第十話 激闘

〔10〕


 豚人間ピッグマン、レオンが両手の凶器を構える。柳葉刀りゅうようとうの刃がぎらりと光り、俺は壁に立てかけてあった五尺(150センチ)ほどの木柄のモップを掴み取る。

 相手と距離をとって闘う……今こそ、ワン老師から伝授してもらった棍術を駆使する時だ。

 いつも練習している六点半棍より、半分くらいの長さしかないが、距離が取れるだけこちらが有利だ。

 俺はレオンを睨みながら間合いを取り、両手でモップを肩の高さに持ちあげて構える。レオンが柳葉刀りゅうようとうで斬りつけてこようとし、俺はモップでその刃を払うようにする。

 その威力に肩の下がった首筋にモップの先を叩きつける。マスク越しに低く呻く声がし、レオンが体勢を崩し、その隙をついて、膝裏を薙ぎ払うようにする。

 倒れ込んだレオンだったが、床に身体が着く前に体勢を戻してしならせるように柳葉刀を振るう。

 モップの房糸の部分が斬りおとされ、反射的に後退りする。

 くそっ……! もう少し、長さがあれば……内心、焦りつつも間髪いれずにモップの柄を回転させ、睨み合う。

 レオンが二本の柳葉刀を振り上げて斬り掛かり、それを払うようにする。しかし、片方の刃が鋭く柄を斬りおとしてしまう。

「ラウ! これを使え!」

 ウォン先生の声がし、背後から脇に一本の竹竿が突き出される。

「ありがと! 先生!」

 俺は短くなったモップを投げ槍の要領でレオンに投げつけ、奴が反射的に刀で薙ぎ払ったのと同時に、長さ9尺(3メートル)ほどの頑丈な竹の棒に持ちかえる。

 これなら『払う、打つ、突く、絡める』の棍術としての威力が十二分に発揮できる。

 竹竿をしならせながら、レオンの腹を突く。レオンが小さく呻くが、さほど手ごたえがない。前回と同じようにローブの下は防具で固めているのかもしれない。

 レオンが唸るような声を上げながら柳葉刀を振り上げ、俺はがら空きになった両脇の下に竹竿を差し入れ、大きく振り上げる。

 レオンの腕が強制的に上げられ、そのまま手首に竿を叩きつける。柳葉刀りゅうようとうが床に落ち、続けざまに竿をしならせる。

「これなら、どうだ!」

 俺は力を込めて、レオンのこめかみあたりに竹竿を打ち付ける。パシィンと鋭い破裂音が響き、流石にマスクの下に防具はなかったらしく、軽く脳震盪を起こしてレオンがよろめく。

 これで、とどめだ! と竹竿をもう一度、スイングするように振るう。しかし、レオンが竹竿を掴んで打撃を阻止し、よろめきながら診療所の外へと逃げる。

「待て!」

 その後を追いかけるが、表の路地にレオンの姿は見当たらない。辺りを探すが、すでに逃げ去ってしまったらしい。細い路地での棍術は不利だと判断し、俺は診療所へと戻る。

 待合室のソファーで脱力したようにウォン先生が座り込んでおり、慌てて彼の元に駆け寄る。

「先生、大丈夫!?」

「あ、ああ……俺は平気だ」

 素早く彼の全身に目を走らせるが、流血は見られない。

「殴られたりしなかった!?」

「い、いや……その前に、驚いて転倒しただけだ」

 ぽかんとする俺に、ウォン先生は少し照れたように「あの不気味な豚人間(ピッグマン)だぞ!? いきなり目の前に現れたら、そりゃ驚いて腰くらい抜かすだろう!」と早口で捲し立てる。

「そ、そうだね……ともかく、無傷で良かったよ」

「まったく、あの豚め……驚かせおって……痛てて、腰を打ってしまったようだ……」

 そう怨嗟の声を洩らすウォン先生の腰を労わるように擦ってやり、はたとチャンの事を思い出す。

「そろそろチャンも、目覚めるかな」

 ウォン先生も腕時計を一瞥し、俺達は彼の元へと向かう。

 ベッドの上では、タイミングよくチャンが覚醒しはじめていた。少しぼんやりとしていたが、徐々に記憶が甦ったらしく、僅かに眉根を寄せてこちらを向く。

「……俺は、発作を起こしたのか?」

「その通り。あやうく死ぬところだったぞ。まずは胸の音を聞かせてくれ」

 そうチャンの胸に聴診器をあて「よし」と深く頷く。

「とりあえず薬が効いたな。お前さんが、意識を失っている間にひと騒動あったぞ。ラウが居なけりゃ、俺は殺されていたよ」

 チャンが目を眇めてこちらを見て、俺は少し気まずさを噛みしめながら「豚人間が乗り込んできたんだ」と伝える。

「ラウが見事な棍術で豚人間を追い払ってくれたよ。あいつめ、何をしに来たんだ?」

「……多分、チャンの金時計を狙ってたんだと思う」

 俺はチャンの手首に巻かれた時計を見つめて言う。ウォン先生は、不思議そうに小首を傾げ、チャンは溜息と共に「そうか……」と呟く。

「もう点滴を外してくれ。事務所に戻る」

「これから働く気なら許さんぞ。医師として患者の命を守る義務があるからな。どうしても、退院したければ、ラウと一緒だ。そして、今夜から明日は絶対に安静にすること!」

 ウォン先生が珍しく強い口調で言い、チャンがうんざりしたように吐息する。

「分かった。だが、一人で平気だ」

「それは駄目。俺も一緒に帰る」

 間髪いれずに俺がきっぱりと言うと、チャンが少し驚いたように、ようやくこちらを真っ直ぐ見つめる。

「今回は、周りに人が居たから、死なずに済んだんだよ。一人の時に発作を起こしたら、どうするの?」

「そうそう、ラウの言う通りだ。駄々をこねていないで、退院したけりゃ、一緒に帰りなさい。それが嫌なら、縄でベッドに括りつけて強制入院だ」

 ウォン先生が厳めしい顔で胸の前で腕を組み、チャンは諦めたように軽く頷いた。

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