第15話 船内、囚われの二人

 その頃アディは、ロベールの屋敷から密かに移送され、とある船に乗船していた。

 移動の際は目隠しをされ、訳がわからないまま船内の一室に閉じ込められた。連行後暫くの間は動きがなかったものの、少し前から独特の揺れを感じるようになっている。恐らく既に出航していると、アディは察していた。


「何日も邸宅に拘留しておいて、今度は船ですか。もう今頃は、戦いが始まっているのでしょうね」


 屋敷で軟禁されている間、外に出ることは叶わなかった。しかし食事の間隔等で、何となく時間は把握していた。察するに、既に伝え聞いていた決行日になっているはず。当然、アルノーとも連絡は取れていない。

 そんな囚われの中で、アディは意外な人物と再会していた。


「それで。宰相派のあなたが軟禁されているのは、どういう次第なのですか。ベルサ女史」

「あはは。はぁ。いや本当、何ででしょうね」


 疲れた顔をしながら、情報部の腕利きとして名を馳せたベルサ・B・バスフィールドが力無く笑う。

 ジェラールがまだ生きていた頃、古びた会議室ですれ違った女性だ。あの時は宰相派の人物と聞かされていた彼女が、同じく船室にて軟禁されていた。


「いやあ失敗です。大事になる前に、プリシス卿と接触したかったんですが。出遅れたうえ不審がられてこの始末ですよ」


 くだんの諜報員は、アディがここに連れてこられた際に、先客として囚われていた。見たところ拘束具はなく、拷問を受けたような痕跡もない。

 当人の様子からして緊張感が足りないため、軟禁とはいえ一時的な対応だろう。

 風格の感じられる黒の軍服には、騎士階級に準ずる襟章が飾られている。情報部は機密性が高い任務が多いため、仕事は個人持ちなのが通例だ。よって組織内で役割はあっても、役職は原則として設定されない。その代わりに構成員は皆、宮廷内では騎士と同程度の権限が与えられる。


「ところで、拘束された途端お手洗いに行きたくなる現象って、なんなんでしょうね。困りません?」

「は、はい?」

「これがもう少ししたら、喉とか渇いてくるんですよねえ」

「すみません、捕まった経験がないので何とも」

「しまいには尋問が始まったタイミングに限って、空腹がピークになってお腹鳴っちゃったり。困りますよね」

「あの。そのあるあるトーク、私分からないので」


 意外と人生経験豊富なのかもしれないと、アディは今更ながら印象を改めた。

 お互いに枷はされていないため、船室内に限れば比較的自由に動き回ることはできる。捕虜として考えれば、かなり寛大な扱いだった。

 残念ながらお手洗いは無いが。

 食事は定期的に給仕され、部屋の隅には水瓶がある。声や足音を聞いている限り、それなりの人数が乗り込んでいるのだろう。乗り込む際は目隠しをされていたため全容は確認できなかったが、大陸に渡るための大型の商船なのかもしれない。 


「ロベールに楯突く真似でもしたのですか?」

「そこまでの話でもないんですが。第三者的立場に立って、仲立ちできればって考えてたんですけどね。いやあ、困ったことになりました」


 困った困ったと言う割には、あまり困っているようには聞こえない口調だ。広告塔のようなことをすると聞いていたので、あまり顔に出さないタイプなのかもしれない。

 思いのほか話しやすい印象を受けるのは、情報部としてのスキルか、それとも本人の生来のものなのか。アディはいまいち判断がつかなかった。


「出航前に声がしましたが、ロベールも乗船しているようですね。私達これからどうなるんでしょう」

「宰相閣下次第ですね。喫緊の行き先としては、クラオン領の港になるんでしょう。何事もなくとは、いかないと思いますが」

「第一師団との戦争、ですか」

「もうそこまでご存知でした? まあ貴女は来賓扱いでしょうし、そりゃあ聞いてますか」


 ほぼほぼ当事者一味になりかけていた、とは言えない。その前に捕まった結果が、この軟禁生活である。


「何にせよわたしの立場としても、最低限の備えはしておきたいんですよね。このまま捕まってたら、遠からず間違いなく巻き込まれますし」

「巻き込まれる、ですか。何か襲撃の情報でも?」


 さすがに捨ておけない言葉だった。船が襲撃を行うにしろ受けるにしろ、争いの只中に放り込まれれば、命に関わる。初歩的な槍術の心得はあるが、この状況で役に立つかは疑問だ。

 そんなことをアディが考えていると。ベルサがまるで何かに気付いたように、ぴたりと動きを止めた。


「やばい、言ったそばからもう来た。躊躇ないなあ、ほんと」


 何かを感じ取ったらしいベルサが、急に慌て始める。何事かと尋ねようと瞬間、アディは自分の肌が粟立つ感覚を覚えた。大型の獣に睨まれたような、生物としての危機意識が煽られる。


「今の感覚は、いったい?」

「まず、逃げる暇ないぞこれ。アディ氏こっち来て!」


 ベルサに腕を引かれ、船窓近くまでやってくる。そこには貨物用の大きな樽が置かれてあった。

 ベルサが蓋を開けると、中には何も入っておらず、細身の人間なら二人くらいすっぽり収まるようなスペースがある。


「ベルサさん? これはもしや」

「いやあ用意しておくもんですね、緊急脱出装置。マジで使う羽目になるとは、ってかんじですが」「嫌な予感がしましたが、やはり嫌な事実でした!」


 聞かなければよかったと、アディが後悔する。


「アディ氏も感じたでしょう。多分今からデカい攻撃が来ます。急いで準備するので、お手伝いをお願いしますね」

「待って。さっきの殺意で、何かしら攻撃が飛んでくるのは理解できましたけど。樽で一体何が」


 さっき感じた違和感は、大掛かりな術が発動する先触れだろう。戦いとは無縁の生活をしていたアディでさえ感知できるということは、その規模たるや言うまでもない。

 ベルサは焦るアディの前で、おもむろに懐に手を伸ばす。取り出したのは、拳大ほどの巾着袋だった。


「こんなこともあろうかと。わたしの切り札、特製のいい土です」

「いい土? それにしては何か変な気配が」

「さすがお目が高い。事前にたっぷり、いい土になるよう力を注ぎ込んでおきましたからね。いい土にするのは大変なんですけど、出し惜しみしてられないですし」


 いい土と連呼され過ぎて胡散臭さが倍増する。かなり本気の目をしていたので、アディは敢えて指摘しなかったが。

 ベルサは巾着からいい土を一掴みすると、樽全体に振りかけ始める。よく見るとベルサと土は、お互い仄かに光り輝いていた。いい土は床にこぼれることなく、吸い付くように均一に樽表面に広がり、付着していく。


「コーティング完了っと。これでちょっとやそっとじゃ、樽は壊れませんし水漏れもしません」

「ベルサさん、土術使いだったんですか?」


 アディの声と同時に船が揺れ出す。何かが起こる予兆だった。


「狭いですけど入って。二人なら大丈夫です」

「え、でも」

「あ、お手洗いならまだまだ余裕で我慢できます。ご心配なく」

「そっちの心配じゃありません!」


 得体の知れない攻撃が近付いているのに樽でいいのだろうかという葛藤が、アディを躊躇させる。とはいえ選択肢はなかった。

 まずはベルサが入り込み、招かれるようにアディも樽の中に身を納める。

 アディとしては不承不承甚だしいが、背に腹は変えられなかった。状況が逼迫していることが、何故だか感覚的に感じ取れていた。

 二人が入り込むと、ベルサが中から蓋を閉める。

更に追加で、中からいい土を塗りこんでいく。

 その作業が終わった頃、思い出したように懐から石を一つ取り出した。


「それとこれ。アディ氏用の水の魔石になります。どうぞ」

「え、私用? 何故でしょうか」

「樽ごと海に飛び込む羽目になったら、海上でも海底でもどちらでも構いません。樽を水術で動かしてください。さもないと結局死にますから」

「え、本当にどういう? 私そもそも水術なんて」

「使えますよ、貴女なら。死にたくないなら頑張って。上下どちらかに進めれば、後はわたしかわたしの仲間が何とかできます」


 確信があるかのように、ベルサが言い切る。

 急に水術と言われても、アディとしてはまるで自信がない。だが、その行為が必要であろうことは、真面目な形相のベルサを見ると伝わってきた。


「ほんともう、訳がわからない」

「ですよね、ごめんなさい。でもわたしとしては、貴女を失うのも困るんです」


 ベルサは溜め息混じりだった。

 アディとしても全面的に信用するわけではなかったが、この状況が彼女の望んだものでないことは、ここまでの短いやり取りで察することができた。


「あのお二人も、どっちも死んでほしくないんだけど。予定が狂うなあ。困ったなあ」


 その小さな呟きは、アディは何となく聞かなかったことにした。


 揺れが強まる。

 視界が揺れる。

 大きな波が来ていることを、二人は暗い樽の中で感じていた。

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