第七話 サミー

〔7〕


 老人街ロー・ヤン通りを歩きながら、ワン老師に左右逆の包拳礼で喧嘩を売っていた事を伝えると、マックスは衝撃を受けたようで、わたわたと慌てはじめた。

「どうしよう、とても失礼な事をしてしまった……!」

「凄く良いスマイルで喧嘩を売ってたわけだけどね。まぁ、大丈夫だよ。そんな事でワン老師は怒らないから」

 そう言えば、とマックスは安堵したように眉を八の字にして緩く笑う。

「昨日、撮影した写真が現像できたから持ってきたよ。その後、何か動きはあったかい?」

「動きというか……襲撃はされた、かな?」

 マックスがぎょっとしたように空色の瞳を見開き、被害者はサミーという情報屋ということ、そして昨晩に襲撃された事を打ち明け、ノートの絵を彼に見せる。

「……デーモンスカルか……なんだか全身から負のオーラが立ち昇っているようだ。二人とも怪我はなかったかい?」

「うん。俺達は無傷だったよ」

「それにしても、ラウ。きみ、絵の才能まであったんだね」

 そう感心したようにマックスが白い歯を見せ、俺は少し困って頬を掻く。

「いや、それはチャンが描いてくれたんだ。俺が描いたのはこっち」

 そうページを捲ってみせれば、マックスは「ん?」と、小首を傾げてみせる。

「これは……トーテムポール?」

「違う! デーモンスカルだ!」

 思わずマックスの臀部に足の甲を叩き込んでしまい、手加減したとはいえパシィンと良い音が響く。

「痛あ! 暴力、反対!」

「ご、ごめん! ムカついて、つい身体が動いちゃった……」

 マックスが涙目で「そりゃあ、俺も悪かったけれどさ」と、尻を擦る。

「と、ともかく……相手がかなりの手練れなのは確かだよ。豚人間ピッグマンレオンとは比べ物にならないと思う」

「レオンに刺さっていたあの長い刀を振り回されたら、一たまりもないね」

「うん。でも、ワン老師が手立てはあるって……」

 そんな会話を交わしていると礼拝所に辿りつく。入れ違いに大勢の人が中から出てきて、彼らを見送りに出てきたアンディがこちらに気付く。彼は少し憔悴した顔に薄く笑みを浮かべた。

「もしや、レオンの件で?」

 俺達が軽く頷くと、アンディは「よろしければ、執務室でお茶でも」と中に促す。

 熱奶茶ホットミルクティーの注がれたカップを傾けていると、アンディは物憂げに吐息する。

「彼が殺されてしまったなんて……とても、ショックだよ。犯人について何か分かった事は……?」

「恐らく、同じ犯人の仕業だと思われる被害者が……昨晩、光明街クゥオン・ミン通りで死体が発見された事、ご存知ですか?」

 そうマックスが鞄から写真を取り出して、テーブルに乗せる。ごみ山で発見されたサミーの死体写真だ。

 アンディは、息を呑んで写真から目を逸らす。

「死体が発見されたとは噂で聞いていたが、こんなに酷い状態だったなんて……」

「アンディさん、この被害男性に心当たりはありませんか?」

 そうマックスがサミーの顔をアップにした写真を差し出し、アンディが微かに眉根を寄せながら見つめる。

「……確か、一度か二度、来たことがあったような……」

「それは更生プログラムを受けに?」

 俺が言うと、アンディは記憶を辿るように、ゆっくりと頷く。

「一度目は更生プログラムの見学と、その後、ここで行ったバザーに来ていたと思うよ。でも、それきり彼を見かけていなかったな。そうそう、確か、甥っ子さんが薬物依存で、是非ここに通わせたいと話していたんだ」

 俺とマックスは思わず顔を見合わせる。甥っ子の件は当然、でたらめだろう。サミーはどうやら情報収集のためにここに来ていたようだ。しかし、何を調べていたのだろう……?

「もっとレオンに寄り添う事ができれば、こんな事には、ならなかったかもしれない……あんな惨い殺され方をされるなんて……」

 俺はふと思考から引き上げられて、アンディを見やる。

「もう、レオンの死体をウォン先生の元に引き取りに行ったの?」

「いや、明日に伺うんだ。その後、礼拝所で葬儀を行う予定だよ」

「……そっか。アンディに弔ってもらえる事が救いだね」

「そうだね。彼のした事は許されることではないかもしれない。それでも、彼が天に召されるよう、祈るよ」

 薄く日が差す静謐な部屋に、再び沈黙が流れた。


 礼拝所を辞して、俺達は九龍冰室クーロンカフェに移動していた。俺は今までの事を頭の中で整理しようと考えを巡らせ、一方のマックスも写真にじっと目を落としている。

「……あとで確認しないと……」

 ぼんやりと呟くと、マックスがこちらに目顔で問い、俺はゆるく首を横に振る。マックスは、さほど気にしない様子で再び、写真を確認し始める。

「……そうか……!」

 ふとマックスが呟き、俺は顔を上げる。彼はペールブルーの瞳を瞬かせ、写真を見つめていたが、何やら衝撃を受けたように何度か頷いてみせる。

「そういう事だったんだな……!」

 そう彼がこちらに見せたのは、光明街クゥオン・ミン通りにある『閉じた龍の瞳』の井戸で撮ったものだった。

 例の八卦図に似たものを指差して、マックスは僅かに胸を反らして見せる。

「ラウ、きみ俺の事を凄く見直すと思う!」

「ど、どういうこと?」

「この八卦図の意味が分かったんだよ! なにか書くものはないかな?」

 そう何やら興奮したようにマックスに、俺はバックパックからノートとペンを取り出す。

「ずっと何かに似ていると思ったんだ」

 そう彼が三爻さんこうに似た記号を指差す。

「おそらくこの八角形の天辺の記号は『☴』ソンに違いないと思う。問題は、この二番目からの記号だ」

 そうマックスはノートにいくら考えても分からない記号を書き映す。『-』『-』『-』『-』を組み合わせた記号に始まり、次に『-』だけのもの、次に『-』『-』『―』『―』の組み合わせ、次には『-』『-』『-』『-』がきて、『-』『-』だけの記号から、『-』『-』だけのもの、最後に『-』だけの記号だ。

「これ、おそらくモールス符号だと思う」

 モールス符号……! 驚いて目を瞬く俺に、マックスは少し得意げに笑って見せ、ノートにペンを走らせる。

「モールス符号は短点(・)と長点(-)を組み合わせて、アルファベットや数字、記号などを表現するものなんだけれどね。これをこの八卦図の記号に当てはめるとこうなるんだ……」

 そうマックスが描いたものに息を呑む。


・-・・ → L

・ → E

-・-- → Y

・-・・ → L

・・ → I

-・ → N

・ → E


「この通り『LEYLINE』ってなるんだけど。なんだろう、これ?」

「レイライン……龍脈だよ」

 驚愕して呟くと、マックスは少し不思議そうに首を傾げてみせた。


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