第18話 最後の鏡、閃光迸る
先程までとは様相が変わり、湾内は静かに凪いでいた。
海上ではロベールが、傷一つ汚れ一つないまま立っている。敵が海中深く沈んだにも関わらず、視線は厳しいままで、水球による護りも解除していない。
「ふむ。念のため追撃用の水球を二十ほど加えておくか。水術を生命維持に傾倒しても、これならばもう揚がっては来られまい」
無数の水球で沈めたものの、水球自体はロベールから離れるほど力が減衰していく。アルノーが生きているうちに自壊してしまったら、そのまま逃げられかねない。
念には念を入れ、重しを追加して海底まで沈めた方が確実だ。泳いで逃げるにしろ潜んでいるにしろ、水深が深ければ深いほど、水術は維持が困難になる。
「殺すには惜しい逸材だったが。理想主義者なのは兎も角、主君を殺めるようではな」
今後のことを見据えれば、腕のよい術使いはなるべく多く抱えていたかった。だがどんなに腕が立とうと、飼い主に噛みつくどころか噛み殺すような獰猛な犬は、処分するより他ない。手に余る余らない以前の問題だ。
「さて、あの女もどうせ津波を免れただろうし、一応拾っておくか。ようやくこれで国内のめどが」
言葉を続けようとして、だがロベールはすぐに口を噤む。
改めてアルノーが沈んだ辺りを注視し、そして。
突如、水面が爆発した。
水煙で視界が覆われる中、ロベールは確かに感じ取っていた。何かが海中から飛び出してきたことを。意識せず、舌打ちが出てしまう。
「しつこい。羽虫でも、追い払えばもう少し身を潜めるものを」
何が出てきたかなど、わざわざ確認するまでもない。敵ごと海底へ沈めたはずの水球が、他者からの介入によって一目散に
「コントロールが効かんな。距離が離れて支配が弱まったところを、術ごと簒奪したか」
器用なのか強引なのか判断が付かないが、確かにリデフォールの血族ならば可能だろう。
そして問題なのは。
「他人の水術に介入する余力は無かったはずだが、どういう次第かな。まさか無呼吸の方が力が
「っはぁ、はぁ。ふざけるな。そんな都合のいい話じゃあない。いかに水術師とはいえ、水中で水術が維持できなければ溺れるだけだ」
先程と同じように、アルノーは肩で息をしている。水温が低かったためか、顔色はさっきまでよりも悪いくらいだ。
状況は先程までと大して変わらない。間違いなくアルノーはエネルギー切れ寸前だ。
「あちら側の水術、相当な負担だったと見える。丸ごと捨てる決断をしたか。遠隔からでも解除可能だったとは、なるほどこれは私の落ち度だな」
なんのことはない。負担の大きい術を取り消して、空いたリソースで別の水術を行使したに過ぎない。大がかりな術なので、簡便な解除方法までは用意していないと見ていたが、相手は思った以上に細かい術式を作っていたようだ。
「くそ、まさか
息切れが見えるが、声に力が籠もっている。言葉の端々から、怒りの感情が窺えた。確かにあれほどの数の水人形を揃えて、自動操縦が適うようセッティングするのは大変な作業だろう。
「その苦労、察するに余りある。とはいえ状況は変わらないようだが」
勝負は決した。あの疲労度では、もう大規模な水術は行使できない。
厄介なのは、ここから全力で逃亡を図られるパターンだが、それならばわざわざ水面に姿を見せず、そのまま逃げ延びればよかった。まだ戦う意識があるということだ。
アルノーの立場からすれば、ここで決着をつけられなければ戦自体が泥沼化するため、逃げるに逃げられないのだろうが。
「命乞いは聴かぬぞ。生かしておくにはリスクが高すぎる。再度力を取り戻されては適わぬゆえ、ここで確実に仕留めさせて貰おう」
「戦うさ、最後まで。そう決めて、ここまで来たんだから。行くぞ、
アルノーの体に光が灯る。新たな水術、それも最後になるであろう技を披露しようとしている。
だがロベールも抜かりはない。既に新たな水球は生成した。いつでも発射できるよう、水中で配備も進めている。確実に沈めるため、今度は先程の倍を用意した。
相手の攻撃を水球で受けきり、弱りきったところを全方位から発射する。
例えどんな水術を行使されようと、身を守る自慢の水球は突破できない。先程までの攻防で証明して見せたつもりだ。
ただ固いだけではない、あらゆる力を水球は分散させる。水球は海に繋がっているので、相手の攻撃は常に海を叩いているのと同じだ。その力が自分に届かぬよう、制御も万全にしてある。
水球が水面に面して、かつ使役者が球内に収まっているとき限定ではあるが。
アルノーに変化が起きる。すぐ側に、水術による分身が三体生まれていた。
水人形の使役を得意とするのはリサーチ済みだ。単独では突破できないため、数を増やそうというところか。
三体の分身に光が灯っている点から察するに、魔石を埋め込んでいるのだろう。
足場の様相も変わってくる。アルノーの足下の水が柱のように
高さを生かした突撃を敢行するのかと思いきや、三体の分身がその場で何やら水を操りだした。海から水をくみ上げ、三体が円陣を組んで、その周囲で水を走らせ始める。
円を描きつつ水はどんどんと速度を上げていく。
「凄まじいな。さながら嵐のようだ。さて、どうするか」
今準備している水球を発射すれば、術そのものを相殺できなくても、完成を遅らせる妨害になるかもしれない。完成に時間を掛けて、アルノーが燃料切れになればしめたものだ。
だが半端に水球の数を減らせば、先程のようにアルノーを仕留め損なう恐れもある。
「風術なしで、局所的な嵐を形成するとは大したものだが。それでは我が水球を破れん」
嵐の中では水や氷が渦巻き、目まぐるしく回転している。そのままこちらに投げつけたとして、それなりの威力はあるだろう。
そこでふと、ある疑問がロベールの中で生まれた。
だがそれにしても、アルノーの水術は度が過ぎてはいないだろうか。
高波や大渦、さらに遡れば水人形の大群など、一流の水術師が何人か集まってようやく行使できるかどうかの規模の術を、ごく短時間で発動させている。
継承型といえど、単独で発現できる水術の域を超えてはいないか。
だがいくら調べても共犯と呼べる人間は出てこない。直下の部下や知人にさえ、その暗躍は知られていないようだ。
アルノーの力には、絡繰りがある。
何かを分かりかけた気がするが、残念ながら今は思考に気をとられている場合ではない。
「来るがいい。リヴァイアサンの血族、遠き同胞よ。どれほど強大な嵐になろうとも、何もかもを呑み込めるとは思わぬことだ」
「驕りは、認めるさ。アンタに関しては、本当に色々見誤った。私利私欲の奸臣と思っていたことは謝ろう。だけど、だからこそ許せない。民はお前の道具じゃない。お前の死因も、お前の驕りだ」
アルノーが、自分の立っている水柱から大きく飛ぶ。そのまま水人形の肩を踏台に再度跳躍し、いつの間にか嵐の上方に成形されていた氷の足場に飛び乗った。役目を終えた水柱は一瞬で海面まで引き戻される。
ロベールは動じず、術の強度を上げて水球の制御を確実なものとする。どんな攻撃を受けても確実に受け流し、弱ったところを叩く。
それで全てが終わるはずだった。
「廻れ回れ、
叫びと共に、アルノーが折れた小剣をロベールに投擲する。
剣は水球にめり込むも、すぐに推進力を失う。
水球上部に刺さった剣に、なんの仕込みもないことを確認しつつ、ロベールはこれが本命でないことを察する。
来た。
そう感じた瞬間、強烈な閃光が眼前で炸裂した。
眼から侵入した光が視神経ごと焼き払い、即座に視界は暗転する。
水球を操作しようとしても、指がピクリとも動かない。それどころか、弾け散るように水球は瓦解していく。
言葉を喋ろうとしても、喉が震えない。
ただ何か、体中を炎が駆け抜けた感覚だけが、強烈に残る。
分からない。私に何が起こった。何をされた。
考えが纏まらない。
平衡感覚が狂い、体勢が崩れていく。
水術の加護を失った体は、水面に支えられることなく、大きな音を立てて着水する。
一瞬だけ、視界に光が灯る。
青空と
「破ったぞ、ロベール・ド・クラオン。自慢の水球も、雷までは防げなかったようだな」
雷。それがロベールを襲った一撃の正体。
視認することも適わず、水球によって威力を減衰することも出来ず、ただただ真っ向からロベールは貫かれた。
アルノーもまた、身に纏う魔石の光が急速に翳り、消えていく。光が最後まで残っていた胸の中央部に、アザのようなものがあることを、沈みゆくロベールは気が付いた。その瞬間、ロベールの頭の中で、全ての疑問が線となって繋がった。
そうか。
王室の遺児だとばかり考えていたが。
お前の正体は。
それ以降は何の思考も適わず、ロベールの体はリデフォール湾へと吸い込まれていった。
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