第29話 血染めの檻、狂乱の式典

「お待ちくださいイリーナ姫。逆臣に手を下すのに御身を煩わせることはありませぬ。ここは我らにお任せを!」


 決闘が始まるかと思われた瞬間、両者の間に割って入る者がいた。アルノーはその顔に見覚えがあった。国王派に属する、親王主義の貴族である。今日に至るまで、アルノーが王位に着くことに異を唱え続けた人間だった。

 反対派の男は、機を得たとばかりにアルノーを睨みつける。


「待って、手出し無用でお願いします! これは私達が為さねばならない決闘なのです!」

「姫はお下がりを。ふん、家名も持てぬ無銘者むめいものめ。遂に尻尾を出したな。守衛達、前に出よ!」


 反対派の貴族の怒声で、警備担当の兵達がアルノーの前に進み出る。その数は十人弱ほど。守衛とは呼ぶものの、実際は反対派が揃えた騎士達だ。正規のルートで配置された衛兵ではない。

 集まった兵達はしかし、王族の礼服を纏ったアルノーを前にして、気圧されたのかそれ以上踏み込むことを躊躇する。


「怖気付くな! ここで討たねば卑賎ひせんの輩に国を乗っ取られるぞ! 国を思わば進め!」


 貴族の再度のげきで、騎士達が剣を手にアルノーに襲いかかる。四方から突撃を受けたアルノーが、為す術なくその身に刺突斬撃を受けた。

 初手からの一斉攻撃が功を奏したと、騎士達が安堵したのも一瞬の話だった。


 振るった剣がアルノーの体に食い込み、抜けなくなっている。騎士達からすれば、水面に剣を叩きつけたような重い感触しか残っていないことだろう。傷口からの出血も無く、アルノーにもダメージが入った様子がない。


「最低限の備えは、既に終えている」


 そう。アルノーとて、反対派が入り込むのは計算のうちだった。増鏡ユナイテッド・アバターによる大軍勢の召喚こそ不可能だが、燃費の良い技ならば使える程度には回復していた。


「ジェラール殿下のような、剛剣使いならいざ知らず。枝葉末節共の素人剣術が、俺の今鏡プリテンド・アバターを破れると思うな」


 アルノーには傷一つない。水人形を己自身で纏う、今鏡プリテンド・アバターを式典前に発動させていたのだ。

 前回は甲冑型だが今回は人型、つまりはアルノー自身だ。肌や衣服に至るまで形状や色彩を偽装していたため、あたかもアルノー自身が斬られているような光景だった。斬撃の威力は、水の鎧に吸収、分散させられていた。

 ジェラール戦でこそ軽々突破されたものの、あの時はトラップも兼ねていた。本気で稼働させれば、雑兵の一撃など無傷で受け流すことができる。

 剣が抜けない騎士達を尻目に、アルノーの胸の光が強まっていく。

 次の瞬間、アルノーの光が膨らむのに合わせて、中央に配置されていた甲冑の騎士達が光を放った。


「囲え、大鏡ブーステッド・アバター


 水人形の騎士が掲げる剣の柄から、大量の水が噴き上がる。水は天井近くまで伸びて、そのまま拡がり落ち、アルノー達の上を覆っていく。十体の騎士達から放出された噴水は、大聖堂中央部に半球状の檻を形成した。中央のアルノー達と、観衆を分け隔てるように。


「さて。招待状なき部外者には、退場願おう」


 水の檻から杭状の水が飛び出し、周囲の兵士に叩きつけられた。誰一人として対応できず吹っ飛ばされ、悲鳴も残さず水の檻を破って外まで転がっていく。十人の騎士達はあっという間に地に伏せられた。


「馬鹿な! 一瞬で全員を⁉︎」

「貴方もだ、忠臣殿。次からはその忠誠心、是非とも我がために発揮して頂きたいものだ」


 囲いの外にいた反対派の貴族に、檻から水の鞭が伸びる。添木に絡まる蔓のように、鞭は貴族の男に巻き付いていく。あっという間に反対派の貴族は簀巻きにされて転がった。


 観衆が揃って息を呑む。圧巻の一言だった。水場のない場所でこれほどの水術を繰り出すのは、世界広しといえどそうはいない。

 実際は圧縮形成している水人形から、術に用いる水を繰り出しているのだが、それとて永久機関というわけではない。水には限りはあるし、体力は刻々と消耗を進めさせる。それに気付く人間は、会場に一握りもいないのだが。


「あまり手出しをされても困るからな。場を区切らせて貰ったが、文句はあるまい?」

「アルノーさん、貴方は」


 アディは何か言いたげだったが、かぶりを振って結局は呑み込む。

 これ以上、言葉は不要だった。

 お互い武器を構え直す。

 前座が終わり、今度こそ国の行く末を決める決闘が始まる。

 やや間をおいて。

 二人は同時に動いた。

 アディがアルノーの眼前に迫る。掛け声と共に水平に斬撃を放たれるが、アルノーは垂直に剣を構え、冷静に受け流す。甲高い剣戟音が聖堂内に響き渡る。

 続けて二度、三度とアディはタイミングを外し、フェイントを交えアルノーに迫る。

 そのことごとくをアルノーは捌ききり、しかし自分からは攻めようとしなかった。

 ただひたすら、槍を打ち続けるアディについて観察していた。そして結論を出す。

 ちゃんと鍛えられている。誉めていい技量だった。だがそれだけだった。

 目の前の相手は、ジェラールのような圧倒的な膂力を持っているわけでも、ロベールのような冴えた技術を持っているわけでもない。

 おそらく兄から習ったのであろう槍は、一定の水準を上回ってはいた。だが騎士団長補佐官として経験を積んだアルノーが、危機を感じるほどではなかった。


「その槍、団長の持っていた槍だな。ロベールに回収されたと聞いていたが」

「とある方が回収したものを、託されました」


 一体誰がと疑問に思うものの、流石に考えている余裕は無い。真剣勝負の最中なのだ。

 とはいえ、既に相手の技は見切りつつある。

 単純な軌道の槍を、アルノーはそのまま手で受け止める。今鏡プリテンド・アバターあってこその曲芸ではあったが、アディは驚いて一瞬動きを止める。

 その隙をついてアルノーが下段から斬り上げるが、距離が遠いのに加え片手で槍を止めたままだったので、捻転を加えられず剣速が遅い。アディにぎりぎりのところで、身をよじって躱わされてしまったうえ、そのまま強引に槍を引かれ距離を取られる。

 しかし逃げられたものの、アルノーに不安は無かった。


(この程度なら問題ない。倒せる)


 槍を扱うにしては斬撃を多用するが、それでもあのジェラールから習ったとは思えないほど教科書通りで、素直な槍捌きであった。故に、読みやすい。

 しかし、それにも関わらずアルノーは攻撃に転じない。それどころかむしろ、だんだんと心を乱していった。

 理由はやはり、剣を交えている相手のせいだった。ジェラールの槍を扱っているせいだろうか。武器を交えるごとに、師の存在をひしひしと感じていた。実力にギャップがあるだけに、余計に戸惑う。

 やがて動きばかりか、姿にまであの二人が重なってくる。

 彼の幻影を見た瞬間、アルノーはもう平静ではいられなくなった。


「もういいだろう!」


 アルノーが雄叫びと共に攻撃へと転じる。力任せに思い切り横薙ぎに振るう。

 アディはそれを槍で受けようとして、受け流しきれず、衝撃で後退する。だが彼女も今の一撃でアルノーの異変に気付いた。


「何度、俺に殺されれば気が済むんですか先生! 死人は死人らしく、天上で大人しくしていてください!」


 失言だったことにアルノーは気付かない。

 アディは舌打ちをする。

 彼女は勝負の前の会話において、アルノーの企みを糾弾することはなかった。その非道を公に晒す気が無いのは、明白だったのだ。

 しかし今、アルノーは殺したと発言した。

 観客達がまたも騒ぎ始める。先生とは誰か、誰が殺されたのかが話題となって。

 そして何人かには、その意味が正しく読み取られることになった。

 それを知らず、アルノーはただただ力任せの剣を振るい続ける。そうすることで幻を振り払うかのように。


「もう現れないで、頼むから、これ以上俺に殺させないでください!」


 本音が洩れだす。始まりから今に至るまで、ずっと隠し続けた己の想い。

 殺したくなどなかった。それでも進まねばならなかった。自分をも誤魔化しきることで保っていた精神の均衡が、音を立てて崩れていく。


「アルノーさん、貴方は」


 猛攻に耐えながらも、アディの瞳は憐憫れんびんの情を隠さずにいる。

 それが仇となった。アディは上段から振り下ろされる一撃を受けようとするが、タイミングを外し力を逃しきれない。振り下ろされる斬撃は、その勢いに任せアディを槍ごと吹き飛ばす。そのまま彼女は武器を手放し、尻餅をついてしまう。

 ここぞとばかりに、アルノーは座り込んだ相手に対し剣を振り上げた。

 再び上段から叩き込むつもりだった。最早相手は躱しきれない。


「終わりだ、消えろ幻影!」


 そして剣が振り落とされた。

 しかし、凶刃がアディに届くことはなかった。

 横から飛び出してきた別の誰かの剣が、アルノーの一撃を阻んでいた。

 第三者が割って入ったのだ。それも、水の檻の外から。それ自体が、アルノーを驚愕させる。檻は生半可な力や術で突破できるものではない。よしんば破っても、術者であるアルノーにはすぐ察知できるはずだった。だが目の前の乱入者について、アルノーはここに至るまで気付くことはなかった。

 とうの乱入者は、柄と剣先をそれぞれ右と左の手でしっかりと握り、アルノーの剣をしゃがんだ状態で真正面から受け止めている。よほどの衝撃だったのか、剣を必死に支える両手は震えていた。いや、もしかしたら震える理由は、それだけではないのかも知れない。

 振り下ろされる凶剣を止めてみせた者は、すがるような涙目でアルノーを見つめている。


「先生を殺したって本当なの、アルノー?」


 やっとの思いで絞り出したかのような、その細く小さな声は、両手以上に震えているようだった。

 お願いだから否定して欲しい。そんな思いが痛いほど伝わる。


「…………アーネ」


 お前にだけは、来て欲しくなかった。

 アルノーの声からもまた、その想いが悲しいほど伝わった。

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