第四章 九龍の瞳

第一話 刀

〔1〕


 豚人間ピッグマンが殺された。

 祈るような体勢の亡骸を注意深く眺めながら、正面に回り込む。

「……これは……」

 祈り手になっている手許に顔を近付けた時、人の気配がして顔を向ける。そこには、マックスがいた。

「……ラウ?」

「マックス! 来てくれて、よかった……!」

 思わず彼の元に駆け寄り「来たら、すでに事切れていたんだ」とレオンを指差す。彼は、息を呑み、俺達は遺体の元へと向かう。

 マックスは、祈っているかのような恰好の遺体に目を瞠った。

「どうして、こんなことに……」

「実は、昨日、診療所にレオンがチャンの腕時計を狙って襲撃してきたんだ」

 途端にマックスがぎょっとし、俺が「でも、返り討ちにしたんだ」と言えば、安堵したように頷く。

「怪我とかはしていないんだね?」

「うん。それよか、ここを見て」

 そう彼の手許を指差すと、マックスは微かに目を眇めつつ顔を近付ける。

「手許が……何か、接着剤のようなもので固定されているね」

「そうなんだよ。この柳葉刀もまるで腕を持ち上げて、そこに乗せる為に刺さっていると思わない?」

「確かに。わざわざ、どうしてこんな事を……」

 戦慄したようにマックスが囁き、カメラを取り出す。ふと「それは?」と、俺が持っている保温ジャーを指差す。

「あっ! しまった!」

 チャンにはメモを残して来たが、かなり時間が経っている。もしかすると、もう彼も起きているかもしれない。

「ごめん、俺、ちょっと戻らないと……!」

「写真を撮って、それからウォン先生のところに検死を依頼しておくよ」

「ありがと。じゃあ、またここで落ち合おう」

 俺は急いで屋上の出入り口へと向かう、ふと思い出して彼の方を振り向く。

「あの……マックス、昨日は何も言わないで居なくなって、ごめん」

 マックスはファインダーから目を離して、薄く微笑む。

「気にしないで。たまたま、マーとホーに行き会って、話は聞けたから。チャンの具合はどう?」

「とりあえず、今日までは安静にしないと駄目みたい」

「そうか、大事に至らなくて良かったよ」

 そう頷き、再び撮影を始め、俺は階段へと足早に向かう。

 家に戻れば、すでにチャンはラフな普段着に着替えて、ゆったりとソファーで新聞を読んでいた。少し慌てた俺の様子に、何かすぐに勘付いたようだった。

「どうした?」

豚人間ピッグマンが殺されていた」

 僅かに驚いた様子のチャンに、屋上で死体を見つけた事、ウォン先生に死体を引き取りに来てもらっていることを伝える。

「そうか」

 チャンが立ち上がり、俺は少し焦りながら切り出す。

「あ、あの……マックスもいると思う」

 チャンが軽く眉間に皺を寄せ、俺は早口で付け加える。

「たまたま二人で発見したんだ。その……まだ本調子じゃないし、彼とは殴り合いはしないで」

「そんなことするわけないだろう。まったく、お前たちが何をしているのか、詳しく話を聞かせてもらう必要がありそうだな」

 チャンは少し呆れたように片方の眉を上げて「ともかく、死体を確認しに行くぞ」と玄関へと向かい、俺も慌てて彼の後を追いかける。


 流石に、チャンがいきなりマックスに渾身の頂肘ちょうちゅうを繰り出す事はなかったが、顔を合わせた二人の間には妙な緊張感が漂っていた。

 屋上にはウォン先生も到着しており、軽くこちらに手を上げる。

「死後硬直の具合からみて、昨晩の十一時ごろに殺されたんだろうな」

 チャンがレオンの前に回り込み、眉根を寄せる。

「まるで祈っているような恰好だな……おまけに、この刀は腕を固定させるために刺したのか?」

「多分な」

 ウォン先生が頷きつつ、ローブを捲り上げて彼の上腕に彫られた祈り手の刺青を見せた。

 チャンが祈り手の刺青を見つめながら、記憶を辿るような面持ちになる。

「……この刺青は……」

 頭の良いチャンの事だから、彫り師のヤオの元にあったデザイン画だと気付いたかもしれない。

「まったく異常者としか思えん殺し方だよ。さて、襲撃犯の顔を拝むとするか」

 ウォン先生が顔を顰めつつ、豚のマスクに手を掛ける。俺達を襲ったレオンの顔は一体、どんなものなのか……わずかに緊張が走った。

 ウォン先生がマスクを剥ぎ取り、血の気を失った白い顔が露わになった。頬に斜めに走った傷跡は唇の端まで到達している。

 長く伸ばした前髪が特徴的で、正直、どこにでもいそうな至って普通の青年に見えた。思わずマックスと目が合う。おそらくアンディから訊いた彼の過去を思い出していたのだろう。

 どこか居たたまれない気持ちを噛みしめていると、チャンが「思ったより若いな。他の秘密結社の426かと思っていたが……」とレオンの顔を覗き込みながら呟く。

「426って?」

 マックスが身を屈めて俺にこっそりと訊いてくる。

紅棍フンクワン……秘密結社内の戦闘部隊のことを指すんだ。要は、殺し屋だよ」

「なるほど……」

 マックスが感心したように頷き、その時、手下を引き連れたホンが姿を見せる。

「チャン兄貴! お加減は!?」

「兄貴ー、俺達、心配してたんすよ?」

 手下達がチャンに気付いて駆け寄り、彼は薄く笑み「大丈夫だ。心配を掛けたな」と軽くあしらい、ホンに片手を上げる。

「ホン、ちょっといいか?」

 ホンが相変わらず無表情のまま、手下達を後ろに下げてチャンの隣に並ぶ。

「こいつの顔に見覚えはあるか?」

 ホンは注意深く、レオンの顔を覗き込んで首を横に振る。

三合会トライアド紅棍フンクワンではないですね」

「やはり、そうか。俺も見覚えがない」

 チャンは、ローブを捲って身体を確認していたウォン先生に顔を向ける。

「ウォン先生、この刀は抜いても平気か?」

「うん? まあ、構わないぞ」

 チャンが刀に手を伸ばすが、ホンが「わたしが」とそれを制する。ゆっくりとレオンに突き刺さっていた刀が引き抜かれた。

 血に濡れた刀が朝日に鈍く反射し、俺は小さく呟く。

「……やっぱり……」

 この刀は……チャンと目が合い、彼も頷いてみせる。それから隣で刀をしげしげと見つめるホンに、小声で何か指示する。

「ウォン先生、こいつの検死を頼む」

「ああ。終わったら連絡する。あっ、今日は絶対に安静だぞ! ラウ、お前さんがきちんと監視してやれ」

 矛先がこちらに向くとは思わず、慌ててマックスを見やる。

「ごめん、今日は撮影に同行できないんだ。もっと早く伝えていればよかったけど、タイミングを逃しちゃって……」

「気にしないで。まさか死体を発見するなんて思わなかったしね。俺も、午後は別の撮影が入っているんだ」

「じゃあ、また明日、いつもの時間に」

 ウォン先生の指示で手下達がレオンを簡易担架に乗せていく。

「ラウ」

 さっさと屋上から出ようとしていたチャンに呼ばれて、俺はマックスに軽く手を振り、彼の元に向かった。

 アパートに続く路を歩きながら、俺はチャンを見やる。

「ねえ、チャン……あの刀って……」

「ああ。その件もあるが、お前に話したい事がある」

 そうチャンが真剣な目を向け、彼の様子に少し緊張しつつ頷き返す。


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