幕間1 二人の秘密

 アルノーとアーネが部屋を後にしていく。

 人数が半分になった会議室に、外から野鳥の囀りが響き渡ってくる。

 先程までの談話の余韻を楽しむかのように、ジェラールとアディは互いに柔らかい空気の中に浸っていた。


「急に静かになりましたね」

「頭数が減ればそんなものだよ。それより、二人きりの時は、敬語は止せと言ったはずだけど」

「もしかしたら、誰か聞き耳を立てているかも知れませんし」


 それこそ宰相派の人間にでも聞かれてしまったらと、アディは付け加える。

 だが、こめかみから一滴の汗が流れたことをジェラールは見逃さない。取って付けた理由であることがバレバレだった。


「密談自体は、気付かれているかもしれないけど。周囲に誰か近付けば、私が気付かないわけないだろう。それとも何かな、アディは私の洞察力を信用してない?」

「ええと、別にそういうわけでは」


 アディが弁解に走る。あたふたし始めた付き人に、ジェラールの表情は柔らかくなっていった。さらに彼は、目の前の生真面目な召使いを困らせるであろう、悪知恵を思いつく。


「アディ?」

「は、はいっ! 何でしょう!」


 懲りずに敬語を使い続ける使用人を相手に、ジェラールはうさん臭い笑顔を作ってみせる。

 ちなみに、その顔を見たアディの顔は若干青くなっていった。あまり良い予感はしないのであろう。


「いい加減そんなところに立ってばかりいないで、こっちに来て座ったらどう?」


 その言葉と同時に、ジェラールは隣にあった木製の椅子を座ったままで蹴飛ばす。ボロがきていた椅子は、そのまま勢い良く壁に激突する。

 嫌がらせとしか取れない行動だが、ジェラールの表情からその意図を読んでしまったらしいアディは、途端に茹でだこのように顔を真っ赤にさせた。


「え? あの」

「いいから。ほら、おいで」


 柔らかな口調とは裏腹に、拒否する気が起きなくなるような強制力が籠もる声で、理不尽な王太子は再度呼び掛ける。

 アディはしばらく唸っていたが、やがて観念した足取りでジェラールの方へ歩いていく。

 呼びつけた張本人の目の前に立つと、もう一度だけ唸り、ジェラールの膝にちょこんと腰を下ろした。

 その瞬間を狙いすましたかのようにジェラールが後ろから手を回し、アディを抱きしめる。

 真っ赤だったアディの顔も次第に落ち着いていき、安らいだものへと変わる。


「その格好、大分板についてきたようだね」

「男装している姿を誉められても、嬉しくありません」


 ぶすっとアディが膨れる。

 その横顔には、男では到底滲ませることができない、艶のようなものが浮かんであった。


「そういえばさっき気付いたことがあるのだけど」

「は、はい。何でしょう」

「アーネの方、気付いていない?」


 アディが黙る。

 何についてか尋ね返さないあたり、ジェラールの疑念はさらに深まった。


「もしかして喋っちゃった?」

「何も言ってないです。ただアーネは、洞察力がやけに鋭くて。気付いている前提の話題を、前にも振ってきたことがありますし。ジェラールとのことも、秘密に出来ているか自信がありません」

「最後も、含みがありそうなことを言ってたね、困った。言いふらす性格では無いと、信じたいな。あの観察力と分析力は、彼女の大きな武器ではあるんだけど」


 言葉の節から不安が洩れ出している。アディもその不安に追随するように、ジェラールの腕をぎゅっと握りしめた。


「あの子、アルノーさんについては本当に一生懸命になりますから。変に暴走してしまわないか、いつも心配で」

「アルノーの活躍に目を奪われがちだけど、アーネの才はまた別方面で、傑物になる可能性を秘めている。伸ばしてやりたいのは山々だけど」


 環境が悪すぎる。

 アーネの才を育てるには、一つのミスが命取りになりかねない今の王宮の中では難しい。


 だがそれでも。アーネは必要と思えばいつでも、危険に飛び込むだろう。彼女が育てると言い切った、未来の英雄のために。


 それが結果的に、いつか大きな悲劇を生むのではないか。ジェラールはあの二人を見るたびに、いつもそんな漠然とした不安に苛まれていた。


「誰も彼も、命を軽く見積もりすぎなんだ。傍に大事な人がいてくれる。それだけのことが、どれだけ幸いなことか」

「ジェラール。私は」


 何も言わずにジェラールが抱きしめる力を強める。心地の良い圧迫感で、アディは口を噤まざるを得なかった。


「いつか。二人でずっとこうしていられる日々が、来るといいのだけど」


 問いかけの台詞にも関わらず、まるで自分に言い聞かせるかのようにジェラールが言葉を零す。

 何故かアディの目から一筋の涙が流れて、頬を濡らしていた。

 その姿を見たジェラールが、抱きしめる腕に力を籠める。


「そう、だね。そうなるといいね」


 そうなることは、絶対に有り得ないと理解しつつ。

 それでもいつの日かと、二人は祈らずにはいられなかった。

 室内がだんだんと暗さを帯びていく中、窓から辛うじて入ってくる西日が、二人だけを明るく照らしていく。

 光に照らされるのは僅かな間だけだということもまた、悲しいほど理解していた。

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