサンに向けて吹き荒ぶ。


「悪に立ち向かうは超常の存在ではなく、人でなくてはならない! そうでなくば誰が、人間の持つ献身や信念、その尊さを、美しさを証明できると言うのだ!」


 虹剣こうけんが七色の輝きを放つ。人の持つ数多の側面を写したような鮮やかな光は、その色を変えながら周囲の空域を飲み込んでいき。


「例えそれが虚構だとしても。存在しないという、事実の確認にすら過ぎなくても! 最後に勝つのは、人の善性でなくてはならない! その資格すら無き者に、負けられないのだ!」


 一陣の風が、吹いた。

 それは、高く厚く膨れ上がった入道雲を真っ二つに両断してみせる。

 その中央には、雲と同じく、胴で身体を二つに分たれたリヴァイアサンがいた。

 体勢を大きく崩し、上半身と下半身を風に飛ばされながら。

 アルノーと呼ばれた男を再現した水人形は、一層に青く光った。

 上層と下層、二つになった入道雲の間に、その日最大の雷電が迸った。

 目の前の何かを握るように腕を伸ばし立ったままのエルが、稲妻の中で黒い影と化す。

 エルの体を浮かせていた風術が解けていく。

 為す術なく、筋骨隆々の肉体が落下していった。


「……仕留め損ねたカ。あの状況で、直撃を回避するとハ」


 雷が降り注ぐ中、エルの付近で気流が変化するのを感じた。

 恐らく雲の水蒸気を風で動かして、直撃を避けるよう雷の道を作ったのだろう。空中に浮かんでいたため、雷撃の入りも良くない。

 追撃したいのは山々だが、リヴァイアサン側もノーダメージとはいかなかった。

 水でできた体が、膝から崩れる。体の維持が難しい。


「……あア。これが、痛みカ」


 積乱雲ごと両断されたため、体を補填するための水が手元に無い。雲そのものは上にも下にも存在するものの、操るには少し遠い。

 消滅するには至らないものの、これ以上崩れないよう維持するので精一杯だった。

 水鏡ウォーター・アバターの技術によって構成された肉体、特に腕や指先などが、人体の偽装を維持できず、透明に揺らめいていた。


「もう我では追えなイ。すまないが、後は任せタ」


 自身も雷に打たれながら、リヴァイアサンが宿る最後の水鏡ウォーター・アバターは、地上に堕ちゆくエルの体を見送った。 

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