第三話 刺青

〔3〕


「お前たち、行く先々で死体を見つけるなあ……」

 ウォン先生が少しばかり呆れたような顔を向け、俺とマックスは微苦笑を浮かべる。

 ヤオの亡骸をそのまま放置しておくわけにもいかず、とりあえずウォン先生を呼び出したのだ。

「正直、俺達も驚いているよ。しかも、こんなに猟奇的な死体だもの」

「確かに、九龍城砦で死体が転がっているのは珍しい事じゃないが……これはちょっと惨いな」

 そう彼が、顔をしかめてヤオの姿を眺める。ウォン先生は往診バッグからゴム手袋を取り出して、まじまじとヤオの遺体を見つめる。

「何か鋭利な刃物で、すっぱりと首を斬られているな」

 そう先生がヤオの頭部を持ち上げ、ふと何かに気付いたように部屋の中を見渡す。

「そう言えば、返り血がこの部屋には飛んでいないな」

「ここではないどこかで殺害されて、頭部を切り離されたということ?」

「斬首しているんだ。普通は尋常じゃない血液が飛び散るぞ」

 俺とマックスは、互いの顔を見合わせる。確かに、天井や壁にも血痕は飛び散っておらず、マックスがふと何かを思いついたようだった。

「例えば、浴室は? もし、犯人が返り血を浴びたとしても流せるし」

「なるほどね」

 俺達は頷き合って浴室へと向かう。そこは、バスタブのない小さなシャワーブースだった。カビで薄汚れたブースは濡れており、マックスがヒビの入った壁を指差す。

「あれ、血痕じゃないか?」

「うん。やっぱりここが現場なのかな……」

 そこには僅かながらも血のシミがあり、俺は鼻をひくつかせる。

「なあ、マックス……この匂い、気づかないか?」

「え?」

 彼も俺と同じように鼻をひくひくとさせるが、首を横に振る。

「駄目だ、分からない。室内のお香で鼻が馬鹿になっているみたいだ。何か匂いがするのかい?」

「うん。この、香木みたいな匂い……どっかで嗅いだことがあるんだよなあ」

 低く唸るような声が漏れ、胸の前で腕を組む。再び、ウォン先生の元に戻れば彼はヤオの頭部と首の切り口を熱心に眺めている。

「ウォン先生、何か分かった?」

「うむ、切り口の鮮やかさからすると、これは鋸などの刃じゃないな。ここまで綺麗に骨まで裁ってしまうのは……」

「例えば、柳葉刀りゅうようとうとか?」

「可能性は高いな。犯人は、中々の遣い手かもしれんぞ」

 ウォン先生が薄く伸びた白い顎髭を撫で、俺とマックスは顔を見合わせる。

「さて、そろそろ死体を運び出すか。チャンの手下に頼むから……」

「分かってる。俺達は、ここを離れるよ。何か他に分かったら、教えて」

 興味津々と豚の頭を観察しながら、ウォン先生が軽く手を振り、俺達はアパートを出る。マックスが、ほうっと溜息をついた。

「これも切り裂きジャックの仕業だと思うかい?」

「どうかな……少なくとも、異常者であることに間違いはない。そして、さっき調べた通り、チェリーの刺青が原因で殺されたのかもしれない」

 マックスが頷き、少し疲れたように呟く。

「なんだか気分転換に、凍檸檬茶トンレンチャが無性に飲みたいよ」

「じゃあ、九龍冰室クーロンカフェに行く?」

「いいね」


 九龍冰室クーロンカフェのいつもの席で、マックスは至福の面持ちで凍檸檬茶トンレンチャを飲んでいる。

 俺は頬杖をつきながら、先程の事を思い返していた。

「無くなったスケッチノートには、チェリーの刺青のデザインが描かれていたのかな」

「一冊だけ無くなっていたのを考えると、犯人が持ち去ったと考えた方がいいのかもね」

 ヤオの死体を発見した直後、現場の様子をカメラに収めていたマックスが、壁に貼られた刺青のデザイン画を指差した。

「ねえ、ラウ。チェリーの刺青のデザイン画も、ここにあるんじゃないかな?」

「なるほどね、探してみよう」

 凄惨な状況に、少しぼんやりしていた俺は、気を取り直して室内を見回す。

 書棚があり、そこに顧客の名前とデザインが描かれたスケッチノートを見つけた。ヤオは几帳面な性格だったらしく、スケッチノートには一冊ずつ番号が振られていた。しかし、その中で29番のノートだけなくなっていたのだ。

 俺は、凍檸檬茶をストローで吸い上げて呟く。

「他のノートを確認したけれど、チェリーの名前が載ったデザイン画は無かったしなあ……」

「一体、どんな刺青なんだろう。人を殺してまで奪わないといけないものなのかな」

「尋常じゃないよなあ。おまけにリリーもいるとは思わなかった」

 マックスが思い出したように、少し身を乗り出す。

「まさかお尋ね猫がいるとは思わなかったね。保護出来たらよかったんだけど」

「あの猫、凄くすばしっこいよ。俺、猫には好かれる性質なんだけどなあ……」

 あの時、捕まえられていれば良かったのだが、リリーは予想以上の俊敏さで、玄関先で見失ってしまったのだった。

「シャムさん、注文していたものを取りに来ました」

 その時、聞き覚えのある声がし、俺は肩越しに見やる。そこには、宣教師のアンディがシャムから紙袋を受け取っていた。彼は紙袋の中を覗きこみ、目を細めた。

「美味しそうな匂いだ。シャムさんのエッグタルト目当てに、礼拝所に来る人もいるんですよ」

「そりゃ、光栄だね」

 アンディを見つめ、ふと記憶が鮮明に甦ってハッと息を呑む。

「そうか、思い出したぞ……!」

 勢いよく立ち上った俺に、アンディが不思議そうな顔をこちらに向けた。


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