第23話 密かな同盟、来たるべき未来のために
攻城戦に端を発した粛正は、アルノーの思い通り何事もなく終わった。
ロベールの圧政に
宰相派の人間が城内で隠れられる場所は限られる。嵩増し要員として
結果として、戦場らしい戦場に姿を見せず、しかし宰相派の首級を誇らしげに掲げる騎士が量産されることになった。彼らの顔と名前は、一人残らずアルノーの頭に記憶されることになる。
ロベールを討ち取って十日を挟んだ夜、アルノーはとある人物に会う約束をしていた。もちろん、彼の計画の一環として。
その人物の執務室のドアをノックして入ると、そこにはアルノーの執務室と大して変わらない光景が目に入ってくる。その簡素な室内で、軍服に身を包んだ女性が椅子に腰掛けていた。眠そうにしていた瞑りかけの目が、部屋に入ってきたアルノーを捉えた瞬間、ぱちりと大きく開かれる。
「夜分失礼。この度はお忙しい中、お時間を頂き感謝致します。ベルサ・B・バスフィールド殿」
「いやあ、畏まられると逆に困ります。普通にお話しませんか、アルノー・L・プリシス第一師団長代理」
絵画と見紛うばかりの、透き通った空のような碧い瞳と整った目鼻立ち。腰近くまで伸びているブラウンの髪が、奥の窓から吹き込む風でさらさらと流れいていた。夜更けだというのに、軍服も未だ乱れがない。
「それにしても、宮中で話題をさらう英雄様に夜這い頂けるとは。わたしの美貌も、捨てたものではないですね」
「失礼。今回の訪問はそういう目的ではなく」
「はい、知ってます。ごめんなさい、からかっちゃいました」
幼少の娘が悪戯に成功したかのように、舌を出して笑顔で謝る。あざとい印象を受けないのは、動作が自然だからであろうか。
「ですが卿も悪いのですよ。奥方に知られたら、恨みを買うのはわたしなのです。困るのですよ? きちんと説明してから出てきました?」
「アーネとはそんな仲ではありません。ご存知だと思いますが」
「おや、誰もアーネさんとは言ってませんよ?」
ベルサが楽しげに笑う。筆を指でくるくる回し、実にご機嫌だ。
アルノーとしては頭の痛くなるやり取りだった。どうして自分とアーネを知る人間は、同じような話題でからかってくるのか。
一通り満足したのか、ベルサは再度謝罪をして、改めて姿勢を正した。
ベルサ・B・バスフィールドは今では数少ない情報部の構成員だ。情報部は貴族院直下の組織で宰相派と縁が深い組織だったので、粛清にあたり多くが投獄された。
ベルサに関しては、立場としては広告塔の意味合いが強く、ジェラールをはじめ国王派との繋がりもあったため罪は免れている。
とはいえ人員が激減したため、多くの業務が彼女の双肩にかかることとなった。情報統制や被害報告、更には外交など臨時業務が舞い込み、その多忙たるや他の一般的な宮仕えの比ではない。
アルノー側ももちろん戦後処理があったため、内乱から日を置いた今、ようやく接触を図ることができていた。
「さて。それでは英雄アルノー卿の、今夜の訪問理由について伺っても?」
「英雄などと。私は己の思うまま動いた愚かな人間です。英雄になるため粛正を断行したわけではありません」
実際、それは紛れもない真実だった。彼は英雄という称号ではなく、王という地位を得たいがために行動したのだ。この状況下では謙遜しているようにしか聞こえないが、そこはどう聞こえようが受け取る側の自由である。
「いえいえ。アルノー氏がロベール閣下の首を持って民衆の前に現れたとき、彼らがどれだけ狂喜乱舞したか覚えておいででしょう? 騎士も兵士も民衆までも皆飛び上がって喜んでいました。誰もが新たな英雄の誕生だと叫んでいたようですよ」
市街地の一般市民は、制圧直後の段階で、街の広場に退避させておくよう指示していた。
城の方角からアルノーが現れてロベールの首を掲げると、全員爆発したかのような大騒ぎになった。あまりに騒ぎが静まらなかったので、騒ぎの説明を兼ねた第一騎士団の演説は持ち越しとなるほどだった。
「恥ずかしい限りです。ですが処理すべき事案は未だ山積みです。取り分け、玉座が空位なのは如何ともし難い」
「先王の
最近では、アルノーはその根回しに走ることが多くなっていた。とはいえ有力貴族がほとんど消え去った現状、あまり難しい話でもない。
暫定措置的なもの。
変革の象徴。
アピール目的。
基本的には傀儡。
残党からの刺客が、新王に向けられる可能性。
その辺りを彼らに言い含めるだけで、懐柔は成功を収めることができた。
牢へ繋がれた古参の有力者なども存在するが、それらは資産も爵位も取り上げられている。それらの返還を引き換えにすれば、やはり沈黙させることは容易だ。すぐに返すかといえば、もちろん別の話になるが。
「聞いてますよ。先王マクシミリアン様から
「それも含みで、国内については、手は打ってあります。内諾は揃えましたし、演説の際に公表する算段です。情報部の貴女には言うまでもないことでしょうが。ですが問題は国外です」
「と言いますと?」
アルノーが居住まいを正して、神妙な面持ちになる。好戦的ではない性格のベルサだが、持ち掛けが破談した場合は、最悪戦闘になる可能性すら考えられる。そうなった場合、アルノーの推測が正しければ、彼女は手強い相手となる。
これから話す内容、
「ロベールの戴冠式のため、エミリア教国本土から司教をお呼びする話があったのですが、ご存じでしょうか」
「もちろん。わたしも相談を受けてましたから」
「先頃使者と打ち合わせを設けたのですが、予定通り
そもそも打ち合わせも、相手の要望で無理矢理時間を都合したものだ。文官は誰も余裕がなかったので、アルノー自ら使者の接待をする羽目になった。
それで要望は何も通らず怒鳴られ通しだったので、まさしく苦労の甲斐がない。
「これ以上話が変わるようなら司教の派遣自体、なかったことにすると言われてしまいました」
「彼の国らしい物言いですね」
その光景が目に浮かんだのか、ベルサが思わずといった様子で苦笑する。
教会の頭ごなしなやり方は、情報部でも有名らしかった。どの国相手でもそうなのだと、ベルサが呆れながら説明してくれる。
「リデフォールはそれでも、ましな方です。あの国は、北部大陸最大の信徒数を抱える一大勢力ですから。神事祭事とかこつけて、国政ばかりか王位の継承にすら口を出す始末。遂には」
ベルサが急に口籠る。思い出したくない過去を想起してしまい、悔しさで苦虫を噛み潰しているようでもあった。
教会への心象が改めて悪化したところで、アルノーはおずおずと本題を切り出す。
「ここだけの話、エミリア教の影響をリデフォールから排除するつもりです。今はまだ大した横槍はないといえ、大陸の国家群に対しそうしているように、我が国の内政にもいつ干渉してくるか分からない。信仰の自由を奪うつもりはありませんが、国の在り方にまで影響を及ぼすようでは最早害悪です」
北部大陸最大の宗派であるエミリア教は、リデフォールでも信徒が多いものの、割合でいけば人口の二割程度にすぎない。
今ならばまだ、勢力を抑えることができる。
とはいえアルノーの過激な発言は、エミリア教をよく知るベルサを引かせるには十分だった。
「思い切ったことを仰りますねえ。北部大陸の大半は、エミリア教が生活の一部として根付いています。場合によってはリデフォールが孤立しますよ」
エミリア教は国を跨いだ一大宗教だ。無理に手を切ろうとすれば、他国との関係も婉曲的に拗れるかもしれない。
都合の悪いことに、リデフォール王国に国教はなく、また制限もかけていない。
国としての歴史が浅い一方で外国人の出入りが多く、年々移民の数が増え続けているため、居付きやすいよう敢えてそういう方針を取っていた。
北部大陸からの移民によって建国されたことを考えると、そもそも国として移民を受け入れやすい気質があるともいえる。
「今すぐ、というわけではありません。それに歩調を合わせてくれる国も心当たりがありますし。今回面会を望んだのは、そういうわけなのですよ。ベルサ・B・バスフィールド」
「それでしたら情報部に相談されるより、宮廷の然るべき部署に相談されるべきでは」
ベルサが誤魔化すように、また筆を回し始める。
情報部は貴族院直轄の諜報機関ではあるが、建前上はあくまで軍属で、他国との折衝を専門とする組織ではない。
だが今回に関しては、今の話をベルサ相手に持ち掛ける、明確な別の意図があった。
「お詳しいはずでしょう? 何せ貴女の生まれ故郷なのだから」
ベルサの顔色に変化はない。だが、筆を回す手が一瞬止まった。
「北部大陸における、エミリア教国の活躍は聞き及んでおります。またも旧帝国領から支配地を奪ったようで。それで『汝隣人と争うなかれ』と
「あの。旧帝国領と仰いますが。まだソロン帝国は
いつもの余裕ぶった言動ではなく、焦りの感じられる物言いだった。
アルノーは意図通りに発言を引き出せたことに、満足げな表情をする。
「分かっていたことですが、これで貴女の出自に確信が持てました。やはり貴女は帝国の諜報員、いや、避難民だったのですね」
北部大陸は現在、リデフォール王国の内乱が
ベルサの言にあった通り、当初はソロン帝国という諸国を統べる国があった。だがエミリア教の台頭から幾多もの数奇な運命を辿り、皇帝自らが国の統帥権をエミリア教に禅譲するといった
「一応訊きますが。私をどうするつもりです?」
「別に、どうにもしません。貴女は宰相の庇護下にあった者ですが、個人として私と敵対したわけではない。むしろ素性を鑑みれば、私が同じ立場でも同様の選択をするでしょう」
ソロン帝国の後を継いだ形となるエミリア教国だが、国内は未だ混乱状態にあり、教会派と旧帝国派が国内で争うような惨状が引き起こされている。
故に、リデフォールでも北部大陸からの難民が近年では大量発生していた。
「エミリア教の宗教的権威を否定するつもりはありませんが、教会が国家の構成要素になるべきではないというのが私の持論です」
「すみません、わたしの立場ではなんとも」
観念したかのように、ベルサが溜息をつく。
「もちろん。貴女の
「なるほど。確かにただの口約束より、取引の体裁をとる方が、わたしの気が楽ですね」
ベルサの緊張が和らいだことを、アルノーは感じる。彼女と敵対する意思がないのは本当だし、味方につけたいのも本心だった。
情報部としての手腕もあるが、彼女の背後にいる旧ソロン帝国とは、できれば同盟を結びたい。その国はエミリア教国に取り込まれながら、今もなお教国との最前線にいる国なのだ。
彼女の素性が確認できて、その背後とも繋がりができたのはアルノーにとって大きな収穫である。
「しかし帝国も、獣の巫女殿を送り込んでくるとは思い切ったことをするものです」
「あー、そっちの素性もバレてますか」
「それはもう、バレバレです。貴女が私の正体をすぐに察知したように。どうやら私達が持つあの魔石は、同類にいたく敏感のようで」
分かるものにしか分からない会話を二人が交わす。この付近に人はおろか、盗聴さえもないことはお互い知っているにも関わらず。
それだけは悟られてはいけないと、無意識に主語となるものを避けていた。
即ち、二人の持つ魔石の正体について。
「まあ親睦を深めたい旨は、上に間違なく伝えます。最初からそのつもりでしたしね。是非ともリデフォール王国の力を、我がソロン帝国にお貸しください」
「承りました。来たるべき日には、我が才の全てを貴国にお預けしましょう。それがリデフォール王国が未来永劫在り続けるための、唯一の選択です」
この密談が内諾にすらならないことは、お互いに分かっていた。だがそれでも、利害が一致していることは、言葉にせずとも共有することができた。
遅かれ早かれ、エミリア教国とは雌雄を決しなければならない。そして彼の国との決戦には、アルノーのような力を持つ存在が必要になる。
その波は未だ遠過ぎて視ることすら叶わないが。
全てを薙ぎ払い呑み込む暴力の化身は、確かにどこかで渦巻いている。
いつかその大波が姿を現す前に、より多くの支えが必要だった。
そしてアルノーはふと気付く。
結果に満足するアルノーの視界の隅で、主君であるジェラールが物憂げな顔を浮かべ、こちらを見つめていた。
またか。
ベルサに悟られぬよう、心の中でだけ舌打ちをする。内乱の日以降、アルノーはほぼ毎日幻視に苛まされていた。疲れが原因と分かっているものの、今はまだ休むわけにはいかず、結果放置せざるを得ない状況だった。
ジェラールは死んだ。今見えている人物はただの幻覚にすぎない。
分かっていても、在りし日の残像はアルノーの心を大きく掻き乱した。
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