26.中学時代の後悔(橘風香視点)

 由希ちゃんに初めての彼氏ができた。

 相手は三つ年上の高校生。同級生の男子と違って大人っぽくて格好いい人のようだ。

 私と律は祝福した。由希ちゃんも「ありがとう」と笑顔を見せてくれた。

 喜びに包まれて、私も彼氏がほしいだなんて、その時は思ったものだ。


「今度の日曜日ね……彼氏と遊園地に行くんだ」


 由希ちゃんは照れながらも私と律に報告してくれた。

 由希ちゃんの初デートだった。私も律も、頬が緩まずにはいられなかった。それだけ由希ちゃんが嬉しそうだったから。楽しいデートになってほしいと願っていた。


「由希もすっかりリア充だな」

「私達は独り身の寂しさを味わっているのかしら?」

「比較すんなよ。私らまだ中学生だぞ。女同士が楽しいって」

「負け犬の遠吠えに聞こえるわね」

「負けてねえしっ。ていうか風香も同じだろうが」

「……その通りね。返り討ちにされてしまった気分だわ」


 由希ちゃんが初デートの日。私と律は街へと遊びに出かけていた。

 いつも三人でいたから少し寂しさを覚えたけれど、由希ちゃんがデートを楽しんでいるのだと思っていたら話題は尽きなかった。

 幸せそうにしている由希ちゃんを見ているだけで、こっちも幸せのおすそ分けをしてもらった気分を味わえる。そう共感できるほど私達は由希ちゃんが大好きなのだ。


「嫌っ! 誰か助けて!」


 普段生活していては聞くことがないであろう声。女の子が助けを求める叫び声だった。

 近くから聞こえた。それはわかっても誰の声かまではわかるはずがない。

 でも、私達には聞き慣れた声だった。


「風香っ!」

「ええ、急ぐわよ律」


 声の方向へと駆け出した。人気のない道。そこに声の主がいた。


「あっ……う……。りっちゃん……ふーちゃん……」


 男の人に腕を掴まれた由希ちゃんの姿があった。

 泣いている彼女の様子からただならない事態を感じ取った。それは律も同じで、すぐに由希ちゃんと男の間に割って入った。


「何してんだテメェッ!」


 怒った律の大声に男は一歩後ずさる。それは臆したわけではないようで、面倒臭そうに息を漏らした。


「んだよ。簡単にヤラせてくれるって思ったのによ」

「は、はあ?」


 ため息交じりの男の言葉。意味がわからなくて、私も律も怪訝な声を隠せなかった。


「いきなり連れが現れるし……あ~あ、もう萎えたわ」


 男は悪びれることもなく、あっさりとこの場から立ち去った。わけがわからなくて、私達は何も言えず立ち尽くしてしまった。

 ただ由希ちゃんが泣いているばかりで……。一人にさせてはならない、それだけは強く思った。



  ※ ※ ※



 時間を置いて、状況を把握した。

 さっきの男は由希ちゃんをホテルに連れ込もうとしていた。中学生が入ってはいけないホテルにである。


「ふっざけんなっ!!」


 怒髪天を衝いたとばかりに律が吼える。私も奥歯を噛みしめて怒りを押し殺した。ううん、押し殺せはしなかったけれど、怒りに任せての行動は押しとどめた。

 一番つらかったのは由希ちゃんだから。だって、よりにもよってその男の人は……。


「あ、あたし……ビッチに見えたって……遊んでるように見えたって……だから付き合ってやったって……い、言ってた……」


 乱暴しようとしていたのは初めての恋人。彼氏になったのは由希ちゃんの体が目当てだった。はっきりとそう言われた由希ちゃんの悲しみは計り知れない。

 いつもなら励ましの言葉も慰めの言葉もかけられた。でも、こんな時にかけるべき言葉なんて私は知らなかった。

 男の人への恐怖。まだ中学生の私達にとって、初めて遭う悪意だった。


「ひっぐ……うええ……」


 泣いている友達に何もできないだなんて……。初めて遭った無力感だった。

 普段、口ではいろいろ言いながらも、大切な時には上手く動いてくれない。そんな無力な自分を思い知らされた。


「あた、あたしの……あたしの髪がいけないのかなぁ……?」

「え?」

「き、金髪だから……頭軽そうに見えたって……そう、見えるんだって……っ」

「そんなことないわっ。……由希ちゃんの髪はとても綺麗よ。頭がおかしいのはあの男だわ」


 由希ちゃんは声を押し殺して泣いた。涙が涸れても泣き続けた。涙が涸れたって悲しみは消えない。

 誰かに対して、本気で殺意が湧いた。

 由希ちゃんが傷ついて、私も泣きそうな思いになった。胸が抉られる思いだった。

 由希ちゃんにこんな思いをさせたくない。二度と涙を流してほしくなかった。

 由希ちゃんを守ろう。そう言葉を交わしたわけではなかったけれど、私と律はこの時に決意したのだ。



  ※ ※ ※



 あれから数日後。


「り、りっちゃん? その髪……」

「おう由希! おっはよー!」


 律は髪を赤く染めた。その赤はとても鮮やかで、由希ちゃんの綺麗な金髪に負けないくらい目立った。


「どうよこれ? カッコいいだろ? 赤は私に似合ってると思ったんだよ」

「……うん」


 朗らかに笑う律を見て、由希ちゃんは何も言えなかったようだ。律の心遣いに私まで胸が熱くなった。

 金髪だからと傷つけられた。みんなとは違っている外見だから目をつけられた。

 それは違うし悪くもない。律は由希ちゃんと同じなんだと、髪の色で変わらないのだと、そう証明するために髪を染めた。


 初めての彼氏からあんな扱いをされたせいで、由希ちゃんは男の人が苦手になっていた。クラスメイトの男子ですら口が利けないほど心の傷となっていた。


「……」


 学校で親しみやすかった由希ちゃんの姿はなかった。口を閉じて、男子から声をかけられれば冷たい眼差しを向けるだけ。

 それが必死に恐怖と戦っている姿なのだと、そう思うとその態度を改めさせようという気は起こらなかった。


 私はといえば眼鏡をかけて、髪型を少し変えてみた。

 すると私への態度が変わっていくのが感じ取れた。クラスメイトだけじゃなく、教師もそうだった。

 印象が変わるだけでその人への評価が変わる。それは大人も子供も変わらない。

 愛嬌があるからと由希ちゃんを可愛がっていたのに、無口になった途端「不良だ」とレッテルを貼った。

 髪を真っ赤に染めた律も「不良だ」と安易にレッテルを貼った。

 そんなゴミ以下の周囲から二人を守った。手段が過剰だったことは認めるけれど、私も「不良だ」とレッテルを貼られた。それでも見た目だけは優等生だったからか、かろうじて二人を守り切れた。


 大人はよく「外見よりも中身を見なさい」なんて綺麗事を述べるけれど、それができている人がどれだけいるのかだなんてわかろうともしていない。まずは自分を見つめ直すところから始めればいいのに。

 私がおかしいと言われるのは構わない。でも由希ちゃんの心の傷を、律の心遣いを、踏みにじろうとする人を、私は許せそうにない……。


「──だから能見くん。あなたは正しい選択を……、決して間違いを犯さないでよね」


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