第31話(上)運命の扉、大願の終着点

 水術によって圧縮された湖水が窓を破り、鉄砲水のように聖堂内に飛び込んで来る。

 床は浸水が始まっていて、来場者達の靴を飲み込むほどかさを増している。更に外では大聖堂の建屋自体が、波打つ湖に囲まれてしまっている。

 これにより外部への脱出が阻まれているうえ、恐らくは地盤にも多大な影響を与えている。大聖堂は塔の形を取っているので、いつバランスを崩して倒壊してもおかしくはない。土術師がいれば保たせられるかもしれないが、湖水で囲んでいる以上、アルノーが場の主導権を取っている。


「逆らわなければ、誰も殺さない。だがアディ、君は駄目だ。二頭制を敷く気はない。後の憂いの芽は、ここで断ち切る」


 この場において、アルノーが必ず始末しておかなければならないのが彼女だ。

 殺意を向けられたアディが、一瞬体を震わせるのが見える。可哀想だが彼女にその気がなくても、他の諸侯に持ち上げられ、反アルノーの旗印に掲げられる恐れがある。力を持って統制すると決めた以上、半端な対応はできない。

 アルノーの意図を察したのか、アーネが敢えてアディの前に出てくる。あくまでアディ側に付くらしく、その決断は少なからずアルノーを苛立たせた。

 誰の為の改革だと思っているのか。


「もう止めてアルノー!」

「邪魔をするなと言ったはずだ」


 アルノーが容赦なく剣を振るう。訓練や模擬戦ではない、本気の太刀筋だった。

 アーネもそれを躱しつつ、臆せず剣を握る。指先が柄に埋められた炎の魔石に触れると、石は呼応するように赤く閃いた。先日の攻城戦における戦利品だ。

 剣戟で火花が生まれ、その度に魔石が輝き炎を膨らませる。いつしか紅蓮の炎が剣身を包んでいた。アーネは燃え盛る剣で、襲い来る凶刃を次々と受け流す。

 はたからみれば、漫然と振るわれるアルノーの剣を、アーネは容易に見切っているように見えた。だがいかんせん、膂力が違う。いかにアーネが巧みに捌いても、手に蓄積していく痺れはどうしようもなかった。そのせいで何度も反撃の隙を逃している。

 アルノーが温存せず本格的に水術を併用していたら、既に勝敗は決していただろう。この辺りは、ロベール戦で早々に燃料切れになった経験が大きい。

 このままでは押し切られると察したのか、アーネは大きく後ろへ跳びずさる。アルノーが様子を見たため、少しだけ準備する余裕が出来た。

 アーネは胸の前であかきらめく剣をかざす。直後、剣身を覆う光と炎がいきなり爆ぜ消えた。剣が無機質な鋼の色を取り戻す。代わりに、アーネの周囲に消えかけのランプ灯のような淡い光の玉が、十ばかりふわふわと浮かんでいた。

 見た目以上の負担があるのか、アーネの形の良い眉が歪む。


「何だ、それは」


 アルノーの疑問に答える声はなく、しかしその言葉を合図にしたかのように、ゆっくりと光が漂いだした。いずれもアルノーの方へと向かって。


「何かと思えば火球の変わり種か。のろすぎて話にならん」


 ゆらゆら揺らめく光の玉に、まるではえを潰すかのようにアルノーの剣が落とされる。だが当たる瞬間、光の玉はふわりとした動きで少しだけずれて、斬撃を躱してみせた。緩慢な動作にアルノーは一瞬だけ呆けるが、すぐさま次の斬撃を繰り出した。しかし横薙ぎの一撃はまたしても、直撃寸前でふわりと浮かび上がられて当たらない。


「っ! この!」


 アルノーは剣をやたらに振り回すが、そのどれもが光球に触れられなかった。全てが紙一重で避けられる。そして見るからに頭に血が昇ったアルノーが、次に周囲を見回したとき、既に彼の周りは光の玉で包囲されていた。


「っ!、火をここまで制御するか⁉︎」


 四属性中、最大のエネルギー量を誇る火。大出力で高火力故に、その操作は困難を極める。魔石は威力と操作性が反比例するのだ。

 術者であるアーネ自身も、まだ魔石を扱い始めて幾許いくばくも無いはず。習熟速度が尋常ではない。


「ごめん、アルノー」


 蛍のような薄光達は、囲まれて身動きの取れなくなったアルノーの周りで、一瞬だけその光を強め。

 高熱と爆風を伴って、破裂した。

 観衆が悲鳴をあげて身を伏せる。水の檻という壁があったため、それでも参列者には火の粉一つ飛んでいかない。だが檻の中、爆心地にいた者達はそうはいかなかった。衝撃でアーネとアディが吹き飛ばされ、転がっていく。アルノーのいた場所に至っては、引き込んだ湖水が水蒸気に変えられ、辺り一面蒸し風呂と化していた。


「えっと、アーネさん。助けて貰って恐縮なんですけど、火力過多では?」

「っつう、我ながらびっくりだよ。流石にやりすぎちゃったかも」


 水蒸気が霧散していく。

 煙の奥から現れたアルノーは火傷一つなく、さっきと同じ場所に立ったままだった。

 その鋭い眼光が、アーネ達を捉える。


「そんな。あれで無傷ですか?」

「奥の手でノーダメは想定外だなあ。……流石にショックかも」

 

 アーネが膝を震わせる。術の負担が大きかったのが、目に見えて明らかだった。最早火術の使用は、ままならないはず。


「そう、がっかりすることはない。今の一撃で今鏡プリテンド・アバターが全て剥がされてしまった。正直、ここまでできるとは予想外だったよ」


 開戦時に、騎士達の一斉攻撃を受け切った水の護りのことだ。剥がれた以上は、今ならば通常の物理攻撃も通る。

 とはいえ、アーネもアディも満身創痍だ。


「追撃がないということは、相当な消耗を強いる技のようだ。四鏡クアドラプル・アバターの一つを破ったその腕に免じて。せめて苦しまぬよう、一撃で終わらせてやる。こい、我が化身」


 周囲で水の檻を形成していた騎士姿の水人形が三体、檻の内部に入り込み、アルノーの横で光を放ち始める。四鏡クアドラプル・アバターの一つ、水人形同士の連携で威力を底上げする大鏡ブーステッド・アバターだ。

 アルノーの水人形達が、手を上に翳す。

 窓から。床から。檻そのものから。

 大量の水が三体の水人形の元に集まり、円を描くように嵐を作り始める。


「師範、お願いです! もう止めてください!」


 水の檻の外、知った声が聞こえてくる。

 ギリギリまで近付いて来たデュオが悲痛な表情で叫んでいた。デュオだけではない。トリスタン、ティト、ベン、イクス、エクトル、オクタビオ。ノルンやディアナまで。師の晴れ舞台を見に来たはずの門下生達が、涙ながらに声を上げている。


「師範、もう止めて。これ以上、私達の夢を壊さないで……」


 デュオ達の声が聞こえているはずなのに、それでもアルノーは止まらない。もう、説得でどうにかなる段階は超えていた。


 大聖堂の中央に、小規模な台風が生まれる。内部では水と氷が激しい速度で掻き混ぜられ、周囲との気圧差を生み出していく。


 まずいと悟ったのか、アーネが体を必死に持ち上げ、剣を片手に走った。折しも、アディも同時に動いている。

 大規模術式が完成する前に、最後の突撃を敢行する。そんな二人を嘲笑うかのように、アルノーが指を二本、二人に対して立てる。連動するように、アーネ達の目前に水の壁が生まれた。

 万事休す。誰もがそう思った。


「あああぁっ! こんなの!」


 アーネが水の壁に、勢いそのまま体当たりを敢行した。

 しかしアルノーは顔色一つ変えない。その程度、水壁によって弾かれて終わる。そのはずだった。

 アーネの体は跳ね返されることなく、むしろ受け入れられるように吸い込まれ、アルノー側に抜けていく。


「なにっ!」


 信じられないものを見たかのように、アルノーが目を見開く。すんなり通り抜けたアーネもまた、驚きの声をあげながら、勢い余って転倒した。

 悪いことに、アルノーの真ん前に。

 まるで、首を差し出すように四つん這いで。


「くっ、どういう絡繰りかは知らんが、これで!」


 反射に近い形で、アルノーが剣を振り上げる。

 最早、逃げる場所はない。

 アーネは剣を握っているものの、受けるにしろ躱わすにしろ間に合うタイミングではない。


「止めて、アルノーさん!」


 アディから制止の声が届く。それでもアルノーは止まらない。


「貴方は誰の為に、剣を握ったんですかっ⁉︎」 

 

 友の誰何すいかが大聖堂に響く。


 誰の為か、など今更詰問される云われはない。

 演説の際、成したいことは語り尽くした。

 自分にはもう、それだけなのだ。

 民を謀り、仲間を死地に追いやり。

 拾ってくれた師を裏切り、騎士の矜持も捨てた。

 すべてはこの国に、真なる平等を敷くため。

 上流階級に搾取される若い芽を育むため。

 埋もれゆく才を、在るべき場所に上げるため。

 誰もが虐げられず、思うまま生きられるように。

 自分が至った場所に弟子達も辿り着けるように。

 愛する者が、自分と同じ光景を見られるように。

 共にいつまでも、並んで歩けるように。

 彼女と、ずっと一緒に。

 己が今まさに首を刎ねようとしている、幼馴染のアーネ・ティファートと。


「…………俺はいったい、何を?」


 世界が真っ白に染まる。全ての思考が、湯気となって頭から蒸発していく。

 そんな不思議な感覚を、アルノーは味わった。

 鋼が肉を裂き、骨を断つ。

 血飛沫が舞う。

 観衆の甲高い悲鳴が重なり合う。

 近い場所に、門下生達の見知った顔が見える。

 デュオ、トリスタン、ティト、ベン、イクス、エクトル。少し離れてオクタビオ、ノルン、ディアナ。

 そして眼前に、青白い顔をしたアーネ。

 いつも惹きつけられていた純黒の瞳が、急速に輝きを失っていく。

 彼ら彼女らの胸元では、いつぞや褒美として渡したペンダントが光り輝いている。

 大海蛇の水晶リヴァイアサンの力を分け与えた、特製のペンダントだ。

 いつかどうしようもない困難にぶつかったとき、自分が傍にいなくても守ってあげられるよう、願いを込めたもの。

 思いを込めて力を注げば、一度くらいの奇跡をもたらしてくれる。


 皆の為に、為せることの最大限を成してきた。

 ここは、その最果て。願いの終端。

 ああ。

 俺の夢は。いったい何処に向かうんだろう。


 今、一つの命が終わりを迎えようとしていた。

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