第二節 旅する者

第七話 少女

 草原を行くこと三日。ようやく集落にたどり着いた。

 火も落ちてきた事だし、宿でも借りられないかとわたしたちは足を踏み入れる。


「……おねぇちゃんたち、だあれ?」


 手に花の輪を持った集落の女の子がそう訊いてくる。この匂いはアネモネだろうか。季節外れのアネモネにわずかな疑問を覚える。

 彼女に目線を合わせ、


「わたしたちは旅してるんだよ。カムランからここまで歩いてきたの」


 優しい声でそう答えた。


「そうなんだ! すごいなぁ。あ、そうだ! うちで一緒にご飯食べよ! 旅の人は迎え入れなさいってお父さんが言っていたから!」


 正直ありがたい提案だ。寒い中野宿するのは体力を消耗する。なので、こういった提案には乗りたい。


「どうします、ラウドさん?」

「そうだな……ま、世話になっとこうぜ。いざとなりゃルーンもあるしさ」

「わかりました。じゃあ、お願いできるかな?」

「うん!」


 元気のある子だ。年は十に満たないぐらいだろう。茶色の髪に少し不恰好な編み込みが入っている。

 だというのに、目は笑いきっていない気がする。

──気のせいかな。

 彼女についていく。

 この村は農業を主体としているらしい。朝になれば畑を耕し、日が暮れれば帰る。慎ましいが穏やかな日々を送っているのだろう。

──わたしでは得られなかったモノだ。羨ましい。

 だから、ついそう思ってしまった。


「ここだよ!」


 そうして案内されたのは、小さな家だった。木造の、一階だけの家だ。

 ギィ、と扉が開けられる。廊下があり、左右に部屋が二つずつあった。


「パパ、ただいま!」

「おお、アンナ。おかえり」


 右側手前の部屋から出てきた男性に少女が見事なダイブ。少女──アンナの父親と思われる人がそれを受け止める。

 彼女の父親はガタイがいい。けどそれは戦うための筋肉ではなく、農業をするための筋肉だった。


「あのね、あのね、パパ。お客さんがいるの」

「お客さん? ああ、あの人たちか。旅人かい?」

「うん!」

「そうか、そうか。じゃあ少しあの人たちとお話しするから、日記を書いてきな」


 アンナは左奥の部屋の入っていく。


「いや、急なことですまないね。わたしはブライアン・ジャグ。先の子が娘のアンナだ」

「サドラー・リリィです。こっちはラウド・ライエン」

「ラウドだ。よろしく」

「ま、立ち話もなんですからこちらに」


 ブライアンさんが先ほど自分のいた部屋に案内してくれる。そこは厨房と食卓が一緒になった部屋だった。食卓の椅子に座るよう促され、そこに座る。


「さて、まずは申し訳ない。うちの娘が無茶を言ったようで。いや、確かに旅人は歓迎しなさいとは言ってあるのだが……」と彼は心底申し訳なさそうな顔をし、「そのうえで提案なのだが――今宵の宿はお決まりですかな?」

「いんや、野宿でもしようかなと思ってる。なに、別になれたものだからな」

「それはいけない。子供二人が野宿など、危険極まりない。お二方、多少腕に覚えがあるのかもしれないが、それでも睡眠中を襲われてはどうしようもあるまい。今日はここに泊まっていきなさい」

「いいのか? いや、そいつは実に助かる提案ではあるんだが」

「もちろんだとも。代わりに娘の話し相手になってくれればそれでいい」

「それぐらいならいくらでもするとも! なぁ、サドラー」


 はい、と返事をする。たったそれだけで宿が確保できるのなら、それは等価交換にすらなりはしない。


「ならすぐに食事を用意しよう。二人は食べられないものはあるのかな?」

「いや、オレは特にないぜ」

「わたしもないです」

「そうか、ならよかった」

「じゃあ」とラウドさんが立ち上がり、「オレはアンナと話でもしてくるわ」

「ああ、頼む──サドラーさんもそっちに回ってもらえるかな」

「わかりました。それと、改めてお礼を申し上げます」

「サドラーさんは礼儀正しいのだな。まだ子供だというのに、もう少し肩の力を抜いて生きるのも手だぞ」

「はい、覚えておきます」




 ランタンの灯るその部屋には人形が山ほど積まれていた。そのどれもが少し不格好で、お店で売られている物とはまた違った良さがある。


「あ、お姉ちゃんたちだ!」


 その中心にいたアンナはがわたしに抱きついてくる。衝撃を地面に逃がして耐える。


「ねぇねぇ、きょうお泊りするの?」

「そうだよ。だからお話ししようね」


 優しく語り掛ける。彼女が笑顔で、


「うん! あのね、あのね。あたしね、お姉ちゃんたちがうちに泊まってくれるといいなぁって思ってたんだ!」

「そうなの、どうして?」

「だって、お姉ちゃんたち綺麗だし、そんな人と一緒に居れたらいいなぁって思ったの――あ、いけない! 名前、名前を教えて。あたしはアンナ。アンナ・ジャグっていうんだ」

「そうなんだ。わたしはサドラー・リリィ、こっちのお姉さんが――」

「ラウド・ライエンだ。よろしくな、アンナ」

「うん、よろしくねサドラーお姉ちゃん、ラウドお姉ちゃん!」


 年相応の笑顔を見せるアンナ。彼女はくるくると踊るように回って、部屋の中央に置かれたベッドに座った。わたしもその隣に座る。


「アンナちゃんはお人形さんが好きなの?」

「うん、大好き! パパがね、作ってくれるの!」

「そうなんだ、よかったね」


 話をしながら、暗い外ではよく見えなかった彼女を観察する。

 髪は茶のベリーショート。タレ目で穏やかな印象を受ける少女だ。

 

「なんか、サドラーが聖女って呼ばれる理由がわかった気がする」


 それまでずっとこちらを眺めていた──会話に入るタイミングを掴み損ねていたようだ──ラウドさんがそう呟いた。


「え? それってどういう」

「なんて言やぁいいのか。面倒見が良いっていうか、お姉さんっていうか──ああ、こう言うのが正解か。そう、優しいんだよ。なぁ、アンナ。サドラーお姉ちゃん優しいよな?」

「うん! でも……顔もっと良く見てみたいなぁ。フードでよく見えないし、カワイイのはわかるんだけどなぁ」

「それ、は──」


 言葉に詰まってしまう。

 このフードを取れば、耳が見えてしまう。そうすればわたしが人狼だとバレてしまうのが問題だ。

 尻尾だって、上着の後ろに無理やり入れて隠している。少し──かなり窮屈だ。


「あ、その……ごめんね。わたしちょっと肌が弱くって。だからこのフードは外せないの」


 我ながら無理のある言い訳だと思う。別に太陽が出てるわけでもなし、フードを取ったってなんの問題もないのだから。

 アンナは少し不満そうな顔をしたけど、すぐにまた笑顔になって、


「そっか。じゃあしょうがないね!」


 って言ってくれた。


「なあ、アンナ。こんなかで一番お気に入りの人形はどれだ?」


 話を変えようとしたのか、ラウドさんがわたしとは反対側に座ってそう問いかけた。


「え? うーん、そうだなぁ。あ、これとか気に入ってるよ!」


 そう言って彼女が手に取ったのは、剣を持った騎士の人形だった。剣は宝剣なのだろうか、装飾がなされていた。


「良いじゃないか。こういうのはオレも好きだ。どんな人形なんだ?」

「えっとね、これはモルドレッドって騎士なんだって。昔みんなを護った騎士があたしを護ってくれるんだって、パパがくれたの!」

「へぇ、モルドレッドね」


 ラウドさんもモルドレッドの人形が気に入ったのか、それを持ち上げて眺めている。

 けど、その名は反逆者の名だったはず。かつてこの国を治めた王を討ち倒した騎士。

 国を、王を護るべき騎士が反乱を起こしたわけで、それを我が子を守護するお守りがわりの人形につける名としてはふさわしくないと思う。

 が、その程度のことでこの無垢な笑顔を曇らせるのもなんだと思い黙っておくことにした。


「ねぇ、お姉ちゃんたちの話も聞きたいなぁ。どんな所を旅したの?」




 いろんな話をした。

 雪の降る山を進んだこと。

 夜の砂漠は実は寒いこと。

 訪れた街で子供と遊んだこと。

 わたしが死刑囚になる前の話をすると、アンナはそれに想像を巡らせたのか、楽しそうに目をつむった。

 当然、その旅の終わり──前国王と現国王の戦いの話は避けた。前国王もまあまあの圧政者であり、さらには化け物ではあったから。

 そうして夕食を終え、わたしたちはあてがわれた客間でゆっくりとしていた。フードを外して尻尾も出す。


「子供の相手をするって大変だなぁ。なんか疲れた」


 ラウドさんがベッドに倒れ込む。

──ベッド、小さくないかな。

 そんな不安が過ぎる。なぜならこの部屋のベッドは一人用で、しかもそれ一つしかないからだ。

 まぁ、女同士だしさほど問題はないのだろうけれど。


「まあ、そうですね。けど良いじゃないですか。そういうのってわたし好きですよ」

「うん、やっぱサドラーは聖女だよ。神のご加護とか、そんな大層なもんじゃなくてさ。おまえといると安心する、ずっと一緒にいたいって思えるんだ」


 なんでもないことのように、ラウドさんはそう言った。

──ズキリ、と胸が痛む。

 なんでだろう。ここ数日、ラウドさんと一緒にいると、時々自分の気持ちがわからなくなってしまう。

 嫌いなわけじゃない。それは絶対だ。


「……サドラー?」

「あ、いいえ。なんでもないです」


 ラウドさんから目線を外す。そうすると、窓の外が見えた。そこにあったのは──。


「ラウドさん! 外見てください!」

「え? ──すごいな、これは」


 ──満点の星空と、その中で一際大きく輝く月だった。

 窓を開けて、夜空を眺める。いつぶりだろうか、こうやって夜空を眺めたのは。


「オレさ、ずっと忘れていた。夜空ってのはこんなにも綺麗で、手を伸ばしたくなるものなんだって。血に濡れた手だけど、そんなオレにも星や月は光をくれるんだって」


 それはわたしも同じこと。パルタたちとの旅路は険しく、星を楽しむ余裕なんてなかった。

 旅が終わっても、わたしはなんとなくそんな気分になれなかったし、そうするうちに投獄されて──処刑が決まった。

 首元には未だあの時の縄の感覚が残っている。視界が色褪せていき、頭や首が痛くなる。死に向かう恐怖を今も覚えている。

 何か温かいモノが頬を伝う。


「どうかしたのか?」

「わか、りませ、ん……」


 声がうまく出せない。それでようやく自分が泣いているんだと気がつけた。


「……サドラー」


 わたしの頭にやわらかいモノが触れる。


「泣きたかったら泣けばいい。いくら聖女だと言われても、泣いちゃいけないなんてことはないだろ? ほら、オレの胸でよけりゃ貸してやるから」

「そう、です……ね」


──ああ、遠慮なんてしなくてもいいんだ。

 そう思うと途端に涙が止まらなくなった。今までずっと堪えていた感情を吐き出すように、決壊した涙腺は動き続ける。

 思えば、いつ死んでもおかしくない旅だった。旅が終わっても、その記憶はわたしを苦しめ続けたし、追い打ちをかけるかのように投獄された。

 ラウドさんに助けられてもからも、気を抜くことができなかった。野宿ばかりで、獣がいないことを祈りながら眠る日々だった。

──けど、もっと昔に心は死んでいたのかもしれないなぁ。

 なんでだろうか、そんなことを思っていた。


「……そろそろ窓を閉めるぞ。冬だからな、怪我人にはキツい」


 コクリと頷いた。彼女に支えられながらベッドに戻る。


「……ごめ、ごめんなさい……もうちょっと、だけ……」

「ああ、もちろん良いさ」


 そのままラウドさんの腕に抱かれ、眠りにつくまで泣き続けた──。

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