第四話 地獄

〔4〕


 死体が見つかったという光明街クゥオン・ミン通りの路地に駆け付ければ、すでに現場には騒ぎを聞きつけた住人や男娼、娼婦などの野次馬が集まって騒然となっている。

 ホンや手下達が怒鳴り声を上げて人垣を散らせていく。俺達に気付いたホンが「こちらです」と路地の奥に促す。

 その時、聞き覚えのある声がして振り返れば、マックスがこちらに手を振っていた。

「マックス! まだ九龍城砦にいたの?」

 いつも通り、彼とは夕方には別れたのだが……チャンがちらりとマックスを一瞥して、ホンと路地の奥へと歩いていく。

「夕日に照らされた東頭村道トン・タウ・ツェン通りに並ぶビルを撮っておきたくてね、カメラに収めていたんだ。そうしたら、何やら死体が見つかったって騒ぎを聞きつけて、戻ってきたんだ」

「そうだったのか。俺達も行こう」

 足早にチャン達の背中を追いかける。頭上に配管やケーブルが張り巡らされた薄暗い細い路地を進むと、袋小路になっている場所に辿りつく。

 そこは、住人が投棄した粗大ごみや空き瓶が、積もり積もって山のようになっているところだった。ビルの二階程度の高さまでゴミで形成された山の頂上に、下半身を埋めるようにしてその人はいた。

 すでに事切れているであろう彼は、両腕をYの字に上げており、その手首は背後のビルの壁に大きな釘によって打ちつけられている。

「……まるで磔刑のようだね……」

 マックスが戦慄したように囁き、俺も言葉を失いつつ頷く。おまけにその頭上には真っ赤な文字で『From Hell』と綴られている。

「地獄から、か……」

 思わず呟くと、マックスが「切り裂きジャックだ……」と硬い声でこぼして、シャッターを切る。

 チャンとホンが身軽に堆く積み上がった箪笥や机など階段を昇るように移動し、遺体を間近で確認する。死体を確認した二人が顔を見合わせ、それから辺りに視線を這わせる。

「どうしたの?」

 思わず訊くと、チャンは「どうやら上半身と下半身が切り離されているようだ」と、ゆっくりと視線をさまよわせている。

「ラウ、そっちに下半身は見当たらないか?」

 ぎょっとして辺りを見回すが、それらしいものが放置されている様子はない。

「こっちには、ないみたい!」

 そう大きな声で返せば、背後から「なんじゃこりゃあ!」と素っ頓狂な声がし、そこには白衣を纏ったウォン先生がわなわなと遺体を見上げていた。

「まったく、毎日、毎日……猟奇的な死体ばかりが見つかるなんて……九龍城砦はどうなっちまったんだ……」

 連日の猟奇的な死体の検死や解剖に辟易し、さすがに衝撃を受けている様子のウォン先生に、チャンが軽く手を振る。

「先生、こっちに上がってこられるか?」

「無理に決まっているだろう! 年寄りを苛めてくれるな!」

「まあ、そうだよな。おい、誰か……釘を抜くから、バールを持ってきてくれ」

 マーとホーがハッとしたように「はい、今すぐ!」と事務所に駆けて行き、俺も近くで確認しようと、ごみ山のてっぺんを目指して目の前の棚に足を掛ける。

「マックスも行く?」

 彼はカメラのファインダーから目を離し「うっかり踏み抜いてしまいそうだから、遠慮しておくよ」と、苦笑してみせる。

「ラウ、そこのテーブルは木が腐っているから危ないぞ。こっちに」

「ありがと」

 チャンが誘導する為にこちらに降りてきて、手を差し出す。その手の平を握り返し、引き上げられるようにして、俺はごみ山の頂上に向かう。

 俺は無残な遺体を観察するように眺める。

「チャン……この死体、何か刀や剣の類いで真一文字に腰あたりから斬られているよね?」

 チャンも見事なまでにすっぱりと切られた箇所に僅かに顔を近付けて、ゆっくりと頷く。

「だろうな。中々の太刀筋で斬られている。切り口から察するに、まったく迷いが感じられないな」

「八卦刀だと思う?」

 俺達の視線が絡み、チャンは低く呟く。

「可能性は高いな」

「それに、この人は誰なんだろう? もしや、13Kサップサンケイのメンバー?」

「いや、こいつは……」

 チャンが言い掛けた時、ホンが「チャンさん」と中腹あたりで鼻を引くつかせつつ手を上げる。

「この辺りから血の匂いが」

 いつも忠犬よろしくチャンの後ろに控えているホンだが、本当に鼻まで良いとは……感心するやら、驚くやらで彼の様子を見守る。

 ホンは身軽にごみ山を跳ねるように移動し、目立たないところに埋もれていた箪笥の上に着地する。それから、確信したようにスンと鼻を鳴らして、こちらを見上げる。

「この中に下半身が仕舞い込まれているかと」

 現場をカメラに収めていたマックスも驚いたように、ホンを見守る。彼は箪笥からジャンプし、迷いなく抽斗を開けて中を確認する。

「ありました」

「念のため、撮影しておこう」

 マックスが意を決したようにごみ山を登りはじめ、危うい足取りで何とか辿りつく。箪笥の中を見た途端に顔を顰めたが、すぐさま冷静なカメラマンの面持ちになってシャッターを切り始める。

 撮影するマックスの様子をどこか興味深そうに見守っていたホンだったが、ふと何かに気付いたようで抽斗の中を覗き込むように身を乗り出す。

「どうしたんですか?」

 マックスが少し驚いてカメラから顔を離す。ホンは「血の匂いだけじゃない」と呟き、躊躇なく抽斗の中に手を突っ込む。

「ズボンのポケットに何か入っている」

 俺もチャンも何事かとその様子を見守っていたが、ホンがこちらに掲げたものを見て息を呑む。

「それって……」

 ホンが血に濡れた十字架の匂いを嗅いで「沈香だな」と呟く。ウォン先生が目を眇めて十字架を見つめ「おお、それは……!」と、はっとしたように指す。

「その十字架、例の豚野郎も首から下げていたぞ」

 思わず俺とマックスは顔を見合わせた。またしても、礼拝所の関係者が殺されたということなのだろうか?

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