第八話 拉致
深い闇だったように思う。
封印したはずの記憶を見ているのだろうか。朧げにしか覚えていないそれは、しかしそれでも問題ないほどには深い闇だった。
寒く、暗い場所。人一人入れるか否かという狭い空間は、子供だったわたしには大きな空間に思えたのかもしれない。
だから、孤独を感じていた。
──やめて。
怒号が聞こえる。
誰かが、誰かを傷つけている。
──思い出したくない。
いつもの日常。生きているのかがわからなくなってしまう、生き苦しい日常だ。
景色が変わる。燃える村と、
誰かが、
誰かを、
燃やす。
そんな光景だった。
誰がこんなことをしたのか。
──いやだ。
目を閉じるけれど、その光景は消えない。
燃えているのは、村ではない。ただ、あまりに大きな炎だったからそう間違えただけだ。
炎の中心には燃やされる人がいて、逃げようとする彼──あるいは彼女──を逃がさないために木製の檻が作られていた。
それは巨人だった。火の巨人──ウィッカーマンだ。
その熱がこちらまで届き、わたしが燃やされている錯覚に陥る──。
「は、はぁ──は、ぁ」
目を覚ます。暗闇も、燃える人もいない。あるのはただ、ベッドの柔らかさと、誰かの温もり。そして少しの息苦しさだ。抱きしめられているらしい。
ゆっくりと息を整える。心臓は暴れ馬で、ちっとも落ち着いてくれない。
バクバクバク。
ドクン、ドクン、ドクン。
誰かの心音が重なって聞こえる。その規則的な、ゆったりとした心音を聞いていると、自分の心臓までそんなテンポを刻んでくれた気がした。
そう、昨日はラウドさんと一緒に眠ったんだった。そう思い出した。
──柔らかいなぁ。
そんなことを思う。普段は布を巻き付けているためにあまり主張しないが、彼女はスタイルがいい。
顔を上げて、ラウドさんの寝顔を見つめる。いつものカッコよさはどこへ行ったのか、穏やかな寝顔をしている。
まだ少しだけ幼さの残る顔立ちに、柔らかな肌。唇はしっとりと潤っていて、それがまた愛らしい。
「ほんと、かわいいなぁ……」
それは、私とは根本から違うもの。鋭さと幼さの同居する顔立ちは、彼女の魅力だ。
彼女の顔に触れる。滑らかで柔らかい肌だ。
「──ひゃう!」
尻尾に電流のような痺れが走る。
狼の尻尾は神経が集中している。それは人狼とて例外ではない。つまり──。
「や、やめっ」
ラウドさんに尻尾を鷲掴みにされている現状は、神経を直接掴まれているような感覚になるのだ。
痺れは全身を駆け巡る。足先、手先が強張り、震えが止まらない。
弁明しておくと、決して快楽があるわけではない。
その痺れを与えている相手は、わたしの尻尾を何と勘違いしているのか、幸せそうに撫で付けながら寝息を立てている。
「ちょっ、ダメ! もう──」
──壊れてしまいそう。
パッと手が離される。満足したのか、ラウドさんはわたしの背中に腕を回し、より強く抱き寄せた。
「……むぅ」
それに何故か腹が立って、軽くおでこに頭突きをしてやる。
「……ん?」
ラウドさんが目を覚ます。頭突きをしたことには気づいていない様子で、ぼんやりとこちらを見つめてくる。その瞳があんまりにも真っ直ぐとこちらを射抜いてくるので、毒気が抜かれてしまった。
「──おはよ、サドラー」
「おはようございます、ラウドさん」
だからそうやって、何もなかったかのように返事をした。
まあ、けど。顔はきっと赤く染まっていたのだろうな、とも思う。
「サドラーおねえちゃん、ラウドおねえちゃん! 朝だよ! 起きて!」
どうやらこうやって横になっていられる時間は終わりらしい。
「じゃあ、起きましょうか」
ベッドから抜け出した。
「いや、すまないね手伝ってもらって」
「いえ、世話になってる身なので」
食卓には簡単なスープと豆の入ったサラダ、黒パンが四人分揃っていた。わたしはその配膳を手伝った。
「あのね、あのね! このサラダあたしが作ったんだよ!」
アンナちゃんがそうはしゃぐ。朝から元気だな、なんて思うけれど、それもまた子供の愛らしさなんだろう。
「そうなんだ、食べるのが楽しみだなぁ」
「へぇ、すげぇじゃん。いや、オレは料理なんざサッパリだからな。素直に尊敬するぜ」
後ろからラウドさんがアンナちゃんに声をかけ、椅子に座る。
「さ、温かいうちに食べよう」
座った、座ったとブライアンが促す。それぞれが席につき、食事を開始する。
「──ん、美味しい」
「本当だ、このサラダ美味いな」
「えへへ、でしょー。このドレッシング……」
アンナちゃんは少し顔を曇らせて、
「……お母さんが教えてくれたんだ」
そう言った。
その裏にどんな思いがあるのかは知らない。
その過去に何があったのかも知りはしない。
それでも、それは放っておいてはいけないものな気がした。
「アンナちゃん、それは──」
「お、こっちのスープもうめぇな!」
わたしの言葉を遮るように、ラウドさんが大げさにスープをほめる。小声──母音を出さないほどの声で、
「今はまだそん時じゃないだろ。アンナに何があったかは知らんが、アイツが打ち明けるまで待て。お節介が人を傷つけることもあるからな」
「……はい」
それもそうだ。懐いてもらえているとはいえ、まだ出会って一晩──一日にも満たない時間なのだ。そんなわたしに、そんなプライベートなことまで踏み込んでほしいとは思えない。
「今日は何しようか?」
だから、その代わりにそう問いかける。
「うーんとね、そうだ! 広場で追いかけっこしようよ!」
「いいね、それ。じゃあそうしようね」
広場はそこまでの大きさがあるわけではなかった。それでも、軽く運動するぐらいなら問題はないと思う。
そういうわけで追いかけっこをしたり──もちろんフードを抑えながらだ──、ちょっとした競争をしたりして遊んだ。
「はぁ、はぁ、サドラーおねえちゃんも、ラウドおねえちゃんも、はぁ、速すぎるよぉ」
疲労でふらつきながらベンチに座るアンナちゃん。
「そりゃあ鍛え方が違うからなぁ」
「んもう、おとなげないんだ。あたしだって結構体力には自信あったんだけどなぁ」
「そうね。わたしがアンナちゃんぐらいの時は、そんなに速く走っていられなかったわ。だから、まあ。大きくなったらもっと速く走れるようになるとおもうよ」
対するわたしたちは多少息を切らしている程度だ。全力で疾走したわけでもないし、そもそも人狼のわたしはこの程度の時間全力疾走したところで動けなくなることはあり得ない。
「ホントに?」
「本当よ。でも、そのためには毎日しっかりと走る練習をしないとダメよ」
「うん、わかった! ──そうだ、見せたいものがあるんだ。本当は人に見せちゃいけないんだけど、おねえちゃんたちだけに見せてあげるね」
アンナちゃんはそう言ってわたしたちの前に立つ。彼女が手を前に出すと、大気中の魔力が動き出した。
慌てて周囲を見る。すでに昼休憩の時間は終わったのだろう。ほかに人はいなかった。
魔法はあくまでも秘密裏に使うもの。すでにその存在が周知されている現在でもそれは変わらない。
人がいないことが確認できたのなら止める必要はないだろう。
「──できた!」
やがてアンナちゃんの手に、二輪の花が生成された。
それで、全てに納得がいった。
その花の名はアネモネ。昨夜出会った彼女が持っていたのは、季節外れのアネモネの花だった。
その色は黒だった。淡い黒のアネモネは、どこか悲しげに存在しているように見える。
「これ、あげる。すぐ消えちゃうと思うけど、綺麗だから」
「……ありがとう、大事にするね。でもやっぱり魔法っていうのはあんまり見せちゃダメだよ。本当に大丈夫って思える人じゃないと」
その花を受け取る。魔力の塊でしかないそれは、わたしの手に収まると同時に実態を持ち始めた。
「ごめんなさい……でも、うん。そうだね、気をつけるよサドラーおねえちゃん」
「うん、気をつけようね。お姉ちゃんと約束だよ」
「うん!」
アンナちゃんと約束する。彼女の頭を撫でると、どこか懐かしむように頭を委ねてくれた。
「おーい、サドラーさん、ちょっと来てくれ! 話がある」
そうしていると、突然ブライアンさんに声をかけられた。畑の方から、大きな声で。
「あ、はい今行きます!」負けじと大声で返事をし、「ごめんね、ちょっと行ってくる。ラウドさん、アンナちゃんのことお願いします」
「おう、まかせろ」
立ち上がってブライアンのところにいく。アネモネは手に持ちっぱなしだ。
ブライアンさんは小規模な畑にいた。土の香りが漂ってくる。
「いや、すまないね。時に畑仕事の経験は?」
「多少は」
「なら仕事を手伝ってもらってもいいかな? あまり人に聞かせる話でもなし、仕事中の会話を盗み聞こうなんて奴はそういないしな。そうしながらで良いかな?」
「ええ、構いませんよ。何をすれば良いですか?」
ブライアンさんはわたしにクワを手渡してくる。耕して土を作れということなのだろう。
手に持っていたアネモネを休憩用の椅子に置き、クワを受け取る。
正直こういった経験は少ないので新鮮だ。
畑に入る。彼の指示に従って畑を耕し始めた。
「話ってなんですか?」
「……君たちはこの村に残るつもりはあるかい?」
ブライアンは単刀直入に聞いてきた。
この村に残れるか、だって? そんなの不可能に決まっている。
そも、本来ならもうこの村を出ていなければいけない。わたしたちはどこまで行っても逃亡者なのだから。
「できません。わたしたちは特定の場所に長居するわけには。カムランから逃げてきたわたしたちを追ってくる者がいるはずですから」
「そうか……しかし返答する前にアンナの話を聞いてもらえんか」
そう言って彼は語り出す。感情を入れないように気を付けているのだろう。淡々と言葉を紡いでいった。
「アンナは私の子ではないのだ。私の親友の子だったのだが、五歳の時に父を亡くし、母も家を出て行ったのだ。それを私が引き取り、娘として育てているにすぎない」
「そうだったんですか。でもなんで彼女の母親は家を出たんですか?」
「サドラー、アンタはドルイドって連中を知っているかい?」
「それは、まあ。確か──祭司さんですよね。魔法を使えるとかいう」
もっともそれは、すでに過去のモノとなりつつある。というのも、彼らの使う魔法とわたしたちの使う魔法は違うからだ。
現在主流の魔法とは違う、精霊そのものを受け入れる魔法術。それは危険なモノだ。
そしてドルイドという職業そのものも、かつてこの島が一つに治められた時から徐々に消えていった──いわば、すでに古い職業となっているのだ。
彼らがこなしていた職業が細分化され、複数の仕事になっていったことを理由に。
「うむ。彼女の母親があるドルイドの語る戯言に誑かされてな。それまで良き母親だったのが、突如として夫を殺害した──理由は未だ持って不明だがね。遺体はひどい有様だった。そう、気になる点もあったな」
それはどんな悲劇か。パルタと旅する中でそういう喪失を経験している者と遭遇した事はあるけれど、それでも今の話に勝る喪失は知らない。
信じていた母、豹変した母。惨殺される父と、その後家を出て独りになる少女。
──酷すぎるよ、そんなの。
「引き取られてからしばらくのアンナは心を閉ざしていた。が、そのうちに彼女は明るく振る舞うようになった。けどな、本来のアンナはおとなしい子だったんだ」
ああ、そういう事か。ようやく違和感に気がついた。
そう、あの年の子供の割に聞き分けがいいのだ。わたしのフードの中が気になると言ったが、それを取れないと聞くとすぐに引き下がる聞き分けの良さ。
──まだ幼い子供なのに……。
ギリ、と歯を噛む。
彼女は自分の心を殺している。間違いないだろう。
明るく振る舞うのは恐らく──。
「アンナちゃんは、自分が捨てられたのは自身がおとなしい子供、言い方を悪くすれば暗い子だったからと思い込んでいるのですか?」
「まぁ、そうだな。明るく振る舞っていれば、見捨てられなくて済むと思い込んでるのさ。そうやって五年も、アイツは自分を偽って生きてきた。そんな彼女が、どういうわけか君たち二人には本心から心を許しているように見えてな。だからずっと居てくれるとありがたいと思ったんだ」
それっきり会話はなくなった。ザク、ザクと畑を耕す音だけが響く。
悲劇は、しかし他者の人生に影響を及ぼさない。アンナちゃんを無視して先に進むのは簡単だし、その結果少しの悔恨が残っても、それはさほどの違いにはならないから。
だけど、
──あ、お姉ちゃんたちだ!──
それでも、あの時の彼女の笑顔が忘れられない。
彼女の部屋でお話をした時の笑顔を、楽しそうに想像を巡らせる表情を。
「申し訳ありませんが、それでも今のわたしたちはここにいていい人じゃありません」
「そうか……いや、無理を言ったのはこちらの方だ。気に病むことは──」
「だけど!」言葉を遮る。「だけど、約束します。全て終わったら、またここに来ると」
「そうか……なら、その時はとっておきの料理を振る舞おう。さ、ここはもういい。アンナの相手に戻ってもらってもいいかな」
「はい。失礼します」
クワを椅子の横に置いて、アネモネを手に取る。
そうして広場に戻ったわたしの目に入ったのは──。
──頭から血を流して倒れているラウドさんと、忽然と消えたアンナちゃんだった。
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