第5話 夜の城、暗殺再び

 前夜に引き続いての、新月の夜だった。

 城の周りでは先日のミリー公爵殺害を考慮し、常時以上の守衛が配備されていた。深夜にも関わらず、大勢の警邏けいら兵が城内を歩き回る。


 しかしそれを縫うように、黒装束の一団が暗闇に紛れつつ城内を進んでいく。

 いつの間にどうやって侵入したのか、その集団は総勢十名にも昇った。

 五人ずつ二つのチームに分かれての隠密行動。

 知った足取りで動きながら、時にはその場に留まって。衛兵の目を逃れつつ、その一団は襲撃の合図を待っていた。



 城内。王室の寝所へと向かう回廊を、ジェラールとアルノーが共に歩く。

 そのエリアは本来、アルノーであっても気安く入ることは出来ない。暗殺事件の発生等相まって、団長補佐自ら警備に入るという体裁で、入場が許されていた。


「それで、道場を襲った賊は確保できなかったわけかい?」

「弁明のしようもありません。一応、当たりをつけてはいたのですが。アジトはもぬけの殻、足取りも掴めず仕舞いで」


 歩きながら夕方の襲撃事件の顛末を語る。やけに力のない口調だっだ。

 襲撃者を捕まえられなかったことが尾を引いているのか、それとも他に気になることでもあるのか。兎も角ジェラールにとって今のアルノーは、どこか集中を欠いているようにも見えた。


「体調が悪いのならば帰ってもいいよ。どのみち私に護衛が付く意味は、あまりないように思うし」

「兵舎に槍を忘れた団長が言いますか。リデフォール一の槍使いの名が泣きますよ」

「忘れたんじゃなくて置いてきたんだ。屋内だと扱いづらいし。どのみち術使いが相手なら、こちらも魔石が必要になるから」


 そう言うとジェラールは、懐からいくつかの魔石を取り出す。使い切り用の他、指輪やネックレスに加工された魔石もある。

 剣や槍などよりも遥かに持ち運びやすいので、十二分に武器としても機能する。


「やけに土の魔石が多いですね」

「水場がないからね。こういう時、水使いは不便だ」


 その辺りにいくらでもある土や岩と異なり、水はどこにでもあるとは限らない。革袋に詰めて持ち運ぶという手段もあるが、量が限られる。


「質量のあるものを操作する点で、土術と水術は同じだからね。やれることも似通ってくるから、予備として扱うには丁度いい」


 さりげない動作で、指輪やネックレスをそのまま身に付けるジェラール。それに合わせて、アルノーも瞬時に視線を周囲に巡らせた。


「にしても。既にどこぞの犬が、迷い込んでいるようですね」

「それも意外と多い。やれやれ、守衛の人員にまで口を出した方がよかったかな」

「隠し通路が洩れているのでは。宰相ならいくつかルートは知っているでしょうし」

「ああ、それは防ぎようがないな。でもあの慎重な宰相が教えるかな。隠し通路の存在は、彼にとっても虎の子だろうし」


 宰相は公爵家の血筋のため、王家だけに伝わる情報も、ある程度知っているはずだった。

 とはいえ、隠し通路は隠しているからこそ価値がある。素性の知れない人間に話してしまっては、意味がない。

 さらに言えば次からは警戒が強まるので、同じ方法をとることは難しくなるだろう。

 もちろん、今回で必ず雌雄を決するつもりなら話は別だが。そうなると、いよいよジェラール達も覚悟を決める必要がある。


「とりあえず、担当を分けようか。私が中、アルノーが外でどうだい?」

「困ったお方ですね。わざわざ戦力を分けて、暗殺されやすくする必要もないでしょうに」

「でもそっちの方が手っ取り早いだろう。もっともここは二階だ。高いところから飛び降りられないというのなら、話は変わるのだけど」

「安い挑発を。手こずっても助けられませんからね」


 言った瞬間、アルノーが窓を開けて外に飛び出した。二階の高さにも関わらず、一切の躊躇がなかった。ややあって、土の上に着地する音が聞こえる。

 暫くすると、外から複数の足音や金属が擦れ合うような音が聞こえてきた。


「こっちもそろそろかな」

 ジェラールも剣の柄に手を置き、通路を進んでいく。 

通りがかった部屋から、黒装束の集団が飛び出してきたのは、間もなくのことだった。


 五人の襲撃者のうち一人が、手に持つナイフでジェラールに斬りかかってくる。

 ジェラールは落ち着いて、剣を抜きナイフを受け止めた。


「やはり来ていたね、宰相の犬達」


 不敵に言う。昨日の暗殺事件が本当に宰相の仕業であろうとなかろうと、早ければ今夜にでも襲いに来るだろうとジェラールは踏んでいた。

 既に王宮では、ミリー公殺害は宰相の仕業であるという憶測が浸透している。

 つまり宰相には、公爵殺害の嫌疑がかかっていることになる。

 国王派としては、これほど宰相派を糾弾しやすい弾はない。

 故に宰相派の立場からすると、国王派の求心力を削ぐ意味で、早い時期に王太子ジェラールが死ぬ必要があった。

 いくら証拠が挙がろうと、国王派の中心人物を潰してしまえば、日和見主義の諸侯を丸ごと引き寄せることができる。そうなれば疑惑を握り潰すことなど容易い。

 宰相にとって最大の邪魔者とは、王家唯一の嫡子であるジェラールなのだ。

 

「もう二、三日掛かるかと思ったけど。思ったより宰相閣下は気が短いのかな?」


 そう言いつつジェラールが動く。

 一歩踏み込み、その手に持ったブロードソードを水平に振るう。近い位置に居た暗殺者が何も出来ずに両断される。すかさず高速で剣を切り返し、次の敵を横薙ぎしてみせる。

 一瞬で五人の内二人を討ち取られ、ようやく動き出す暗殺者達。

 一人の手元が淡く光る。次の瞬間、突如突風が起こった。一瞬だけよろめくが、ジェラールのネックレスが一瞬光ると、すぐに強風が止んだ。

 黒装束の奥で、襲撃者の目が驚愕で見開く。


「風は扱いやすいが、それ故に操作権を奪うのも容易い。技を放った直後は特にね」


 言い終わりと同時にジェラールが一歩踏み出し、室内にも関わらず剣を前方に思い切り振り切る。

 室内にしては大きすぎる動作に、暗殺者達は慌てて各々回避行動をとる。

 ジェラールがさらに追撃を仕掛け、回避しきれなかった一人が大振りの斬撃に捕まり、切り裂かれる。


「投降するならばよし。さもなければ」


 最後まで聞かず、暗殺者二人は窓から飛び出していく。

 外に仲間がいると即座にジェラールは悟る。

 仕留め損ねたときのことを考えてのことだろう。廊下側を自分達で塞ぎ窓から逃げれば外の仲間が、といった具合だ。

 暗殺者が表向き撤退した以上、深入りは禁物である。そもそもは城外はアルノーの分担だ。

 襲撃者の技量がこの程度であれば、アルノーに限って仕損ねることはないだろう。

 多少人数は増えているかも知れないが、それでも対応可能な範囲だ。


「とはいえ、術使いが最低一人、か」


 外にいる伏兵に、あれ以上の術使いがいないとも限らない。

 そうなると、あとは数次第となるのだが。

 ジェラールは僅かに躊躇った後、外へと飛び出していった。


 着地すると、先に飛び出していった暗殺者達は距離を置いて待ち構えていた。

 待ち伏せしていたのか、暗殺者側にはもう一人、全身甲冑の人間が立っていた。

 上背や体格から、おそらくは男だとジェラールは察する。

 近くの篝火は消されており、衛兵が駆けつけてくる様子もない。


 外の敵を迎え撃ったアルノーはどうしているだろうか。

 そんなことを考えた矢先、ジェラールはある二つの異変に気付いた。

 一つは、先ほど襲ってきた暗殺者と、待ち構えていた甲冑の男がもめていたのだ。暗殺者の方が、他のやつらはどうしたと大声をあげている。

 さらにもう一つ。血の臭いを、ジェラールの鼻が鋭敏に知覚する。そしてそれに伴う強い殺気。

 戦闘中だから当たり前の話ではあるが、それら新手の、甲冑の男からそれは醸し出されていた。

 どこか絡みついてくるような殺気に、言いようのない不安がつきまとう。

 何かがおかしい。

 どうやらことは暗殺者退治だけでは終わってくれないのかもしれない。

 そんなことを彼が考えていたとき、事態は動いた。

 暗殺者の一人の首が急に飛んだ。首が地面に落ちたところで、切断面から噴水のように鮮血が吹き出す。

 すぐ横で甲冑の男が、首を落としたと思われる小剣を握っている。

 激昂したのは、残されたもう一人の暗殺者だった。


「おい、貴様どういうことだ! 話がちが」


暗殺者が言い切らない内に、その胸から小剣が飛び出す。暗殺者の男はそれでも恨めしげに、甲冑の男の肩を掴む。


「ここを襲えば、俺たちを逃がしてくれる。その約束を、お前は」

「ああ、破ったな。それがどうした」


 甲冑の男が無慈悲に小剣を引き抜く。返り血を浴びながら、まるで作業とばかりに首を刎ねる。頭部のない死体が、また一つ出来上がった。


「取引などするものかよ。子供を襲うような賊には似合いの末路だ」


 小剣を振るい血を払う。

 剣は腰の鞘に仕舞われることなく、ジェラールに向けられた。

 兜と面頬のおかげで表情も顔色も窺えず、薄ら寒いものを感じさせる姿だった。


「君は、まさか」


 ジェラールが目を凝らしてみると、甲冑は血塗れであった。誰の返り血なのかは考えるまでもなかった。

 よく見れば、傍の木陰にいくつもの遺体があり、血溜まりが拡がっている。

 配置してあった賊の伏兵は既に始末されていたのだ。さっき感じた血臭の正体もこれであろう。


「何者だ」


 言ってはみたものの、ジェラールの中では答えは出ていた。兜と面頬で顔を隠そうとも、冷たい殺気で雰囲気を隠そうとも。上辺を変えてただけで誰か判らなくなるほど、彼の目と鼻は耄碌していない。

 だからこそ、その推理は間違いであって欲しかった。

 だが彼の願いは叶えられない。目の前の乱入者は無言のまま、身を低くして突っ込んできた。


「なっ!」


 瞬く間に懐に入り込む。そこから足を薙ぐような斬撃が繰り出される。ジェラールは不意こそ付かれたが、剣を足下に突き刺すように構えて、敵の剣を遮る。だが止めたのも束の間、相手は斜め下から胸目掛けて、剣を突き刺すように向かってくる。

 だがジェラールは退かない。

 超至近距離では小回りのきく相手の小剣に分があるが、彼はむしろさらに一歩前に出る。

 先程の攻撃を、避けるのではなく受けたのはこの為だ。逆手のまま、剣を持ち上げながら前方に振り抜き、一歩で相手と位置を交換していく。背中を必要以上に晒さないよう、すぐに振り返った。

 胸の一部、着込んでおいた鎖帷子が衣服ごと削り取られている。土術で強化していた鎖帷子を傷付けたことが、相手の凄まじい剣技の力量を物語っていた。


「ふむ。さすが、か」


 素直に敵を賞賛したものの、内心としては技量などどうでもよかった。

 薄々勘付いてはいたものの、今のやりとりで相手の正体を把握してしまった。

 こめかみから流れる汗が嫌に冷たい。


「さすが、なのだけど」


 その言葉と共に、兜が音も立てず砕ける。中から現れた顔には傷一つ無い。しかしその表情は、眉間に皺が寄せられる形で、すぐに歪められていく。


「上官と話すときぐらい、兜は取ったらどうなんだ。アルノー・L・プリシス」


 目の前では、信じられないといった様子で、アルノーが顔を掌で覆っていた。

 傷が無いのは当然だった。何しろジェラールはあえて兜だけを狙ったのだから。

 やろうと思えば、今ので仕留めることも出来た。だが彼には出来なかった。何故目の前の青年がこんなことをしているのか知る必要があったから。

 ついさっきまでジェラールは、状況を照らし合わせある仮説を思い描いていた。

 それを否定するために、ジェラールは再度目の前の青年に対し、口を開く。


「アルノー、何故私に剣を向けた?」  

「もう、判っているのでしょう?」


 アルノーが初めて言葉を口にした。いつもの彼らしくない、棘のある冷たい口調だった。

 背中に何か冷たいものが走る。そしてジェラールは全てを確信してしまった。せざるを得なかった。


「裏切り、ということか」


 思わず下唇を思い切り噛み締める。錆びた鉄の臭いが口に広がっていく。とてもこの場に相応しい臭いだ。


「何故だい、何故こんなことを」


 その真実も最早判りきっていることだった。だが言わずにはいられない。

 己が見い出し、育て上げ、側近とまでした男が、まさかこんなことを。


「もういいでしょう? 冥土への旅路に土産を持たせてやれるほど、裕福な生まれじゃないんですよ。ご存じでしょう?」


 ジェラールはその言葉に反応し、覚悟を決める。彼も無言で構えに入った。

 暗闇の中にいるのにも関わらず、お互い相手の存在をしっかり認識できていた。

 生暖かい風が足下を通り抜けて去っていく。

 対峙した二人は、時が止まったかのようにピクリとも動かなかった。

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