第30話 水の王、顕現
アルノーとアーネが、剣を手に取り
予想していなかった幼馴染みの登場に、アルノーは表情に出さないまでも、内心では半ば混乱していた。
「俺が殺したなら、何だと言うんだ」
「……アルノー」
「今にして思えば。お前は知ってたんだろ、アディの秘密を」
アーネとアディは、頻繁に交友する親しい間柄だった。完璧な男装だったとはいえ、親友の性別も見抜けないほどアーネの観察眼は
「ごめん。さすがにお姫様ってことまでは知らなかったけど。でも」
いつも気色溢れるアーネの顔が、アルノーの言葉でみるみる落胆の色に染まっていく。
そんな顔をさせたくて、全てを捨て去る覚悟をしたわけでは無いのに。
ままならない事態に、アルノーはさらに昂ぶる。
「そう、お前の考えている通りさ。ミリー公爵を殺したのも殿下を殺したのも全て俺だ。王位を得るため、ひいてはこの国の民のためだ!」
「勝手なことを!」
見ているだけだった観衆の中から、男が叫びが聞こえてくる。水で
「散々我らを謀るだけ謀っておいて。この期に及んでまだ正義面するつもりか!」
「何を言っている? 俺がいつ誰を謀った」
アルノーが剣を引き、参列者達の方へ身を翻す。溢れんばかりの狂気を、今度は聖堂に集う衆人達へと向けた。
「俺が演説で言ったことに嘘はない。事実として、実行しているだろう?」
その言葉に親王主義の男は何も言い返せない。
確かにアルノーの公約である、選挙を含めた庶民院導入については着手済みだ。施行された暁には、彼の演説の内容は事実上完遂されたと言っていい。
アルノーの目的は王権そのものではなく、民にも権力を付与させることなのだ。二院制成立の折には、アルノーに議会を無視できるほどの権力は残らない。
「それでもミリー公爵やジェラール殿下を殺していいことにはならん!」
怒りの矛先を失いつつも、それでも親王主義の男は食らいつく。
しかしそれすら、アルノーは歯牙にもかけない。
「この国は、一刻も早くロベールという膿を排除しなければならなかった。さもなくば、民は細る一方だった。貴族は何もしてはくれない。民の苦しみは同じ民にしか分からない。だから平民出の俺がやるしかないだろう!」
遠巻きに批判されたためか、特に国王派の貴族達から罵倒が飛ぶ。自身の所業を顧みないアルノーの言動に、あちこちで反感が生まれた。
一人、その様子を見かねたアディが口を開いた。
「アルノーさん。こうなった以上、もう明かすべきではないですか」
その言葉をアルノーは無視をする。しかし、つい身体が反応したことは見逃してもらえなかった。
「つつがなく受け入れられるのなら、敢えて言う必要も無いと判断しましたが。隠していることがまだあるでしょう」
質問でありながら、何かを断定している口調だった。
騒ぎ立てつつもアディの言葉を拾っていたのか、大聖堂はゆっくりと静寂を取り戻し始める。
聴衆としての優秀さに、アルノーは舌打ちをしたい衝動に駆られるが、アディの言葉を否定しておくことの方が先決だった。
「何のことだ」
「昔帝国の辺境に、『四大』と呼ばれる魔石を持つ男がいました。男はある日仲間を連れて、誰も踏み入ったことのない南の島へ探検に出掛けました」
アルノーの言葉には別段反応せず、アディはゆっくりと口を開く。
アディの突然の話に、誰もが疑問符を浮かべる。
「島の周りにはいくつもの大渦が張ってあり、来るものを拒みましたが、男の魔石でそれは瞬く間に消え去りました。かくして男はその島に、自身の国を造りました」
「リデフォール王国建国のお伽話?」
誰かがそう呟く。
その呟きの通り、アディの昔話は、初代国王シドニーの話を元に作られた寓話だった。そして、当時島を覆う大渦を取り払った魔石こそ、
「めでたく男は王になりました。しかし、彼の一族は彼の持つ魔石の強大さを恐れました。そしてある日、石と王座を欲した彼の親族が、男を追放しようとしました。大勢の兵を送り込まれた男は魔石を使い反撃に出ます。形勢不利と見た一族は、ある卑劣な手を打ってきました」
「もうやめろ」
震える声でアルノーは懇願する。
しかし紡がれる言葉は途切れない。
「親族は、男の家族を人質に取ったのです。目の前で妻や子供達が次々殺されていきました。そして一番上の娘が殺されようとしたとき、男は泣いて頭を下げます。かくして、石と王座を引き替えに娘を助けた男は、同族の手で処刑されてしまいました。娘も逃げる道中、結局刺客の手に掛かりました」
聖堂にいる人間が、話に聞き入り固まる。アディの話は、途中からは寓話に無い、非公開のエピソードだった。
話が本当なら、現王族によって握り潰されたのだろう歴史の闇。王家の人間であるアディの言だからこそ信憑性が強く、誰もが作り話だとは指摘できなかった。
しかし、その沈黙をアルノーが破る。
「もうよせ!」
言い切らない内に、アルノーはアディへと斬りかかる。それを食い止めようと、今まで大人しくしていたアーネが立ち塞がった。
「どけ!」
アルノーは目の前の少女を切り払おうとするが、アーネは上手く相手の剣に自分の剣を絡め、鍔迫り合いに持っていく。
「待って、アルノー。アディの話がアルノーと何が関係あるの!?」
アルノーは何も言わず力で押し切ろうとする。しかしアーネが巧みに、時には引いて、時には押し返して、それをさせない。
その間にもアディは話を続ける。
「すべてが終わり、王から魔石を奪おうとしたとき、彼の親族はようやく気付きます。王は魔石を持っていませんでした。ですが直系は死に絶えているのに、親族の誰も石を継承できていません。王座を簒奪した代償に、一族に受け継がれるはずの魔石は永久に失われてしまったのです」
「待ってください姫! 初代国王の時点で、
突如横槍を入れたのは国王派の男だった。いや、その男だけではない。その場にいたほとんどの人間が驚きを隠せない。
無理もなかった。
アディは一度アルノーの方をちらりと見て、そして再び語り始める。
「王家に伝わる伝承はここまでです。これから先は私の推論混じりになりますね。話の通り、初代国王は家族と共に命を散らしたのですが、一人だけ、親族達が直接手を下していない者がいます」
「初代の、一番上の娘?」
「ええ。仮定の話ですが、親族に継承されなかった理由として、既に直系子孫への継承が済んでいたならば。
「娘はそうやって王都とは逆方向、西方の山岳地帯方面へ渡ったのだと思います。廃された初代国王の名はシドニー・リヴァイアサン。言うまでもなくリデフォール王国の国宝、
「……やめろ」
「娘の名はプリシス・リヴァイアサン。余計な策など用いずとも、貴方はこの国の純然たる後継者だったのですね、アルノーさん。いえ、アルノー・プリシス=リヴァイアサン」
聖堂が完全に静まり返る。アルノー・プリシス=リヴァイアサン。それがアルノーの本名。
リヴァイアサンの姓を隠すために、娘の名を示した『プリシス』はやがて、姓へと用いられるようなった。それが、アルノーの血脈についての真実。
「さらに、このことはもう一つの事実も示唆します。四年前の戦争時、貴方は役職こそ今と違えど、ジェラールと共に行動していました。そしてジェラールは戦争末期、
「……まさか」
アーネが呟く。その場の全員がアディの続きを悟った。苦虫を噛み潰したような顔をしてアルノーが顔を伏せている。
「アルノー。本当は、貴方が
疑問形の割に、アディは確信しているかのように尋ねる。
アルノーは何も答えない。そのことこそが、事実を雄弁に語っていた。
いつの間にか傾いていた陽が、ステンドグラスから顔を覗かせる。その光が
「俺が先生に頼んだんだ」
誰が訊くともせず、静かにアルノーは語り始めた。
「戦争中、俺の所属する隊が浜辺で孤立して。散り散りになったところを追い詰められて、もう駄目だと思ったら魔石が急に光ったんだ」
今までの激情に駆られたような声ではなく。
「気付いたら高波が襲ってきて、敵だけを攫っていったよ。海には大渦がいくつも出来ていて、敵の船を呑み込んでた。それで怖くなって、先生に全部話したんだ」
それは、眠れない子供に本を読ませて寝かしつける親のような、優しく静かな声で。
「あの規模の災害だから
まるで自ら語ることで、在りし日を懐かしんでいるような顔をしながら。
「アルノー。何で秘密にしていたの? 王になるんなら、そんなの隠すことじゃ」
「駄目なんだよ」
さっきまでとは、うって変わって押し殺すかのような低い声が漏れた。その顔に再び激情の火が宿る。黒い影がアルノーの背後に刺さっていった。
「平民ということに意味があるんだ。皆の希望になるには。リヴァイアサンの血筋が王に成っても、何も変わりはしない。国を変える象徴にはなれない」
切羽詰まった表情へと変化していく。アーネはその顔を痛々しそうに見つめる。今のアルノーは危うい。誰かが止めてやらねばならなかった。アーネは自然とそれを悟る。
「導かなきゃ。皆を。先生を裏切った意味が失われてしまうから。俺は王に成らなくちゃ駄目なんだ」
アルノーは剣を強く握りしめる。そして、まるで獣のように吊り上げた目で、アディを睨んだ。そしてゆっくり歩を進める。
「駄目! アルノー、もうこんなことは止めて!」
またもや前に立つアーネを、アルノーは
誰もが道を譲りたくなるであろうその眼力に、アーネは下唇を噛み締め耐える。
「そこをどけ」
地獄から這い出たような声。しかしアーネはそれに負けるわけにはいかなかった。
「どかない。きっと誰よりも、アルノーの方が苦しんでいるはずだから。今だって、深い悲哀に満ちた形相を、憤怒の仮面で隠しているだけ」
もうアルノーは、自分では止まることが出来ない。だからこそ、誰かが止めてやらねばならない。
それを本能で理解したアーネが、アルノーの悪魔のような凶悪な視線を、真っ向から受け止める。
「もう終わりだ。俺の願いは叶わない。祝福されながら誕生した平民の王が、国を変えることはない」
アルノーもまた、もう退くことはできない。剣を構えたまま、アーネの数歩手前で足を止める。
「だが理想は叶えられねばならない。この理想は、疑いようがないほどに正しいのだから。今更諦めるわけにはいかない。残念だよ。正しい国を作るには、もうこれしかない」
大聖堂に地鳴りが響く。地震と思われたそれはいつまでも止まず、建物の壁や床を震わせた。
様子を見ようとした観衆の一人が列を離れて窓を覗くと、悲鳴を上げて腰を抜かした。窓の外では、巨大な水柱が何本も屹立していた。更に驚くべきは。
「大聖堂の周りが、湖になってる⁉︎」
湖岸に大聖堂があるという比喩ではなく、実際に大聖堂が湖の只中に放り込まれていたのだ。実際は大聖堂ではなく、湖の方を動かして大聖堂を取り囲んだのだろうが、どちらにせよ個人が短時間で成し得る術ではない。
誰も逃さない。誰も立ち入らせない。
アルノーの意思表示だ。
揺れを感じたのは、湖水の流動で建屋と地面が実際に揺らされていたからだ。周囲がパニックに包まれる。
「平和な継承が為らぬのであれば。ここからは更なる犠牲を容認しよう。暴力を以って、暴君として。俺は俺の悲願を叶えることにするよ」
「駄目ですアルノーさん、ヤケにならないで! 失わせずとも、道はあります!」
大聖堂の出入口の扉から、浸水が始まる。内部からでは確認できていないものの、湖水面が上昇して塔の床部分より高くなっているのだ。それこそまさに、大聖堂を水攻めするが如く。湖の水は、すべてアルノーの手中にある。
「我が名はリヴァイアサン。リヴァイアサンのアルノー。潤いなき荒れ野の島に、清浄なる水をもたらすもの。立ちはだかるのなら、我が波濤がすべてを呑み込もう」
直後、大聖堂の窓が割れて、渦巻く水柱が構内に流れ込む。
檻の中心にいるアルノーの胸には、アディと同じ形の紋章があった。決定的に違うのは、その紋章が陽光を思わせるほどに輝いていること。
真なる直系が、今その力の全てを解放しようとしていた。
誰にも望まれぬ闘いが、ここに開幕した。
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