第十話 尖沙咀
〔10〕
再びチャンの運転する車で向かったのは、彼の異動先となる
チャンと共に入ったのは、雑居ビルの一階にテナントに入っているバーだった。
しかし、アンティークな雰囲気の店内は人気が全くなく、バーカウンターなどには白い布が掛けられている。
「ここは……?」
「
物珍しく店内を眺め回していると、チャンがカウンターに並んだ椅子に腰を下ろして足を組む。
「ラウ、ここで働いてみる気はないか?」
目を丸くする俺に、チャンが軽く肩を竦める。
「なにもラウ一人に全てを任せるわけじゃない。ベテランのバーテンダーがいるし、最初は見習い程度の雑用などからスタートすることになるだろう」
俺がここで働く……男娼以外に、そんな選択肢があるとは思わず、チャンを見つめ返す。
そんな俺の反応をどうとったのか、チャンは少し面映ゆそうな面持ちになる。
「まだ九龍城砦を出るかなどの答えは聞いていないが……もし、一緒に来るならば、俺の目の届く所にいてほしい」
俺は彼の前に立ち、そっとその手を握る。俺の突然の行動に、チャンの指先が僅かに緊張するのが分かった。
「俺……チャンと九龍城砦を出る。そして、ここで働けるなら……そうしたい」
そう彼を真っ直ぐ見つめて伝えると、チャンの肩からほっと力が抜けるのが分かった。俺が思った以上に緊張していたらしい。
「返事をするのが遅くて、ごめん……」
「まったくだ。こっちは気が気じゃなかったぞ」
そうチャンが椅子から立ち、俺の背中に腕を回して引き寄せる。
そのまま、ぎゅっと抱き締められて、ふとマックスの事が過った。
メイが殺されたと聞いて、落ち込む俺を羽のように優しく抱擁してくれた事を思い出す。
反対に、今のチャンの抱擁は熱っぽく、そして力強い。俺は身を任せるように少し体重を掛けて、彼の背中に腕を回す。
こんな風にチャンと抱擁しあうなんて初めての事だった。
そう囁くと、チャンは俺のつむじに鼻先を埋めて「そうだな」と小さく笑う。
ふと身体を少し離し、互いの視線が合う。なんだか妙に照れ臭くて、少し俯いたのと、店の入り口で人の気配がしたのは同時だった。
視線の先にいたのは、フード付のローブに骸骨の悪魔の面をつけたデーモンスカルだった。しかし、驚いたことに黒いローブのデーモンスカルの隣には、もう一人、同じく禍々しい骸骨の仮面で顔を覆い、血で染めたような朱色のローブに身を包んだ人物がいたのだ。
デーモンスカルが二人いる……!
俺は、いつでも応戦できるよう
同時に黒いローブのデーモンスカルが、八卦掌特有の足運びでこちらにやってくる。
ヴンッ!という空気を斬るような音と共に八卦刀がチャンの首を刎ねようとする。チャンが身体を後ろに反らしそれを避ける。
黒のローブのデーモンスカルも俺の咽喉をねらって手刀での突きを繰り出し、首を反らして避ける。
同時に、デーモンスカルの伸ばされた腕を
俺はカウンターに飛び移り、中華包丁を見つけて、二本掴む。
背広を脱ぎそれをうまく振り回し、八卦刀を払い、絡めとろうとしていたチャンの側の椅子に向けて、中華包丁を投げる。
「チャン! それを使って!」
チャンが椅子に刺さった包丁を両手に構えて、真一文字に斬りかかる八卦刀を受ける。刃が擦れ合う、キィイン!と耳をつんざくような金属音が響く。
殺気を感じ、顔を向ければ黒のデーモンスカルがこちらにやってきており掌を胸元に向かって打つ。
咄嗟に受け身をとるが、気の力で発する
グラスが床に砕け散り、反動をつけて立ち上がり、再び問手で構えてデーモンスカルと間合いを詰める。
刹那、デーモンスカルが再び掌を打ち込もうとし、俺は腕の動きを読み、それを前腕で受け流す。
同時に円を描くように動くその足を払い、バランスを崩した隙を狙い、相手の顎下に固定するように手を入れる。
間髪入れずに、仰向けになったデーモンスカルの顔面にパンチを振り落とす。
このまま仮面を割ってしまおうと、チェーンパンチと呼ばれる、両手の拳を使い、連続して叩き込むパンチに切り替える。
禍々しい仮面にヒビが入った瞬間、チャンの声が響く。
「ラウ、避けろ!」
殺気を感じて視線をやれば、朱色のデーモンスカルがこちらに八卦刀を振り上げており、反射的に飛びすさり距離を取る。
黒のデーモンスカルが起き上がり、チャンが朱色のデーモンスカルに、
四者の距離が開いた瞬間、デーモンスカル達は踵を返して、店の外へと逃げ出す。
「待て!」
同時に声を張り上げ、俺たちはその後を追いかける。
しかし、店の外の路地にはそれらしい人物は見当たらず、俺達は互いの顔を見合わせる。
ふと、チャンのワイシャツの上腕辺りが切られ、血が滲んでいるのに気づいて息を呑む。
「チャン……血が……!」
「大したことはない。掠っただけだ」
チャンがさほど気にしない様子で言うが、俺は首を横に振る。
「駄目だよ、ちゃんと手当てをしないと」
「多分、店内に救急箱があるはずだ」
俺達はバーに戻り、散々な状態のそこを見回す。棚は俺がぶつかった勢いで壊れ、グラスなどが床に粉々に散らばっている。それだけではなく、壁や柱には八卦刀で斬りつけられた跡が走り、椅子やテーブルもバラバラに壊れていた。
「チャン……これ、ボスに怒られない?」
「まぁ……事情を話すしかないな。少なくとも開店日は延びるだろう」
もう一度、店内の惨状を眺め、俺達は同時に深く溜息をついた。
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