第十五話 龍の加護
〔15〕
アンディの元に走りながら、俺は弾道を読んでこちらに飛んでくる凶弾を幅の広い胡蝶双刀で受ける。矢継ぎ早に弾丸が放たれ、地面を蹴り、空中で身体を回転させながら全ての弾を避けていく。
一発の弾丸が肩の上を掠めたが、痛みなど全く気にならなかった。俺は走るスピードを保ちながら、大きくジャンプして弾倉が空になった拳銃を構えるアンディに両手の胡蝶双刀を斬りつける。
アンディが手にした銃身で片方の刃を受ける。しかし、俺はワン老師との稽古を辿り、手首を回転させるようにして、反対にその腕を払い、もう片方の幅広の刃の部分でアンディのこめかみを叩く。
衝撃に呻いたアンディの胸元に真一文字に刃を走らせ、そのまま身体を回転させ着地する。アンディの胸から血が飛び散り、彼ががくりと膝をつく。
俺はアンディの頸動脈に刃をあて「今こそ、神に許しを請うんだな」と彼を睨む。
「ラウ! 駄目だ!」
目だけ動かせばマックスがこちらに一歩踏み出す。
「復讐しても、メイは生き返らない……だろう?」
アンディは狂気に満ちた顔で俺を見上げて「ククク」と不気味に嗤う。
「殺せばいい、ラウ……きみの欲望に従えばいいのだよ」
俺は胡蝶双刀を振り上げ、頸動脈に打ちつける。
アンディの身体ががくりと横に倒れ「ラウ!」というマックスの驚愕の声に、俺は彼を振り返る。
「死んでいない、ただ失神させただけだ」
直前に、胡蝶双刀の切れない峰の部分に持ち替えて叩き込んだのだ。マックスがアンディに息があるのを確認し、ほうっと吐息する。
「……彼を殺さないでくれて、ありがとう」
マックスがアンディの手首を拘束しながら言い、少しぼんやりとしながら頷く。そんな俺の肩をチャンがそっと撫でる。
「ラウ、大丈夫か?」
「……うん。それにしても、これは……」
俺は台に鎮座しているものに目をやる。チャンも感心したように、美しく輝く黄金の龍の彫像を見つめた。
「噂で聞いていたが、まさか本当にあったとはな……」
「どういうこと?」
「
「調査によれば、当時のイギリスの軍人も関わっているらしいが、詳細が分からないんだ。九龍城砦の歴史にも深く関わっているらしいんだけれど……」
マックスの言葉に、チャンが片方の眉を上げる。
「随分と調べ上げたようだな。そろそろ正体を明かしたらどうだ?」
「俺はイギリスの情報機関、MI2に所属している諜報部員なんだ」
マックスが俺達に薄く笑み、思わず目を丸くする。
「どうしてイギリスのエージェントがここに?」
「このアンディ・リーという男はテロ組織に所属していてね。イギリスで起きたテロ事件の容疑者としてずっと追っていたんだ。暫くアメリカに身を潜めていたが、この九龍城砦に移住したと知り、彼の動向を監視するためにカメラマンとして潜入したんだ。どうやらアンディは、ここで活動するうちに、九龍城砦の金塊の噂を聞きつけたようだ」
「宣教師と偽り、一部の麻薬中毒者等を洗脳して手先のように操っていたとはな」
呆れたようにチャンが失神したアンディを見下ろし、マックスも吐息交じりに頷く。
「テロ組織の資金源にでもするつもりだったのだろうね」
俺は改めて金で出来た龍を見つめ、マックスとチャンに言う。
「この金の龍は、このままにしておけないかな? きっと、龍は追いかけてはならないんだ」
「そうだな、これを持ち去ったら、九龍城砦を守る龍も去ってしまうかもしれない」
チャンの言葉に、マックスもゆっくりと頷く。
「俺もそう思う。龍の逆鱗に触れてはいけないんだ。あの扉は開かなかった事にしよう」
そうマックスがアンディを肩に担ぎ上げ、俺達は金の龍がいる部屋を出る。八卦図に絡む二匹の龍が守る扉が再び閉ざされ、チャンは龍の瞳から金時計の裏蓋と、リリーの首輪についていたプラチナのコイン状の飾りを取り外した。
「マックス」
振り向けば、そこにはシスター・アンジェラがいた。
「そろそろ回収部隊がくるわ」
「ありがとう」
まさか、彼女も諜報部員だったのか? 目を瞬かせる俺に、彼女が肯定するように、薄く笑みを浮かべてみせる。
「俺達の事も拘束するつもりか?」
チャンが少し警戒を滲ませて言うと、マックスは「まさか!」と微笑む。
「メイは連れて帰っていいよね?」
俺はメイの亡骸を横抱きにしてマックスを見やる。彼は、まるで眠っているかのような穏やかな死に顔のメイに悲し気な瞳を向けた。
「勿論だよ」
「行こう、ラウ」
チャンに肩を抱かれて促され、俺はマックスに「じゃあ」と唇の端を上げる。マックスも青空のような瞳を細めて、ゆっくりと頷いてみせた。
数日後。
メイを弔い、俺はワン老師の漢方薬局を訪ねていた。漢方薬独特の匂いが立ち込める薄暗い店内は、人気がない。ふと「なーう」と鳴き声がして足元に見やれば、サファイアのような青い瞳の白猫がいた。その首元には円形のプラチナの飾りが輝いていた。
「よう、リリー、元気か?」
リリーはそのままカウンターの上に飛び乗り、一つ欠伸をすると身体を丸める。まったく、相変わらず愛想のないやつ。
小さく笑うと、奥の部屋からワン老師が顔を見せた。彼は、いつものように優しく微笑む。
「やあ、ラウ」
ワン老師は「お茶でもどうかな?」と俺を奥の部屋に促す。ワン老師の淹れたくれた白茶を味わいながら、俺は切り出した。
「リリーの飼い主は、ワン老師だったのですか?」
「いいや。リリーは、
「ということは、ワン老師が大ボスと言われる人物という事ですね」
ワン老師は美しい花の模様があしらわれた茶器を置きながら、小さく笑った。
「そんな風に呼ばれるような事はしていないがね。わたしは少しばかり友人を手伝って、
「礼拝所の地下の金の龍は、ワン老師と
ワン老師はゆったりと足を組み、薄く日が差す窓を見やる。遠い記憶を手繰り寄せるように、その瞳が懐かしさを滲ませていた。
「話せば長くなるが、とある事件にかかわってね。我々は龍をあそこに納め、特別に拵えたあの扉で厳重に封印したんだ。当時、英国の軍人だった男との約束でね、我々はあの扉を開ける事はなかったよ。扉の鍵は当時、今は
「だけど、それをアンディが嗅ぎつけて動き始めた」
ワン老師は、ゆったりと相槌を打つ。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったがね。ラウ、お前まで龍を追うとは予想外だった」
俺は思わず微苦笑を浮かべつつ、頭を掻く。
「でも、ワン老師は俺にヒントをくれましたよね? 九龍城砦は龍に守られている。龍の逆鱗に触れてはならないよ、と」
「聡明なお前のことだ。知恵を絞り、止めても必ず金の龍に辿りつくだろうと思ったからね。そして、龍が悪党の手に渡るのを阻止してくれた」
「あの龍は、九龍城砦の発展に力を貸してくれている」
「その通り。九龍城砦は、わたしが子供の頃の面影がないくらい変貌を遂げたよ。こんなにもビルや人口が増えるとは思わなかった」
ワン老師がにっこりとし、ふとドアに目を向ける。
「どうやら来客のようだ」
そう彼が立ち上がり、俺もワン老師に続いて部屋を出る。カウンターの上のリリーにじゃれつかれている彼を見て、俺は目を瞠る。
「……マックス!」
まさか彼と再会するとは思わずに声を上げると、マックスは「やあ」と白い歯を見せて笑った。
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