第45話(上)天望の虹、風の剣
「血染めの戴冠式」と呼ばれる、リヴァイアサンの末裔が滅んだその日、それは生まれた。
直接のきっかけは、死に瀕したアルノーが、自ら
湖に呑まれる参列者達を守るため、最後の力を振り絞り、湖に
そのとき、思いもよらぬことが起こった。
かつてアルノーが
または強大な力を持つエルやベルサが、遠くからでも
或いは大聖堂の決戦の折、ペンダントを持つアーネやその弟子達が、アルノーの水の檻を通過してしまったように。
まろび出た
水面を漂っていくその方向には、アルノーが大規模術式を使用する際に利用した、一体の
死にゆくアルノーと共に、一体また一体と数を減らしていた鎧姿の水人形は、
アルノーに排出された
とはいえ、魔石は魔石で、水人形は水人形でしかない。
さながら生存本能的に、
それでも水人形の体は、崩壊が止まらない。
いくら力が集おうとも、それはアルノーが望んで術式を組み上げたものでは無く、あくまでただの偶発的な産物に過ぎない。
半ば暴走状態の
そのとき、勅命とも呼べる、
「……もう少し、だったんだけどなあ。悔しいなあ」
然してそれは、主人の最後の嘆きを聞き届けた。
それが、その命が生まれる最後のトリガーとなった。
公爵軍の侵攻が始まって、西門の守りが破られた頃。
その異形の力の発露を、間違いなく受け取った者が二人いた。エルとベルサである。
位置的に近いのはベルサだったが、動いたのはエルが先だった。ベルサとアーネが巻き込まれる形でその場で暴風を発生させ、二人の動きを止める。
同時に気配があった方角に、探査の風術を飛ばす。拡張した手足のごとく、その風術は探った先の情報を届けて来た。
騎士の格好をした水人形が、暴れている。侵入したミリー公爵軍を蹴散らしながら、西門に向けて進んでいた。その水人形には、確かに
エルは風術で浮遊し、状況の直視を試みる。そして見つけた瞬間、その目を見開いた。
「ベルサが隠していたのは、あの水人形か?
だが、間違いなくアルノーは死んだ。誰があれを使っている?」
アルノーに隠し子でもいれば話は早いが、あいにく彼に落胤は存在しない。
可能性だけで言うのなら、アルノーの家系以外の、初代国王の子孫と言うことも無くはない。
だがタイミングが都合良すぎる。恐らくは手に入れたばかりであろう
やはり直接赴く必要がある。
そう判断したエルは、一気に空を飛んだ。
風術で滑空しつつ、目標まで迫る。
そのまま、異形の騎士の前に着地した。
「オオオォ。ッオオオオオォ!」
空から舞い降りたエルが纏う、尋常ならざる気配を警戒したのか、異形の騎士が雄叫びをあげる。
まるで雨の日のような、濃密な水の臭い。謎の異形が、高度な水術の支配下にあることが、自ずと感じ取れた。
「この気配、確かにアルノーに近い。まさか本当に?」
水人形の甲冑が光り始める。鎧を構成している水が、体の前に集まり始め、刃のように射出された。
エルは身を翻してそれを避け、返す刀と言わんばかりに圧縮した空気を騎士にぶつけた。
異形は回避の動作もまともにできず、甲冑の中心が抉れる。が、瞬時に欠損部分が水で補われ、再生していく。
その様子を、エルはじっと観察した。
「作りそのものは、水人形のそれと一緒か。水術を扱う
まるで呪いだなと、エルが誰にも届かない声で感想を漏らす。
正体と同時に攻略法も見つけたが、そちらは特に試す気も起きなかった。
とはいえ放っておけば、いつかは物量に任せた公爵軍が討伐してしまうだろう。それ以前に、ベルサが間に合えば回収する動きを取るはずだった。
「どうしたものか。特段使い道は無さそうだが。むざむざ見逃すのも勿体無いな」
思案げにエルが顎に手をやる。
ベルサが近付いている感覚にも気付いていたので、あまりのんびりもしていられない。
ここにくる直前、周辺に強風を吹かせておいたので、時間稼ぎにはなるはずだった。己が宿す
「オオ!」
「
エルが
直後に空気を切り裂く音を残して、水使いの騎士が胴で両断された。上半身が地面に落ちるが、血は一切出ない。
それどころか切断面がアメーバのように震え始め、粘性のある水分が分たれた上半身と下半身から伸びて、互いに結合する。
異形の騎士は何事も無かったかのように、元通りの体躯を取り戻した。が、バランスを崩したように体が傾く。
内包する水が減ったせいで、思うように動けないのかもしれない。すぐさま戦闘復帰とはいかないようだった。
「取り敢えず、持って帰ってから考えるか。どちらにせよ貴重なサンプルではある」
途中まで言いかけて止まる。
常に張り巡らせている風の警戒網が、誰かが近付いてくることを知らせていた。方角的には、エルがやってきた場所と同じ。
だがベルサの気配では無い。
真っ直ぐこちらに向かって来ているあたり、自分と同じく、この水人形に引き寄せられた相手だ。
「なるほど。そういえば
直後、その人物が姿を現す。
特に息を切らせることもなく、視線をエルに向けてくる。
「エル、さっきの風はどういうこと! いったい何を考えて、ってその人は」
本当に、間が悪い。
近くにある、強風で崩れた廃屋。瓦礫の山と化したその上に、見知った人間が立っていた。
ベルサへの対応に注意を割いていたからか、アーネへの対応はぞんざいになっていた。
「ベルサは地下に潜ったか。暴風域をあの女中心に設定したのは失敗だった」
風とは大気の流動だ。地表にいる限りは、常に触れている。そのため四系統の内、風属性だけは自動制御紛いの芸当が可能だった。
だがそれが仇となって、対象を見失えば術式は自然消滅してしまう。
人ではなく場所を指定していれば、引き続き暴風域は維持されたが。その場合、対象者が動いてしまえば、自動追尾する指令が組めなくなる。
結果としてアーネは、暴風が強制解除された地上を、苦も無く真っ直ぐ向かって来れたという話である。今頃ベルサは追い越されたことも気付かず、慎重に地下を大回りしているはずだ。
「その甲冑、見たことがあるよ。アルノーのものでしょう、まさか」
「期待しているところ悪いが。その場所、避けた方がいいぞ」
「オオオオオオオオ!」
半端な接合で上体が傾きかけたまま、水の騎士が、体を輝かせる。
その直後、四方に水弾が飛んだ。握り拳程度だが、それなりの速度がある。直撃すれば骨や内臓が砕けるだろう。
アーネはあわやというところで、跳んで回避する。
エルは避ける動作さえしなかったが、壁にでもぶつかったかのように、水弾は目の前で砕けた。
「威力が落ちているな。己を構成する水を考え無しに消費すれば、自然とそうなる」
水の騎士に対し、エルが右手を差し出す。指先に光が灯ったと同時に、見えない何かが射出された。騎士の頭部が弾けて、起き上がりかけていた上半身が再び倒れ込む。
しかし未だに手足は、もがくように動いている。その騎士が人間ではないことを、これ以上無いほど明示的に表していた。
「この水術、まさかアルノーなの?」
何かを探すように、アーネが周囲を見回す。エルからすれば、心底見てられない挙動だった。
「さっきから全く。まさかお前、本当にアルノーが生きていたとでも思っているのか?」
「……だって全身水の甲冑なんて、アルノーじゃなきゃ誰が作れるっていうの?」
エルは言葉を続けようとして、止める。
全てを教える必要はない。少なくともこれについては。そもそもエルとて、まだまだ分かっていないことの方が多い。
露骨に隠そうとするその態度に、アーネは不満を露わにする。
「答えてエル。そもそも何で、こんな前線の真っ只中にいるの。何を知っているの?」
「聡いお前のことだ、分かっているんだろう。俺はな、戦争をしにここに来たんだ。公爵家側の人間としてな」
つい先程、クラオン軍本陣を襲撃しておきながら、素知らぬ顔でエルは言い切る。
しかしこの言い方が最も効率よく、アーネにショックを与えることも分かっていた。事実として目の前にいる幼馴染は、エルの言葉に愕然としていた。
「何で! 何でアルノーが守ったものを、壊すような真似をするの!」
「何故も何も、最初からそうするつもりだったからだ。集落を滅ぼしたあの日からな」
知らなかったのかとばかりに、エルが言い切る。アーネは目を見開いて驚愕していた。薄桃色の唇が何かを
「滅ぼしたって、あれは野盗の仕業でしょ?」
「少しは考えろ。お前達に戦闘技術を仕込んだ大人達が、たかだか野盗に皆殺しにされたと、本当に信じていたのか?」
アーネが何も言えなくなる。思い当たる節はあるのだろう。
故郷の老練な大人達は、王都の名ばかり騎士達と比べて、技量に雲泥の差があった。そんな集落の戦士達が、盗賊風情に殺されたという奇妙な事実を、もっと早くに疑問に思って然るべきだった。
「俺達の集落は、リヴァイアサンの一族の盾だったんだよ。元を辿れば、クーデターに遭った初代国王の側近達だったか。一度は壊滅しバラバラになったが、時間をかけて足跡を辿り、後継たるプリシス・リヴァイアサンの元に集結した。自分たちが守れなかったものを今度こそ守ろうとして、形を変えて出来上がったのがあの集落だ」
もちろん中には、現在の王室からの追っ手も混ざったことだろうが。主君の元に集った精鋭達は刺客を撃退し、その都度居場所を変えた。
それが結果的に、後の遊牧民としての生活様式にマッチしたのだろう。
「しかし集落のその形成過程により、どうしても外部の者は混ざってしまった。俺やお前の一族のようにな。その中でも、俺の親父は
「っジズ⁉︎ うそ、どういうこと!」
またもや初耳のような反応で、アーネが大声を上げる。これも集落内では周知の事実だったが、当時まだ子供であったアーネやアルノーの耳には届いていなかったようだ。
そう。故郷の集落には、四大の魔石のうち二つが揃っていたのだ。そしてそれはもちろん、偶然の結果によるものなどではない。
「親父はソロン帝国からの間者だった。失われた
当時行方不明だった
エルの父は、西方の山岳地帯に
移住してきた一家として潜り込み、
「そこで親父は集落の長、シド・プリシスに敗れた。本来であれば、家族もろとも始末されるはずだったんだろう」
だが
生かされた理由も、見当がつく。
「貴重な四大所持者を送ったのにも関わらず、音信不通になったとなれば、今度は本国に大軍を寄越される危険があった。それを防ぐため、俺の家族は平和ごっこの盾にされたのさ」
当代の
エルの家族を手元に置いておき、定時連絡の中で「
事実、エルの父の死後、ソロン帝国は海を渡って遠征軍を派遣してきた。
「何で、生かして貰ってたんでしょう? それがどうして、故郷を滅ぼすようなことをしたの?」
その言葉で、エルの脳裏にいくつかの古い光景が蘇る。
集落の者にへこへこと頭を下げ、機嫌を取る父。
そんな父を下に見て、雑用や使い走りなどをさせる集落の人間。
家の中では苛つきを隠さず、父の八つ当たりを受けて、それでも我慢し続けた母。
何も知らない集落の子供達と遊んで気を紛らわし、見て見ぬ振りをし続けた自分。
遂には母は亡くなり、さらに酒浸りになる父と、見える場所からそれを嘲笑っていた集落の者達。
始まりはいつだっただろう。
誰に対しての感情だっただろう。
今ではもう思い出せないが。
「俺はな、アーネ。ずっと怒っていたんだよ」
世の中は何もかも醜くて。
それでもいつかは、母とかつて見た花畑に至れると信じたくて。
結局はどこへも行けないまま。
ただ一つ、美しいと思えたものも、結局は非情に散った。
何もかもを壊せば、この怒りは収まるのだろうか。それさえも分からないけれど。
エルネスト・ジズ・サーラは、己を取り巻く全てに、拭いきれない怒りを抱いていた。
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