第28話 厳かなるかな待望の日、真なる後継

 戴冠式までは、あっという間に時が過ぎた。

 準備、戦後処理、諸侯達との話し合いなど、やるべきことは山のようにあった。

 それらの動きの中で、アルノーの手となり足となって補佐したのが情報部のベルサだった。

 彼女はアルノーに好意を持ってない貴族との仲を取り持ったり、情報部幹部との橋渡しを買って出た。他にも祭事における手配や準備など、アルノーの手が回らない要所を埋めてくれた。

 謀らずとも、ベルサを早期に味方に付けたことはアルノーにとっては僥倖だった。彼女の支援がなかった場合、これら諸問題を片付けるのはそれなりの手間となっただろう。

 そして当日。


 その日は快晴だった。

 式典は日が暮れる時間からだったものの、朝から照り続ける太陽のせいで、春にも関わらず日中はそれなりの暑さとなった。

 道場を見に行く暇はあるだろうかと、気の抜けた考えがアルノーの中に浮かんでくる。

 正直に言って、時間的には厳しい。だが今日という日にアーネ達と話し合うことができたなら、わだかまりが解消できそうな気がした。


 舞台はエミリア教が管理する、湖上に浮かぶ大聖堂。雨天時には道が水没することで有名な、巨大な塔状の建築物だった。内部は思いのほか広く、奥に飾られてある巨大で色彩豊かなステンドグラスが、静謐せいひつさをもたらすのに一役買っていた。

 広い大聖堂内の左右には騎士や貴族、果ては特権階級クラスの市民までが、手前から奥にかけて階層順に、詰め込まれたように立ち並んでいた。

 奥の祭壇側には、海外からの国賓が顔を並べている。その目には羨望の色が混じっていたり、値踏みするような訝しげなものだったりと様々だ。

 中央回廊では、入口から奥まで真っ赤な絨毯が、聖堂を割るように敷かれていた。

 絨毯の両脇では、甲冑姿の騎士達が、剣を床に向けて構えたまま静止している。入口から祭壇まで等間隔に総勢十体、それらは全て増鏡ユナイテッド・アバターで作られたアルノーの水人形だ。

 言わずと知れたアルノー最大の秘技だが、攻城戦の折に事実上壊滅したため、規模は縮小している。

 当時休眠状態にしていた予備機しか、今回は動員できていない。とはいえ、それなりの迫力は感じられた。実際の騎士姿を精緻せいちに模されたそれらが水人形だとは、観客の誰もが気付いていない。 

 そして今、術仕掛けの騎士達の間を進むように、次期国王が祭壇へ向かいゆっくり歩いている。尊厳を醸し出すため威風堂々歩こうとしているのか、それとも単に緊張しているのか。どちらにせよ、ぎこちなさが否めない挙動だった。

 いつものような全身黒の軍服姿ではなく、宝石の飾られた華美な赤いマントを羽織り、王族しか着ることの出来ない礼服に身を包んでいた。


「いや、やっぱりこれ似合ってないだろ」


 誰にも聞こえない声でアルノーが呟く。

 こういう煌びやかな礼服は、同じ平民でも黒髪吊り目の荒々しい顔つきのアルノーより、金髪碧眼優しい物腰のアディのようなタイプが似合う。

 本格的に王になったら、毎日こういう居丈高な格好をしなくてはならないのかと、アルノーは不安になってくる。慣れる自信は全くない。

 アルノーの前方にはエミリア教の司教が、聖職者とは思えぬでっぷりとした姿で不遜に構えていた。その背後にも司祭らしき者達が何人か並んでいる。彼らは白い手袋をした手に、王笏おうしゃくや王冠を持って、入口から歩いてくるアルノーを見据えていた。


 王に成る。

 その夢が現実味を帯びて近付いてくる。

 この道を歩んだがために、何人もの命を手にかけてきた。仲間や友を、裏切りたばかってきた。

 そういった苦行を乗り越えて、自分は今この地に立っている。

 その事実がアルノーの胸を打つ。感無量。とはさすがに言える立場ではないが。だからこそ、込み上げてくるものを今は呑みこむ。

 実際、ここで満足するには早かった。

 宮廷に巣くうダニは一掃した。民がもっと国政に関われるよう、議会の仕組みも用意した。

 しかし今まで差別してきた意識は、未だ消えてはいないだろう。貴族は民を蔑み、民は貴族を妬む。そればかりは制度を変えたとしても容易には変わってはくれない。むしろ、その差別に対し疑問を持ったアルノーの方が異端なのだろう。

 それでも何とかしたい。いわれ無き扱いに涙する人達の手を取ってやりたい。それこそが自分を動かす原動力だとアルノーは自認する。

 そのための地位は得た。後はちょっとずつでも変えていこう。未だに迷うことはあるけれど、それでも自分なりに我武者羅がむしゃらに突き進んだ結果。その答えが今、出ようとしていた。

 そして。

 突如、ステンドグラスが割れ砕けた。

 破片が舞い、下にいる司祭達を襲う。

 観衆はただ呆然と立ち尽くす。

 誰一人、何がどうなっているのか理解できない。

 アルノーもまた。

 割れたステンドグラスの向こうから、何かが飛び込んできた。

 短めの、薄い色彩の金髪をふわりと空中に浮かせて。その人影は軽やかに聖堂内へ着地する。

 顔を上げる。

 柔和そうな顔に、悲しみか喜びか、判断の付かない微妙な笑みを浮かべている。


「お久しぶりです」


 透き通るような声が響く。抑揚が無いのに、何かを内に秘めているのが感じられる声。この声の主をアルノーは知っていた。忘れるはずもない。

 アディ。かつて共に語り合った、数少ない、おそらく友と呼べる人。

 アディが、アルノーの前に立ちはだかっていた。


「お騒がせしてすみません。普通に入口から入っても、摘み出されてしまうかもしれなかったので、少々インパクトある登場をさせてもらいました」


 アディはこともなげに言い切る。

 確かに式典開始以降は、大聖堂へ入ることは禁止されている。だがそれなら、他の見物人達と一緒に、所定の時間までに来ていればいいだけの話だ。

 何故わざわざ乱入する必要があるのだろう。単純な疑問に、アルノーは戸惑った。

 少なくとも、彼は何かをしようとこの場に乱入してきている。それも、アルノーにとって良くない意味合いを持って。


「待て、アディ 。これはいったい何の真似だ。どういう日か分かっているのか?」

「理由は色々あるんですが。演説やその後の貴方を見ていて、思うところがありまして」


 演説の日に来ていたということは、少なくとも宰相派の残党に捕えられていたわけではないのだろう。心配事が一つ減ったわけだが、当人はそれより大きな問題を抱えて登場してきてしまった。

 しかし今こうして式典の妨害行為に身を置くとなると、アルノーの語った演説は、アディには権力を握るためのただの偽善にしか映らなかったかもしれない。そう思うと少し悲しかった。


「私、分かったんです。貴方がどれだけ苦しんでいるのか。どんな思いで、その道を選んだのか」

「何?」

「色々なことを知ってしまったけど、一緒に語り合ってきたこれまでがあるから、きっと辿り着くことが出来た。どれだけ貴方が自分の夢に想いを込めているのかを」

「意味が分からない。俺の何が分かると?」


 思った以上に、自分の声が低くなる。少なからず、アルノーは苛つき始めていた。

 自分がどんな思いで師を殺すことを決めたのか、簡単に分かるなどと言われたくなかった。

 それは自分だけの思い。誰にも踏み入ることを許さない、己のもっとも柔らかい部分。


「分かりますよ私には。貴方だって本当は分かっているはず。自分がどれだけ身勝手な正義を振り回しているのかを。そのことに貴方が気付いていない訳がない。もし知らないなんて言うのなら、それは真に邪悪な意味での独善です。ロベールと同じだ」


 その言葉を、アルノーは捨て置くことが出来ない。それだけは譲れない一線だった。


「違う、俺はあんな独裁者とは断じて違う! 一緒にするな! 王宮が、為政者が何にもしてくれないから俺が今ここにいるんだ!」

「それは貴方に求められたものではないでしょう。貴方には、もっと英雄として生きる道があったというのに。進むべき道を誤ってしまった」


 ばっさりと切られる。


「じゃあどうしろっていうんだ! 虐げられたままでもいいとでも!」


 怒り叫ぶアルノーを見て、まるで神父が優しく説教を唱えるかのように、アディが語り始める。


「私もね、貴方と同じなんです。いや、正反対といった方が正しいかな。貴方はいつでも自分で何かを為そうとした。私はいつも誰かに頼り、何もしようとはしなかった」


 アルノーは僅かに違和感を憶える。

 アディの責めるような発言は、自分が王座に着こうとしていることのみを、指しているのだろうか。

 話の流れからいえば、それ以上のことをアディは知っているような印象を受ける。

 情報通りロベールに攫われていたのなら、黒幕がアルノーであることを、聞いていてもおかしくはない。事実を知ったならば、それは確かに単身で相対する理由になり得る。


「アディ、君はなにを知っている?」


 聞くべきではないと気付いたのは、その疑問を口に出してしまった直後のことだった。ここは多くの人が集まる、戴冠式の大聖堂。

 もしアディが、知ってはいけない事実を知っていたとして、ここでそれを暴露されるのは最悪だ。

 証拠の有る無しは関係ない。そういう印象を多くの人に刷り込まれることこそが、最もまずい。

 世間の噂となって、尾ひれを付けて無秩序に広がるようであれば、アルノーの改革は途端に立ち行かなくなる。民と貴族、両者からの信頼あってこそ初めて成り立つのだ。


(だが、それならば何故それを指摘しない?)


 一連の黒幕がアルノーであるということについては、まだ言及されていない。二人を囲む周囲の人間も、未だにどういう事態か把握しきれてはいない様子だ。

 そのこと自体はアルノーには優位に運ぶ。

 摘み出せれば簡単だが、衛兵は戸惑っているようで出てこれず、呼び出すタイミングも失ってしまった。これについては、むざむざ対話に乗ってしまったアルノーの落ち度でもあるわけだが。


「ここに来た理由を言っていませんでしたね。アルノーさん、これを」


 そういってアディは背中から一振りの剣をアルノーへと投げて寄越した。魔石も飾られていない、正真正銘ただの剣だ。

 訝しんでアディの方を見ると、彼は布に巻かれた長物を手に持っていた。サイズや大まかな形状から察するに、歩兵用の槍といったところだろう。


「リデフォール王国王女、アーデイリーナ・ホラル・リヴァイアサン・ド・リデフォールとして。私は、貴方に玉座をかけて決闘を申し込みます!」


 誰もが言葉を呑む。言葉の意味が理解できなかった。そして、ゆっくりとざわめきが広がっていく。

 やっとと言った様子で、アルノーも口を開く。しかもその声はかすれていた。


「何を言っているんだ、アディ。ふざけるのもいい加減に」


 言い切らない内にアディは、胴衣のボタンを外し、自分の胸元の絹衣を引き裂く。露わになった部分からは、控えめながらも女性のそれを思わせる胸が僅かに覗ける。そしてその他に、青い蛇のモチーフが、素肌に彫られてあるのが窺えた。


「王家の、刻印? じゃあ本当に君は」


 後の句をアルノーは告げなかった。その代わりとばかりに、周囲の声が彼の耳に響く。

 リデフォール王家の直系。

 イリーナ姫の愛称で知られた先王の末娘。

 王太子ジェラールの妹。

 十一年前の王室別邸大火災の被害者。

 侍従への変装。

 いやが上にも、状況が会場内へと伝播していく。


「信用、してもらえますか?」


 聖堂全体が騒然とし始める。十年前の大火災で死んだとされていたイリーナ姫が、突如その姿を現したのだから無理もない。

 刻印についても、アルノーはジェラールのものを目にしたことがある。王室付きの彫り師が独自製法の顔料を用いており、完璧な模倣は不可能だと聞いている。いよいよ持って本当なのだろう。

 アルノーでさえも、想像だにしていない状況の進行により未だ棒立ちのままだった。そんなアルノーを見かねてか、やがてゆっくりとその口を開いた。


「十一年前。私は、とある王室スキャンダルにより兄との別離を余儀なくされました。それこそ、係わった者全員を闇に葬り、私という存在自体を抹消しなければならないほどの事情でした。全て王家の者が内々に処理したので、あのときの騒動について知っている人間はいないはずです。その王家直属の人間もまた、ロベールによって亡き者にされました」


 となれば、アルノーが先王マクシミリアンの元を訪れたときの説明も付く。

 禅譲をあっさり承諾したことも、アディの安否を確認したことも、違和感があった。

 ジェラールの他にも、リデフォール王家の後継者はいたのだ。

 単純に救うためか、反撃のための雌伏のためか。どちらかは定かではないが、それを悟られないようにするため、敢えてあっさりと王座を放棄した。

 病床にいたマクシミリアンにまんまと欺かれた形だが、果たして傀儡だった先王にそこまで筋書きが書けていたとは思えない。すべての事態を把握して、裏で手を引いた人物がいる。そんな人間に、アルノーはとても心当たりがあった。


「ロベールか。奴め、くだらない小細工を!」


 間違いなく今の状況は、ロベールが掛けていた保険だろう。先駆けて王室の遺児たるアディを保護し、マクシミリアンには脅迫された際の助言を残していた。すべては、簒奪者から王室を守護するため。国を思っての圧政者というのも、あながち嘘ではない。


「騙していて申し訳ありません、アルノーさん。でも分かってください。私達は決して貴方を信じていなかったわけではないのです」


 ざわめきが大きくなる。一部では、兵を呼ぶような声も聞こえてくる。

 これでは最早、王位継承は怪しくなった。王に就くのに、アルノー以上の適任者が出てきてしまったからだ。

 ここでアディを始末しても、その流れは変えられない。殺して式典を強行しても、間違いなくしこりが残る。アディという唯一の直系が叛意を示した以上、必ず意志を継いで続く人間が出てくる。それはその後の治世にも影響を及ぼす。笑えないことに、アルノー派とアディ派が生まれるかもしれない。

 こういう状況を恐れて、先んじてジェラールを葬り、ロベールの仕業になるよう画策したというのに。全てご破産と化してしまった。

 式を取りやめて、一から策略を組み直すのも手ではある。

 一人一人味方を作り陣営を整え、アディの支持者を削り、場合によっては闇に葬る。時間をかければ、可能だ。

 やっていることが、ロベールと同じだと言うことに、目を瞑れば。

 そして、アルノーがそれを許容することはない。


「終わり、か」


 必死に頭を巡らせても、ここからの完璧な逆転策が見つからない。何より、王冠まであと数歩というところまで来ているのに、仕切り直しなど考えたくもない。

 そもそも衝撃の事実を明かされたインパクトで、思考が鈍っている。ここまでの混乱も計画のうちなら大したものだった。


「しかし。闘うとはどういうことだ? 闘うまでもなく、こっちはもう参り切ってるんだが?」


 捨て鉢な科白せりふを吐くアルノーに対し、金髪碧眼の姫は力強く目を剥く。その姿は、アルノーの知っているアディではなかった。


「兄が、ジェラールが言ったことを思い出したんです。愛する人が傍にいるだけで、人生は尊いものなのだと。その言葉が、私の心が憎しみに囚われることから、守ってくれました。だから気付くことが出来た。貴方自身気付いていないであろう、貴方の本当の願いに」

「俺の本当の願いだと?」

「はい。私がここで、多くを語らない理由です。貴方のおかげで、私は自分のやるべきことにやっと向き合うことが出来た。私は、今まで何もしようとしなかった弱い自分と、決別します。だから。貴方も自分の本当の想いを、見つめ直して。貴方が演説で語ったことは本来私の役目。王には私が成ります」


 ただ真っ直ぐと、その瞳はひたすらにアルノーを見据えていた。かつてアルノーを止めようとしたジェラールのように。

 彼の魂は、信念は、確実に目の前のか細い王女に受け継がれていた。そのことにアルノーは、僅かならぬ苛立ちを覚える。


「また俺の前に立ちはだかるというのですか先生、貴方は」


 誰にも届かない囁きを発し、剣を抜く。

 もう、終わらせようと思う。師との因縁に。

 そうでなくともアディは秘密を知りすぎている。これからのためにも、ここで片を付けておかねばならない。


「ならば。これで全てに決着をつける!」


 剣を正面に構える。相手も穂先をアルノーに向けていた。

 後継者達の闘いが、始まろうとしていた。

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