白と無色は似て非なる者

智二香苓

白と無色は似て非なる者

「どこ行った色なし! 出てこい!」

「将来迷ってんなら俺らがお似合いの色に染めてやるよ! 玉虫色だ!」

 立ち入り禁止の薄暗い部屋。天井まで高く積まれた段ボールの間で息を潜めていると、やがて声が遠ざかった。

 そのタイミングで逃げだそうと、僕は勢いよくドアを開ける。

「痛ってぇ!」

 ドアがなにかにぶつかって悲鳴がした。部屋に誰もいないものと思っていた僕は飛び跳ねると、おっかなびっくりしながら電気をつける。

 足元に実体のない輪郭が蹲っていた。

「おいなにすんだ白坊、今は色場見学の時間だろ。こんなとこで遊んでないで自分の染まりたい色見つけないと、俺みたいに無色になるぞ」

 輪郭は僕の真っ白な全身を見ると、からかい口調でそう言いながら立ち上がる。

「誰? なんでそんなとこで座ってたの?」

「透明の俺を怖がらない……てか見えてる? 無色透明になってからこの方、もう一生誰にも認識されないと思ってたが……」

 たまげたと輪郭は身動ぎした。それに僕も同じように驚いて呟く。

「え、おじさん透明なの? なんだ、じゃあ最初から色なかったんだ」

「なに? 最初から? なんだって?」

 僕の言葉に輪郭は困惑する。僕は誤解がないよう説明した。

「僕、色が見えないんだ。でも輪郭はわかるから、おじさんがそこにいるのはわかるよ。僕からしたらみんな透明だし、おじさんも他と変わんないけど……」

「なるほど。だからクラスメイトに虐められて、ここに隠れてたのか」

 納得したようにおじさんは頷いた。

 けどそれを聞いた僕は、途端に憤りと失望感を覚える。

「僕が虐められてたの見たの!? 助けてくれないなんて酷いじゃないか!」

「勘違いすんなよ白坊。俺は助けなかったんじゃない、助けられなかったんだ。お前はまだ子どもだから知らないだろうけどな、この色彩世界の色別社会じゃ、俺みたいな無色は邪魔者なんだよ。透明人間がみんなの前に現れてみろ、大騒ぎだ。だから見て見ぬふりをするしかなかったんだ」

 もっともらしく言っているが、このおじさんの口調と性格からして、そんな理由がなくても助けてくれたかどうかは怪しかった。虐められっ子の僕の経験上、口が達者な人ほど信用ならない。図星を饒舌に躱せるのは普段から言い逃れしている証拠だ。

 だけど僕は不思議とおじさんを許せた。

 その理由はおじさんが僕以上に子どもっぽく、透明な姿はどこか迷子のようで、大人にも子どもにもなり切れない玉虫色の心は少年のように見えたからだ。

 僕は気持ちを切り替える名目もかねて、改めて質問する。

「ねえ、なんでおじさん無色なの?」

「働いてないから」

「そうじゃなくて。おじさんが働いてないなら僕たちみたいに同じ白のはずだよ。それか働いてない僕たちも無色か」

「お前はまだ若いし、これから何色にでも染まれるからだ白いんだよ。でも俺は違う。長い間どの色にも染まれずにいたら、いつの間にか色が抜けちまった。自分の進むべき道が決められなかったのさ。お前もこうなりたくなけりゃ早く将来決めとけよ」

 将来、と言われて、途端に僕は落ち込んで肩を落とす。

「無理だよ。目に映る世界に色がない僕に、将来の色場なんて決められない。本当は色場見学だっていやだったんだ。はっきり見えないのに回っても無駄だよ」

「そういうことは実際に色場を見てから言え」

 言いながらおじさんは部屋のカーテンを開ける。

 蜂の巣型に分けられた無限のフロアと、その中で蠢く大量の輪郭が姿を現した。全世界の最上階に位置するこの場所からは、下界の様子がよく見える。

 円柱型の蜂の巣――それがこの世界の形。僕たちはその頂上にいた。

「どうよ、虹色を生み出すことを生業とした世界の全貌は」

 眩しげに下界を見るおじさん。きっとその目には綺麗な虹色が煌めいているんだろう。

 けど僕の目にはモノクロの塊にしか映らない。

 そんな僕の落胆なんて知らず、おじさんは続ける。

「この世界じゃどれだけ綺麗に染まれるかがそいつの価値だ。お前ら白坊は自分の色場を決めたあと、将来はあの小さなフロアごとに色分けされて決まった色業をするんだ。例えばこの黄色のレーン――あの騒がしい奴らを見てみろ。手前に来るほど色が濃くなって、奥に行くほど色が薄い。仕事の熱量によって色の濃さが違うんだ」

 色別のできない僕を気遣って、おじさんはそのフロアの仕事内容を説明しながら、僕には見えない放射状に広がる色彩の地平を指差した。

 見たところで色なんてわからないよ。そう出かけた文句は呑み込まれる。

 色が見えなくとも、そのレーンでの仕事ぶりがわかったからだ。色がなくても動きで判断できる。それは僕にとって新鮮な光景だった。

「おじさん、あれはなにをしてるの?」

「文字通り黄色い声を上げてんだ。それがこのレーンでの仕事だからな。ほら、あっち」

 窓枠ギリギリを指差したので、僕は窓にくっついてどうにか右側を見る。

 黄色のレーンとは打って変わり、今度はどんよりとした空気が漂っていた。

「向こうはなんか落ち込んでる……」

「青のレーンだ。仕事のストレスや不安で青くなってる」

 へーっ、と感心しながら見ていると、異様な動きをする輪郭に目が止まった。その輪郭はフロア内を突き抜けながら、僕のいる中心地へと連行されていく。

 そんな僕の視線に気づくと、おじさんは「あちゃー」と声を漏らした。

「犯罪者だ。罪を犯して経歴が黒くなった奴ら。この世界じゃ色のかけ持ちとフロア移動は禁止されてる。違反者は黒の刑に処され、この円柱型の蜂の巣内部に幽閉されんだ。この世界は内側に行くほど色が濃いからな」

「移動したいなら色別室で染め直せばいいのに」

 色別室。それはこの世界のすべての色が納められている保管庫で、この円柱型の蜂の巣の内部、ちょうど僕たちのいる真下にある。灰色の管理者たちが保持しており、フロア同様に管理者しか入れない場所にあるらしい。

 僕がぼやくとおじさんは首を振った。

「そう簡単じゃない。キャンバスは真っ新な新品だからプレミアの価値があるんだ。消しゴムがけした中古品とは違う。この色別社会じゃ、性に合わず転色した奴は、以前の色が混ざって汚いと色眼鏡で見られる。こんな社会じゃそりゃ不満も溜まる。俺はあいつらが身の潔白を証明したい気持ちがよーくわかるぜ」

「おじさん無色のくせに経歴だけは真っ白だもんね」

「黙れ。俺は透明だから経歴も真っ新なんだよ。それを安易に色場選んだせいで汚色に塗れたり、間違った色に染まるのはごめんだね」

 僕の一言はおじさんのプライドを傷つけたのか、強い反論が返ってきた。そんなおじさんには悪いけど、僕は皮肉にもそれを羨ましいと思ってしまう。

「汚色でも、僕はみんなと同じ色がいいな。周りと違うと、それだけで変な奴って虐められる。僕もみんなと同じ色で世界が見えたらいいのに」

「みんな同じに見える奴がなに言ってんだ……。俺はみんな同じに見えて、誰も区別しないお前の方が羨ましいよ。きっと俺らが見るどの世界、こんな色分けされた場所より、ずっと綺麗なんだろうな」

「おじさん……」

「俺も虹色じゃない世界を見てみたかったよ」

 そう言って寂しげに虹色であろう下界を眺めて、おじさんが踵を返したときだった。

 出入口とは別の管理者用のドアが開き、現れた灰色の管理者と衝突する。

「痛ってぇ!」

 本日二回目の事故は凄まじかった。大人が二人揃って高く積まれた段ボールに突っ込んだものだから、部屋中の重い荷物が大きな音を立てて一斉に崩れる。

「大丈夫おじさん!?」

「あーもう、今日はほんとツイてねー」

 心配の声は必要なかった。幸運にも荷物のほとんどは管理者の方に倒れ、おじさんは尻もちをついただけだった。お陰で相手は目を回していたが。

 散乱した荷物にどうしたものかと周りを見れば、開けっ放しのドアに目が行く。

 そこは灰色の管理者のみ通行を許された、円柱型の蜂の巣内部へと続く通路。

 そのとき僕は閃いた。

「ねえ。もしかしたらおじさんの夢も、僕の願いも叶うかもしれないよ」

 僕が提案すると、おじさんは「ほへ?」と間抜けな声を出した。



「よう色なし。色のない色場見学はどうだった?」

 集合場所に戻ると、待ち侘びていたいじめっ子たちが僕をなじった。

 色なしとは、色の見えない僕が染まったところで、見えないのだからないのと同じ、という意味でつけられた忌み名だ。でもそれも今日までの話。

「お前たちだって、すぐに僕と同じになる」

 含みのある悪人面で言った僕に、みんなが訝しんだときだった。

 突然管理者用のドアが開くと、灰色の管理者が慌てた様子で飛びだしてくる。

「大変だ! 早くみんな避難――」

 叫ばれた言葉は、後方から迫った濁流が、水飛沫を上げながら管理者にぶち当たる水音で遮られた。あとで聞いた話だと、このときの濁流の色は緑だったらしい。

 みんなが悲鳴を上げる中、今度は別のドアから紫、茶色、ピンクと様々な色の津波が流れ込んで、混ざり合いながら僕たちを呑み込み、複雑な色に染める。

『大変です、色別室の保管庫と着色装置が破損しました! 全フロアが開放され、すべての色が流れ込んできます!』

 放送を聞きながら僕は窓際に行くと、最上階から下界の円柱型の蜂の巣を見下ろす。

 濁流は順調に全フロアを侵色し、全種類の色が混ざりあって、全員が統一された一色に染まりつつあった。

 と、そんなフロアの一角で、誰もが絶叫する中、異様に歓喜する一人が目につく。

 誰からも認識されなかった透明人間は、もう無色ではなかった。

 きっと彼は、誰にも姿の見えない透明の姿で色別室の機器類を弄ることはもうできないだろう。でもその代わりに、確かな存在の印を手に入れたようだ。

 この日、世界から色という個性が消えた。

 相変わらず僕に色は見えない。でもきっとみんな同じ色のはず。

 そしてみんなも僕と同じように、色の違いなんてわからないんだろうな。

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