第20話 密かな接見、風の変わり目

 リデフォール城の戦いでは、第一騎士団が南側城門を突破し、城内戦へと推移していた。

 国王派宰相派問わず死体が各所に転がり、石造りの白い壁を血肉で汚している。

 上品な真紅の絨毯も、数多の軍靴ぐんかに踏みしだかれ、見るも無惨なほど砂や泥に塗れていた。

 そんな戦火が蹂躙するリデフォール城を、アルノーは隠し通路を通じて再侵入を果たしていた。

 敵守備隊の陣容は崩されていたため、入り込むのは容易だった。


「初代国王シドニーの狂乱、別邸大火災によるイリーナ姫薨御こうぎょ。それに続く今回は、後世に何と呼ばれるんだろうな」


 三度目の悲劇を持ち込んだ者として、それは甘んじて受け入れ、四度目は無きよう、胸に刻まなければならない。

 歩みが遅々としていたのは、隠れながら進んでいることもそうだが、どちらかといえば単純に疲労によるものだ。


「くそ、荷物が重い。いつもなら、こんなじゃないってのに」


 顔色は青白く息も切れ切れの状態であり、戦闘によるダメージが多大に残っていた。右手に重い荷物を持っているのも、消耗に拍車をかけている。

 そしてアルノーはひとり、ある部屋に辿り着く。

 部屋の前には守衛が二人立っていた。この近辺は戦闘が無いせいか、やや気持ちが弛んでいるようにも見える。物陰から飛び出しつつ、集中の切れた守衛にアルノーが遠慮なく一太刀を浴びせた。喉を斬られた守衛が悲鳴を上げる暇さえなく、血を吹き出して倒れる。そこでようやく、もう一人の守衛が異変に気付く。


「な、お前は!」

「護衛二人は少ないな。よほど切羽詰まっていると見える」


 言うが早いか、アルノーはもう一人も難なく切り伏せる。

 最小限の行動で制圧したものの、アルノーはまたも息が荒くなっていた。不意打ちでなければ、雑兵相手でもこちらが返り討ちにされかねない。そのくらい、アルノーの状態は芳しくなかった。

 

 部屋に入る前に、呼吸だけは整える。

 これから会う相手には、自分が弱っていることを気取られてはならない。

 胸が落ち着いてくるのを確認して、アルノーは勢いよく扉を開けた。

 まず目に入ったのは、部屋の中央に鎮座した天蓋付きのベッドだ。細工は特にないものの、隅々まで漆が塗られ一目で高価とわかる。

 小綺麗な絨毯や額縁に飾られた絵画など、単品で市民の年収の何倍もするような調度品が、あちこちに飾られていた。

 奥の別室へ続く扉も見えたものの、そちらから人の気配はない。本来ならば付人としてアディが傍に控えるのだろうが、彼は今も行方不明のままだ。

 この場にいる人間は一人だけ。大きな寝具の上で横たわる、年老いた男性のみだった。

 アルノーはベッドの手前で膝を折り、深々と頭を下げた。


「お初にお目に掛かります、マクシミリアン国王陛下。第一騎士団所属、アルノー・L・プリシスと申します。突然の無礼、ひらにご容赦頂きたく」


 ベッドに横になった老人、マクシミリアン・リヴァイアサン・ド・リデフォールは、アルノーの口上を一顧だにせず、ただただ天井を見上げていた。


 白髪頭は手入れがされてないのか、ぼさぼさのまま伸ばしっ放しになっている。

 碧い瞳はリヴァイアサンの名を継ぐ一族特有の色なのだが、どことなくくすんでいるように見えた。

 国王とアルノーは呼んだものの、事実上は禅譲ぜんじょうが為されたに等しい。国民の誰もがロベールを国主と崇めているのが、昨今の国内情勢だった。


「お加減の優れぬところ申し訳ありません。火急の件がございます。つい先ほど、国王を僭称せんしょうする奸臣ロベール・ド・クラオンを、この手で討ち取りましてございます」


 右手で掴んでいた荷物を、寝台に横たわるマクシミリアンの前に置く。献上するかのように差し出されたそれは、ロベールの生首だった。断面は既に乾いていて、赤黒く染まっている。海に浸かったせいか、血臭も薄かった。


「城内の掃討も進んでおり、間も無く城内に蔓延はびこった害虫どもは残らず駆逐されるでしょう。陛下におかれましては、長らく苦渋を呑む日々であったと存じ上げますが、これでようやくリデフォールは解放されるのです」


 本来ならばその場で取り押さえられ、即座に牢屋送りになる蛮行だが、この場にアルノーを咎められる人間はいない。

 それができるタイミングを、アルノー自身が作った故の謁見だった。アーネ達の元へ駆け付けたい気持ちを、断腸の思いで断ち切ってでも、今この時に先王マクシミリアンと謁見する必要があった。


「ですがロベールや旧宰相派を排斥したところで、全ての問題が片付いたわけではありません。むしろ事態は混乱に向かっています」


 ロベール配下の議員や官僚のほとんどは、今回の内乱によって死ぬか追放に処せられる。それによって、国の中枢機能が麻痺することが避けられなくなる見通しだ。

 国王派有力貴族が事態の収拾を図るだろうが、上手くはいかないだろう。


「とりわけ、新たな王が必要です。ロベールが死んだとあらば、国王派内で牽制が始まりましょう」


 先王にして王室唯一の生き残りであるマクシミリアンの再任を主張する者もいれば、担ぎ出すだけで実権を握ろうとする者、或いは自ら王に成り上がろうとする者も出てくるかもしれない。

 アルノーがそれを危惧するというのは、皮肉が過ぎる話だが。


「何が、言いたい」


 そこで始めて、マクシミリアンが口を開いた。風が木々の間を吹き抜けるような、しゃがれ声だった。アルノーの方に目を向けずとも、話はしっかりと聞いていたらしい。


 ひょっとしたらマクシミリアンはそのとき、再度王になることをこいねがわれると思ったのかもしれない。だが当然、アルノーの本意は違っていた。

 ここぞとばかりに、真剣な顔で語りかける。


「そのことでマクシミリアン様にお願いがあるのです。私を王に推挙してもらえないでしょうか」


 その瞬間、マクシミリアンの半分瞑りかけていた瞼が開いた。怪訝な顔つきでアルノーを見つめてくる。相手が何か言う前に、アルノーはすかさず畳みかける。


「今、国には象徴が必要なのです。ロベール一派という膿を絞り出し、平和になったのだという象徴が。その象徴に上流階級の人間が成るのは、相応しくありません。何故なら死んだロベールもまた貴族であったからです」

 

 もしここで貴族が王に成れば、いずれその勢力によって政治は牛耳られる。民からも、私欲のため内乱を起こしたと囁かれることは避けられない。

 マクシミリアンが復帰したとしても、かつての宰相派の焼き増しにしかならない。

 古いやり方を踏襲しても、貴族間の勢力図が変わる以上の意味はないのだ。その下で行われる政治は、事実上大差がない。平和の象徴には、それに足る資格が必要だ。


「だから、お前が王になると? お前とて騎士、貴族の端くれ。それにロベールを討った張本人なのだろう」

「私自身は平民出です。上流階級が蔑むところの、無銘者むめいしゃに過ぎません。とはいえ今度は私が反感を買うでしょうね」


 アルノーは心の中でしたり顔になる。つくづく会話は彼の思惑通りに進んでいた。


「それに、考えていることがあります。ロベールは幸いにもよい制度を遺していってくれました。それに少し手を加えます」

「二院制か」


 理解が早いと、アルノーは思った。

 ロベールの傀儡と聞いていたが、王座に座ったのは伊達ではないらしい。

 言い換えればあのロベールが傀儡にしておくのだから、それはそれで無能には務まらない。己が傀儡と分かった上での立ち振る舞いが求められる。


「この際、宰相派の思惑を剥がし、庶民院の権限を大幅に拡大させます」


 庶民院とは名ばかりで、事実上は宰相派の息のかかった議会になることは、知る人ぞ知る事実だ。

 アルノーはそこでようやく、自分の考えの全貌をマクシミリアンに話した。


「庶民院設立は既に骨子が出来上がり、貴族院の可決を得ています。ですが選出方法、任期、資格、貴族院との関係性、独立性などはまだ検討の余地があります。そこにてこ入れする計画を、内々に」


 計画の出発地点としては、自分がどうやればスムーズに王座に就けるかという考え。その切り札が、ロベールをヒントにして思いついたのものだったのは、何とも皮肉ではあった。


「民や下級貴族からは賛同を得やすいはず。既得権益に群がる連中は、多くは粛清の対象となるでしょう。残る問題は国王派の者達です」


 実のところ、国王派でミリー公爵やジェラール王太子に比肩するような力を持った貴族はいない。田舎貴族や領地を持たない下級貴族で構成されており、そこに王家直属の第一騎士団が加わった集団だ。有力だった者はロベールとの政争に敗れ財産を根こそぎ奪われ、流罪や禁固刑、或いは死罪となっている。

 しかし弱くても、結束されるとやはり厄介ではある。ただでさえ国政を担う者が減る中、何の準備もなくでしゃばった挙句、孤立する愚は避けたいところだった。


「そこで余に目を付けたか」

「お恥ずかしい話です。今はまとまっている国王派も、皆が庶民院設立に賛成というわけではありません。むしろ宰相派による法案ということで、廃止に持っていかれる可能性が高い」


 正直なところ、アルノーとしてはマクシミリアンを生かしておくことはデメリットの方が大きい。このまま上手くいったとしても、どうあれアルノーが上に立つことを、不満に思う者は出てくる。

 そんな連中に、直系となるマクシミリアンを担ぎ出されてはたまらない。王位というものは、奪おうとする者に容赦のない逆風を浴びせるものだ。


「お願いします。正しく民が政に参加できるよう、制度を糺したいのです。五年、いや三年の任期でもいい。私に国を変える機会をお与えください」


 主役でも案山子かかしでも、マクシミリアンが国の表舞台に立つような事態は、王を目指すアルノーにとっては最悪以外の何ものでもない。

 しかし逆に、マクシミリアンを味方に付けることができれば、アルノーの体制は盤石となる。


「玉座から離れたとはいえ、マクシミリアン様は最後の王族。そのお言葉に耳を傾けない国民はおりますまい」

「ならばロベール同様、余を神輿として宰相の座を獲るというやり方もあろう」

「それでは足りぬのです」


 息を切るように、やっとの事でマクシミリアンが尋ねる。アルノーはそれをバッサリと断じた。


「最初にも言った通りです。民に、これで本当に新たな時代になるということを感じて欲しいのです。私は日ごろ街を歩き、働き、語らい、笑う民衆を愛おしく思っています。あれを守り続けていくことこそが、王の在るべき姿なのだと思いました。そしてそれには、誰が相応しいのかということも。畏れ多いことですが。彼ら民衆の、いや出来るのなら貴族や騎士達の笑顔をも守り続ける。そのために私は王に成りたいのです」


 言うべきことは、言い切った。

 嫌悪されるような小賢しい手も使うし、誰かを陥れる策も厭わない。

 例えば今回の接見でさえ、病弱な先王が城から脱出できないよう、敢えて早期の城攻めを推し進めた。

 だがそれでも今の言葉は、すべてアルノーの本心だった。


「アディはどこだ?」

「は?」

「アディはどこにいる。ここ数日、姿を見せん。お陰で服も満足に着替えられぬ」

「ええと、宰相派の手勢に落ちたと聞いておりますが。マクシミリアン様、何故今それを?」


 何故ここでアディの話題になるのか、アルノーは一瞬理解できなかった。

 確かにアルノー自身も気になっていたことだが、あまりに突拍子もない。

 或いは話を誤魔化そうとしているのか。もしそうであれば。ここまで喋ってしまった以上、このままここを去るわけにはいかない。当初の予定通り、城内戦にかこつけて始末するしかない。

 そんなことを、アルノーが決断しようとした時だった。


「よい、分かった。お前の申す通りにしよう。ただ余はこの通り立つこともままならない。勅旨ちょくしということで構わぬか」

「っはい、それはもう! では事が落ち着き次第、改めて専門の文官を連れて参ります」


 喜びの声を上げるのを押し殺し、アルノーが勢いよく立ち上がる。

 どうなることかと思ったが、思いのほか簡単に、マクシミリアンは話を受けてくれた。

 殺すもやむなしとはいえ、誰も死なない方策が取れるならば、それに越したことはない。

 そんなことをアルノーが考えていると、予想外のタイミングで予想外の言葉が投げかけられた。


「時に貴殿は、王室の落としだねの可能性があると聞いていた。玉座にこだわったのはそれが理由か?」

「どこで、それを」


 聞かなくても、少し考えればわかることだった。

 どうやらロベールは確証を得ていないまでも、告げ口はしっかりとしていたらしい。王家に関わる話なので、相談と言った方がいいのかもしれないが。


「その話を持ち出せば、こんな半死人を担がずとも、容易に王冠を戴けたのではないか」

「お伝えした通りです。象徴には資格がある。リヴァイアサンの血を引く者が後を継いで、どの口で国は変わるとのたまえましょうか。意味がないのですよ」


 血脈や身分に依らない、誰もが社会に参画できる制度づくり。努力や才能が正しく評価される国を、アルノーは目指したのだ。説得力を持たせるには、トップが一番に変わらなくてはならない。

 故に、リヴァイアサンの血筋を看板にして成り上がることは、あってはならない。

 それが、数多あまた手を汚す中でもアルノーが抱き続けた、最後の誇りだ。


「つまらぬことを聞いた。許せ」


 それきり、マクシミリアンは目を瞑り口を閉じた。これ以上余計なことを聞かれず、助かったとアルノーは息を撫で下ろす。

 或いはもし、自分のルーツについて詮索されたら斬らねばならないところだった。

 気持ちを落ち着けたアルノーは、ロベールの首を持ち直し改めて部屋を去る。


 城攻めは終盤に差し掛かっている。

 総大将の首が戦場で掲げられれば、あとは全てにカタがつく。

 凱旋が、アルノーを待っていた。

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