第44話(下)真なる敵、妖鳥降りたりて
公爵軍急襲の報せが届くやいなや、ベルサは街に向かって走った。
王城の門扉を抜けると、遠目にも町の西側で争いが起きているのが見える。今は西門付近だけだが、既に城壁の上を制圧されつつある。突破されるのは時間の問題だ。
「うわ、もうあんなに! 守備態勢が整っていないことを差し引いても、いくら何でも早すぎる!」
地面を踏みしめ体を前に押し出し、蹴りつけた反動で前に進んでいく。
それは走るという行為に他ならないが、平均的な成人女性が出す速度とは異なっていた。一歩の距離が異様に長く、どちらかと言えば跳躍に近い。
さらに特徴的な点としては、足跡が残らないこと。接地の際、足裏を押し上げる地術を用いて走行しているためだが、一歩二歩ならともかく継続的に地術を介するのは、かなりの集中力と精度を要求される。
具体的に言えば、発動タイミングを間違えるとカタパルト状態になって、片足が股裂き気味に地面から射出される。
「まずい、セーフハウスがもろに侵攻コースだ! やってくれましたねエルネスト氏!」
軍本部の予測では、開戦は早くて五日後と算出していたが、もっと早くにやって来ると、ベルサは密かに導き出していた。
理由は、斥候の能力だ。
風使いとして一流のエルが加わるのであれば、行軍速度や進路選定の最適化、更には敵風術師へのジャミングを含めた大規模な隠密化等、輜重まわりを含めて大幅に圧縮できる。
ベルサの立場からすれば、エルとは個人的に同盟状態であり、彼が参戦するならば連絡が来ると見込んでいた。故に、ベルサは軍の正式な開戦日時算出に、高位風術師の存在を考慮させていなかった。
だがエルは、そんなベルサの裏をかいた。王都側の想定以上に時間を詰めて、リデフォール攻略を早めてきたのだ。
これにより早くて二日後と考えたベルサは、念のため進めていたリデフォール脱出計画が、横腹を突かれるような形になっていた。
「リハビリ訓練どころじゃない、早く回収に行かないと! アレだけは渡せません!」
どのみち、潮時だとは思っていた。確保の後は、そのまま港に向かってもいいかもしれない。
最低限の後始末をしてからと考えていたが、そんな猶予もない。戦が始まれば港の検問も強化され、セーフハウスから連れ出す機会そのものが無くなってしまう。
残る問題は、匿っている者の状態だが。
「自ら戦場に出ていくことは、無いと思いたいけど。前例を考えると、何とも言えないなあ」
どこか自嘲気味に、ベルサが言葉を吐く。
対象は既に何度か、勝手に隠し部屋を抜け出しているのだ。挙句、井戸から地下水脈を通じて、城下町各地に躍り出ている。
毎度回収に走らされた上、現場では不審者騒ぎになる次第だった。
「何をそんなに急いでいる」
どこかからか、声が降ってきた。
気付いたベルサは静かにブレーキをかけ、その場に留まる。周囲には
まさかと思い上空を見上げると、褐色の青年が宙空に浮遊していた。
「いつもお前は慌てているな。目先のことに囚われ過ぎている」
「エルネスト氏。嵌めましたね」
「何のことだ。まさかまだ馬鹿正直に、宮仕えなぞ務め上げているのか。目当てのものがないなら、早々に帰ればいいものを。それともやはり、何か代替品を見つけたか」
灰色の瞳でエルが見下ろしてくる。鋭い視線に物怖じせず、ベルサが睨み返す。
やはり何か勘付いていたらしい。
しかし聞いてくる時点で、詳細を掴んでいないと教えているも同じだった。知っていれば、わざわざベルサの前には現れない。
「やはり町の西側か。情報部の拠点が幾つかあるな。お前が隠すなら地面の下だが、地下室があるのは二棟だけ。うち一つは、海での拾い物を詰めた診療所のはず。大事なものは一箇所に固めないのがセオリーと考えれば、答えはセーフハウスの方か」
あからさまなエルの揺さぶりに、その場の空気が変わる。重さを錯覚させるような雰囲気が、漂い始めた。
ベルサの視線も、鋭いものに変わる。
「さっき遠隔から探索もかけて、地下の存在は確認した。隠蔽を破らずとも、音の響きや気流の変化で、地下が在るかどうか程度は判断がつくのさ」
秘匿のための工作は、実を結ばなかったらしい。隠し先の候補が少なかったのも悔やまれる。母数が少ない分、見事に当たりをつけられていた。
「……隠し場所のフェイクを用意するか、いっそ無関係な場所に穴でも掘るべきでしたね」
スムーズに戦闘態勢へ移行できるよう、ベルサは改めてエルへ向き直る。
とはいえ状況は不利だった。
実のところベルサは、サポート系の術式は得意だが、戦闘用のものはからきしだった。戦うのであれば、虎の子の戦闘補助アイテムを持ち出さざるを得ない。
ここで決定的な決裂を迎えても良いものかは、難しい状況だった。
交渉継続か、戦闘か。一触即発の気配が流れる。
だがいきなり、エルが脱力した。
その身に纏う風術の光を弱め、真下に着地する。
「そう怒るな。やり合うつもりはない。ただでさえ、こっちはこれから大仕事だからな」
ベルサは警戒を緩めない。
エルが術を解除しても、再構築までは一手間で足りる。
風術は威力が軽いが、その代わり出が早い。用途の広さと扱いやすさに並ぶ、風術の利点だ。
「わたしに事前通告無しで、奇襲を開始した人を信じろと? 詐欺師から貰う約束手形の方が、まだ信用できますね」
「口が減らんのも変わらんな。まあいい。ここに来た本当の目的は、お前への聞き込みだ」
エルは親指を立て、彼の背後に存在する、とある場所を指し示した。その先には、ベルサがひた隠しにするセーフハウスがあった。
「破ろうと思えば、いつでも出来た。しなかったのは、仮初めであっても同盟したが故の、せめてもの配慮に過ぎん。教える気が無いならそれも終わる」
やり合う気が無いと言いつつも、それは事実上の脅しだった。対応について思案を続けるベルサだが、ふと疑問が湧き上がる。
エルがこちらの反応を見て、情報を引き出そうとしてるのは間違いない。
だが風術で探ったのであれば、隠蔽を破らずとも、ジズとしての感覚で嗅ぎ取っているはずだ。そして確信したが最後、確実に行動を起こす。
何故ここに至るまで、何も行動を起こしていないのか。
(もしかして、また外に出ている?)
仮説が組み立てられていく。アレが隠蔽を破らないまま外に出られるのは、既に実証済みだ。
そうなると、やはり状況は芳しくない。すぐに出向いて、対象を確保する必要がある。それも、エルに知られずに。
とはいえ、このままでは騒ぎになる。第三者に悟られる前に、何とかしなくては。
情報部で培った、心情を顔に出さない技術のお陰で、何とか外面を取り繕うことはできていたものの、ベルサは内心気が気でなかった。
幾ばくかの時が過ぎ、睨み合いが続いて。
やがて根負けしたようにエルが、セーフハウスを指す手を下ろす。
「あくまでも言わない、か。まあいい。いつまでも遊んでいられん。この件は後回しだ。巻き込まれたくないのなら、さっさと逃げることだな」
「……まるで大勢巻き込んで、何かするつもりとでも言いたげですね」
詰問を回避できたものの、そちらはそちらで、聞かずにはいられなかった。
彼に力を授けた責任もある。無闇やたらと振るうべきでないことは、言い含める必要がある。
「
「実際に滅ぼされたお前が言う分には、説得力があるな。よその国の心配とは、意外と余裕があるのか?」
「寂しいですよ、知らない国で一人過ごすのは」
ソロン帝国を出奔した日から今日まで、追っ手から逃げて知人友人から引き離され、怯えるだけの生活を続けてきた。
このサイクルを抜け出すためにも、隠したアレは絶対に必要だ。ベルサとしては何が何でも、この機を逃すつもりはない。
もっともこうした忠告も、目の前の気骨が備わった青年には通じない。
「逃げるつもりはない。全てに然るべき報いを与えたうえで、胸を張って俺は生き延びる。何を犠牲にしてもな」
気のせいであろうか、そう言い切る彼の言葉からは、
本当に、その生き方でいいのだろうか。
憎悪を隠さないエルを見ながら、そんなことをベルサは思った。
ともあれ、自分のことだ。早急に例のものを確保しなくてはならない。
改めてベルサは会話を打ち切り、セーフハウスへと走り出そうとして。
「あ、バスフィールド卿とエルだ。おーい!」
だが出鼻を挫かれた。
半端に発動した、走行用の土術が暴発しかけるのを、ベルサは気合いで押し止める。
「……困りましたねえ」
アーネ・ティファートはその立場からして、リヴァイアサンの血筋と近過ぎる。
感情的な人間と見せかけて、裏では計算高かったりと、彼女はアルノーの
エルとは別の意味で、発言に注意をしなければならない。
「ティファート卿、出撃ですか」
「すみませんバスフィールド卿。戦況、教えてくれませんか。戦勝会に出てて、状況が掴めてなくて」
見れば軍服姿ではあるものの、化粧や髪型などよそ行きの格好をしていて、戦場に赴く姿ではない。部下が同行しておらず、剣帯も持ち合わせていないため、本当にここまで直行したのだろう。
正確なことは言えないが、どことなく視線や言動がいつもよりふわふわしている。
芯はしっかりしている印象だったので、奇襲を受けているとはいえ、ここまで慌てているのは意外だった。
様子の違いにエルも気付いたようで、しげしげと状況を観察している。
「西門が奇襲を受けていますが、通常の守備隊しか配置されておらず、陥ちるのは時間の問題です。騎士団の救援は間に合わないでしょう。市街戦が予想されます」
「敵の一部が突っ掛けてきたとかじゃなく、本格的な軍事行動ってこと? 監視を潜り抜けて?」
「そうなります。完全に読み違えました。相当優秀な斥候がいますね」
「……ふん」
少し離れたところで、エルが鼻で笑う。張本人を横にして、何とも口にし辛い話題だった。
とはいえ今更伝えなくても、このくらいであればアーネも推測しているだろう。超常の力を扱う魔石使いの存在無くば、この規模の軍事行動を王都が見逃すことはあり得ない。
その斥候の正体も、ここでは口に出すのは躊躇われた。旧知の親友がそうだと言ってしまえば、アーネは混乱をきたすだろう。
迷うベルサをよそにアーネは首を捻り、どこか納得できていないようだった。
「うーん。斥候、か」
「……すみません、私も急ぎますので。ティファート卿も戦場に出るおつもりなら、気を付けて」
結局何も言えないまま、その場を離れることを決断する。
何しろこの隙に、エルが離脱しようとするそぶりを見せたのだ。隠しものを探しにでも出られたら、ベルサにとっては火急の事態である。ゆっくり話をしていられる時間は無い。
様子がおかしいアーネのことは心配だが、ことは一刻を争う。エルネストがもたらした情報が事実ならば。
(そんな遠くへは、行けないはずですけど。人目に付いたらそれだけでまずいです!)
西門から黒煙が上がる。次いで
宰相派と国王派が覇を競い合った攻城戦から僅か半年足らず。
戦火はまたも、王都リデフォールの城下町を燃やしていった。
そして、ベルサが気掛かりにしていたエリアで、異変は起こった。
奇襲を受けた街の西側は、衛兵主体の守備隊が踏ん張ったものの物量差で押し切られ、騎士団の救援を待たず西門を奪われていた。
市街地にミリー公爵軍が侵入し、散らばりながら王城を目指す。途上にあった家々も、無事では済まなかった。
補修したばかりの家に
突然の襲撃に避難する間もなく、押し寄せる暴力に民衆は流されていった。
「行け行け! 街は後回しだ、城を突き破るぞ!」
先行して突入した二十騎からなる精鋭部隊が、残存守備隊を蹴散らし城へと進路を取る。統率された部隊は、迷うことなく市街地で馬を走らせた。
城でアーデイリーナ女王を捕えることがでれば、戦における一番功が約束された。
二大公爵家がバックについているだけあって、莫大な褒賞が期待できる。
形だけ見れば反乱軍であったが、そこは当主二人が上手く言いくるめており、軍全体の士気は高かった。
そして最初に突入した部隊が、とある場所に差し掛かる。表通りから離れたその場所は、古い建屋が並んでいた。道こそ狭くて整備されていないが、少数精鋭が馬で抜ける分には十分で、何より城がある丘へ通じる裏道でもあった。
そのため、ミリー軍が侵攻に選んだルートだったのだが。
「隊長、前方に騎士らしき姿が見えます! 数は一騎のみ、如何しますか」
「
馬の速度を緩めず、突如道中に現れた甲冑姿の騎士に向かって、突撃を敢行する。一番前を先行した公爵軍が、出会い頭に突き刺すよう槍を構えた。
道中の騎士は動かない。だが急に、その鎧が淡く光り輝いた。
光の色は青。磨かれた鎧に海を映したような、優しい光だった。
それが、魔石を使う前触れだと気付いたのは、部隊の隊長だけだった。
「待て様子がおかしい、回避!」
後方を走る十機が、馬に静止をかけて横に無理矢理方向転換する。
次の瞬間、光が一層輝いた。
道に立った騎士から、文字通り斬撃が飛んだ。
公爵軍が、回避もままならずに
前にいながらやり過ごした隊長は、だが馬までは避けさせることは叶わず、腰で縦断された騎馬から投げ飛ばされる。生き残った者達の目には、斬撃の正体がはっきり見えた。
「水の刃を飛ばしただと。馬鹿な、水などどこに」
初撃を何とか避けた後方の一人が、最後の句を告げることができずに、いつの間にか繰り出された第二刃に切り裂かれる。水使いの騎士が全身を光らせる。更なる連撃を予感した部隊長が、危機を承知で飛び込んだ。
「ぬうっ! これでも、喰らえ!」
走りながら真っ直ぐ突き出した槍は、更なる追撃前に騎士へと届いた。勢いに乗った刺突は、水使いの兜ごと貫き潰す。
「さすが隊長! お見事です!」
「くそ、城を前に思わぬ被害が出たな。しかし、王都の守備も相当余裕がないと見える。この技量の騎士を単身で寄越すとは」
決死の突撃は功を奏し、水使いの騎士の頭部を完全に粉砕していた。部隊長は立ったままの騎士から槍を抜き、後ろを振り返りつつ、被害状況の確認に努める。
二度の水刃で、半数近くが死傷してしまった。軍馬の被害はそれ以上だ。今の状況で城に先駆けても、効果的な攻めは難しい。どこかの部隊と合流できれば、それに越したことはないが。
そこまで考えたところで、部下達がいきなり慌て始めた。
「隊長、後ろ!」
どうしたんだと、振り返ろうとして。
いきなり現れた水刃に、隊長は首を刈られた。
「オオオオオオオオ、オオオオオオオオ!」
首だけになった隊長の顔は困惑の極みにあった。
最後に写った瞳の先では、甲冑姿の騎士が空を見上げて、雄叫びを上げていた。潰したはずの頭部も、何故か再生している。
そして今際の際に、その正体を悟る。
甲冑に見えたそれは、凝縮、成形された水だった。
大量の水を鎧に見立てて、身に纏っている。或いは、人としての似姿そのものが、水で構成された
いずれにせよ水術の類だろうが、陸で発現できる技では無い。
化け物。
そう言おうとした隊長だったが、喉が切り離されては、喋ることなどできはしない。切断面から血を吹き出しながら、そのまま絶命する。
「う、うわぁああ!」
上官が無惨に
生き残った兵達は、水使いの騎士に背を向けて堰を切ったように逃走した。
それに追撃を加えることもなく、水使いの騎士は雄叫びをあげる。
「マ、マモル。ワレハ。コ、コンドコソハ」
……それは、選ばれず不要とされた者達を愛し、慈しんだ人間の残骸。
弱きものを、貶められたものを、虐げられたものをこそ大事とし。
しかし愛した者達に理解されぬまま、泡となって消えた。
裏切られ、
願いを捨てられなかった男の、最後の
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