第19話 同じ道のり、同じ野望

 水と氷で形成された嵐がほどけていく。水術の起点となっていた三体の水人形も海水に戻り、海へと還る。

 支える足場がなくなったアルノーもまた、同じように空中から落下し、水面へと叩きつけられた。


「っはあ、くそ、体が動かん。少し休まないと。やることはまだあるっていうのに」

 

 戦としての勝利を確定させるならば、敵総大将の首は不可欠だ。

 だがロベールの体は、休んでいる間にどんどん流されていく。接岸流に乗ったのか、浜辺の方へと流されているのがせめてもの幸いだった。

 首を取ったあとはリデフォール城へと向かい、勝利宣言をする。だがアルノーの計画では、その前にもう一つ、城内で裏仕事があった。

 更には、増鏡ユナイテッド・アバターを解除してしまった影響も気になる。今や、残してきた部下達を守るものはない。援護したいが、アルノー自身、とてもすぐに向かえる状態ではなかった。

 状況が完全に終結するには、まだまだ遠い。

 しかし。


「ふふ、はははは。やった。これで最大の懸念は拭った。もう邪魔する者はいない」

 

 息を整えねばならないはずなのに、込み上げる達成感を抑えられず、哄笑を吐き出す。それほどまでに、宰相ロベールは厄介な相手だった。

 常時護衛が付いており、接近そのものが難しい。何より、殺害を正当化できる場へ引き出すことに、苦慮させられた。

 片や一介の騎士。片や公爵家当主であり、まつりごとを一手に引き受ける国の宰相。同じ貴人相手ではあるものの、直属の上司であるジェラールとは暗殺の難易度が違った。


「先生が迂闊に動けなかったのも頷ける。まさか先生以上に手こずる羽目になるとは」


 ロベール本人の戦闘力も予想外だった。

 嵐を作り雷撃を誘引した大鏡ブーステッド・アバターは本来、ロベールの前で披露するつもりはなかった。大鏡ブーステッド・アバターは水人形に魔石を持たせて術の増幅機構とし、単独で大がかりな技を発生させる技術だ。

 高波や大渦も、海中に忍ばせた大鏡ブーステッド・アバターを通じて行使した攻撃である。

 軍勢を生み出す増鏡ユナイテッド・アバターほど大規模ではなく、水鏡ウォーター・アバターのような精密なコントロールが効くものではないが、瞬間火力を得るには最適の、アルノー独自の技だった。

 その大鏡ブーステッド・アバターを持ってしても、とどめの雷撃は最後の手段だった。

 雷雲を作り電撃を放つあの攻撃は、溜めが長い割に命中精度が悪く、発射タイミングも制御しきれない未完成のものだ。

 さらに防御する手段も多い。とりわけ、高度な土使いにはほぼ無効化されるだろう。

 実際に戦ったロベールも、単純にもっと巨大な水球であれば、雷撃を捌ききったかもしれない。

 そんな攻撃に頼らざるを得ないくらい、アルノーは追い込まれた。消耗し尽くした状態では、最早ロベールの水球を突破する手立てはなかった。どう絞り上げても、あと一発が限界。一撃でロベールを仕留めるためには、未完成の技にすがるほかなかった。


 結局。野望の先にあるものを、ロベールから聞き出すことは出来なかった。圧政の多くが、王国の未来を見据えたものだったことは、戦い最中の問答で伝わってきた。

 とはいえ、何人もの罪なき民を食いものとし、宮廷を牛耳って独裁を図ったこともまた事実だ。その悪行を、アルノーが看過することはない。

 数多の政敵を闇に葬ってきた賊臣は、若き騎士によって踏み台へとされる。

 夢の先は違うとはいえ、歩む道のりは同じ者同士だった。

 アルノーにとっては、皮肉にも。

 

「俺は、お前なんかとは違う」


 唇を噛み締めながら、アルノーが呟く。

 砕けた船の残骸が漂う、波の間に間に。

 少しばかりの焦げた臭いが、周辺の海域を漂っていった。





 アルノーとロベールが相対したリデフォール湾の沖合。そこから少し離れた浜辺に、三人の男女が立っていた。

 それなりに身なりのよい、但しずぶ濡れの格好をした女が二人。それと黒いローブを身に纏い、目深にフードを被った大柄の男が一人。

 三人ともが、揃って遠く沖の方角を眺めていた。


「決着が付いたぞ」

 

 肌が震えるような力強い低音が、男から発せられる。フードの隙間から見えるその肌は、この地方では珍しくやや浅黒かった。リデフォール西南部の砂漠地方に住む先住民族が濃色の肌をしているが、彼がそうであるかは定かではない。


「状況は、俺の風術でお前達も聞こえていたな。まあ概ね予想通りの結果だ」


 男の衣服からは、微かに光が漏れている。透き通るような虹色の発光は、風の魔石を使う術者の特徴だ。

 黒ローブの男が扱う風術によって、その場にいるもう二人、アディとベルサは沖合の戦いを逐一把握できていた。


「いやあ、本当助かりましたよ。回収頂いたうえ盗み聞きまで。引き続き、探索もお願いしますね」

「人使いの荒い女だ。今回はお前の手落ちだぞ」

「そこを突かれると困っちゃいます。今回は協力者のよしみということで。報酬も前払いしてますし」


 男の表情はフードで見えないものの、苛つきは雰囲気で察することができた。衣服の上からでも分かる筋骨隆々たる体躯のおかげで、威圧感が凄まじい。傍にいるアディは、助けられた身の上にも関わらず、警戒を解けなかった。


「アディ氏、大丈夫ですよ。この人ガチムチ巨漢ですが、無意味な暴力は振るわないのでご安心ください」

「筋肉量と加虐性は関係なくないですか?」


 偏見が酷すぎて思わず指摘してしまう。緊張の糸が一気に弛んだ。


「でも口は悪いかもです、この人。いつも威圧的な感じで」

「高身長だからですかね。よい体格をなされてますから、そのせいでしょう」

「フード付き黒ローブって、いかにも過ぎてダサくないですか?」

「それも偏見なのでは」


 真っ向から否定されているのに、意外とめげない。情報部所属なだけあって、メンタルはタフなようだった。

 そうこうしているうちに、黒ローブの男が分かりやすく咳払いをする。

 いつまで遊んでいるんだと、怒られた気分になった。


「城攻めにも動きがあるぞ。このままだと落城まで、一日とかかるまい」

「あら意外。ロベール閣下討死のしらせが届くまでは、粘るかと思いましたけど。第一騎士団のみなさん、頑張りましたね」

「というよりは、南側の連中だな。アルノーも忠犬を得たものだ」


 その言葉で、アディは誰が活躍したのか推し量ることができた。

 きっと彼女は、自分が信じる者のために、命懸けで戦ったに違いないのだろう。

 だが。とうのアルノーは。


「あの、アルノーさんが事件の黒幕かもしれないって話、やっぱり本当なんでしょうか」


 自分でも思いがけず、語気が強まる。

 ベルサがバツの悪そうな顔をする反面、風術師の男は気にした様子もなく、微動だにしない。


「沖合の連中の話を聞いていれば、分かりそうなものだが。それでもなお奴を庇う言葉が出るのならば、後は勝手にするがいい」


 容赦のない切り捨ての言葉を、男が吐く。その強い口調に、アディは押し黙ることしかできなかった。

 とはいえ、自分がいかに能天気なことを言っているのか、自覚はある。そして目の前の二人や死んだロベールが、何故自分にそのことを伝えたのか、その意味もわかっている。

 それでもどうしても、一歩が踏み出せない。


「しかし、これでリデフォールの情勢は確定しちゃいますね。戦後処理はあるでしょうが、プリシス卿なら治められるでしょう」

「どうかな。奴は一番大事なものを、処理し忘れたままだ。見落としもあるようだし、うまくいけばもう一波乱あるかもしれん」


 さも物見遊山なことを男が言う。

 アディは一瞬、男がフードの奥で笑みを浮かべたような気がした。


「他人事みたいに言いますけど、あなたは動く予定は無いんです?」

「これからが面白くなる時だ。まだ様子を見させて貰う。お前は予定通り、好きなだけ尻尾を振ってくるがいい」

「余裕ないのは事実ですけど、なんか言い方悪くないです? ていうか、お願いしてた例の件は」

「あれなら、そろそろ岸に流れ着く。アルノーに悟られないよう漂着させるのは、苦労したぞ。奴がまだノビてる間に、回収するんだな」


 男が、岩場の方を指差す。何やら風術で、別のものを回収していたようだ。盗聴しながら引き寄せ作業も並行で行うあたり、術使いとしての腕はいい。


「仕事が早くて助かります。って引き揚げ作業は手伝ってくれないんですか」

「陸の上ならお前一人で十分だろう」

「もう、こっちは工作だってしなきゃなのに」


 言い終わるより早く、ローブの男がきびすを返す。自身が指差した方角とは逆方向に歩いていった。


「念のため聞きますけど。プリシス卿には会っていかないんですか」

「会う理由がない。今はまだ、な」


 それっきり。振り向くこともなく、男は去っていった。

 それを見送るアディは、ふと何となく、彼がアルノーに似ているような気がした。

 何かに付けて迂遠うえんに皮肉る物言いは、アルノーが身内に対してよくする言い方だ。或いは彼は、自分の知らない、アルノーに近しい人間なのかもしれない。


「さあ、わたし達もボヤボヤしてられません。アディ氏、漂着物の回収、お手伝いをお願いしますね」

「回収って、そんなに大事なものが船内に保管されていたんですか?」

「見ればわかりますよ。さあ、工作タイムの始まりです」


 雑な誤魔化し方だった。

 或いは、見たら否が応でも巻き込まれるような、そんな厄介なものをネコババしようとしているのかもしれない。

 とはいえ、戻るべき城は戦争の真っ最中である。どこにいても危険ならば、せめて単独行動だけでも避けるべきかもしれない。

 それでも、ベルサをいまいち信じきれない理由は、他にもあった。


「ずっと気になってたんですけど。ベルサさん、リデフォール人じゃありませんよね」

「あれバレました? 全然いいんですけど。その通り、お姉さんは北大陸のソロン帝国出身です」


 ソロン帝国。よりにもよって、というのが正直なところだった。


「場所はともかく、その呼称を使うということは。ベルサさん、貴女の正体って」


 ソロン帝国は最近になって国名が変わっており、今はエミリア教国という。国名が変わるということは即ち国の内部も大きく変容を強いられているということで、アディも血生臭い噂はいくつか耳にしている。

 そして、国が変わったにも関わらず、ベルサはソロン帝国出身と名乗った。ただの言い間違いでなければ、これは重大な意味を持つ。

 アディは、ベルサがいずれ間違いなく、リデフォールの新たな騒乱の種になることを悟る。それも、アルノーやロベールが比較にならないほどの。

 ということになれば、ベルサがリデフォールに訪れた目的も、自ずと知れる。


「一応聞きますが。何をしようとしてるか、教えてくれませんか」

「そうですねえ。仲良くなったことだし、アディ氏には特別に。と言いたいところですが」

「ですが?」

「オ・シ・ゴ・ト。手伝ってくれたら。ね」


 可愛らしくウインクを決めて見せる。

 アディがノーリアクションを決め込むと、やはり恥ずかしかったのか、誤魔化すようにベルサが早足で浜辺を移動していく。

 大きな溜息を、アディがく。

 ベルサのバックボーンは気になるものの、今すぐどうこうという話にはならないだろう。目下、気のすべきことは他にある。


「どうでもいいんですけど。多分、私の方が年上だと思いますよ」

「もちろん知ってます。さあさあ。ハリーですよ、急いでアディ氏。これから忙しくなりますから」


 どこに向かうのか、何をすべきかもわからず。

 アディはふらふらとした足どりで、前へと進み始めた。

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