第九話 獣

「──ラウドさん!」


 迷うことなく駆け寄る。

 一体誰がこんなことをしたのか。なぜこうなったのか。

 ラウドさんは後頭部から血を流して倒れていた。意識はあるようだけど、すぐ動くことはできないだろう。


「サド、ラーか……悪い、油断した。後ろから硬いもので殴られて……」

「喋らないでください、今手当を──」


 静止するわたしを無視して、


「オレのことはいい。それよりアンナが、連れ去られたんだ。追わないと……」

「その傷じゃ無理です!」


 傷は深くない。けどすぐに手当をしないといけない傷なのは理解できる。

──どうすればいいの。

 アンナちゃんを探す。ラウドさんの手当てをする。どちらも最優先事項だ。


「アンナを探せ……連れ去られる瞬間、花を、あの花を彼女の服につけた。お前なら追えるはずだろ?」


 ラウドさんはしっかりとこちらを見据えて言った。

 そう、今のアンナちゃんは不安なはずだ。だから彼女を助けろ、と彼女は言っているのだ。自分のことなどその後でいいという決意で。

 それで優先順位が決まった。

 意識を鼻に向ける。自身の手にあるアネモネの匂いと同じ匂いがする場所を探す。

──村の外か。


「すぐ戻ります。動かないでください」


 返事を聞かずに駆け出す。誰かに見られるのは避けたいので、一番近くの建物の屋根まで跳ぶ。

 着地の衝撃を全身で和らげ、止まることなく走り続ける。こういう時、この体は便利だ。

 匂いは動かない。村の南東から相変わらず漂っている。

 屋根から屋根へと飛び移る。

──速く、

 最短距離で抜けるために、街路を挟んだ向かいの屋根まで跳躍する。

──速く、

 身は自然と四足で走り出す。狼の魂が、そちらの方が良いと決断したのだ。

──一秒でも速く!

 そうして、そこにたどり着く。村の外れにある倉庫に。ここからなら、飛び降りて窓を蹴破り突入できるだろう。

 助走距離を確保する。全力で加速し、限界ギリギリのところで踏み込んで──、


──瞬間、身は空に舞った。


 着地する前に体勢を作らなければ。

 全身を翻し、足から窓に突入する角度を作る。

 感性と重力の相互作用でこの体は斜めに落ちていき、窓ガラスを砕きながら室内に入り込む。

 直後、獣のしなやかさを以って着地した。


「……誰?」


 倉庫の中は暗く、埃っぽい。それでもあの地下牢よりよっぽど良い。

 目の前にいるのは女性。年は三十を超えたあたりだろうか。

 その隣にはアンナちゃんがいて、両手足を拘束されている。ショックか恐怖か、声を出せないらしい。


「モルドレッドじゃないけど、アンナちゃんを守る騎士って名乗っておきましょう」


 女性を観察する。茶色の髪は長く、腰あたりまで伸びている。お淑やかな女性という印象を与えるのであろうその髪は、しかし何か良くないものに取り憑かれているように見える。


「アンナを守る騎士……そう、そうなのね……またわたしから奪うのね」


 ゆらり、とこちらに目を向ける女。

 なんだろう、この違和感。この女性からは人間らしさが感じられない。

──恐ろしい。


「取り返すだけ。彼女はあなたの所有物じゃない」

「ええ、そうね。けどね、そうもいかないのよ。あのお方には贄が必要なのよ」

「あのお方──あなたの目的はなに? なぜアンナちゃんを生贄にしようとするの?」

「ふふ、それはね……」


 建物そのもの雰囲気が変わる。なにかイヤな、呪われた大蛇がこの建物を取り巻いているかのよう。

 

「あのお方に救われたからよ。だからあのお方に仕えるの」


 まるで友達に言うかのような軽やかさで、確固たる狂気を内包して彼女はそう言った。


「──っ!」


 直後、全力で交代する。本能が危険を察知し、意識するよりも先に体が動いていた。

 わたしがいた所に、深緑の触手が走る。それはわたしのフードを弾き、隠されていた耳を露呈させた。


「人、狼……主の意に反する者……」


 これは、マズイ。あの触手は良くないモノだ。

 触手はあの女の背中から生えている。一つではなく、二つ。それらはわたしを狙って次々に迸る。それは紛れもなく怪物の類だ。


「なら、死になさい!」


 それらの触手を、倉庫内を走り回って回避する。

──なんとか接近しないと。

 わたしは弓兵じゃない。飛ばせる武器になるものといえばリタヴィスだけれど、こんな状態じゃあ詠唱すらできっこない。


「その触手は一体なんなの⁉︎」

「これこそは我らの偉大なる母神、その一端。そうね、新たなる世の支配者と言うべきなのかしら」

「冗談にしては笑えないかな!」


 一歩強く踏み込む。そろそろこの触手から逃れるのもキツくなってきた。というか、この触手学習しているのか? そう思うぐらいには精度が上がってきている。

 だから、方向転換して敵の方に踏み込んだ。身を低くし、四足で駆ける。

 前方から迫る触手を、わずかに体をずらして対処。横から薙ぎ払われる触手は、上に跳躍して躱す。そのまま天地逆に身を回転させ、天井を蹴る──。


「はぁ!」


 両腕を前に、急降下しながら相手の胸元を掴もうとする。

 組み付いてしまえば、容易に触手を振るえないだろうから。

 しかし、


「甘いわね」


 それは、突如床から生えた三本目の触手によって阻止された。


「が、ぁ!」


──失敗した!

 触手に叩かれ弾け飛んだ体が回転しながら床に落ちる。意識が白く飛び、痛みが現実に引き戻す。


 そうして、動けなくなったわたし。

 そうして、動けなくした触手たち。


 後に起こるは必然。繰り出される蓮撃はわたしの体を叩き、斬り、抉る。


「ぐ、が……」


 痛い。

 背中が切り裂かれる。そこを掘り返すように、別の触手が殴打を加える。その圧力で内臓が潰れる錯覚が起こった。

 口から血が漏れる。傷口が熱を発し、修復を試みる。

 そんなわたしを、女は踏みつけた。


「ガハァ!」


──しっかりしろ、サドラー! こんな障害、いつもの事じゃないか!

 痛みに耐えながら自身を叱咤するけれど、それでも上から押さえつけられた体は動いてくれない。


「人狼は特に生かしておいちゃいけないのよ。あのお方の治める世界にあなたはいてはいけないの」


 踏みつけられる足の力が強まる。息ができず、意識が飛び飛びになり始めた。


「……て」


 小さな声が上がる。それはわたしの声じゃなかった。


「もうやめて、ママ!」


 そう。それは気がつきながらも気がつかないでいたかった事実。

 今わたしを痛ぶっている女性こそ、アンナちゃんの母親なのだ。


「生贄ならあたしがなる! だから……だからお姉ちゃんは助けて!」


 そんな言葉、聞きたくなかった。

 アンナちゃんがどんな想いで言ったのか、それはわからない。

 だけど、そんな言葉を言わなきゃいけないほど追い詰められてしまったということに、何よりも自信の弱さがその言葉を吐き出させてしまったという事実に腹が立つ。

 だから立ち上がらないと。立ってアンナちゃんを助けないと。



「あら、ずいぶんと懐いたのね。でも残念ね。人狼なんていう怪物は殺さないと、主の治める世界が汚されてしまうでしょう」


 腕に力を入れる。全身で立ちあがろうとする。

 それでも、痛めつけられた体は動いてくれない。


「それに、あなたの母親はもういないのよ。この私に自我を喰われれしまったの。ええ、最期まであなたには手を出さないでと言っていたわ。でもね、私の目的ははあくまでもあのお方の、そして主の幸福。

 あの時はまだ子供で、贄とするにはまだ若かったけど、今なら申し分ない。だからアンナ、あなたには死んでもらうわ」


 それが決め手。理性が吹き飛んで、痛みも忘れて体を跳ね上げた。

──ふざけるな。

 アンナちゃんがどれだけの孤独を感じていたと思っている。

──ふざけるな。

 お前はどれだけの命を奪ってきた。

──ふざけるな。

 そんな相手に、わたしはなぜここまで腑抜けた戦いしかできないのだ。

 敵は意外な事が起きたというような表情でたたらを踏む。その隙に距離を取った。


「ごめんね、アンナちゃん。わたしはアイツを許せない。許せるほど大人じゃないだから──」

「お願い、サドラーお姉ちゃん。ママの仇を……お願い……」


 もう、何に対しても遠慮する必要なんてない。

 だからあの女を殺す。


「殺す前に一つだけ、あなたの正体を聞かせて」

「あのお方の子。あのお方は神の子で、子が親に従うのは当然でしょう。そうね、この肉体に埋め込まれた触手が脳を喰らって、今ここにいるのよ」

「そっか……もう本当に取り返しがつかないんだ」


 最後に残った理性が消えていく。

 本能が闘争心を剥き出しにする。


「我告げる。我が腕は究極の刃となりて、全てを奪う者を打ち砕かんとするだろう!」


 肉体が人間の形から変化する。腕も足も顔も、その全てが獣に変わる。

 この姿がわたしの本気。その前脚にはわたしの剣になる鋭い爪。口には噛み付いたもの全てを噛みちぎり命を絶つ牙。


「綺麗……」


 駆ける。狭い室内を所狭しと暴れる触手を、その爪で切り裂いた。


「──っ⁉︎」


 鮮血は黒。千切れた触手を踏みつけてさらに接近する。

 叫びは雄叫びに。それは無意識から発せられる声。

 横殴りにくる触手に噛み付く。そのまま噛みちぎり、吐き捨てる。苦い味が口の中に広がった。

 確かにこれは良くないものだ。だけど、その本質はあくまでも外敵に対する防衛手段に過ぎない──少なくとも、現状の触手は。

──なら敗れる要因はない!

 視界が流れる。いつのまにか崩されていた木箱を触手が吹き飛ばし、わたしに迫る。

 確かにあの質量は、ぶつかれば容易に吹き飛ばされるだろう。けれど、今のわたしには当たりはしない。

 なぜか、それは至極シンプル。時間そのものが遅く感じられるから。

 木箱に跳び乗る。後脚に力を入れ、落ちる直前にもっと上に跳躍した。


「なんで、なんで捕らえられないの!」

『遅すぎるだけよ!』


 宙を走る触手に前脚を乗せる。別の触手がわたしの顔目がけて、鋭い槍の一突きの如く迫る。

──躱せる!

 確かに脅威だ。当たれば脳震盪で意識を失い、先ほどと同じ結果を迎える。

 けど、点の一撃というのは範囲が極端に狭い。だから、


 少し身を捻るだけでいい。


 前脚が乗っている触手を蹴り、加速する。それと同時に身をわずかだけ左に捻り、迫る触手の横を通り過ぎる。

 その一瞬で、触手を切り裂いた。

 わたしはそのまま女に接近する。


「そうよ、これは悪い夢だわ。だってそうよ、主の血を持つ私が、こんな、こんな──」


 その言葉を最後まで言わせることはない。そうなる前に、右前脚を振り下ろした──。

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人狼聖女様と処刑人少女は反逆する。 アトラック・L @atlac-L

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