第16話(下)水術師達の戦い、リデフォール湾にて
またしても穏やかなリデフォール湾内に、大津波が突如として発生した。
波はすぐに崩れ落ち、水面に立つロベールを腹の中に呑み込む。
だがアルノーは、攻撃の成果が無いことを察して渋面を浮かべる。
「呑み込まれる寸前、術を使ったな。それどころか、俺の津波から水を奪っていくとは」
水場での水術師同士の戦いは、陣取り合戦のような面を孕む。自分の術に使う水をどれだけ確保できるかが、勝敗の大きな分かれ目になるからだ。
術の干渉下にない水であれば操作するのも容易いが、相手の干渉があると術同士で水の奪い合いが発生する。
「大技で範囲が広い分、制御が甘かったか。だが奪われた水で障壁を作ったとしても、呑み込んでしまえば質量で押し潰せるはずだが」
だがその手応えがない。どんな水術かは分からないものの、確実にいなされている。
先程と同様の結果だが、アルノーはすぐに切り替え海水を操作し始める。攻撃のためではなく、今度は水中の探査を行っていた。
「今回もノーダメージということは、やはり自力で防がれている。
最初の津波による攻撃も、仲間の水術により助けられた、と言う可能性もゼロではなかった。そのために、敢えて同じ津波という手段をとった。今回こそは見逃さず、相手の術の正体を見極める。
そうして海中の状況を探っていたとき、アルノーは遂にその反応を見つけた。
「いた。が、なんだアレは? あれで、防御していたのか?」
水中のため視覚では分かりにくいが、周囲の海水を操作するアルノーには正体が視えていた。アルノーが操る海水とは別に、ロベールが自ら操る海水で体を覆う水球を作り収まっている。水球を構成する水は制御が強固で、アルノーが干渉しても薄皮一枚分も剥がせない。
ロベールの方からも、水中からアルノーを視認しているようだった。分厚い海水を挟んで、両者が睨み合う。
「津波に呑まれても、ものともせずか。形状から考えれば、対衝撃と姿勢制御に自信ありってとこか。じゃあこれはどうかな」
足下で、海水が巨大な棒の形に凍り始める。全長は大人一人分で先端は尖っており、ビジュアル的には杭に近い。
合計で十本ほど水中で成形された杭は、まるでバリスタもかくやという速度で、ロベール目掛けて射出された。
ロベールが水中で指輪型の魔石を輝かせる。周囲の海水に光が染み渡っていくと、打ち出された杭が次々と光に触れていく。次の瞬間、それぞれ軌道を大きく変えて明後日の方向へ飛んでいった。
「遠距離攻撃は水中じゃあ効果が薄いか。じゃあ、これだな」
アルノーが再度魔石を起動させると、海水がわなわなと震え始める。海流が目に見えて向きと速さを変え、螺旋を描き始めた。海水はそのまま大きな渦となり、白く泡立ちながら深度を深め、領域を拡げていく。
「海中が好きなら、好きなだけ潜らせてやる。渦に呑まれて海底まで沈んでろ」
瞬く間に生成された大渦が、ロベールを巻き込んでいく。水球ごと揺られるロベールだったが、渦に巻かれることも沈むこともなければ、ひっくり返って天地が逆になるようなこともなく、器用に安定を保ち続けた。
「ふん。まあ津波に呑まれて平気なのだから、そのぐらいの芸当は出来るか。だが本命はここからだ」
腰の鞘から小剣を引き抜く。そして迷うことなく、アルノーは自らが生んだ大渦に飛び込んだ。
大渦の動きに呑まれるでもなく、むしろ下向きの流れに乗り、異様な速さで潜水していく。直下には、ロベールを包んだ水球が見える。渦に抗しようと制御に尽力しているためか、ロベールは真上から潜水してくるアルノーに気付いていない。
そして異変を察知してロベールが見上げたとき、既にアルノーは小剣を構えて突っ込んでいた。
「とったぞ! んぐっ!?」
水中でアルノーはバランスを大きく崩し、投げ出される。
突き込んだ小剣は水球の護りに阻まれ、剣先が僅かに刺さったあと、半ばで折れていた。ロベールは余裕綽々な顔で、弾き飛ばされたアルノーを
「おっと失礼、ぶつかってしまったかな。暗いところにいたものでね。近くに寄ったならば、挨拶をしてくれればよいものを」
「申し訳ありません閣下。変わったアクティビティを楽しんでおられたので、声を掛けるのが憚られたのですよ。ボールに埋もれて海に潜るのがお好きとは、意外なご趣味をお持ちで」
わざわざ水術を使って軽口を叩きながらも、アルノーは大急ぎで作戦の組み立てを強いられていた。
大渦の流れで加速させた不意の一撃でも、ロベールどころか水球にさえ、満足なダメージを入れることは出来ない。この事実は、アルノーの考えを大きく改めさせるに至った。
「この水球、思った以上にまずい。力押しが通じないぞ」
単に固いだけではなく、衝撃を逃がす構造。それも術者本人に衝撃が伝わらないよう、念入りに力が分散される。おまけに水中にいるため、少し削った程度では損傷に繋がらない。
「まずは水中から引き離さなければ。くそ、どのみちまた大技が必要になる!」
下方海中にいるロベールに対して、アルノーが大きく腕を振る。指先から線状の光が周囲の海水に迸っていく。光の線は伸びながら隣の光と線を結んでいき、投網のような軌道をとった。
ある程度光の網が拡がったところで、アルノーは今度は力任せにその網を引っ張り上げた。
「うおぉっ! 揚がれえぇ!」
大量の海水が、海面に向かって動きを作る。海底火山の噴火のように、海水が勢いよく噴き上がった。網の内側に捉えられていたロベールの水球も、つられて浮上していく。
いかに水球が丈夫でも、周囲の海水が広範囲に噴き上がれば、巻き込まれて浮かざるを得ない。
起点となったアルノーは、吹き上がりの反動を受けてより深く沈んだものの、すぐに海面への浮上を開始する。
水術によって溺れる心配はないものの、津波二連発からの大規模水術は、アルノーを大きく疲弊させた。
「っはぁ。どうだ、これで!」
後を追うように水面に泳ぎ出ると、海水と共に噴き上げられたロベールが、器用に水球を維持したまま着水したところだった。今のところ再び潜るような様子はない。
水中にいなければ水球の防御力も抑えられるはずというのが、アルノーの見立てだった。
とはいえ、相手は未だに水球を維持できている。
「さて、どうするか。直接触れば制御そのものを狂わせられるが、あれほど強固で術者に密接した状態となると、奪うには時間が掛かる。その隙を逃すはずもない」
やはり何かしらの、外からの攻撃が必要だった。だがここまで、いくつもの大きい技を連発してしまっている。
普段であればまだまだいけるが、今回は
「どうした補佐官殿。よもやもうギブアップかね」
「誰が。作戦を考えていただけだ」
「よほど我が水球に、手をこまねいていると見える。リデフォールの血筋とはいえ、城攻めに力を割きながらでは、やはり分が悪いものかね」
「お前っ、何故それを!」
「気付かれないとでも思ったか。堂々と名前にLの字を用いていながら」
アルノーが唇をかむ。それを見つめながら、ロベールは言葉を続けた。
「長い歴史を見れば、王家の血が外に漏れ出たことは幾度かある。好色な王が、側室でもない宮女に手を出し身籠もらせたなど、この国でなくてもままある陳腐な話だ。普通なら側室に迎えるか、母子ともに始末するものだが。稀に側近達の目を盗み、姿をくらませることがある」
まるで答え合わせをするかのような、落ち着いた口調だった。別の水術を併用しているのか、声は水球の奥に隠れながらでも、はっきりとアルノーの耳まで届く。
「丁度お前の故郷も、王都から離れた山岳地帯だ。追っ手から逃れる女が身を隠すには、うってつけの場所だな」
アルノーの地元では、よそから逃げてきた人間は珍しくもない。追っ手がかかるとしても精々が手前の街までだ。何故なら、元々街に住んでいたような人間は寒暖差が激しく道に迷いやすい山岳地帯では、入り込んでもすぐ野垂れ死んでしまうからだ。
「加えてその水術。大海蛇の加護を得たリデフォールの人間でなくてはあり得ぬ話だ。体を鍛えたりものを学ぶとは訳が違う。術者の素質とは、血に宿るものなのだよ」
「素質とは血、か。それはいたずらに増税を重ねて、国庫を我がものにしたことの言い訳も兼ねているのか。クラオン卿ロベールよ」
「根本的に勘違いしているようだな。才があるからこそ、人は地位を得るのではない。地位を得た事実こそが、才ある証なのだ」
聞き捨てのならない言葉を、聞いた。
頭で組み立てていた策を一度放り捨て、アルノーは挑発と分かり切ったセリフに噛みついていく。
「要職を身内で独占し、気にいらぬ文官武官は城から追い出し、必要とあらば平民貴族分け隔てなく冤罪を被せ、牢に繋ぐ。私腹を肥やすことしか考えないお前が、人の力の在り方を語るというのは、中々に含蓄があるものだな」
「そのような上澄みだけの言葉しか出てこないか。一体ジェラールから何を学んだ? それほどの力を持ちながら、何故一元的なものの見方しかできない。
「足りぬと切り捨て、見ようとしない拾おうとしない。だが今お前の眼前では、ただの平民が立ちはだかってお前を殺そうとしているぞ。足りぬといって捨ててきたものが、今俺をここまで押し運んだのだ。そんな有様でお前が正しかったと、誰が言える」
「つくづく、一つの事柄でしか人を計れぬ男だ。御座が違えば見えるものが違う。お前達の知らないところで別の争いがあるだけの話だ。上が崩れぬよう支えるのは下々の役目であろう。一緒に下敷きになりたいのなら、話は違うがね」
「土台を食い潰しながら成り上がっても、やがて倒れる運命なのは変わらない。足元を固めながら、足場を引き上げながら進もうとは何故考えない!」
「甘えるな。認めて貰いたければ自力で這い上がってこい。力なき故に下層にいるのだろう? 登り詰める意志とそのための力があるなら、為るべくして成り上がっているはず。己の無気力、無能を上に押しつけるな」
「やっているだろう! 今も、こうして!」
アルノーが力任せに水面を踏みつける。焚き火に水をかけたような
アルノーは身を屈め、真っ直ぐロベールの元へと水上を走る。
そのまま一気に肉薄すると、水球に両手の平を当て、魔石を起動させる。
光が水球に染みこんでいく。だがロベール側の反発があるのか、それまでの海水と違い中々操るに至らない。それでもじわじわと、アルノーから伸びる光が水球に侵食していく。その時だった。
何かの気配を感じたアルノーは、水球への干渉を諦め後ろに飛ぶ。
先程まで立っていた場所を、横から別の水球が通り抜けていった。
「なっ」
「何を驚いているのだね。一発が限度だと言った覚えはないぞ。防御にしか使えないともな」
続けて海中から、別の水球がさらに一発、もう一発と飛び出してくる。アルノーは襲い来る水球を躱すものの、飛び交う水球はどんどん増え続け、攻撃どころではなくなる。
「っ、この!」
アルノーが水術で海面から水柱を生成し、水球へと直撃させる。ロベールが纏うものほど強度がないのか、水球は水柱共々砕けて割れていった。
だが一つの水球を砕く間、その何倍もの水球が襲いかかってくる。
「くっ、こうなればまとめて」
またも規模の大きい水術を放とうとして。アルノーがいきなり膝を落とした。
体を覆う光はなりを潜めていき、護りとして操っていた水柱や水杭も、力を失いただの海水へと戻っていく。
「これ、は」
「ふむ。ようやくか。思ったよりはタフだったな」
得意の水場だというのに、術を継続できない。それどころか体から力が抜け、その場で膝をつく始末。考えられることは一つだけだった。
「馬鹿な。俺が、限界を迎えただと」
「大掛かりな術を行使し続けたのだ。当然だろう。お前のように才覚に恵まれた術使いには、経験がないかもしれんが。とはいえ、こちらの狙いが削りだとは、もっと早く気付いてもよいようなものを」
余裕の笑みで、ロベールが見下ろす。
「城に水人形の奇襲があったとき、お前の狙いが私を城から追い出すことだと、すぐに気が付いたよ。城内部から危険に晒されているのだから、当然の帰結だ。さらに囲み方から見て、海路を使わせたがっていることも想像が付いた。これらのことに加え補佐官殿が卓越した水使いであることを考えれば、海上で雌雄を決そうという思惑を導き出すのは、難しいことではない」
何も言えない。腹立たしいことに、その通りだった。
「水場ならば勝てると確信していたのだろう。数百を超える水人形を使役したり、単独で津波を起こす力を持つならば、自然なことだがね。それ故に己の限界を見誤った。追い込んでからの仕掛けが大雑把すぎたな」
例え水術による高度な治療が可能でも、体力だけはどうしようもない。
いかに優れた魔石を持って大掛かりな術を使えても、とうのアルノー自身は生身の人間なのだ。度重なる水術で気力体力が削がれれば、術の維持は適わなくなる。
ロベールの言うとおり、今のアルノーには水滴一粒たりとも動かす余裕はなかった。体に埋め込まれた魔石から伸びる光は、幾度も水面に伸びるものの、その都度霧散してしまう。
術を停止し息を整え、回復に努めなければこれ以上の水術は不可能だ。
だがそれはつまり。今もなお城攻めの中核を担っている、
そして解除したが最後、
ここからでは状況が見えない以上、下手をすれば攻城戦をしている味方が窮地に陥りかねない。
「あとは私自身が矢面に立てば、お前は後先を考えず、勝手に消耗してくれる。猛攻を凌ぎきれるかという点についても、今までの水術から逆算することは出来る。撃ち合いさえしなければどうにでもなると思っていたが、その通りだったな」
まるで合唱団を指揮するかのように、ロベールが右手を虚空に振るう。
周囲に集まっていた数十もの水球が、一斉にアルノーに殺到した。
「く、そ」
「さらばだリヴァイアサンの血族。驕りを捨てきれず、相手を見誤ったのがお前の敗因だ。お前が思っているほどには、私はお前を侮っていなかったのだよ」
「くそぉぉおおっ!」
水球が四方八方から飛翔してくる。
消耗しきったアルノーは為す術なく、水球の
「馬鹿な。俺が、海での戦いで、こんな!」
己の驚愕をまともに口に出すことさえ出来ず、アルノーは水底へと沈んでいった。
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