第16話(上)水術師達の戦い、リデフォール湾にて

 リデフォール湾は、王都が海沿いにある都合上、早くから護岸整備が盛んに行なわれていた。

 建国当初の国民のほとんどは、北部大陸から船で流れ着いた者達。海の恐ろしさは、嫌というほど身に染みていた。

 数世代かけて完成したのが、高波や洪水の発生しにくい湾の形を取った海岸だ。波を止めるために必須な石材についても、採掘地が都近くに存在し、街の発展に大いに貢献した。

 そういった土地環境に支えられ、貿易国家リデフォールは成り立っていった。


 そのリデフォール湾、沖合に至らない場所で大きな津波が生まれていた。津波は真っ直ぐ港方面へと走り、その途上にいたロベールの船を襲った。

 現在の操船では、海流に乗るまで水術で航行をコントロールするのが基本のため、ロベールの船にも多くの水術師がいた。高波を目にした甲板の水使い達が、視認するや否や形相を変えて波を操り鎮めようとしたものの、津波は彼ら水術師達の魔石から放たれる光を拒み、弾き返しながら進んだ。

 公爵家に雇われる一流の水術師が、疑問符を浮かべながら波に呑まれ、沈んでいく。他の水夫達や宰相派の重鎮達も皆同じ末路を辿っていった。

 津波は、船を飲み込んだ直後から急激に勢いを落とし、水中に潜り込むようにその巨体を崩していく。余波で陸地を削ることもなく、極めて不自然に高波は消え去り、湾には凪が訪れた。

 周辺にはそれまで船を成していた船体の一部らしき木材や、樽や木箱などの一部の荷が浮かび始めている。

 そんな惨状の場に、まるで階段を上がって来るかのような挙動で、水中から一人の人間が昇ってきた。明らかに浮力に従った浮上ではない。事実彼、アルノー・L・プリシスは、水術を行使中とおぼしき光をその身に宿していた。


「さて、妙な気配がいくつかあるが。意外な奴が一人生き残っているな」


 船の瓦礫が浮く海面、その一点をアルノーが見つめる。

 そこから、先程アルノーが現れたように、もう一人の人間が浮かび上がってきた。

 長旅に似つかわしくない深緑のコートは、一部の汚れもなく。丁寧にかされた白髪からも、水滴のひとしずくも垂れることはなかった。

 動揺などおくびも見せず、ロベール・ド・クラオンが無傷のまま、水上に立った。


「海上に逃げてくれて助かった。こう見えて泳ぎは得意でね。先回りするのが簡単だったよ」

「まったく。派閥争いとは無関係の、無辜むこの民が同乗しているとは考えなかったのか。皆一様に巻き込んでくれたな」

「もっともらしいことを言うな。この場に居合わせている以上、無関係などと宣わせるものか」

「短慮が過ぎる。ここまで慎重に策を進めておきながら、こうも雑に仕上げるとは。傍付きを付けていたとはいえ、あの御方をお連れしたのは誤った判断だったな」


 ロベールが侮蔑の目をアルノーに投げる。どうもロベールにとって重要な来賓が、船には乗っていたようだ。しかしアルノーとしては、どのみち目撃者を残すつもりはなかった。

 己の力は隠しておく必要があるし、万が一にも今後の計画に悪影響が出ては困る。死人に口なし。だからこその、大津波という大技だった。

 そして海中の状態も、水術によって概ね把握できている。

 乗船していた宰相派の人間は、全員が波に呑まれ息絶えた。一部の水使い達が水術を使って抗おうとしたものの、アルノーが発生させた大波はそれを諸共呑み込んだ。

 唯一、一部の積荷が妙な反応を示していたが、それに限っては心当たりがあるので放っておく。


「そう、今の一発で終わらせるつもりだった。だが呑み込みながらも、溺れるまでには至らない奴がいた。最後までそいつの水術の防壁を、破ることが出来なかった」


 アルノーが睨みを強める。ロベールは意に介さず、涼しげな顔をしていた。


「どういう絡繰りだ、なんて聞くだけ野暮か。真っ向から水術で受け止められるとは思わなかったよ。ここまでの技量とは、思ってなかった」 


 曲がりなりにも公爵家。元を辿れば、大陸の武門に連なるリデフォール王家の、傍流ぼうりゅうにあたる身だ。

 いくらかは自衛のすべがあるとアルノーも推し量っていたが、それでも読みは甘かったらしい。

 一流どころの水術師でさえ呑み込むアルノーの津波を、いなして平然とするその力は、ともするとジェラールと同等か或いはそれ以上。

 アルノーは頭の中で、敵の力量を一回り二回りも上方修正した。

 

 とはいえ。


「とはいえ、所詮はその程度。水術師の力が十全に発揮される海において、リデフォールの傍流ごときが俺に敵うはずもない。いくらか術に覚えがあるようだが、お前の選択がいかに稚拙で致命的なものか、思い知らせてやろう」


 そう、戦場が海になった時点で、己の勝利は決まっていたのだ。

 これこそがアルノーの最大の罠。囲いの薄い東門から港を経て、海路を使っての領地への帰還は、まさしくアルノーが誘導したものだった。第一師団による包囲も水人形による城への侵入も、この逃亡劇を引き出すための仕掛けに過ぎない。

 全ては、自分の実力を最大発揮でき、かつ目撃者のいない海で、ロベールを確実に討ち取るため。 


 アルノーの体が魔石の光に包まれていく。光が海に伝わり、辺りの海面がアルノーと同じく輝き出す。同時に、足下の海面が揺れ始めた。


「偶然助かったわけではないことを、示してみせろ。文官の分際でできるなら、の話だが」


 次の瞬間、アルノーの前で水柱が空に向かって立ち上った。

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