第十四話 祭壇
〔14〕
チャンの鋭い回し蹴りを受けて、デーモンスカルが床に転がるが、膝を落とした姿勢で円を描くようにぐるりと回転して体勢を整えて刀を構える。
アンディは床に転がっていた金時計を拾い上げ、満足げに唇の端を上げる。
「この男の事は任せたよ」
そうデーモンスカルに言い、祭壇のある方へと向かう。八卦刀の長い刃が鋭く光りながら、チャンを下から斬りつけるようにする。
チャンは後ろに下がってそれを避け、同時に立ち上がったデーモンスカルが彼の首を撥ねようと、ブンという音ともに八卦刀を真一文字に振るう。
俺は彼らの間に割り込むように、持っていた胡蝶双刀の十手のような返しになっている護手の部分で八卦刀の刃を受ける。
キュィインという耳を突くような金属音が響き、俺はそのまま護手の部分で、長い刃を辿り、デーモンスカルの傍に寄る。
「こんなことをしても意味はない!」
マスク越しに息を呑む気配がしたが、素早く距離を取って一歩後退りし、八卦刀を構える。
「お願いだよ、もう止めてくれ! メイ!」
チャンがはっとデーモンスカル……いや、メイを見やる。
「メイ……お願いだ……」
俺は懇願するように、禍々しい悪魔の仮面で顔を覆った彼女を見つめる。彼女が仮面を剥ぎとり、露わになった懐かしい彼女の顔に、俺は弱く笑みを浮かべる。
「……メイ……生きていたんだね」
メイは憎悪で燃える瞳でチャンを睨みながら八卦刀を構えた。
「こいつを殺すまでは死ねないわ」
「それは……恋人のイムが
「そうよ、あの男のせいでわたし達の居場所が
そうメイは残忍な笑みを浮かべ、まるで別人のようになってしまった彼女に衝撃を受ける。憎しみに囚われてしまったせいなのか、それともアンディに洗脳されてしまったのだろうか?
「メイ! あなたは今、普通じゃない……アンディに操られているんだよ!」
「違うわ。わたしは彼の治療なんて受けていない。この礼拝所に身を隠すためにアンディに助けを求めて、それから利害が一致しただけ」
そう吐き捨てるように言い、メイが八卦刀を振り上げてチャンに向かっていく。俺は彼女を阻止しようと、両手の胡蝶双刀を逆手に持ち替えて彼女の元に踏み出す。
チャンに向かって振り落とされた刃を両手の胡蝶双刀で払い、そのまま凶器ごと彼女を後ろに下げるように押す。
「邪魔をしないで、ラウ!」
「復讐なんてしても、彼は生き返らない!」
互いの視線がぶつかり合い、彼女が再びの攻撃にじりじりと間合いを計っていた瞬間、メイの身体がいきなり横に吹っ飛んだ。
「メイ……!」
いつの間にかこちらに戻ってきたアンディがメイを横から両掌の
「すまないが、きみらの知恵を借りる必要がありそうだ」
そうアンディが隠し持っていた拳銃を俺の眉間に向ける。チャンが素早く構えをとるが、アンディがにやりとする。
「動けば、ラウの頭が割れた西瓜のようになるぞ。ラウ、武器を捨ててくれるね?」
俺はアンディを睨みながら、両手の胡蝶双刀を地面に放る。アンディは素早く俺の身体の向きを変えさせ、抵抗できないように首に腕を回して後ろ歩みに移動する。
そのまま俺のこめかみに銃口を突き付け、引きずるようにして祭壇に向かう。
「……ラウ!」
紺色のローブを纏った男達を床に沈めたマックスもチャンの元に走り寄る。チャン達も踏み出そうとするが、アンディが短く口笛を吹く。
すると両脇のドアが開き、屈強な白人の男達が立ちふさがった。紺色のローブを纏った男達より闘い慣れた様子で、皆、肩や両腕にびっしりと刺青が施されている。
これは……アンディの腕にもあるようなチカーノタトゥーという奴だ。男達が手にしていた武器を構え、マックスとチャンは一瞬の目配せの後、同時に男達に攻撃を仕掛けていく。
「さあ、きみはこっちに集中してくれ」
そう身体を押されて、俺は祭壇の後ろの壁に前に立たされる。
「……これは……」
そこには頑丈そうな二枚の戸があり、それぞれに龍の絡んだ八卦図の装飾が施されていた。そして龍の瞳には、それぞれチャンの金時計の裏蓋と、リリーの首輪の飾り部分が嵌めこまれていた。
「ようやく鍵が二つ揃ったかと思えば、まだ何かの仕掛けがあるようでね」
そうアンディが俺の後頭部にゴリッと銃口を押し当てる。
「ここに辿りつけたきみなら解けるんじゃないか? それとも、きみを撃ち殺して、チャンに訊いた方がいいかな?」
俺は八卦図に顔を近付ける。よく見れば左右の戸の八卦図は先天八卦と後天八卦だった。おまけに絡みつく龍の部分がダイヤルのように動く事に気付く。
「……Chase the Dragon……」
俺は今までの記憶を辿りながら左右の龍の頭が向かい合うように回す。しかし、扉には変化がなく、アンディがあからさまな溜息をついてみせた。
「なんだ、きみも分からないのか。それとも真剣に考えていないだけかな?」
そう踵を返し、どこに行くかと思えば、気を失ったメイの元へと向かう。
「やめろ!」
俺はアンディを追いかけ、攻撃を仕掛けようとするが、くるりと身を翻して俺の胸元に正拳突きをする。ドン!という衝撃と共に床に倒れそうになるが、それを堪えて何とか体勢を整える。
アンディはメイの髪を掴むようにして持ち上げ、彼女が朦朧と呻きながら目を瞬かせる。
「アンディ、やめろ!」
「これで少しはやる気が出たかな?」
アンディがメイの頭に拳銃を押し付け、怒りに握りしめた拳が震える。
「さあ、もう一度、トライしてくれるね?」
そうアンディがメイの腕を引きずり、俺は再び頑丈な観音開きの戸の前に立つ。一体、どうすればいいんだ……?
落ち着くんだ……俺は呼吸を整えながら目を閉じる。今までの記憶が浮かんでは沈んでいく。
ふとワン老師との会話が鮮明に脳裏に甦る。
『九龍城砦は龍に守られている。龍の逆鱗に触れてはならないよ』
「龍の逆鱗……つまりは鱗……」
俺はハッと目蓋を上げる。龍の鱗は81枚とされている。そして八卦図の『☰』
俺は八卦図に絡む龍に手を伸ばす。先天八卦では8は『☷』
俺は両方の龍を同時にそれぞれの八卦の8と1に当たる三爻に向けて回す。刹那、カチリという微かな音がし、直後、ゴゴゴという何かが動くような音と共に扉が開かれていく。
「ラウ、きみの知恵に感謝するよ」
パンッ! という乾いた音と共に、メイが悲鳴を上げる。アンディはそのまま扉の奥へと姿を消していった。そんな、メイが撃たれた……!? 彼女の胸元から血が噴き出し、俺はメイの元に駆け寄る。
「メイ……!」
「……ラウ……」
俺はローブを脱がせ、血が流れる彼女の鎖骨の下を止血するように押さえる。
「メイ……! しっかりして……!」
「……ラウ、ごめんね……」
朦朧とメイが囁き、俺は首を横に振る。
「どうして謝るの? そんな必要ないよ……」
「わたし、あなたを傷つけてしまった……から」
そうメイが震える手で俺の頬を撫で、ふわりと微笑んだ。
「あなたは……わたしの大切な弟も同然だから……」
ごふっ、とメイが黒っぽい血を大量に吐く。ぎくりと息を呑んだ直後、彼女の身体から力が抜け、その美しい瞳から光が消えていくのが分かった。
「……駄目だよ! しっかりするんだ、メイ……!」
俺は何度もメイの名前を呼ぶが、彼女が俺の呼びかけに反応することは無い。
「そんな……」
俺は涙で視界を滲ませながら、メイの亡骸を抱き締める。虚ろに開いた瞳を閉じさせ、俺は彼女の身体をそっと横たえる。亡骸にローブを掛け、俺は胡蝶双刀の落ちている場所に向かう。
「……ラウ!」
屈強な男達を倒したチャンとマックスがこちらに駆け寄ってくる。俺は頬を濡らす涙をぐいと拭って、胡蝶双刀をメイの血で染まった両手できつく握る。
「……俺がカタをつける」
俺は視線の先のアンディの背中を睨みつけながら低く告げ、扉の奥へと一気に駆け出した。アンディがこちらの気配に気づいて、こちらに銃口を向け、引き金を引いた。
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