老人と海太郎

蝶つがい

第1話 老人と海太郎

「おりゃーっ!」


「ぐはーっ」


 老人が正拳突きを放つと、一人目の若者が腹を抱えてうずくまった。


「せりゃーっ!」


「がはーっ」


 老人が回し蹴りを放つと、二人目の若者がきりもみ回転して地面に倒れた。


「ふんっ」


「ごはーっ」


 老人が手のひらから気合いを放つと、三人目の若者が後ろへ吹っ飛び壁に背中をぶつけた。


「く、くそっ、このジジイただモンじゃねぇ! 逃げるぞ!」


 若者三人組は、老人の常人離れした強さにあわてて公園から立ち去った。


「たわいない」


 老人も服についたホコリを払い、その場をあとにした。


「はわわわわわ」


 その様子を、感動に体を震わせ木の裏から見ている少年がいた。


「はっ」


 少年は、我に返ったように目を瞬き、


「お、お待ちくださーい!」


 老人を追いかけた。

 公園入口で老人が立ち止まり、振り返る。

 老人に追いついた少年は、


「お、おじいさんっ、僕を弟子にしてください!」


 がばっと深く頭を下げた。


「……弟子、とな?」


 老人が問いかける。


「はい!」


 少年が顔を上げた。


「今の戦い拝見させていただきました! おじいさんは武道の達人ですよね! 僕もおじいさんのように強くなりたいんです!」


「ふぅむ……」


 唸る老人。


 老人は、困っていた。

 今の、ユーチューブの撮影なんだけどな、と。


 孫が家にやってきて、「『カンフーおじいちゃんTUEEEEE!』って動画ユーチューブに上げたら絶対バズるから協力してよ!」と頼まれ、カンフーの真似事をしたのだった。


 老人は、カンフーどころか武道のたしなみなど何一つなく、加えて、動画を見る人を騙すという褒められた行為でないことを理由に断ったのだが、「騙すとかでなくエンタメ! 演出だよ! ドラマみたいなもん! お願い!」と可愛い孫に必死に頼まれ、結局、不本意ながらも引き受けたのだった。


 やられたフリをしていたのは、孫の知り合いである。

 撮影をしていた孫は、彼らと一緒にさっさと帰ってしまっていた。


 真っ直ぐな目で自分のことを見上げている少年には悪いが、本当のことを言おう。

 そう思い、老人が口を開こうとすると、


「僕、クラスメイトに暴力を振るわれたんです」


 少年が、暗い表情で話し出した。


「……暴力、とな?」


 耳触りの悪い単語に、老人は、真実を語るのはあとにして、少年の話を聞くことにした。


「はい。あいつ、僕の『あつ森』を返してくれないんです」


「ふぅむ……」


 唸る老人。


 老人は、困っていた。

 『あつもり』って何だ、と。


 あつもり?

 敦盛?

 平敦盛か?

 僕の平敦盛を返してくれない?


 老人は、意味がわからなかった。


「返せって言ったらたたかれて、手も足も出なくて……お願いします! 強くなりたいんです! 強くなって『あつ森』を取り返したいんです! 弟子にしてください!」


 再び熱い眼差しを老人へ向ける少年。

 悔しさを思い出し瞳が潤んでいる。


 暴力を振るわれたのか。

 かわいそうに。

 そう同情しつつも老人は、


「実は、今のケンカは、すべて演技なのだよ」


 本当のことを少年に告げた。


「ガーーーンっ」


 ショックを受ける少年。


「そ、そうですか……」


 肩を落とし、うなだれた。

 少年は、理解の早い子だった。


「……弟子は取らないと言いたいんですね」


 理解していなかった。


「い、いや、そういうことではなく」


「お願いします!」


 戸惑う老人の言葉を遮り、少年が地べたに膝をついて土下座をした。


「僕を弟子にしてください!」


「き、君、やめなさい。人に見られたら誤解されるだろう」


 焦った老人が周りへ目を向ける。


「やだ……」

「子供に土下座なんてさせて……」

「あの人って、確か三丁目の……」


 まさに言われていた。

 ご近所の主婦三人だ。


「た、立ちなさい、さぁ」


 少年の肩に手を置き、老人が立たせようとする。


「イヤです! 弟子にしてくれるまで立ちません!」


 それを少年が拒絶する。

 亀の子のように丸くなって動こうとしない。


 マズい。

 このままだと警察でも呼ばれかねない。

 老人は、そう判断し、


「わ、わかった! 君を弟子にする!」


 なかばやけになり承諾した。


「やった!」


 それを聞いた少年は、満面の笑顔で立ち上がり、


「僕、海太郎です! 小学三年です! よろしくお願いします!」


 元気いっぱいに遅ればせながらの挨拶をした。



 ◇◆◇◆



 翌日から、さっそく海太郎の修行が始まった。


 老人は、武道の経験がないため、柔道や空手などの入門書を読み漁り、拳法家の知り合いにも相談して海太郎を指導していた。


 海太郎は、老人を「お師匠様」と呼んで慕い、放課後や休日になると老人の家へ赴き、一生懸命稽古に励んだ。


 毎日が楽しそうな海太郎。

 老人も、海太郎と過ごす時間が次第に楽しくなっていた。


 だが、老人は、共に過ごす時間が楽しければ楽しいほど、自分を武道の達人と信じきっている海太郎に対して、申し訳ない気持ちが増していった。



 ◇◆◇◆



 海太郎の修行を始めて、ひと月が経とうとしていた。


「はぁ〜……」


 居間のソファに座り、老人がため息を吐く。

 老人は、憂鬱だった。

 結果として海太郎を騙している、という罪悪感からくるものだった。


 何度か、「私は武道の経験がない」と本当のことを伝えたのだが、海太郎は、「破門にしないでください!」という斜め上の返事をするばかりで一向に信じてくれなかった。


「はぁ~~~……」


 もうすぐやってくるだろう海太郎を思い、老人が大きなため息を吐き出していると、


「じいちゃ~ん、いる~?」


 玄関のほうから声が聞こえ、彼の孫が家へ入ってきた。


「あ、いたいた。じいちゃん、聞いて聞いて」


 ニコニコと笑顔で老人のもとへやってくる孫。

 お前が原因で私はこんなにも悩んでいるのに呑気な奴だ。

 老人は、そう的外れでもない愚痴を心の中で漏らした。


「この前撮った動画、再生回数十万回超えたんだよ。ヤバいっしょ?」


 そんなにもたくさん見られたのか。

 老人としては、驚くばかりだ。


 しかし、あの動画は、演技だ。

 見ている者は、本当のことだと信じているのだろう。

 孫が喜んでいるのは嬉しいが、老人の感情は複雑だ。


「お前、あの嘘動画を流したりして、見てくれている人に悪いとは思わんのか? これは演出ですと正直に言わんのか?」


 文句を言うつもりはなかったが、沈んだ気分だったからか、老人の物言いは、少したしなめるようなニュアンスを含んでしまっていた。


「え? ないよ?」


 軽い調子で返す孫。


「ないってお前……」


 孫の反応に呆れる老人。


 人が嘘のことで悩んでいるというのに。

 これは、ちゃんと言っておかなければ。

 そう考えた老人は、孫にお説教をしようとして、


「みんな、強いじいちゃんを見て喜んでくれてるのに、演技だなんて言ったらガッカリするから言わないよ」


「……」


 止めた。


 喜んでくれているのに、正直にいったらガッカリする。

 孫の考えは、今まさしく海太郎のことで悩んでいる老人の心情にはまった。


 海太郎も、修行を喜んでいる。

 自分の強さが演技だったとわかればガッカリするだろう。


 ならば、このまま拳法の達人を演じつづけるべきだろうか。

 しかし、嘘をついている罪悪感は、私の中から消えないが。


 だが、


「本当のことを伝えるだけが優しさじゃない、みたいなね」


 次に出た孫のセリフに、老人は、考えるところがあった。


 老人の愛読書の一冊に、新渡戸稲造の『武士道』がある。

 その中に、「真のサムライは、誠に対して高い敬意を払っていた」という一文が書かれており、老人は、その言葉をいつでも人生の真ん中に置いて生きてきた。


 老人の長い人生の中で、孫と同じようなことを言う友人もいた。

 だが、老人からすれば、そんなものは言葉遊びにもならない、ただのたわごとに過ぎなかった。


 けれど、老人は、海太郎のことを気に入っている。

 海太郎を傷つけたくはない。


 ならば、自分の信念を曲げてでも本当のことを伝えない――つまり、嘘を貫き通すこともひとつの優しさなのかもしれない。


 今の老人には、そのように思うことができた。


「そうだな……」


 罪悪感は抱えたままだが、私が拳法の達人だという嘘を貫こう。

 老人は、そう決意した。


「ふ〜」


 考え事をしていて眉間に寄ったシワを老人が指で揉みほぐした。


「じいちゃん、どうかした? 悩み事?」


「まぁな」


「もしかして、動画が演技だってことまだ気にしてるの? じいちゃん真面目だなぁ」


「いや、そのことはちゃんと割り切って」


「そんなに気になるなら、じいちゃんホントにカンフーの達人になるとかどう?」


「!」


 老人の目が、カっと見開かれた。


「な~んてね、ハハハ」


 孫は、冗談として笑っているが、老人は、『それだ!』と思った。

 自分が本当に拳法の達人になれば、少なくとも嘘を誠に変えることができる。


 幸い、定年退職後は、特にやることもなく退屈した日々を送っている。

 体は、健康だ。

 拳法家の知り合いもいる。


 孫の言うように、本物の拳法の達人を目指そう。

 歳は七十を超えたが、何かを始めるのに決して遅いなどということはないのだから。


 老人は、孫のジョークから光明を見出したのだった。


「お師匠様ーっ、こんにちはーっ!」


 玄関から家中に響く元気な声。

 海太郎だった。


「ああ、こんにちは。今行くよ」


 老人が返事をする。


「誰? お師匠様って何?」


 首を傾げる孫。

 老人は、孫に海太郎のことは、まだ話していなかった。


 孫の疑問はひとまず置いて、老人がソファから腰を上げた。

 さぁ、さっそく今日から海太郎と一緒に稽古を始めよう。

 嘘を誠に変えるのだ。

 老人の体に力が漲る。


「お師匠様っ、聞いてください! 『あつ森』取り返したんです!」


「おお、やったじゃないか」


 老人は、我がことのように喜び、


「どれ、『敦盛くん人形』を私にも見せておくれ」


 弟子のもとへ向かったのだった。

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老人と海太郎 蝶つがい @Chou_Zwei

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