ビコーズ

川谷パルテノン

 彼はいつも同じ映画を観る。だから私も何度も観た。飽きも過ぎて台詞が暗記される。思い描いた何かとはまるで違う道だった。

 聞いてみたことがある。どうして、いつも。彼は黙ってスクリーンを見つめていた。彼が映画を観る時、私はいない。それなら私は今すぐにでも出て行こう。何度も思った。居なくても彼にとっては些細なことですらない。ただ、そうだとしたら私が私であることについて悔しさが残った。それが皮肉にも私をとどまらせた。

 こんな男、それはいつだってそう思う。友達もみんなそう言ってくれる。私はそういったアドバイスに素直になれなかった。ドツボにハマった自覚はある。でも抜け出し方がわからなかった。時間だけは過ぎて、何も決められないまま、ただダラダラと年を取っていった。

 年が明けた。西暦で言えば二〇二二。彼とは四年目の。街に躍るハッピーニューイヤーの文字。一生の中で地続きでしかない、ただの時間の流れに意味がつけられて、それで振り回される。嫌な予感は、というよりも的中した予想と言うべきか、彼はまたあの映画を観ようとした。新しい一年の朝、起きて一番がそれであった。聞こえる? 私だって家賃を払ってるのよ? 一人暮らしするには随分広い部屋じゃない? 当然、彼は黙ってスクリーンを見つめる。もう愛なんてない。彼が映画を見続けるのはもしかしたらコミニュケーションなのかもしれないとさえ思う。言葉ではないだけで私に出て行けと告げているのかと。でも私はまだ居る。だったら言ってほしい。言葉にしてよ。二人なんだから。

 一人で出かけた冬は随分と冷えた。雪を被った犬が目一杯からだを揺らしてそれをはらう。リードを握った子供がそのまま大きな犬に引っ張られて遠ざかっていった。年初めでも開いている珈琲屋。座った椅子が自分の部屋より落ち着く。湯気を眺めていると涙が伝った。埃が入ったのかもしれない。もうここで夜が来るまで居たい。そんなふうにしていると入り口の鈴が鳴った。若い男。どういうわけだか私の前に座った。こんな日だ。他に客もいない。私は彼のジェスチャーにOKした。すると彼はすっかり冷めた私のコーヒーを飲み干して「温かいのを」とマスターに言った。なんなのコイツ。私は怪訝な顔をしていたと思う。考えてみれば私も会話が得意じゃない。

「突然無礼な真似をすみません。喉が渇いていて。飲まないのかと。いや、勝手なことでした。ここは僕が払います」

「いいです」

「ここはいいですよね。時間の流れが変わらない。僕、こういう節目がなんだか苦手で」

 ずっと一人で喋っている。彼とは全然違うタイプだ。聞いてない。彼にとっての私はこの男と同じなのだろうか。だとしたら、なるほど鬱陶しい。男が話した内容は殆ど残らなかった。新たに出されたコーヒーも結局冷めた。男はテーブルの上に三杯分の代金を置くと「またどこかで」と言って立ち去ろうとした。

「困ります! というか……困っています」

「僕でよければ聞きますよ」

 男は再び席についた。私は気づくと話し出していた。彼のこと、映画のこと、私の思い、ひっくるめて愚痴だ。その間、男は相槌程度で先程までと違って私の話を聞いてくれた。私は少しだけ胸が空いた気がした。男はなるほどとうなずくと突然、ハッピーニューイヤーと言った。意味がわからない。

「年は明けました。もう過去ではない。僕も節目は苦手と言いましたが、この雪です。溶けないままも辛いでしょう。あなたにとって今年の決断が良い選択になるように。今日はすみませんでした。では」

 結局、男の言わんとすることはわからなかった。お金も置いたまま、断れずじまいだ。店を出ると先ほどの犬を連れた子供に再会した。子供は息を荒げながら私に向かって会釈した。私は少しだけ顔が綻んで、その子供に「おめでとう」と言い、また互いに別の道を歩き出す。これから行く先は四年前とは違う、けれどやっぱり思い描いたのとも違うまるで別の道だ。正しさが何かはわからない。店で話した男の影響か、それとも犬を連れた子供のおかげか、ともあれ先の見えない道であっても私は怖い思いをしなくて済んだ。

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