第52話(中)悪の由来、正義の資格
それが、どれほど尊いものだったのか。
思い知ったのは、全てを失ってからだった。
父を殺し
故郷の村を奇襲し、暴風で押し潰して滅ぼした。
後悔は無かったし、己には正当な復讐の権利があると信じていた。
粉々になった集落の、住居や住人を眺めながら。
胸の中で燃える炎が、それでも一向に絶えないのを覚えている。
目の前の惨状が、自分の見たかった光景なのか。
果たしてこれが、望んでいた結末なのか。
分からないながらも。
脳裏に浮かんだのは、とうに離れた故郷の花畑と、それを前に儚げに微笑む母だった。
大丈夫。自分の一番大事な景色は、まだ頭の奥に残っている。
そう思いながらも、自分がもう二度と、その光景に辿り着けないことを悟ってしまった。
どれだけ父に理不尽な暴力を受けようと。
どれだけ集落の人間から蔑みを受けようと。
どれだけ病が体を冒そうとも。
あの人は、自分の愛を見失わなかった。
そのか弱くも誇り高き慈愛を、折れることなく貫き通し、己が命を全うしたのだ。
その輝かしい生き方が、未だ忘れられないのに。
もうその光を臨めないことを気付き、絶望する思いだった。
次にやるべきことも、特段思い至らず。
気付けば、持っていたナイフを喉に当てていた。
何の躊躇いもなく、その刃を引こうとして。
「エル、エル! どこだ、お前が死ぬはずないだろう、なあ!」
「エル、どこいるの! 返事してよ、ねえ!」
どこからか、聞き慣れた声がする。
復讐の対象にしなかった、幼馴染の声だ。
集落から離すため、麓の町まで買い出しに行かせていた。そんなことすら、忘れていた。
ここにいる。
そう発した声は、驚くほど小さいもので。
それでも二人の親友は、すぐに自分を見つけてくれた。
視界に入った途端、二人は涙を流して。
走ってきて息が切れているだろうに、声を出して泣き始めた。
大事なものを腕の中に隠すかのように、彼と彼女は抱き合って、支え合って。
良かった。生きてた。
二人はそんなことを、震える声で言っていた気がする。
それを見ながら、自分にも残ったものがあるのだと、思い知った。
自分を育んでくれた愛は、失われてしまったけれど。
護るべき別の愛は、確かにここにあるのだと。
自分が母の愛に導かれたように。
今度は自分がこの愛を、輝くものへと昇華させなくては。
復讐鬼ですら無い、ただの悪に堕ちようとも。
そうすれば、母が示したものとは別の、美しいものに出会えると信じて。
それこそが、自分の。
だけども、それは花開く寸前、その花弁を散らしていった。
もう一度、美しいものが見たかった。
半ば墜落するような形で、エルは地上への不時着を余儀無くされた。
その場所は城下町から見て北西部、湖へと至る森林地帯だった。
王都の市街地は依然戦闘中で、西側の平野には公爵軍が布陣する。そこを避けて落下するだけで、手一杯だった。
「くそ、水人形風情が。まんまとしてやられた。あれでは自分も無傷では済まないだろうに」
空を見上げる。リヴァイアサンの追撃は無いようだった。相手にもダメージがあるのか、それとも雲を抜けての戦闘は避けたのか。どのみちエルも負傷があったので、好都合ではあったが。
目論見が崩れたが、だが全てが終わったわけでは無い。
傷を癒やし、雌伏のうえで仕切り直す。
政情はまだまだ不安定なのだから、気を伺えば次の機会もある。幸い、幾つかの保険もかけている。
次はどう動くべきか。
そんなことを考えていたからか、反応が遅れた。
周囲の地面が隆起する。一瞬で土に囲まれた。
地術師からの攻撃だった。
だが、まだ真上は空いている。
本格的な土牢を形成される前に、飛び上がって脱出をしようと試みて。
「エル、逃さないよ」
飛ぶより先に、隆起した土の影から何者かが飛び出してくる。
不意の一撃を、柄だけの虹剣で受け止めた。
その隙に土壁は頂上まで達して完成し、完全に逃げ道を塞がれる。
日の光の差さない土牢の中でも、エルは襲撃者が誰なのか、はっきりと悟ることができていた。
「いきなり随分な挨拶だな、アーネ」
「そっちこそ。ギリギリ逃げれたろうに、残るなんて余裕かましすぎじゃない?」
アーネ・ティファート。最後の幼馴染が、そこにいた。
「逃げる必要がどこに? お前を無力化してから余裕を持って、この檻をぶち抜くだけだ。あのまま飛ぶのと、何ら差は無い」
更に言えば、周囲にベルサがいる可能性がある。アーネと一緒に閉じ込められている分には、大技を仕掛けてこないだろうが。単騎で逃げれば話は別だ。
もっとも、ずっと第二射が来なかったことを考えれば、燃料切れを起こしている可能性が高いが。
「もしかしてずっとこの辺りで、俺を待ち構えていたのか?」
「そうだよ。市街地と公爵軍陣地は論外。南は街道があって見晴らしが良すぎる。残る北は森林があって、休むのにも逃げるのにも最適。エルにしては工夫のない場所に降りたね。余裕が無かったのかな」
つまり、全て相手の思惑通りというわけだった。
エルが降りた後に、アーネが追うように移動してきたなら、流石にエルは察知できる。
人間が走れば、空気が動く。それが無かったと言うことは、この近辺で土牢の罠を張り巡らせつつ、待ち伏せていたことに他ならない。敵ながら見事だと言わざるを得なかった。
「気を抜きすぎたか。お前といいベルサといい、甘く見ていたつもりは無かったが」
そう言いつつ、周囲を風で探ろうと探査をかける。だが土壁が思った以上に頑丈で、外まで網を伸ばせない。
ベルサがいるだけに、少し厄介な状況だ。
存在すら察せないほど頑丈な囲いを作られるのは、正直予想外だった。
「バスフィールド卿はいないよ。この檻も、彼女が下拵えしてくれた魔石を、あたしが発動しただけ」
探っていたことを勘付いたのか、アーネが種明かしをしてくる。
一瞬エルは呆気に取られたものの、すぐに気を引き締め直す。
容易に信じるわけにはいかない情報だった。
地中深くに隠れるなど、風使いの探査を躱す方法は幾らでもある。罠まで張って待ち受けていた以上、二重三重の用意があると警戒すべきである。
とはいえ、目下のところ注意すべきは。
「動かないでね、エル。いくら
「風術以外、取り柄が無いように言ってくれるな。体術の心得くらいはあるぞ」
「知ってる。故郷でしごかれた仲だし。でも今は無理。もう油断はしない」
幼馴染の声には、凄みが感じられた。自信があるのだろう。確かに今のアーネに、隙は見受けられなかった。
制圧するくらいは容易いと踏んでいたが、まだまだ彼女のことを見くびっていたらしい。
エルは己の中で、現状の危険度を引き上げる。
そして結論した。
「よし、降参だ。望みを言え」
「……え?」
拍子抜けしたような声がアーネから溢れる。この展開は予想外だったらしい。
「いい手が思いつかん。どうせ、俺の命が目的ではあるまい」
そうなのであれば最初から、首筋に当てた剣を押し切れば良かった。わざわざ手を止めてしまっては、不意を打って接近した意味が無くなる。
「何か悪巧みしてない?」
「してないはずが無いだろう。ここで反撃してやり合うより、もっと効率的で、もっと俺の嗜好に合った解決方法がある。それだけの話だ」
アーネが剣を向けたまま黙り込む。とはいえ、警戒を解く気は無さそうで、完全に戦闘モードに突入しているようだ。
仕向けるなら今かと、エルは方策を固める。
保険が生きそうな流れだった。
「じゃあこちらから提案しよう。見逃してくれれば今後一切、王都には手を出さない。誰かを手に掛けたり、争いを持ち込んだりしないと誓おう」
「エルふざけてる? どうやって証明するのそれ」
言うだけ言って、場を収めれば反故にする。そう思われているのだろう。今までの行いを思い返せば当然の感想だ。
だから重要なのは、その手段だ。
「呑むのであれば、
「……本気で言ってるの?」
心の底から驚いてくれたようで、何よりだった。
莫大な風量を操ることが可能な
リソースが膨大であれば、それだけ術を御する難易度も上昇するが、
「
「それはちょっと、都合良くない?」
「駄目なら、今ここで暴れるだけだ。抑え込む自信があるなら、そうすればいい」
アーネが返答に窮している。選択を間違えば、この場で
それに捕らえたところで、扱いに困るのは目に見えている。最悪、
考える頭があるのなら、答えは一つしか無いはずだった。
あと一押しと、エルは見通しを立てる。
「道場の接収の件、調べはついたか?」
「え、接収? いや、まだ何も」
最近の騒動を思えば、それどころでは無かったはずだ。
それにあの件に関しては、少し齧った程度では全容が見通せない。ピースを集め、整理し、俯瞰して物事を観察しなければ、真実には辿り着かない。そういう厄介ネタだ。
そしてそういう情報整理は、風使いが得意とするところだ。
「俺の方で探っておいた。条件を呑むなら、真相を教えてやる」
「調べてくれてたの? いつの間に」
「お前達がせっせと工作している間、手が空いていたからな」
諜報活動は、裏で働く上での必須スキルだ。
そうして知り得た秘密を利用して活動資金を得たり、両公爵家に接近したりしていた。
今回も西門の大破により、王宮が大騒動になっていることは目に見えていた。
その隙にエルは城に潜り込み、証拠となるものを手に入れている。
もっとも、それを目の前の幼馴染に、一から説明するつもりは無かったが。
「恐らくお前単独では、事実に辿り着くには相当かかる。それに、証拠も見つけられない」
「……証拠?」
上着の二の腕部分に仕込んだ隠しポケットを、アーネの前で開放して見せる。アーネは警戒を強めるものの、そこから覗けたのは、丸められた羊皮紙の束だった。
「条件を呑む気があるなら、こいつを渡そう。お前ならば、これで概要が分かるはずだ」
アーネが剣を抜いたまま、考え始める。やはりこの話には食いついたようだ。暗い土牢の中でも、動揺が感じ取れる。
道場は数少ないアルノーの遺産だ。大事に思っていないはずがない。
であれば、そこに伸びた魔の手について、知っておきたいと思うのは必然だ。
「先に言っておくが、アルノーの遺志を継ぎたいのであれば、お前は知るべきだ。事は道場だけに収まらん。ある意味、この国の闇に関わる事だ」
「ロベールは、アルノーが倒したよ? 影の権力者と呼べる存在なんて、もうこの国にはいないはず」
その言葉に、エルは我慢できず吹き出してしまった。一度決壊してしまえばもう堪えることができず、そのまま声を上げて笑ってしまう。
「何がおかしいの」
「いや何。権力者一人殺せば、後は解決と考えているその能天気っぷりにな。なるほど、アルノーに歯向かうわけだ。甘やかされていたようだな。こればかりは、あいつにも責任がある」
「だから、どういうことなのかって聞いてるの!」
剣が力任せに押し込まれる。隙だらけの動作だった。今なら剣を奪って反撃に移るのも容易い。
だがそれ以上に面白いことを、エルは考えついていた。保険を掛けた甲斐があったと、己の慎重さを自画自賛する。
「一つの国が抱える闇について、お前はまだまだ考えが足りない。少なくとも、悪の親玉を倒せば平和が訪れるなんていうのは、御伽話だけだ。現実はもっと根深くて、救いようが無い」
それを知ったからこそ、アルノーはあのような暴力による手段に訴えかけたわけだが。
今になって、改めてエルは同情を深める。
かの正義感溢れる幼馴染は、実に理解者に恵まれなかった。
「悪いことは言わん。取引に応じておけ。あいつの願いを継承するにしろ遺棄するにしろ、お前は知るべきことが多すぎる」
アーネが押し黙る。向けられる剣の刃先は、小刻みに震えていた。
もう大丈夫だろう。
エルは、己の勝利を確信した。
アーネが剣を下ろしたのは、それからすぐのことだった。
望んだ光景は、もう見られない。
慈愛も、信念も、正義も。
尊ばれるべきもの、そう信じられるものは、幻想のように儚く消えた。
であれば、ここからやり直す。
何もかもを巻き込んで、全てを零に。
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