第七話 マーとホー

〔7〕


「だからさあ、チャン兄貴のどこが気に食わないんだよ?」

 少し据わった目でホーがビール瓶を傾けて身を乗り出し、隣の椅子に座っているマーも「そうだぞう」と、ぐびぐびとビールを飲む。

 マックスが「九龍城砦内だと、ホンに見つかったら怒られるだろう?」と、九龍城砦を出たところにある屋外の屋台……大牌檔ダイパイドンに二人を誘い出した。

 マックスときたら「俺の奢りだよ」だなんて、どんどん二人にビールを勧めて、上手い具合に二人を酔わせていったのだった。

 ホーが「チャン兄貴はさあ……」とすっかり酔ってだらしなく頬杖をつく。

「そりゃあ、怒らせたらおっかない人だよ。だけど、普段は俺達みたいな下っ端にも目を向けてくれる人なんだぞお」

「ホーの言う通りだぜ? 兄貴はよお、腕っぷしも強くて、頭もきれるし、かっこいいし……俺達の憧れなんだぞう」

「……ふうん」

 興味なく相槌を打つと、マーが「なんだ、その態度は!」と間延びした声で俺を指差す。

「ともかく、痴話げんかなんだろ? さっさと仲直りしろよなあ! チャン兄貴、ここの所、ずっと機嫌が悪くてよお……ともかく、おっかないんだよ」

 痴話げんかなもんか……! むっと顔を顰めつつ言い返してやろうと思ったのと、マックスが絶妙なタイミングで口を開く。

「そんなチャンの為に、日々、頑張っているわけだね。そういえば、最近、猫の首輪を捜していたそうだけど……見つかったのかい?」

 ホーとマーは、同時にゆるく首を横に振る。

「それが、どこにもねえんだよなあ。まあ、プラチナ製だって話だしなあ……拾った奴がどっかに売っちまったんじゃねえの?」

「かもなあ。でも、ホン兄貴が香港中の売り飛ばされそうな店を調べたらしいけど、見つかってないそうだぞ」

「じゃあ、俺達も九龍城砦を歩き回っているし、それらしきものを見つけたら拾っておくよ。その首輪の特徴は?」

 ホーが酔いの為か、すこしトロンとした目を彷徨わせる。

「えっと、なんだったかな……確か、百合の花が彫られていて……」

「そうそう。あとは……何か裏側に文字が刻印されてるんじゃなかったか?」

 そうマーがビール瓶を傾け、俺とマックスは思わず顔を見合わせる。

「それは興味深いね。なんて刻印されているんだろう?」

「なんだっけなあ……ええっと……龍の目とかなんとか」

 マーが焗猪扒飯ポークチョップを摘みながら呟き、ホーが緩く手を振る。

「確か……Dragon's closed eyeじゃなかったか?」

 Dragon's closed eye……閉じた龍の瞳……俺はハッとマックスに視線をやる。彼も小さく頷いた。

「他にも何か彫られているのか?」

「さあ? それくらいしか、俺達は聞いてないけどな」

「そうなんだね。そういえば、ラウを襲った襲撃犯の目星はついたのかな?」

 マックスがさりげない口調で切り出し、マーとホーは同時に緩く頭を振る。

「そういえば、ラウ、お前……変な奴に襲われたんだよな。災難だったな」

 マーが気の毒そうに眉を下げ、俺は何でもないように笑う。

「平気だよ。こうして生きてるし」

「豚の被り物した中々の手練れなんだろ? まったく変な奴が出て来たよな」

 そうホーも顔を顰める。この二人、そんなに悪い奴じゃないのかもしれない。まあ、酔って、ここまで口が軽くなってしまうのは考え物だが。

「結局、豚男も見つかってねえんだよなあ……そのせいか、兄貴達も余計にピリピリしてるのかもなあ」

「そうか」

 俺はにっこりと「思う存分、飲んでくれ」と追加のビール瓶を二人の前に置く。


 通りの屋台で買った焼きたての雞蛋仔エッグワッフルを頬張りながら、俺とマックスは九龍城砦に続く道を歩く。勿論、酔いつぶれたマーとホーは置いてきた。

「マックス、あんた悪い奴だよね。あいつら、すっかり酔いつぶれちゃって……ホンにバレたらあの二人、ぶん殴られるよ」

 そう笑いながら言うと、彼は心外だとばかりに眉を上げて「取材力ってやつだよ」と肩を竦める。

「でも、その取材力で分かった事があったわけだ」

「刻印された『Dragon's closed eye』だね」

「うん。やっぱり、豚野郎は何かを知っていて、リリーの首輪を持ち去ったんだ」

 マックスが雞蛋仔エッグワッフルにかぶりつきつつ、小首を傾げる。

「それにしても『Dragon's closed eye』ってどういう事なんだろう?」

「それなら検討がつくよ」

 咀嚼しながら言うと、マックスは不思議そうに目を瞬かせる。

「とりあえず、龍の目を見に行こうか」

 そう俺は大井街タイ・チャン通りに続く路へとマックスを促した。

「龍の目というのは、これの事なのか……」

 マックスが感心したように井戸を覗き込み、すかさずシャッターを切る。

「九龍城砦には井戸がいくつもあるけど、この井戸は九龍城を守る龍の目と考えられているんだ」

「この井戸は、まだ現役で使われているのかい?」

「いや、匂いがひどくて飲料には使えないし、大分前から使用禁止になっているよ。大井街タイ・チャン通りの周辺は商店などがあって、九龍城砦の中で一番賑わいのある一帯なんだ。それは、もう片方の目である井戸が封鎖されたせいで、その幸運がこの一帯に流れたって言い伝えがあるんだよ」

「なるほど、閉じた瞳とは封鎖された井戸か。その井戸は、何処に?」

光明街クゥオン・ミン通りにあるよ」

 マックスが何かを考えるように井戸を覗き込む。

光明街クゥオン・ミン通りの井戸が封鎖された理由は?」

「枯れたんだよ」

「なるほど……もし、井戸に何かがあるとしたら、確認する必要があるね」

 俺も薄暗い井戸の中を覗き込みながら頷く。

「でも、問題は『閉じた龍の瞳』は、光明街クゥオン・ミン通りにある。あそこは、売春宿などが軒を連ねる場所で、13Kサップサンケイの事務所もあるから……」

 下手すると、チャン達とかち合ってしまう可能性もある。そうマックスに伝えると「確かに、彼らとニアミスするのは避けたいね」と小難しい顔をする。

「となると……なるべく、人がいない時間がいいよね。朝の四時頃なら流石に人気もないかな」

「じゃあ、夕方まで撮影して、またその時間に待ち合わせしようか」

「一旦、帰るのも大変なら、家に来る? ほら、俺……今、一人暮らしだし。あ、でも、マックスの部屋より綺麗な所じゃないけど……」

 マックスは、顔を綻ばせて頷いた。

「いいのかい? じゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらおうかな」

「あ、でも……アメコミのTシャツは家にはないよ?」

 そうおどけて言うと、マックスはきょとんとした後、笑い声を弾けさせた。

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