第十二話 正体

〔12〕


 稽古の後、俺はその足で礼拝所に向かっていた。今日はレオンの葬儀が行われる予定だったのを思い出したのだ。

 葬儀の為か広場にも人がおらず、俺はベンチへと向かう。

 閉じられた龍の瞳が示した八卦図の『LEY LINE龍脈』という言葉、そして金時計の裏蓋の『Chase the Dragon龍を追う』という刻印……

「まさか……!」

 俺はハッとベンチから立ち上がる。視線の先にあったのは広場に隅にある閉じられた井戸だった。もし、龍脈が風水の考えに則り地中を示しているとしたら……?

 辺りに人がいないのを確認し、井戸へと向かう。木製の蓋で塞がれた井戸に顔を近付ければ、ゴオォという微かな音が響いている。

 これは間違いなく風音だ……! 俺は木製の蓋を開け、中を覗き込む。ふわりと頬を微かな風が撫でていく。

「これは井戸じゃない……」

 俺はもう一度、用心深くあたりを見回して人が居ないのを確認しバックパックから縄梯子を取り出して、端に架ける。

 そのまま井戸の底に降り、日の光が差し込む内部を見渡し「これは……」と小さく声が漏れる。コンクリートに囲まれたそこには金時計の裏蓋に彫られたものと同じ、先天八卦図が彫られていた。しかも周囲に目を走らせれば、長方形の……まるで出入り口のような切れ込みが走っている。

 意を決して八卦図を押すようにすれば、壁が斜めに動き出す。開き戸になっていた壁の先には通路になっており、俺は目を瞠る。

LEY LINE龍脈というのは、やはりこの地下空間を示していたんだ……」

 薄暗い地下通路に数歩踏み出すが、ふとチャンの顔が浮かんで足が止まる。一旦、彼にこの事を知らせたほうがいいかもしれない。この先に何があるか分からないのだ。

「チャンに知らせよう……」

 そう踵を返した刹那、ぎくりと身体が揺れる。暗がりに浮かび上がるように、目の前にデーモンスカルの顔が迫っていた。

 はっと距離を取ろうとしたのと、バチン!と大きく弾けるような音と共に一瞬の閃光が走ったのは同時だった。腰のあたりから激しい痛みと痺れに襲われ、俺はそのまま膝から崩れ落ちる。

 声すら出せずに足から力がぬけ、朦朧とした視界に黒衣のデーモンスカルの手にスタンガンが握られているのに気づく。

「……く、そ……」

 喘ぐように忌々しいデーモンスカルを睨みつつ、次第に視界に靄が掛かったように暗くなっていく。

 駄目だ……気を、失って……は……

 必死に抗うが、そこで視界が闇の中に呑まれていった。


 ……ウ、ラ……ウ……

 遠くで名前を呼ばれた気がして、ぼんやりとした意識の中で顔を顰める。ぼやけた視界に見覚えのあるシルエットを認めて、目を瞬かせる。

「……ラウ!」

 俺は息を呑んで思わず声を上げる。

「マ、マックス……!」

 彼は俺が目覚めた事にほっとしたように吐息する。

 よく見ればマックスは俺と向かい合うように椅子に座った姿勢で、後ろ手に拘束をされており、おまけに殴られたのかその口の端には血が滲んでいる。俺自身も木製の椅子に頑丈に縄で括られていた。足元を見れば椅子には括られておらず、俺は内心、安堵する。

「マックスも八卦図の謎を追ってここに?」

「ああ、そうしたら隙を衝かれてしまって……」

 マックスが頷き、俺は辺りに視線を這わせる。そこはコンクリートの壁に囲まれた広大な空間で、祭壇と十字架もあった。礼拝所の地下にこんな空間があったなんて……

「ここが龍を追いかけた先なのだと思う。あの……ラウ、俺は……きみを傷つけるつもりはなかったんだ」

 そうマックスが悲し気にペールブルーの瞳を伏せ、俺はゆっくりと頷いた。

「マックス、あんたが九龍城砦の切り裂きジャックなの? レオンや情報屋サミーを殺したのはあんたなの?」

「まさか! 俺は切り裂きジャックじゃないし、誰も殺しちゃいない!」

 マックスは、力強く首を横に振って身を乗り出そうとするが、椅子に拘束されているのでそれがかなわず忌々しそうに身体を捩った。

 俺は彼の真摯な瞳に嘘はないと確信して、小さく笑みを浮かべる。

「分かった、信じるよ。でも、どうして身元を偽っていたの? 後ろめたいことがないなら、あんたの正体をきちんと教えて」

 マックスは瞬時、視線を下に彷徨わせたが、真っ直ぐにこちらを見つめなおす。

「……分かった。俺は……」

 その時、祭壇の近くのドアが軋むような音を立てて開き、俺たちはハッと顔を向ける。そこには、黒のローブのデーモンスカルがいた。

「気分はどうかな? ラウ」

 黒衣のデーモンスカルが低く嗤い、俺は反射的に彼を睨みながら返す。

「そんな胡散臭いマスクは、いい加減に取ったらどうだ?」

 黒のデーモンスカルは「くくく」と咽喉で嗤うとフードを脱ぎ、マスクに手を掛ける。マスクの下から露わになったその顔に、思わず深く吐息する。

「やっぱり、あんただったんだな……アンディ」

 アンディは、まるで信者に説教でもするような穏やかな顔で目を細めた。

「おや、気づいていたのかい?」

「もっと早く気づいていれば、あんたがレオンを殺す前に、ぶっ飛ばしに来ていたのにな。あんたは、俺がレオンに襲われた後、九龍冰室クーロンカフェで『きみ、柳葉刀で大怪我をしたんだって?』って俺に訊いたんだ。あの頃、俺が襲われた事を知っていても、どんな凶器で襲われたかなんて、知っているのはチャンかウォン先生くらいだったはず。それに……」

 俺は思わず皮肉っぽく小さく笑う。

「あんた、レオンが死んだことを知らせた時にも、こう言ったんだ『あんな惨い殺され方をされるなんて』ってな。レオンの死体を確認する前だというあんたが、どうして彼が惨い殺され方をしていると知っているんだ? だが、レオンを殺した本人なら話は別だ。そうだろ?」

 アンディが苦笑いするように肩を竦めてみせる。

「これは、迂闊だったな。きみの言う通り、レオンを殺したのはわたしだ。あの死体、まるで祈りをささげているようで美しかっただろう? 彼の深い信仰心に敬意を表したんだ」

 まるで自分の手がけたアート作品でも自画自賛するような口調に、ぞくりと背中に戦慄が走る。こいつ……普通じゃない、狂っている……

「俺達があなたに呼ばれて訪ねた時も、さもレオンに襲われたふりをしたんだな?」

 そうマックスが鋭く言い、アンディが可笑しそうに笑う。

「中々、良い演技だったろう? この地下室はレオンの隠れ場所でもあった。きみらに勘付かれては面倒だからね」

「どうしてレオンを殺した? 何より、彼はどうして龍を追いかける必要があったんだ?」

「それはわたしの頼みとなれば、レオンは何でもいう事をきいてくれるからね。人を殺めるのだってわたしの為なら躊躇はしない良い子だった」

「……アンディ・リー、あなたは表向きでは麻薬中毒者のリハビリと称して活動しているが、裏では一部の者に対して、セラピーと称して洗脳を行っていた、そうだろう?」

 マックスの言葉に、はっと彼を見やる。洗脳……? もしや、レオンもアンディが操っていたのか?

「洗脳だなんて、人聞きが悪いな。これはれっきとした治療だよ。レオンは父親の愛を求めていた。そこでわたしが第二の父親としてその役を引き受けただけだよ」

「あんたは、レオンの心の隙間につけ込んで、自分の思うように操って、挙句に最後にはそんな彼を殺したということか……!」

 薄ら笑いを浮かべるアンディを睨めつけると、彼は大したことでもないようにゆるりと首を横に振った。

「レオンは、わたしには忠実だったが、いかんせん失敗ばかりでね。中々、わたしが欲しい物を持ち帰ってこられなかったんだ。きみにも返り討ちにあったし、このままでは応竜インロンの連中に捕らわれて全てを白状してしまうかもしれないだろう?」

「あなたは、レオンの心の傷を利用した悪党だ」

 マックスが怒りで燃える瞳を向け、アンディは「悪党とはひどいな」とおどけたように、肩を竦める。

「どうしてチャンの金時計を狙うんだ?」

 アンディは、少し意外そうに眉を上げてみせた。

「おや、知らないのか? あの時計の価値を」

 時計の価値……どういう事なのだと訝ったのと、なにやら人が倒れるような鈍い音と悲鳴じみた声が響く。はっと音のする方に顔を向ければ、ドンッという衝撃音と共に分厚い木製のドアを紺色のローブを纏った男が突き破ってくる。

 男が苦しそうに呻きながら床を転がる。そんな男を小石でも蹴るようにして脚でどかしながら、チャンが姿を見せる。

「チャン!」

 思わず声を上げると、チャンは拘束された俺を見て、一気に全身から殺気を放った。

「待ちくたびれてしまったよ、チャンさん」

 アンディが殺意の塊のようなチャンに微笑んだ。

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