第24話 野望と正義、相容れぬ理想

 戦後処理、それと演説に向けてアルノーは国王派内で連日会議を重ねていた。

 未だ不穏な動きを見せるクラオン領の軍勢に向けては、再編成した騎士団を向かわせている。牽制という名目ではあるものの、道中の街が支配下に置かれているので、相手が引かないようであれば一戦交えることになるだろう。

 演説に関しては、前回のロベールを踏襲し、城前の広場を利用することになった。城の者が総出で会場整備を行なっている。数多くの市民に聴講してもらうよう、動員を広く呼びかけている最中だ。


 そんな議題を毎日繰り返していたある日の夕方。

 城内の会議室を出たところで、アルノーは廊下を見渡す。

 日が暮れ出しており城の中は閑散としている。窓から差し込む夕陽だけが、城の所々を橙色に輝かせていた。それすらも、もう間もなく消える。

 窓に向かっていた視線が、すぐ近くの曲がり角へと注がれた。


「何でそんなところに隠れてんだ。アーネ?」


 アルノーの見つめる先から、アーネが怖ず怖ずとその姿を現す。何故か彼女は、気まずそうな表情を浮かべていた。


「もしかして俺を待ってたのか? 言ってくれれば時間作るのに」


 最近は多忙で、自身の従士とろくに会えていなかったことを、今更ながら思い出す。

 申し訳ないと思いつつ、何気ない動作でアーネに近づこうとした。

 が、一歩引かれた。

 機先を削がれたアルノーも、戸惑い足を進められず腰が引ける。そのまま二人、薄暗い廊下で向かい合ってしまう。

 やや間があって、アーネが口火を切り出した。


「ねえ。王になるって、本気なの?」


 不安げな面持ちで聞いてくるアーネに、アルノーは少しだけ戸惑うが、やがて観念したかのようにゆっくりと口を開いた。


「ああ、本気だ」


 あまりにも素っ気ない回答だった。それを聞いたアーネが何か言いあぐねるが、口には何も出さない。再び沈黙がその場に君臨した。

 アルノーは焦りを覚える。ひょっとしてアーネは自分に賛同してくれていないのではないか。

 それは嫌だった。他の誰に自分を否定されようとも、せめて目の前の幼馴染みだけには自分の想いを認めてもらいたかった。その不安が、彼を饒舌にさせる。


「アーネだって分かってるだろう? この国の現状を。俺はもう嫌なんだよ。一握りの奴らのせいで、多くの人が流さなくていい涙を流すなんて」


 焦燥に駆られたかのように、アルノーはまくし立てる。


「だから俺が変える。こんな不条理に満ちた世界、許せるものか」

「本当に変えられると思っているの?」

「何?」


 思いもよらない反論が返ってくる。アルノーの眼前では、やはりどこか不安げなアーネが、さっきと変わらず強張った表情をしていた。


「アルノーがやろうとしていること、あちこちで聞いたよ。貴族と民衆の関係性、引いては国の社会システムそのものを覆しちゃうつもりなんでしょ。そこまでして制度や法を整えたとしても、肝心の人間の意識や思想は、容易に変えられるものじゃない」


 アルノーの表情が驚愕に歪む。伝聞で聞いたに過ぎないだろうに、アーネは方策の弱みとなる部分を既に見抜いていた。


「貴族達だって黙っていないよ。今でこそゴタゴタしてて、アルノーの案もすんなり通るかもしれないけど。体制が持ち直ったら、口を出してくるに決まってるよ。そんな貴族からの横槍が入るような中で、本当にアルノーの目指す世界が作れるの?」

「分かってるよそんなこと。言われなくとも、ちゃんと対策を講じてある」


 自分でも驚くほど低く、冷たい声が出る。アーネが肩を振るわせたのが見えた。

 だが、それでも。

 いいように指摘されるままでいるのは、我慢できなかった。意地に過ぎないということはアルノーも理解できていたが、それでも止められない。


「戦前の時点で、ミリー公爵家に書簡を送っておいた。城攻めを開始するので、援護を頼みたい。とりわけ、クラオン領より王都への援軍が出立した場合は、足止めをお願いしたいってな」


 ミリー家当主のフィリップ公爵は、ジェラールと共に国王派の二枚看板を担っていた人物だ。だが暗殺により、リデフォール城内で命を落としている。世間ではロベールの仕業とされているが、まごうことなくアルノーの凶刃によるものだ。

 アーネの顔が瞬く間に青くなっていく。アルノーの狙いを完璧に読み取ったようだった。


「どうりでいつまで経っても攻めてこないと思った。後ろを警戒してたんだ。でもアルノー。第一騎士団も対クラオン領に出たばっかりだったよね。そんなことしたら」

「クラオン軍は、動かなければ挟み撃ち。領地に戻れば、合流した二軍が潰しにかかる。ま、自業自得だろ」


 攻城戦の結果が出るまではミリー公爵家といえど、迂闊に動けないのは想定内だ。だが城攻めが決着しロベールがたおれた今は、ミリー家にとって雪辱を晴らすまたとない機会だ。それを煽るような督促状も、密かに出してある。

 今度こそアーネは二の句を継げなくなる。

 仮にもし、第一騎士団とミリー家がクラオン領に本気で攻め込んだ場合、占領するのは簡単だろう。ロベールの死によって、クラオン領軍は後手に回った。大した防御も出来ず、城を落とされる。

 だがそれだけでは終わらない。

 田畑は荒らされ、家々の財貨は奪われる。人であれば略奪の上で、男は殺され女は攫われるだろう。クラオン家は、それだけ恨みを買っているのだ。

 そしてアルノーは、クラオンへの私怨を暗に認める令を発した。それがどんな結果を生むのか、半ば確信して。

 アーネの目が鋭くなっていく。

 これ以上は危険だった。

 この場での更なる発言は、自身の裏の部分を、一連の真相を露見しかねない。それでも一度調子づいた舌は、滑ることを止めない。


「クラオン領を残しておくのは厄介なんだ。あそこは北部の港町一帯を仕切っている。資産だけなら王家以上だ。中途半端に恨みを買っておくより、今の内に完膚無きまでに叩き潰しておいた方がいい」


 アーネは全く納得していないようだった。その目が次第にアルノーを責めるような目になっていく。

 何故そんな目で見られなくてはならないのか。

 誰のためにこんなことをやってるのか。

 そんな押し付けがましい勝手な思いが、アルノーの胸の内に浮かび上がってくる。


「まあ暫くすれば戦闘も大勢がついて、侵略したミリー家と第一騎士団で、奪った土地をどう配分するか揉め出すかもな。ああ、そのせいで小競り合いが続いて、領民に犠牲が出るかもしれない。だけど俺は、援軍が出るようなら食い止めろと要請しただけだし。もしそんなこと本当に起きてたら、関わった者は制裁が必要になるかもな。最初の王としての仕事が粛清ってのも、いい気分はしないが。まあ、もしもの話だ」


 もしもの話だが、そうなるよう手配がある。アルノーの言はそれを匂わせていた。隠しもしないその言い様に、アーネが気付かないはずがない。

 求心力を失い暴れるままの連中など、討ち取る大義名分には困らない。

 計画の初期段階で、危険を犯してまで最初に公爵家当主を狙ったのは、そんな意図もあった。


「アルノー。それ、本気で言ってるの?」


 アーネが震えた声を絞り出す。拳を震わせ、怒りを堪えているのが一目瞭然だ。


「邪魔なんだ、特権階級が染み付いた貴族や騎士は。これからは、民も積極的に政治参加する時代がくる。そんな時に、公爵家みたいな強すぎる権力を持つ連中は障害になる。これを機に、くすぶる火種は更なる業火で圧し潰す」

「そのためなら無辜むこの民をも犠牲にするの? そんなの、矛盾してる! おかしいよ!」

「分かってるよ、そんなこと! でも今がチャンスなんだ! この機会を逃したら、もう国を変えることなんかできっこない! やるからには徹底しなきゃ意味が無いんだ!」


 深夜の城に昂ぶった二人の声が響く。騒ぎを聞きつけた衛兵が来る様子もなく、止める者なき口論はますます加熱していく。


「道場のみんなの前じゃ、民のためとか言っときながらさ、やってること違うじゃん! 故郷にいた時は、あれほどエルと正義について語り合ってたのに、あの時のアルノーはどこに行ったの?」


 兄貴分を引き合いに出されるほどのアーネの憤りが、アルノーへと突き刺っていく。

 ジェラールやロベールに与えられた傷よりも、よほど深く深く彼を抉る。


「結局は王位が欲しいだけなの? そんなんじゃアルノーの嫌いな貴族達と同じだよ!」

「お前がそれを俺に言うのか」


 いつの間にか涙で濡れていたアーネの瞳がアルノーを射抜く。そこにどんな感情が渦巻いているのか、アルノーには読み取れない。

 だがそれでも。自分の想いを、分かってもらえていないのが悔しかった。 

 脳裏に映るのは屍臭漂うあの日の故郷。

 家族を殺され泣き喚くアーネを前に、密かに心に根付いた決意。

 その誓いのままに生きてきたというのに、何故またもや目の前の少女に、涙を流させてしまっているのだろう。

 悔しさがアルノーを激昂へと導いていく。


「俺だって! そりゃあ、何の罪も無い人達が傷付くのは辛いよ! でもこれがきっと最後だから、俺が最後にするから! だからそんな目で見ないでくれ! 頼むから、俺を否定しないでくれ。お前が泣かなきゃいけない世界なんて、俺はもう嫌なんだ」

「……アルノー」


 アルノーの思いがけない感情の吐露で、剣呑とした雰囲気がゆっくりと霧散していく。最初よりも距離を置いた状態で、二人は対面していた。

 その距離が近いのか遠いのか、アルノーにはもう分からなくなっていた。

 やがて一人、逃げるようにその場を立ち去る。


「ああくそっ! 何でこんなことになるんだよ!」


 考えるべきことはいくらでもあった。演説の内容、戦いの後始末、公爵家間で起こるであろう内紛、そして今の会話。

 特に今の会話では喋り過ぎてしまった。勘のよいアーネなら、全ての真相に気付いてしまうかもしれない。だが相手が相手だけに、口封じなど出来るはずもなく。

 ふと気付くと、通路の窓の外からジェラールらしき人影が、アルノーのことをじっと見詰めていた。まるで、アルノーの考えを責めるかのように。

 幻と分かりつつも、今のアルノーにはそれを処理する余裕がない。


「先生も、俺が間違ってると? 死してなお、貴方は!」


 誰も、賛同してくれない。理解してくれない。

 アルノーの心に隙間が生まれ、孤独を作り始めていく。

 何もかもは上手くいかない。分かっていても、それでも苛立ちは止まらない。

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