第六話 Demon skull

〔6〕


 朝日が差し込む部屋に、俺の「ううーん?」という間抜けな声が響く。

「なんか、違う……?」

 頭に浮かぶイメージを絵で表現しようとすると、どうしてこうも上手くいかないのだろう?

 首を傾げていると、背後から「なにが違うんだ?」とチャンの声がする。慌てて振り向けば、彼はスーツベストのボタンを留めながら、俺の手許を覗き込んでいた。

 俺が描いた渾身の一枚に目を落として、僅かに首を傾げる。

「それは……犬か?」

「違うよ! これは、昨日の襲撃犯のスケッチ! 記憶が鮮明なうちに絵にしてみようと思ったの!」

 羞恥で思わず大きな声を出してしまう。自分に絵の才能がないのは、今、はっきりと、嫌というほど分かった……!

 恥ずかしさに、頬に血が昇るのが分かった。チャンは、笑いたいのを堪えているような妙な面持ちになったが、すぐさまいつものポーカーフェイスになって「貸してみろ」とテーブルに置いたノートと鉛筆を手に取る。

 それから慣れた手つきで鉛筆を動かし、すぐさまノートをこちらに向ける。

「こんなものだろう」

 そこには精密なタッチで書かれた昨日の襲撃犯が描かれていた。その正確で巧みな絵に、俺はぽかんと口を開けてしまった。

「凄く上手い……! チャン、絵を描くのが得意なの!?」

 感心して思わず身を乗り出す俺に、チャンは淡く笑みを浮かべて小さく肩を竦める。

「ガキの頃は絵描きになるのが夢だったんだ」

「そうなんだ! 驚いたよ、こんなに上手なんて……!」

「この程度、大したもんじゃない」

 そうチャンが再び鉛筆を動かし、興味津々と彼の手許を覗き込もうと腰を浮かせる。チャンはにやりとすると、ノートを閉じてこちらに差し出した。

「行ってくる」

 そうスーツの上着を片手に玄関へと向かう。気を付けて、とその背に言えば、彼は肩越しに振り返る。

「ラウもな。くれぐれも襲撃犯には気を付けろ」

「うん、分かってる。行ってらっしゃい」

 チャンが家を出て、俺はノートのページを捲る。襲撃犯のスケッチの下には小さく『Demon skull』と綴られていた。

「デーモンスカル……か。確かにその通りかも」

 忠実にスケッチされた悪魔のような禍々しい姿に、背中にぞくりと寒気が走る。次のページに何か描かれているのに気づいて捲ってみて、思わず「はあ!?」と素っ頓狂な声が出る。

 そこにはデフォルメされた拗ねた男の子のイラストがあった。しかも、ご丁寧に『拗ねたラウ』とまで添えられており、隣には欠伸する白い猫も描かれている。こっちの猫は、リリーに違いない。

 さっき意味深に笑ったのは、これだったのか……!

「でもさ、なんで拗ねた姿なわけ!?」

 顔を火照らせながら、思わず叫んでしまった。壁に掛けられた時計を見れば、ワン老師との稽古の時間が迫っており、急いで俺も身支度をして部屋を出る。


 ワン老師に稽古をつけてもらった後、ベンチで並んで腰を下ろして漢方茶の入ったカップを傾ける。

豚人間ピッグマンと呼ばれる襲撃犯が、殺されてしまったようだね」

 ワン老師が静かに切り出し、俺はこっくりと頷く。レオンが倒れたチャンを狙ってやって来たこと、それを棍術で撃退したことを話す。

「教えて貰った棍術のお陰で、俺も含めて皆、無事でした。でも……実は、新たな襲撃犯が現れたんです」

 俺はバックパックからノートを取り出し、チャンの描いた絵を見せる。ワン老師は、静かな面持ちで、禍々しいデーモンスカルに目を落とし、小さく頷く。

「デーモンスカル……か。八卦刀を使うのだね」

「はい。それだけじゃなくて……」

 満月を背にこちらを見下ろすデーモンスカルの様子を思い出し、背中に冷たいものが這う。俺は昨晩の状況を話す。

「追いかけようとするチャンを咄嗟に止めてしまったんです」

「それは、彼の危険を察知したからかな?」

 ワン老師の言葉に、俺は項垂れてしまう。

「それもありましたが……でも、一番の理由は、デーモンスカルが恐ろしかったからです。あんなに激しい殺意と憎悪をぶつけられたのは初めてで……足が竦んでしまったんです」

 自分が情けないです……そう消え入るような声が漏れ、ワン老師はゆったりと脚を組みなおす。

「命の危険を敏感に察知して、退くのは武術家として当然の事だよ。闇雲に突っ込んでいっては、命が幾つあっても足りないからね。それに、ラウがチャンを引き留めていなかったら、彼は殺されてしまったかもしれない。止めて正解だよ」

 そうワン老師が宥めるように俺の頭を優しく撫で、思わずほうっと溜息が漏れた。

「あんなに刃渡りの長い八卦刀で切り掛かられたら、どうすればいいのか……」

「それは鍛錬次第で問題はないだろうね」

 驚く俺に、ワン老師は「明日から稽古の内容を変えよう」と微笑む。

「それに相手は八卦掌の遣い手らしいね」

「はい。昔、八卦掌を教えている女性がいたと聞きましたが、高齢で亡くなったそうですね」

「彼女……リンファは、子供の頃から仲が良くてね。大人になってからも、一緒にお茶をよく飲んだり、時に手合わせをしたりしたものだ。達人だった彼女の足元にも及ばないが、八卦掌の基本くらいなら知っている」

 そうワン老師が立ち上がり、詠春拳ではない構えをする。

「ラウは、八卦掌についてどれくらい知っているかな?」

「えっと……易経の八卦の理論を基にしていて、拳ではなく掌を使う武術ですよね?」

「その通り。そして一番の特徴は、円を描くように回る走圏そうけんというものだ」

 そうワン老師が独特の歩法で開いた掌を滑らかに動かしながら、円を描くように移動する。

「八卦の理論で、一周を八歩で歩き、足の場所はそれぞれ東西南北の四正と、北東、南東、南西、北西の四隅、八卦の方位を踏むそうだ」

 まるで舞踏のような美しい動きに、思わず見惚れてしまう。しかし、その優雅な見た目とは裏腹に、非常に強い攻撃法が含まれているのに気づく。

「拳でなく掌なのは、相手に掴まれたら即座にすり抜け、反対に相手の拳を掴むことができるからだ……それに相手の急所を突ける」

 ワン老師が動きを止め、こちらに微笑む。地面には彼が移動した跡があり、綺麗な弧が描かれていた。

「その通り。そして相手の勢いをうまく利用して受け流してしまう事も出来る。しかし、相手の技を知れば、恐れることは無い」

 ワン老師の言葉に、ずっと胸の中に広がっていた不安が少し軽くなったのを感じる。思わず立ち上がって包拳礼をする。

 ワン老師も包拳礼をし、ふと公園の入り口に視線をやる。そこには、マックスがこちらに手を振っていた。彼はワン老師にも、にこにこと左を拳にして右の掌を立てた包拳礼をしてみせる。

「マ、マックス……! それは手が逆だ……!」

 それだと『ぶっ殺す』って意味になってしまう。後でちゃんと教えないと……! 思わず目元を片手で覆うと、ワン老師はまったく気にしない様子で、朗らかに笑ってみせる。

「お友達が迎えにきたようだ。今日はここまでとしよう」

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