第3話(下)挙兵の上申、裏庭の会議
「それはそうと、さっきの女性誰なんでしょう。殿下とアルノーさんは知ってる方みたいでしたけど」
話題が切れたタイミングで、アディが言う。
その語気はどこか強めで、この話をいつ切り出すか見計らっていたかのような印象を受けた。
「情報部所属のベルサ・B・バスフィールドだな。情報収集のために、何度か会ったことがある」
「アルノーも知ってるの? 有名人? 情報部って軍属扱いだけど貴族院直下の組織だよね。宰相お抱えじゃ?」
「彼女はちょっと特殊でね。一応ニュートラル寄りということになっているんだ」
「一応と前置きする以上、やはり宰相派ということですか」
アーネとアディも口を挟んでくる。
二人も親国王派であるので、誰が身内で誰が敵かは、気になるところだろう。
「彼女は宰相派の情報を宣伝する立場にいてね。デマ要員とまではいかないまでも、両派閥にパイプを持ってるクチなんだ。こちらも宰相派の事情は知りたいし、あっちも情報操作に有効だしと、そんな感じさ。彼女も若いのに大変な話だよ」
「なるほど広告塔ですか。両方にいい顔すると、むしろどっちからも嫌われますものね」
そして、宰相派が彼女を使って情報操作するということは、裏を返せば国王派も同じことが出来る。中立というより、二重スパイに近い。
何かあったときに槍玉に挙げられやすく、危険も多いことだろう。
とはいえさっきの会話を見るに、あまり大変そうな様子には見えなかった。
振り回すのも振り回されるのも、得意なタチなのかも知れない。
「しかし、さすがは各地で浮名を響かせたサー・アルノーだね。既にバスフィールド女子と知己を得ていたとは。私も若いとき相当やんちゃした自覚があるが、アルノーほど派手じゃあなかったよ」
背後で温度が下がった感覚を、アルノーは覚える。何か言い訳が必要だと、瞬時に悟った。
「その噂、宰相派が流したゴシップだとご存じでしょう。誤解を招く発言は勘弁願います。殿下も奥方を頂いておいでなのですから、いつまでも一人やもめ気分でいるのはお控え下さい」
今度は先程とは反対側の空間が冷え込んだ。
何でだと思ったが、振り向くのが怖くて振り向けない。
「小さな頃からの許嫁なのに、結婚したのは昨年でしょう。待たせすぎです」
「相手を待たせているという件で、君に怒られるの? よりによって?」
「はい。こういうことを損得抜きに諫言できる部下は、清廉誠実で知られた私くらいなものでしょういたいたい。アーネ、何で髪をむしる」
「いや、脳みそ入ってんのか確認しようと」
目が本気だ。とても苛ついている。
「ええっと、髪をむしって頭皮を剥いで、頭蓋を切り開くといった工程でしょうか」
「拷問官かな? 想像するだけで鳥肌ものだね」
なおも髪をむしろうとするアーネを、アルノーはスウェーだけで上手くかわす。
「ぐ、振りが早い手数が多い! アーネ、殿下の御前だぞ」
「その王太子殿下を相手に、あろう事か異性絡みのクソおもんないギャグ披露したのはどっちかな? 兄弟子の不敬は、私自ら罰するんだよ」
なおも両者のスピードが上がる。攻防が無駄に激化するなか、ジェラールは欠伸をしながらそのやりとりを見ていた。
「ま、王族はしがらみがあって大変なんだ。婚約者が変わるのなんてざらな話だよ」
「でも、今のご婦人が本命だったのでしょう?」
せめぎ合いに忙しいアルノー達の代わりとばかりに、アディが言葉を返す。
アルノー達が気を逸らしているせいか、いつもより口調の距離感が近い。
「王族は細君が複数いるのが通例なのですし、さっさと婚姻してしまえば良かったでしょうに。いつまでも独り身だから、未練を捨てきれない女性がどんどん増えていくんですよ」
どこか迫るような気迫で、アディが続ける。ジェラールものしかかってくるような重圧に、思わずたじろいだ。
「そうだね。いつまでもダラダラしていたのは私の責任だ。未練にしがみついていたのもまあ、否定し切れない」
ジェラールの視線が真っ直ぐアディを貫く。
壮年に迫りながらなおも衰えないその眼力に、今度はアディがたじろぐ。
「すまなかったね。今の君の境遇も含めて。心からそう思っている」
「いや、あの、ジェラール? 今そういう話を聞きたいのではなくて」
アディがしどろもどろになり、慌てる。
騎士団長を兼ねる王太子と、一介の侍従が醸し出すべきではない空気が漂った。
「あー、アルノー水術使うのは卑怯だぁー!」
妙な雰囲気を打ち消す大音量が響く。
二人がはっとして声の元を見てみると、アルノーとアーネの戦いに決着が付いたようだった。
床にいつの間にか、水溜まりが出来ている。
そこから水がツタのように伸びて、アーネの手と足を絡め取っていた。
アーネは水のツタを引きちぎろうと抵抗しているようだったのか、見た目以上に強度があるのか一切動かない。
「ふう。手間をかけさせる。革袋に入れといた非常用の水を、こんなことで使う羽目になるとは」
術を使ったアルノーが、額の汗を拭っている。水の魔石を使った証として、体が薄く発光しており、その光が水溜まりまで伸びていた。
「おっと。殿下、騒々しくして申し訳ありません」
「うん、あんまり無茶しないように」
「お気遣いありがとうございます。ですがこの程度の術、大した負担ではありませんので」
「いや、技を使われると部屋が壊れる。床も濡れてしまったし」
アルノーが間抜けそうに口を噤む。
この部屋が廃屋寸前のボロ屋だったことを、今更ながら思い出した顔だ。
掃除もします、とだけ短く答える。
「アルノーこれ解いてよ!」
「はいはい。今やるよ」
アルノーから発せられる光が、再度水溜まりまで伸びていく。
アーネを絡め取っていた水のツタは、アーネの軍服や肌を濡らすことなく、そのまま生き物のように元の水溜まりへと戻っていった。
「うう、先生達の前でアルノーに辱められた。死にたい」
泣く小芝居をするアーネを華麗に無視し、アルノーが今度は零れた水をそのまま腰に下げて革袋へと戻していく。その様子を横にいたアディが、ただただ愕然と見ていた。
「凄いですね。現役の水使いって。みんなこれくらい出来るんですか」
「いや。アルノーが特別なんだ。水術なら、罠に探知術式、拘束系から直接攻撃、果ては水術を使った簡易的な治療まで。何でもこなすよ」
水のツタにしても、巻き取られたアーネには痣や傷どころか、水滴の一つも残っていない。そもそも人間のように動き回る相手を対象に、すんなり絡め取っているだけでもアルノーの技量は分かる。
「そもそも術を起動させるときは大抵、魔石の周囲だけですものね、光るのは」
それに対しアルノーは、術の起動時は全身が光る。これだけでも随分異端だ。
「魔石をインプラントしてるからな。お陰で隠密行動がとり辛くて困る」
決められた答えを言うように、アルノーがすらすらと自分の技の解説をする。
アディが分かったような分からないような複雑な顔をしていた。
「まあ、小手先の技に長けてるってだけだよ。総合的な戦闘技術は、まだまだ殿下に及ぶべくもない」
「小手先の技、か」
ジェラールが何かを言おうとして、結局口を噤む。首を振り、見なかったことにするかのように。
そしてその間も、アルノーは光を薄く放ち続けたままだった。
「ああもう、酷い目にあった!」
泣き真似に飽きたのか、アーネがいかにもご立腹とばかりに勢いよく立ち上がる。
「アルノーもそうだけど先生も悪いです! 王子様なのに、ふらふらしすぎだから」
アーネの恋愛脳はまだ切り替わっていなかったらしい。
日頃の鬱憤があるのか、今度はジェラールにまで火の粉が飛ぶ。
「正論なんだけどね。次期王妃となると、色々なしがらみが混ざり合うし」
「お世継ぎ問題大変になっちゃうから、あんまり遊んでちゃあダメだよ」
アーネのストレートな物言いに、ジェラールが苦笑する。
事実、この騎士団長は夜になると決まって城を抜け出す、愛多き貴人として有名ではあった。
その辺りの事情はアルノーも知っているので、うんうんと慇懃無礼に頷く。
「ほら、困ったことに、わざと遊んで貰おうと必死な連中もいるんだよね」
一国の王太子となると、結婚は個人感情ではいかない。
とはいえとっくに子供がいてもおかしくない年齢にも関わらず、結婚していなかったのには理由があった。
以前から、ジェラールに
にも関わらず、宰相派の貴族が別の娘を推してくるせいで、長年話が進まなかった。
ジェラールもいよいよな年齢ではあったので、諸侯も諦めようやく婚姻が纏まったのが、つい去年の話だ。
「しかし、思いも寄らぬところでアーネの成長が見られたね。さっきのアルノーとの攻防は中々だった。町で開いているドージョーとやらの成果かな」
「気付いてしまいますか、分かりますか。最近は入門生もいっぱい稽古に来てくれてて。シハンダイとしては気が抜けないなあって、気合いを入れて鍛錬しているんです。あと少しすれば、アルノーからシハンの座を奪えるんじゃないかな」
「師範と師範代ってそういうシステムじゃないぞ」
「さっきの攻防といえば、アルノーさんも専門は水術なんですよね。やっぱり殿下の教えなんですか」
「いや、ほぼ我流。魔石も、たまたま相性がいいものがあってね。体に埋め込んでも問題無いものだったんだ」
「アレ使うときのアルノー凄いんだよ。体全身が光り出すから。ホタルイカなの?」
「その喩えホタルじゃダメなのか」
「だってホタルが光るのお尻だけじゃん」
「ホタルイカも全身発光している訳じゃないぞ。腹と触腕と眼球だけだ」
「それほぼ全てじゃん。イカの」
実際、水使いは水中戦が得意なので、水生生物が喩えに適している点は否めないのだが。
気付けば、やりとりを見守っていたジェラールとアディが、どこか温かい目で二人を見ていた。
「あの魔石、私が触らせてって言っても、見せてもくれないよね」
「んー。その件についてはまた後日な」
「そうやっていっつも誤魔化すし」
「まったく。相変わらず仲がいいね、二人は」
しみじみといった感じで、ジェラールが二人を見回す。
「昔はそれこそ放っておいたら、いつまでも二人で騒いでたのを思い出すなあ。アルノーなんかは副官やりだした頃から、眉間に皺寄せる回数も多くなって心配だったんだけど。でもアーネみたいな子が近くにいてくれるから安心して任せられる」
その言葉で、まるでぱあっと花が咲いたように、アーネが笑顔を輝かせる。
「お任せ下さい先生。唐変木の域を出ない不肖の友ですが、このアーネ・ティファートが立派な英雄に育て上げて見せましょう」
「ほう英雄か。大きく出たものだね」
恥ずかしい。止めて欲しい。
そう思いながらも何も言えなかったのは、思いの外真剣そうなアーネの顔を見てしまったからであろうか。
結局そのまま、口を挟むタイミングを失ってしまう。
「ええ、英雄です。何しろこの私が傍に付いているのですから。きっとこの国に収まらない、大陸にまで名を轟かせる大英雄となることでしょう」
「アーネが言うと、冗談に聞こえないね」
「ふふ、本気ですから」
不敵に笑う。根拠がまるで無いのに、何故かアーネの言葉を信じられるような気がした。
「まったく。アジテーター気質だな」
「アジりじゃありませんー。ちゃんとした所信表明です」
「ほう。で、プランはあるのか」
「悪いヤツを、やっつける!」
「それプランじゃないから。妄言だから」
などとからかっては見るものの。
アーネのことだ。まだ口に出さないだけで、何かしらの方策はもう練っているのかも知れない。
何故かは分からないものの、この幼馴染みは自分が理路整然とした思考をするタイプであることを、周囲に知られたがらない。
未確定の計画で混乱させたくないのか、あるいは単に理屈っぽいと見られるのが嫌いなのか。
特にアルノーが相手だと、その傾向は顕著だった。
「それとアルノー、この後って大丈夫? 来る途中言ったけど、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ」
「今からか? まだ仕事中なんだが」
「従士の面倒見るのも騎士のお仕事でしょ。移動もあるから、そろそろ動きたいなって」
人の話を全く聞かず、アーネはアルノーを無理矢理引っ張ろうとする。
解くことも出来たが、ここに来る前も話したいことがあると告げられたばかりだ。
幸か不幸か、ジェラールへの報告は一通り片付いている。
「っと。殿下、すみませんが」
「ああ、長居させてしまったね。大丈夫、聞きたいことは聞けたから」
「ありがとです、先生。用事があるので、今日のところは戻ります。アディくん、用心のためにもう少し、先生についててあげてね」
「はい。アーネさん。行ってらっしゃいませ」
「おい、アーネ。俺達も殿下を送ってからの方が」
「そういうところが唐変木なんだよ。密談用の部屋なんだし。先生だって警戒してるだろうし。これ以上はお邪魔虫だよ」
さすがに護衛が邪魔にはならないとは思ったが。
それでも頭数多くして移動すれば、それだけで宰相派に気取られる可能性がある。
この裏庭は文字通り王族の庭なので、確かにいてもいなくても、どちらでも構わないのかも知れない。
「ではアルノー卿、アーネ様。お帰りの際はお気をつけください」
アディの恭しいお辞儀を背に、二人が朽ちた会議室を出ようとする。
その間際、ジェラールがアルノーに近寄り、耳元に顔を寄せた。
「ちゃんと守ってやれよ、英雄さん」
さっそく茶化しに来たかと勘ぐったが、声色はあくまで真面目だった。
さきほどの会話が思い出される。
宰相と、更に存在するかも知れない謎の勢力。それは、場合によってはジェラールやアルノーのような戦闘職だけではなく、アーネやアディのような政治と無関係な子女にも牙を剥くかもしれない。
今の一言には、そんな危機感を煽らせる意味が含まれていた。
アルノーが悲痛な表情に変化していく。
何か心の中から溢れてきそうなものを、必死に堪えているかのようだった。
承知しましたと絞り出すように告げて、アルノーとアーネはその場を後にした。
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