幕間2 甲冑の水使い、暗躍

 息を切らせながら必死に走る。だが運動不足と過食で越えた体が重い。

 久しぶりの全力疾走はすぐに限界を迎え、足に金属の重りでも付けたかのような錯覚に陥る。

 それでも手を振り、足を前に出して進む。


「くそ、暴力でのし上がった野蛮人なだけはある。雇った傭兵共が、こうもたやすく破れるとは」


 中太りの貴族、アルマンの目論見は全て失敗に終わった。

 嘗て辛酸をなめさせられた相手に報復しようと一念発起したものの、実りある成果は得られなかった。


「紛れ込んだガキまで人質に取ったのに。構わず攻撃するとは何たる卑劣漢。子供をなんだと思っている。あのような無銘むめい者が高い地位に就いていること自体、間違っているのだ」


 考え事をしながら走っていると、一瞬脚から力が抜け、危うく転倒しそうになる。ぎりぎりで腕を着いて体を支える。顔から地面に激突することは避けられたが、砂利で掌を切ったのか、赤い線が一筋走っていた。

 痛みと悔しさで顔が歪む。

 こんなはずではなかったのに。

 周囲には、共に敗れた傭兵団の面々がいる。怪我人を抱えながらの移動のため、運動とは無縁のアルマンでも、何とかついて行くことができていた。

 リーダー格の男が先導し、路地を入り込んでいく。

 アルマンの屋敷はアルノー達にも知られている。後で追っ手が掛かる可能性を考え、傭兵達のアジトへ一緒に向かうことになっていた。

 これだけ派手に動いたのにも関わらず得るものがなかったとなれば、父や宰相でさえも庇ってくれない可能性がある。


「ひとまずは、ほとぼりを冷ます必要があるか」


 そんなことをアルマンが考えていたときだった。

 先頭を行くリーダーの足が急に止まる。つられて、他の傭兵達も次々と困惑するように不意に停止していく。

 何事かとアルマンが前方を見ると。

 甲冑に身を包んだ者が立っていた。それも、空中に。正しく言えば、空中に張った糸のような細いものの上に器用に立っていた。

 糸の両端はまるで蜘蛛の糸のように、家々の壁にくっついて固定されている。

 人間の身長よりまだ高い場所に張られている辺り、物干し用の吊り紐ではないようだ。

 もう騎士が動いたのかと、傭兵の誰かが戦慄している。

 だが貴族の生まれであるアルマンには、それが騎士団の鎧ではないことが一目で分かった。

 騎士団のものとは造形が違うし、もっと艶と光沢があるはずだ。少なくとも、本物はあんな黒々とした色合いでもない。


「港湾地区を根城にした傭兵団、だな」


 こちらを見下ろす甲冑から、声が漏れ聞こえる。男の声だということしか、アルマンには分かることがなかった。


「そうだ。誰だ、貴様は」


 先頭を行くリーダー格の男が尋ね返す。懐に手を忍ばせており、いつでも武器を取り出せるよう、臨戦態勢に入っている。


「頼みたい仕事がある。今晩にも人手が欲しい」


 依頼という割にはあくまで睥睨したまま、甲冑の男が言う。


「断る。たった今一仕事終わったばかりだ。これから一晩中酒に浸る予定だ」

「ほう。しくじったというのに、宴をする余裕はある訳か」


 リーダーの警戒が強まる。

 甲冑の男は、こちらが今しがた道場を襲って、撃退されたことを知っている。その上で声を掛けてきたのだ。


「じゃあ知ってるだろうが。こっちは怪我人だらけで、今晩なんて動けん」

「それで港の隠れ家に向かう途中か。だがその隠れ家、騎士団や衛兵が知らないとでも」


 リーダーが舌打ちするのが、アルマンのいる位置まで聞こえていた。

 この傭兵団は最近立ち上がったばかりだ。まだ拠点まで知られているはずがない。

 とはいえ仕事を得るために、情報屋や斡旋屋にもある程度は情報が流れている。そこを辿って、既に所在を掴んでいてもおかしくはない。

 

「何が言いたい」

「仕事を受けてくれるなら、逃げ場所を提供しよう。それとは別に報酬も払う」


 魅力的な提案だったが、条件が良すぎて逆に怪しい。少なくとも、素直に首肯できかねる話だ。


「素性が分からんヤツからの仕事は受けん。せめて兜くらい脱いでから喋れ」


 リーダーもやはり警戒は解かない。甲冑の男が漂わせる不気味な雰囲気が、傭兵としての危機本能を刺激させているのかも知れない。


「猜疑心が高いのは結構だが。果たして逃げられるのか。先程お前達が襲った相手は騎士団長の補佐官だ。今頃騎士団を動かして、血眼になってお前達を探しているのではないか」


 アルマンの方が跳ね上がる。今回の騒ぎにおいて、アルマンは傭兵達に相手の細かい素性を伝えていなかったのだ。


「大方、宰相の権力でいかようにも逃げられると唆されたのだろう。だが家督も継いでいない男のために、宰相が身を切って助けるとは思えんな」


 リーダーがアルマンを睨み付ける。

 アルマンは、脂汗を浮かべて震え上がっていた。

 人質さえ取ってしまえばどうにでもなると踏んでいたが、想像以上の惨敗を喫してしまい、何も得ることができなかった。


「確か最初の話じゃあ、平民上がりの田舎騎士つったな。やたら手練れで話がおかしいと思ったぜ。随分主観まみれの前情報だな、貴族様」

「嘘は言ってない! お前達こそガキ混じりの連中にあの体たらくは何だ! 一人二人さっさと殺して、脅しかけろと指示したはずだぞ」


 両者の空気が途端に険悪なものとなる。

 惨めな責任のなすり付け合いに辟易したように、甲冑の男は大きく溜息をついた。


「諍いは止めて貰おう。改めて聞くが、私に雇われてみないか。前金で、こういうものも追加してやろう」


 甲冑の男がリーダーに対して手を伸ばす。

 次の瞬間、甲冑がいきなり光り始める。光が近辺の家屋や道に拡がると、どこで掴んだのか、あちこちから水を運んできた。

 水は渦を巻くように傭兵のリーダーの周囲を回り、唸りを上げて呑み込んだ。


「がぼっ!」

「なっ、貴様!」


 アルマンを始め、傭兵達が騒ぎ始める。甲冑の男はそれを無視して、水を操作し続けた。

 やがてリーダーから水が引いていく。陸地で大渦に巻き込まれた彼は、だが果たして全くの無傷だった。


「あぁ?」


 素っ頓狂な声を上げ、不思議そうに自分の手足を見る。どこにも損傷の後は見当たらない。先程道場で受けたはずの打撲痕や内出血でさえ。


「治った、だと?」

「前金といっただろう。ただの水術による治癒だ。出血系の怪我ならば、水術で快癒できる。それなりに骨ではあるがね」


 水術を使った医療行為自体は珍しいものではない。名の通った医師が水術使いだというのは、よくある話だ。

 要は水を疑似的に血液と同じ働きを持たせて、傷口を塞ぐのと同時に循環を維持するのである。だがそれが可能なのは、設備の整った医療施設での話だ。

 水の魔石単体でも出来なくはないが、水を血液に換えて動かすというのは、簡単な話ではない。

 生半可な腕で行うと、機能しないばかりか血管や臓器を傷付けてしまうし、術後に拒絶反応が出たあげく、より重篤な四肢の麻痺或いはショック死などといったことも起こりうる。


 それを甲冑の男は、道端で成立させてみせた。

 思い出させるのが、先程まで戦っていた成り上がりの青年騎士だ。あの騎士も広範囲の水を操ったり、精巧な水人形を使役していたが、それでも甲冑の男がみせた医術の方がよほど高度で、希少な技能だ。


「おい、依頼について詳しく聞かせろ。今夜っつたな」

「そうだ。もちろん他の怪我人も治療させて貰う。万全な状態で臨んで貰おう」

「な、おい待て! お前の雇い主は私だぞ」

「重大な詐称があった。契約は解消させて貰う。どこへでも失せろ」


 絶望したかのように、アルマンは座り込む。

 ここで放り出されるということは、いよいよもって逃げ場が無くなるということだ。実家を始め、行ける場所はどこにしても遠からず追っ手が掛かる。

 かといって、一人外で生きていく胆力が身に付いているはずもなく。

 自分の未来が真っ黒に塗り潰されていく感覚を、アルマンは感じた。


「待ちたまえ。そこの高貴な生まれの君にも、頼みたいことがある」


 項垂れこむアルマンの腕を、甲冑の男が引き上げる。アルマンの目に、日の光が降り注いできた。 

  

「これは、貴族の子弟である君にしか頼めない。なに、傭兵達とは別の仕事だ。受けてくれるのならば、君の身も私で預からせて貰おう」


 まだ、やれることがある。この場を凌いで、力を溜め、今度こそあの生意気な田舎者に目にものを見せる。そんな希望が沸々と湧いてくる。

 その悪魔の囁きを、アルマンは最早拒むことは出来なかった。

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